第80話【ノーブレスオブリージュ】
ヤバイ、ヤバイ、それ以上はもう考えない様にしなきゃ、この辺の対応は真希さんとっしょで良いや。
それにしても、僕らダンジョンウォーカーは、刃物や武器に慣れてるけど、こうして、普通に首都圏でダンジョンなんて関係ない一般な人が刃物を持って、襲うって言うのもまた、大きなストレスなんだろうなあ。
可哀想に、受付のお姉さん二人、真っ青な顔して、自分がやろうとしていた事を思い出しているんだろうけど、ガタガタと震えてる。
僕らは、こう言う世界に慣れてしまっているけど、これが一般人の感覚なんだろうなあ、って改めて考えさせられたよ。
雪華さんは優しいから、その二人を廊下の普段は待ち時間にでも腰掛けるであろう、ソファに座らせて、そしてメディックの効果なのかな、寝かつけてた。
次に目が覚めた時、自分が歳はの行かない高校生や中学生をナイフで刺そうとしていたなんて現実が、夢の中にでも置いてこれると良いよね。
前も思った事だけど、あの英雄陣の詐欺騒ぎ。
あの時も、「そんな事知らない」って押し通してもよかったのに、この国の人間て真面目だからさ、しっかり受け止めてしまって、自身で逃げ道をふさいてしまって、あれもかなりのストレスになっていたよね。
今回の事だって、真面目なこの受付のお姉さん、本当に会社のみんなの為に自分のできる事をしようとしてたんだろうなあ、って考えると、ちょっと切ないよね。
まあ、それでも、今日この日にその元凶である海賀の経営者一族を一掃できるから、この人たちの憂も今日限りって事になるね。
それだけは救われていると思ったよ。
正直、葉山の件だけでもあのクソじじ、ぶっ殺してやろうかな、って本気で考えるんだ。
よくも生きている人間にこんな事できるよな、って思うと、あんまり熱くはならない僕だけど、一瞬にして頭に血が昇る。
「昔は、良いおじいちゃんだったんですよ」
僕のそんな感情を悟っているのか、雪華さんがそう言ったんだ。
雪華さんの、少し悲しそうな、そして、どこか僕に対して謝っているみたいな、そんな感情が含まれていて、チラッと見た雪華さんの顔が、あまりに沈んでいたので、その言葉と表情に毒気を抜かれる思いだった。
「私たちは、創業者一族ではあるけど、こんな馬鹿みたいに大きな企業体の経営なんてしてはいません、それでも、集まりがある度に、顔として呼ばれるので、いつも龍季さんにはお世話になっていたんですよ」
懐かしうに語る。
「いつも言っていたのが、全人類を救うって、可哀想な子供達を助ける為に、みんなの夢をかなえる為に会社は世界に貢献するべきだって言ってました」
懐かしそうに語る雪華さんはそう言った。感情もなく、まるで言葉を、真実だったかつてを並べて僕に見せるみたいに、そう言ったんだ。
「少し夢が大きすぎたのかもしれませんね」
雪華さんのその言葉にどんな意味があったのか、財閥でも創業者一族でもない僕にはとうていわからないけど、そこには僕が知らない雪華さんの顔があったんだ。
そして、感傷を含んだ最後の言葉になった。
雪華さんの周りの空気が変わった気がした。
今はもう、かつての友人や知人を、家族ぐるみで付き合う人達を懐かしむ雪華さんはいない。今はギルドの幹部で北海道ダンジョンの運営を担う一人の強力なダンジョンウォーカーがいるだけだ。å
一瞬の憂い。
それを、追い払う様に、雪華さんの瞳の奥に力が籠る、毅然とした表情に変わる。
「秋先輩、今回は私が主体で行きます、アシストお願いできますか?」
「良いよ、好きに動いてよ雪華さん」
僕の言葉を受け取って満足した様な表情を見せた後、今度は茉薙に、
「茉薙はいつも通り、お願いね、私を守ってね」
雪華さんの言葉に何の返事も返さない茉薙は、もうすでに、意識は前の、この扉の向こうへと向けていた。
一瞬の瞬きすら許さない。
雪華さんに害なすものは全て倒してやるって言う気合いが漲っている。
「ここで、終わらせましょう」
そう言って雪華さんは、会長室への扉を開いた。
中から漂う空気は、どこか重く、そして、今まで感じた事のない、生で、温い空気が重く流れ出して来る。
足に絡みつく様なそれを、不快と感じつつも、僕の前をゆく二人を見つめると勇気なんてモノが簡易に見えて『持つ者のが、その義務を果たすノーブレスオブリージュ』と言う崇高な姿を見せつけられている様で、こちらもつられて、どこか高尚な気持ちになって来るから、不思議な気分になる僕だったよ。