第50話【いつだって大丈夫だよ秋くん】
そんなに強いなら、この子だって、国体とかオリンピックとか出れそうじゃん、って言おうとしたら、雪華さんが、
「雨崎 亜澄、16歳で、元オリンピック強化選手です、世界でも10本の指に入ります」
と教えてくれた。
なるほど、納得の行く強さだよ。具体的な目標に向かって、一つの競技を研鑽して来た形が今の攻防か、って思ったよ。
すると彼女は、
「凄いなあ、北海道ダンジョン、さっきの女の子もそうだったけど、普通、フェイシングの突きに対応できる近接格闘技って無い筈なんですが、物の見事に対応されちゃったなあ」
と、さして残念って顔もせずにそんな風に言った。
そこで、僕もわかったんだけど、この人きっとフェイシングは全力で取り組んで来てはいただろうけど、きっと競技者って感じでは無いんだよね。
多分、兵法者。だから求道者。
純粋に、真っ直ぐ強さを求めている人。
だからかな、ちょっと気持ちが軽くなった。
そして、彼女、雨崎さんは言った。
「手加減されているのはわかってますよ、でも、そろそろ本気を出してもらわないと、ちょっと凹みますね」
と言う。
いや、雪華さんがくるの待ってただけだし、まあ、これで心おき無く倒せるよ。
「わかった、じゃあ、ちゃんとするよ」
と僕は伝えた。
「本当ですか? それは助かります」
と言ってから、
「あ、あと私が死んでも生き返らせないでくださいね」
とか言い出すから、さすがに驚くものの、僕は確認もかねて聞いたんだ。
「違うよね、正確には回復ができないから蘇生もできない、ってことでしょう?」
そう言うと、
「うわ、流石、魔王様、全部知ってるんですね、びっくりした」
雨崎さんて本当に悲壮感のかけらも無く言うから、僕も驚いてしまう。
そして雨崎さんは言うんだ。
「大丈夫です、もう諦めもついてますから、最後に戦うのが貴方で良かった」
と言うと、彼女の身長が伸び始める。
いや、違うな、正確に言うなら、彼女の下半身が変化し始めたんだ。
まるで、その足は馬の、いや猫かなあ、虎とかじゃなくて、もっとしなやかな印象。それの様に、余裕のあったジャージの下が伸びきって今にも弾けそうになってる。そして両肩から伸びた腕も伸び始める。そちらは、人どころか哺乳類のそれですら無く、どこか昆虫を思わせる外骨格のそれに見えた。
まるで、化物、未だかつてこのダンジョンで出会った事のない魔物そのものだった。
そして、彼女は思い出したかの様に言う。
「あ、一つお願いがあるんですが」
と、身長も有に2mを超え、3m近くあるところにある、変わらぬ彼女の口が言ってきたんだ。
「私が死んだら、この死骸、ここの会社に届けて欲しいんです」
そう言って渡されたのは、紙切れに書かれた住所と、可愛らしい地図。
それを見ている僕に雨崎さんはこうも言って来た。
「私が、ここで結果を出せると、他の人は解放されるんですよ、中には私よりもフェイシング上手な才能のある子も居て、彼女が助かると私も嬉しいので」
本当に嬉しそう。
全部、悟りきってしまった人の笑顔だ。
言い換えると、諦めがついてしまった人の、もうどうにもできない終点についてしまった人の笑顔だ。
なんでこんな事ができるのだろう?
彼女の、雨崎さんが連れて来た、底の見えない悪意に対して、湧き立つ怒りなのだろうか? 全身の力が入りすぎて、抜けているみたいな状態になってる。
これじゃダメだ、って思う僕は、なんとか冷静さを取り戻そうとするんだけど、どうにも怒りと悲しみが混ざった感情によって鉛の様に体が重くなってしまう。
そして、嗚咽にまみれた葉山が、言うんだ。
「どうししよう、真壁、まだ終わってなかったんだ」
悲しみの湿度に埋め尽くされる空間。
魔物化した雨崎さんが、爪の音を立てながら近づいて来る。
まあ、一撃くらいはいいかって思ってると、あの人は言うんだ。
突然。
急に、
見かねて、こう語りかけて来る。
「大丈夫だよ、秋くん」
そして、こうも言った。
「私は全部秋くんのものだから、全部使っていいんだよ」
そっか、春夏さん、ありがとう。
君はいつも僕を見てる。
だって、ここは春夏さんだからさ、当たり前なんだよな。
だから、いつでも僕達ダンジョンウォーカーは大丈夫なんだ。
彼女は、僕たちの不幸なんて許さないからね。