贖罪
通路にいる護衛達に兵士が押し寄せる。数の差か、護衛たちはたいした抵抗もなくすんなりと拘束される。そして続々と客室の扉の前に集結した。
その部屋の中からかすかに讃美歌のような歌声が漏れ聞こえて来る。
彼の者の断罪の時は来た。悪魔の仮宿の入り口を開け放つ。
■1番車両 特級客室
満月だった。その大きな窓から、月明かりがこの広くて暗い部屋を仄かに照らしている。胸騒ぎがした。
仲間達が続々と入ってくる。
「ようこそ。」
横の方から声がする。その方を見やると、彼の者サリ・シフォンヌがいた。玉座とも取れる立派な座席に座り、テーブルの前で足を組んでこちらを悠々自適に待ち構えている。
そして彼の者の向かって右側にあるソファーにアンがいた。彼女はその立派で大きなソファーの上で寝そべりながら、やっほー。と挨拶をしてくる。
二人のそのあまりの無警戒さに違和感を覚えた。
「さぁ、彼を拘束して下さい。」
デミトリが兵士達に指示をする。
しかし、兵士達は微動だにしない。その様子に焦ったデミトリが同じ指示を何度も連呼するが、それでも全く動こうとはしない。
彼の者、サリ・シフォンヌは笑みをこぼす。
「デミトリ。そなたが余を暗殺しようと目論んでいるのは知っている。そしてその裏で誰が指示をしているのかもな。」
彼の者の不敵な笑みにデミトリが明らかに動揺する。
「シフォン軍総司令官ダブルス・エングレス。そなたの黒幕はモスリン焦土作戦を実権執行した張本人だ。」
「……はぁ?どう言う事!?説明してデミトリ!」
この緊迫した状況の中、カチューシャは激昂してデミトリに迫る。しかし彼は狼狽えて言葉に詰まっている。そんな様子を見ても周りの兵士たちは相変わらず微動だにせず、コジロウも興味なさそうに沈黙している。
「余が説明するよ、サーシャ。司令官ダブルスは焦土作戦の戦禍による責任を全て余に転嫁して、乗っ取りを図っているのだ。そなたを担ぎ上げてな。」
「それに、モスリンの若者よ。そなたには使命があるはずだ。しかしその使命を作り出したのはデミトリだ。モスリンを焼き尽くしたシフォン軍の分際で、そなたたちを扇動するためにその誓いの言葉を吹聴していたのだよ。」
「えっ……」
彼の者の言葉に衝撃を受けてしまった。そしてデミトリに対する不信感が湧き、徐々にそれは憎しみの感情へと変わっていくのを感じる。
「や、奴はでたらめを言っています!惑わそうとしているのです。」
デミトリが慌てふためいていると、彼の者、サリは立ち上がりデミトリの方へ近づいて行く。
「司令官ダブルスは地盤を固めて余を追い詰めたつもりだろうが、残念ながら奴もまたその築き上げてきた地盤ごと裏切られる。余がシフォンに着く頃には、彼は逮捕されているやもしれぬな。」
そう言いながら彼の者は帯刀していた剣を抜き、デミトリを貫いた。
「がは……ぁ……」
デミトリはその場に倒れ込んだ。しかし、周りは誰も彼のためには動かなかった。
「罪を贖うがよい。」
そう言って、彼の者はまた席へと踵を返し、着席する。
「片付けたまえ。」
そういうと兵士の一人がデミトリを担ぎ上げて外へと出ていった。当然ながらこの兵士達は彼の者の息がかかっていたようだ。
彼の者、サリはタバコを取り出し、火をつける。あの銘柄はモスリンビークだ。
「さて、余興は済んだ。……座りたまえ。」
そう言うと残った兵士達はカチューシャとコジロウ、そして自分を席に座るように促す。
彼の者の正面の座席に、カチューシャと自分は座らされる。ちょうど彼の者、サリと自分達の間に低いテーブルが挟まれている構図だ。
席はまだあるが、コジロウはカチューシャの後ろに立ち、座るそぶりを見せない。
「おい、座れ!……おい!」
そう言ってコジロウに命令する兵士を、コジロウは突き飛ばした。
それに反応して他の兵士が銃を構えるが、彼の者が いや、よい。と言うとその銃をしまう。
そして、彼の者が合図をすると兵士達は部屋の外へと退出した。
アンはと言うとソファーでゴロゴロしながら暇そうにこちらを見ている。
「久しぶりだな、サーシャ。元気にしてたか?」
彼の者、サリの言葉をカチューシャは無視してそっぽを向く。
その様子を見て彼の者は鼻で笑う。
「騙されちゃダメよ。自分は悪くないと思わせようとしているけど、あいつが焦土作戦を指示した張本人だから。」
カチューシャはこちらにそう耳打ちしてくる。彼女のその言葉がなければ惑わされるところだった。
「ちょっと!ルキくんと距離が近いよー!」
アンはこちらに耳打ちしているカチューシャを軽く怒る。
それを聞いたカチューシャはアンの方を睨みながらゆっくりと姿勢を戻した。おーこわ。とアンが呟く。
「なぜモスリンを攻撃したか教えろ。人狼を狩るためだって言うのか?」
そう言うと彼の者はこちらを見る。
「……そなたは、ルキと言ったな。良いだろう、ここまで来た事に敬意を払い、教えてやる。」
彼の者はモスリンビークという名のタバコをふかす。
「人狼は将来、社会に必ず脅威をもたらす。モスリンの人間の中に沸々と人狼に目覚める者がいる事が報告されていた。悲しい事だが、このまま放置すれば10年後には手がつけられなくなる。」
「それはお前の勝手な言い分だろ!」
そう怒鳴りつけると、彼の者はまた鼻で笑う。腹立たしい態度だった。
「それで、あんたが立ち上げた『モスリンビーク』という組織とやらで、残りのモスリンの人達を捕まえるとでもいうの?」
カチューシャがそう問うと、彼の者はそうだ。と頷く。
「じゃあ、なぜ彼女がそこに座っているのかしら?彼女は人狼、別名ノスフェラトゥらしいけど?」
カチューシャがアンの方を見ながら言う。
それを聞いてアンは笑い出す。
「あははー、ごめんサリくん。ついルキくんに自己紹介しちゃったのー。」
アンはカチューシャの言葉を聞いて、彼の者に自白した。彼の者もそれを聞いて笑い出し、吸い終わったモスリンビークを灰皿に押し付けて捨てる。
「いいだろう。余は人狼を味方につけたいのだ。対等に交渉する為に相手を選別し、説得をしている。彼女、アンは最初に恭順してくれたよ――」
彼の者は語り始めた。
■10年前のモスリンビーク深奥
広大なモスリンの森の深部に、一部の住民しか知らない原始的な集落があった。そこには空を覆うほどの巨大な樹木が生えていて、その太い枝の一つに大きな鐘が吊り下げられていた。
その鐘はまるで生きているかのようにゆらゆらと揺れ、時折小さい音を鳴らしている。
巨木のうろの中に案内される。
その中には無数の蝋燭が置かれており、入り組んだ樹木の胎内がぼんやりと照らされている。下を見れば地中から吸い上げられた水分が、蒼紫色の樹液となって浅瀬のように地表を流れている。そして奥からは讃美歌のような美しい歌声が漏れ聞こえてきた。
景色を噛み締めるように進んでいるとやがてうろの深淵に辿り着いた。そこは樹液で満たされた池のようだった。目の前には巨大な蒼紫色の塊があり、あたかもそれは樹木の心臓のように拍動している。
ほのかに、モスリンの花の甘い匂いが香ってくる。
歌声が止んだ。
「ネェ?」
語りかけてきたのは人間の形をした怪物だった。その身体は脈々として、変色している。その爪は長い刃物のように鋭かった。後ろを見ると、いつの間にか案内してくれた人間がいなくなっていた。
「綺麗な歌声だな。この大樹へ手向けた歌か?」
「ソウネ。……ナニシニキタノ?」
「鐘の噂を聞いたものでな。鐘の音に近づくと野生の狼に食われるとか。だから視察ついでに来てみたのだ。そうしたら確かに狼とたくさん出会ったよ。……それで、話をしないか?」
「ナニ?アナタ喰ッテイイ?」
怪物はいつの間にか目の前にいて、こちらの後頭部を掴み、牙を眼前に向けていた。
「ダメだ。淑女よ、この蒼紫色の心臓みたいなものは何だ?」
そう言うと怪物はその心臓のようなものを見る。
「モスリンノ心臓。コノ地ノ、神ノ物ヨ。狼ハ彼女ヲ守ッテル。」
怪物はそう言ってこちらの後頭部を掴んでいた手を離す。
「その地神、モスリンは鐘を鳴らして何をしようとしているのだ?」
「アノ鐘ハ、モスリンガ生ミ出シタ呪具。人間ヲ神ノ使徒、ノスフェラトゥ ニ変エル。ソノ音ニ呼バレルト、イズレ私達ノヨウニナルノ。」
「それは興味深い話だな。では余も人間を超越できるのか?」
「モスリンノ人間ダケヨ。神ハヨソモノヲ客人トシテ扱ウノ。」
「そのモスリンの人間というのを分別する方法はあるのか?」
「赤子ノ刻ニ洗礼ヲ受ケサセル。全員ガ見初メラレルワケジャナイケド。」
「その洗礼とは何をするのだ?」
「質問ガ多イヨ。頭イタイ。」
怪物は頭を抱える。頭脳は良くないようだ。
それがノスフェラトゥの特徴なのか個人差なのかは不明だが。
「すまない。じゃあ、さっきの質問だけでも答えてくれないか?」
「……モスリンノ地デ赤子ニ名前ヲ付ケル。」
「なるほど。……しかし変じてしまったらここのように人間社会から追放されそうだ。」
そう言うと、怪物は一瞬で人間の女の姿に変じた。
「おお素晴らしい……。」
「アなたのこと教えて。どこから来たの?」
「シフォンだ。これでも公爵の御曹司だ。しかしあと数年後には私が公爵となってみせるよ。」
「ふぅん。貴族の血って美味シいノカナ。」
女は口元から先ほどの鋭い牙を出す。
「そなたは食欲ばかりだな。ダメだ。」
そう答えると女は牙をしまう。相当な気分屋のようだ。
「えへへ。私を見て全く驚かない人初めてみた。スゴいね。」
「いや驚いているよ。そなたは非常に興味深い。」
「あなた面白い。もっと何か聞いてよ。」
「では、そなたの名は何というのだ?」
「それは教えない。」
「好きな名でよい。」
「じゃあ、アンで。」
「ではアンよ、外の世界には興味ないか?その力を貸してほしい。」
こちらの提案にアンは困ったような表情を浮かべた。
「モスリンの呪縛を解いてくれたら考えても良いよ。ノスフェラトゥはこの地から離れられない。退屈。」
「その呪縛とは?」
「モスリンから離れようとしたら、鐘の音を通して名前を呼ばれるの。ノスフェラトゥは洗礼を受けた時の名前を呼ばれたら逆らえない。」
「ほう、その呪縛を解くにはこの心臓を貫けば良いか?」
「モスリンの息の根を止めるには、モスリンの地を焼き尽くすしかない。あらゆる生命力を奪わないと、この心臓はやがて再生する。」
「なるほど。……ではいつか迎えに行くよ。我が名はサリ。覚えておいてくれ。」
「サリ……くんね。期待しないでおく。お花は全部燃やさないでね?」
■1番車両 特級客室
「そしてようやく、今日に至ってモスリン全土を焼き尽くすことができた。最後の日は余もモスリンビークの深奥地へ向かったが、モスリンの鐘の音が延々と鳴り続けていたよ。今まであまり見かけなかったといわれた人狼、いやノスフェラトゥ達もかの地には大量に待ち構えていた。しかし最終的に大樹は燃え尽き、その呪いの鐘を接収する事に成功した。するとどうだ、残ったノスフェラトゥ達は戦うのをやめたのだ。」
彼の者は笑いながら言う。
「頭おかしいんじゃないの?妄想の世界に囚われた?」
カチューシャは呆れ、そんな妄執でこのような惨事を起こしたのかと怒る。しかし彼の者は無視して続ける。
「今はモスリンの生き残り達を集め、呪いの鐘の音を聴かせ続けている。そしてノスフェラトゥに発現する者を厳選しているのだ。それらはやがてシフォン軍の従順な戦力となる。」
もはや彼の者の言葉はどうでも良かった。
「……そんな下らない私欲のために俺の妹は燃やされたわけか。」
座席から立ち上がる。その手にナイフを持って。
「不遜な真似はやめたまえ。」
「不遜だと?それはお前だ!モスリンの人間を支配できたと思うな!!」
そう言ってテーブルの上に片脚をかけ、彼の者目掛けてナイフを掲げながら飛びかかった。
しかし、上手くいかなかった。
目の前から炸裂音が鳴り、胸に衝撃が加わる。
そしてテーブルの上に仰向けに倒れ込んだ。
女の悲鳴が聞こえる。
その声がこだまして、やがて意識が虚空へと吸われていった。




