再会
瞼を一杯に開く。セピア色の雲が広がっていた。目をグリグリと回してあたりを伺う。すると上部から、青紫色の果実が吊らされているのが見えた。ああ祝福の果実だ。
自身を見ると、果実の先から伸びている蔦が全身を這い回っている事に気づいた。胸や太腿にむず痒い感覚を覚えるや否や、身体中に針を刺されるような鋭い痛みが走り回る。そのあまりに耐え難い苦痛に戦慄した。全身に力を入れ大声を上げて叫び散らすも、ただただ痛みや恐怖だけが増していく。そして次第に自身を覆っている皮、その下にある脂肪、筋肉、そして骨もが、順番に内側からめくり上げられていった。
やがて自身の臓腑が身体の外側へと解放される。
すると青紫色の祝福の果実が潰れ、露出したそれに果汁がドロドロとかかり、溶け込んだ。……痛みや、恐怖が消えた。
青紫色に染まってしまった心臓が息を吹き返し、鐘を撞くように高鳴る。ああ……もうじき目醒めか。
■8番車両 自室
見慣れた自室の天井がある。
勢いよく身体を起こす。自室は何も変わっていない。時計を見れば21時を回っている。
「おはよう。」
声のする方を見ると、そこには銀髪の女。カチューシャが座っていた。その髪を短く結い上げている。また、緑色のどこか見覚えのある衣装を纏っていて、その姿は素直に可愛らしいと思った。彼女はユリの顔にそっと手を添えていた。
「……なによ?」
「ああいや、おはよう。」
さっきのおぞましいレストランでの惨状は夢だったのだろうか。
「ノスフェラトゥになった気分はどう?うなされてたけど。」
カチューシャはそっとユリの顔を毛布で覆う。そしてぎこちない笑顔をこちらに向けた。
ノスフェラトゥという言葉、夢ではないようだ。しかしそうなると疑問が残る。
「どうして……ここにいるんだ?俺達。」
さっきまでカチューシャは顔を隠された状態で拘束されていた。自分も逃げられないようにアンに抱擁されたまま、彼女の青紫色の血を飲まされて、そこからの記憶はない。
「頑張ったのよ、あたし。褒めて?」
カチューシャはこちらの横側に座り、その頭をこちらの肩に寄り添わせる。そして手をこちらの膝に乗せる。震えていた。
「何があったか教えてくれ。」
その問いかけに答え、カチューシャはその時の事を語り始めた。
■カチューシャの記憶 血の従業員室
暗闇の中。
私は、怪物の女とアキのやりとりを聞いていた。
彼は女に何かを飲まされたあと沈黙している。おそらくは気を失っているのだろう。
「ルキくぅん、起きないなぁ。このディナーの女ぁ、どうしようぅ。」
女が私の前に近づく音がした。
そして私の頭に被せられた布が取り払われる。目の前には女が、こちらを見てしゃがみ込んでいた。
「お前はどう思うぅ?ヒと口食ってイイ?」
女はそう言いながら、私の口内へ入れられているタオルを乱暴に抜き取った。
「……はぁ……はぁ……はぁ……。」
息苦しさからようやく解放され、口から貪るように息を吸う。
「シャべレヨォオオオオオ!!!」
女は牙を見せながら、恐ろしい声で凄む。音波が波動して全身が総毛立った。
怖くて仕方がないが、怯えてしまえばすぐに殺される。毅然とした態度で対等に話し合わないといけない。
だからこの女の目をキッと睨みつける。
「……あんた、あたしを喰ったら後悔するわよ?」
「後悔?……へぇ、何故?」
興味を引けたようだ。女はその牙をしまった。
「あたしはサーシャ・シフォンヌ。テレビ見たでしょう?」
「はぁ?難しい話するつもりなら喰うけどぉ?」
「簡単よ。あたしの兄がこの列車に乗ってるの。兄はモスリンを焦土にした。あんた聞いた感じモスリンの人間でしょ?……その兄とやらが憎いとは思わない?」
「サリくんのことだろ?……あの生意気なガキから聞いたよ。誰だっけか……アレクか。とにかく続きを言ってみろよ?」
「ア、アレク……?」
昨日の夜に客室で惨殺された仲間。……この女が彼を喰ったのか。
「なんで私が後悔するかって聞いてんだよ!」
「だ、だから、そのサリが憎いとは思わないの!?」
「どうでもいい。彼が私をモスリンから解放してくれたの。」
そう言って女は笑う。その言葉の意味はわからなかった。
突如女は私の後頭部を掴み、引き寄せてくる。
眼前には女の牙の先端があった。寸刻一寸、それは今にも私の瞳をつらぬきそうだった。恐怖に強張って瞼を限界まで目一杯に開く。動悸が胸を乱れ撃ちし始めた。
「それよりルキくんとベタベタしてて鼻につくんだよぉ……。てめぇルキくんの部屋で何してやがったんだァァア!!」
その残響する声に威圧され、呼吸が乱れる。ガタガタと奥歯が鳴った。
彼が医務室へ行っている間に、この女が部屋に入ってきてた事を思い出した。
「へ、部屋にいたのは彼にかくまってもらってただけ!彼は私の事なんて興味ない!い、いつもあんたの話ばかりしてたわ!相思相愛で良かったじゃない!」
「あらそぉー、それは良かったぁ。ただの他人ならぁ、ルキくんのためにとっておく必要もないかぁ。あんたを今すぐ食べちゃおうかなァー。」
そう言って女は牙を再度剥き出しにする。青紫色の口内にびっしりと生え揃ったギザギザの歯列がこちらを覗いていた。
死を覚悟し、過呼吸になる……まばたき一つできない目から、ついには涙がダラダラとこぼれ始めた。嗚咽がひくひくと、縛られた身体を幾たびも揺らす。
その様子を見て女は嬉しそうに笑う。おちょくっているようだ。
ダメだ……泣くな!必死に考えろ。何か彼女の怒りに触れないで喰われないようにする逃げ道はないか、必死の思いで考えろ!私は何の目的でこの列車に乗っている!?
深呼吸をして、また毅然と女の顔をキッと睨みつける。
「か、彼は、ルキは!サリを打倒して、あたしに、あたしに!シフォンヌ家を継いでほしいと、思っているのよ!!だ、だ、だからあたしを殺したら、彼の目的を潰すことになるわよ!?そうなったら、彼はあんたを一生恨むわ!!!」
酷く声が裏返って、しどろもどろな喋り方になってしまう。
「……ふうん。」
しかしなんとか伝わったようだ。ただその内容は私の目的であって、彼自身はそんな目的など持っていない……もう勢いで誤魔化すしかない。
「とにかく、その食欲や嫉妬心と、ルキのあんたへの気持ち!ど、どっちが重要か、考えてみて!!」
もはや賭けだった。
「へぇ……。急にお前を殺したくは無くなってきた。その目的が上手くいくか見てみたいものね。」
そう言って女は掴んでいた私の頭を乱暴に放り投げた。
縛られたテーブルごと壁に叩きつけられ、テーブルが壊れる。紐が解け散り身体が解放されたが、その衝撃に変な声が出て一瞬呼吸が止まった。ただ意識はかろうじて保っていられた。
女の方を見ると、こちらを見下しながら、立ち上がっていた。
「……言っておくけど、ルキくんを奪ったり、ルキくんを騙したり悲しませるようなことをしたら、内臓を下から順番に一つずつ食って殺してやる。」
こちらは苦しくて声が出ずに、何度も首を縦に振って答える。それを見ると女はゆっくりと踵を返した。
「はぁ……。んじゃー、ルキくんが目覚めるまで待とうかなー。この小汚い髪の女の言葉が事実か確認しないとねー。」
女は彼の身体を優しく抱擁し、歌い始めた。子守唄のように優しく囁いて。それはまるで……讃美歌のようだった。
次第に、私の胸の動悸がおさまっていく。
それからしばらく経過する。10分経ったか、20分経ったか分からない。女は彼をずっと抱擁し、歌い続けた。
私は下手に物音を立てると殺されると思い、ただ固まっていた。
「ルキくぅん。頑張ってノスフェラトゥになって目醒めてねぇ――」
あの女がそう言いかけている時に、レストラン側の扉が勢いよく開かれた。
「な……。カチューシャ!ルキ!」
その扉を開けたのはコジロウだった。その瞬間あの女の姿が消える。
コジロウが倒れている彼の元に近づくと、その後ろから何かが飛びかかってきた。……その姿は完全に異形のそれだった。
コジロウは振り向きながら瞬時に帯刀している刀を抜き、異形のそれの長い刃物のような爪を切り裂いた。
「ハアア!?ヤルジャナイ!」
コジロウはそのまま異形のそれへと切りかかる。
「……アアァァ、セッカクマニキュア塗ッテオ洒落シタノニ!!塗リ直シテクルワ!バカ!!」
異形のそれは刀を躱し、疾風のように部屋を飛び出していった。
■8番車両 自室
カチューシャは語り終えた。
どうやらここまで運んでくれたのはコジロウだったようだ。
「……コジロウさんにお礼を言わないとな。それにしてもよく駆けつけてきてくれたよ。」
「彼は医務室にずっと鍵がかかってたのを不審に思って、マスターキーを取りにきたみたい。レストランから奥の車両が従業員の待機部屋だから……。」
そうなると、彼は医務室にある護衛の死体を見たのだろうか。
イエヴァがうまく説明してくれているといいが……。
ふと下を見る。よく注視すれば自分の着ている服が変わっていた。持ってきた着替えの服になっている。
「あれ、いつの間に着替えたんだ俺。」
「あんたが血まみれの服着てたから、それに変えといたわよ。……寝てる人を着替えさせるのってなかなか大変なのね。」
そう言って、女はなぜか照れて頬を掻く。こっちもなぜか照れて頭を掻く。
「と、とにかく、身体は大丈夫?血を交換したとか言ってた気がするけど、アキがノスフェラトゥになったら私いやよ?」
「どうだろう。今のところまだ実感はないけど。」
何となく熱っぽい感覚はあるが、大した変化は感じていない。
「そうなの。これからの計画には支障なさそう?」
「ああ。これは俺の使命だ。その気持ちに揺らぎはないし、体調も悪くない。」
そう言って手をグーパーさせる。女はそれをみて安堵の吐息を漏らす。
「良かった。10時になったらデミトリがこの部屋に来るわ。それまで休んで。」
「……そう言えばその、デミトリって何者だ?」
「彼がこの計画の中心人物よ。昼は1号車両の専属乗務員としてサリの周辺状況を調査しながら、夜はバーテンダーとしてこちらに情報を共有してるわ。」
「素性は?」
「元赤獅子将校で……ええと……私の元側近よ。」
彼女は言いにくそうに告げる。
「元側近なのか……。良かったら聞かせてくれないか?なんで妹のカチューシャがそのデミトリとこんな事をしようとしているのか。その兄とやらとどういう確執があるんだ。」
「そ、そうよね。気になるか……。」
彼女はまた頬を掻き、明後日の方を見る。
そして少し悩んだのち、ゆっくりとこちらを見た。
「……こんな事、人に話した事ないんだけど。まぁ、アキには教えても良いかな。他言無用よ?」
彼女は語り始めた。
――小さい頃、シフォン公爵の子として同じ母から生まれた私とサリ兄さんは、隠し子として育てられた。当時のシフォンヌはシフォン直系ではない忌み名みたいなものだったわね。でも兄さんは小さい頃から野心家だった。
『泣くなサーシャ、弱い人間はなめられるぞ!』
『でもぉ……でもぉ……周りの子は私の事を下賎だってバカにするのよ……くやしい……。仲間に入れてもらえないの。病気で髪の色が褪せてて汚いって、瞳が気持ち悪いって、みんな私たちよりいい洋服を着てて、うらやましい。』
『うらやましい?なら二人で名を馳せるしかないだろ。そうしたらみんなぼくたちに平伏すぞ。立場が上になればその髪もみんなに美しいと褒められるようになるに決まってる。まずはサーシャを馬鹿にしてきた奴らをボコボコにするぞ!』
『やだぁ!そんなことしたらもっと孤立しちゃうよぉ。』
――なんだかんだ当時は頼れる兄さんだった。確かに子供の世界の中では頂点に立って、みんな褒めてくれるようになった。でも表立ってやりすぎると痛い目にもあったわ。
『痛たた……。』
『サーシャ、俺を庇う必要なんてないだろ……。』
『でもあのごろつき達が、兄さんをいじめるんだもの。許せない。』
『全く気の強い妹だ。誰に似たのやら……。でも相手はビビって逃げ出したぞ。それにしても、身体も強くないお前に無理はさせられないな。』
――それから時間が経って今から約10年前、モスリンへ視察に行った後にサリ兄さんは少し様子が変わったわ。
『モスリン……とても自然がいっぱいで楽しかったわ……。お祭りに参加したの。素敵な場所だった。友達もできたし、一緒に踊ったのよ?シフォンで暮らすより体調も良いみたい。……うふふ、また行きたいなぁ。』
『サーシャ、18にもなってまだそんな幼稚な事を言っているのか。公務の途中で逃げ出したそうだな。全く……ただの生娘じゃないんだぞ。貴族としての自覚を持て。』
『またお説教?……フンだ。兄さんは成人を迎えたばかりだものね、偉そう。政治なんてつまらない。』
『サーシャ、決めたんだ。私達は隠し子として生まれた。その謂れ通りシフォンを裏で操る。そして強き軍隊を持つんだ。……モスリンで一人の強く美しい女性と出会った。ははは……。いつか彼女を迎えに行く。』
『に、兄さん……?』
――兄さんは力を持つ事に固執して、やがて周囲の貴族達を次々と蹴落とした。それも秘密裏に。
『聞いたわよ、サリ兄さん……。内乱を扇動するだなんて、やり過ぎよ。貴族達の邸宅が火の海になったって……。』
『サーシャ、どこでそんな嘘を聞いた。奴らは勝手に自滅しただけだ。余は何も関わっていないよ。それよりも聞いてくれ、交渉の結果とある貴族が隠居し、後任からその軍隊の執行権を譲り受ける事が出来た。……赤龍軍とつけようと思うのだが。』
『龍?……東方みたいね。良いと思うけど、私ライオンが好き。』
『なるほど、考えておくよ。ふふふ、これで内実ともに力を得る事になる……。』
『そんなことばかり。いつかシフォンヌ家の台頭を忌み嫌った貴族達に、寝首を掻かれるわよ……。』
――そして5年前、寝首を掻かれたのは私だった。
『残念だよ、サーシャ。まさか余を裏切るとはな。赤獅子を扇動してクーデターを画策するとは。浅はかだ。』
『そ、そんな事してない!その刃をしまって!兄さんの標的が今度は私だっていうの……!?私が兄さんの邪魔をした事なんてないでしょ……?なんでよ……。小さい頃、二人で名を馳せるって言ってたじゃない。』
『二人で名を馳せる?懐かしいな。しかし余はこうも言ったはずだ、弱い人間はなめられるのだと。いい加減自立したらどうだ?余の影でコソコソと目障りなことばかりしているのはバレているぞ。これでもお目溢ししてやった方だ。』
『に、兄さんがやり過ぎるからよ……。数年後にモスリンへ何か手を加えようと準備してるって聞いたわ。内偵にハンターを雇ってるとか、一体なにをしようというの……?』
『サーシャ様!こちらです、お逃げください!』
『……ダブルス、どういう事……?説明してよ……。』
『そんなことより、早く!私どもが兵を抑えてる隙に急いで!』
――そしてダブルスという男に連れられてシフォンヌ家を追放された。散り散りになって逃げた先でも兵に追いかけられて、スラムに隠れ住んでいたの。そうしたら体調が悪化して、死にかけたわ。……聞いてたと思うけど、そこでイエヴァと出会ったの。
『はぁ……こんな所歩きたくないのに……。』
『すみません。助けてください……。熱が出て苦しいんです……。』
『ちょっと!……は、話しかけないで!』
『見たところお医者さんですよね……。お金はないんですが……。』
『あ、あなたは……銀の髪……本当にいたのね。』
『えっ……わ、私を知っているんでしょうか?』
『いえ。良かったらお名前を聞いても良いですか?』
『ああ……ええと、カチューシャ……です。』
『カチューシャさん。……良かったらうちの病院まで来てください。私はイエヴァ。医者の卵みたいなもので、介抱いたしますよ。』
――その病院で介抱された後、なんだかんだイエヴァとは親友になれたの。その後はシフォンを離れて二人で暮らした。当時シフォンで医者になりたかった彼女には無理をさせたけどね。そして1年前、イエヴァが外へ長期滞在している間に、ダブルスがやって来た。
『サーシャ様!お探し致しましたよ。』
『わ、私はカチューシャよ。あんたなんて知らない。……近寄らないで。』
『今はカチューシャと名乗られているのですね……。私も今は軍をやめ、デミトリと名乗っております。お久しゅうございます。……不躾に申し訳ございません。お話があって参りました。』
――
「そこでデミトリから私がかつて愛したモスリンの惨状を聞かされて、サリ兄さんを打倒する決意をしたってわけ。私はこの列車で働く事になって、ずっと機会を待ってたのよ。……中々惨めな人生でしょ?」
カチューシャは語り終える。
「……貴族ってのも大変なもんなんだな。」
「どうなんだろう。人によるんじゃない?兄さんは楽しそうよ。好き放題やってて……他人の生命を権利書のようにしか思ってないわ。あんなやつ、制裁されるべきよ。」
彼女は伏し目がちに言う。
「それで……そんなサリを打倒した後は本当にカチューシャが彼の代わりを務めるのか?」
とてもじゃないが器が違いすぎるような気がした。
「無理ね……きっとデミトリは私を利用して傀儡政権が作りたいのよ。それも承知の上なんだけどね。」
そう言ってカチューシャは重いため息をつく。
なんというかみじめに見えた。
「じゃあ逃げれば良いじゃないか。」
「そうね、……そうするかも。そうしたら影武者でも立ててくれるんじゃないかしら。だから私はカチューシャとして生きていく。」
彼女はサリの凶行を断罪したい気持ちはあるようだが、その後の事は考えていないようだ。
「……ところで、アキ。この衣装見て何か思い出さない?」
カチューシャはそう言って着ている服をつまむ。
「何だ急に……。」
「これ、モスリンの狼獲祭の民族衣装をイメージして作ったの。10年前に、1週間だけ視察に行った時、ルキって女の子と、そのお兄ちゃんと出会ったの。最終日に三人でモスリンビークのお祭りで一緒に踊ったのよ?」
彼女の言葉に、懐かしい記憶が蘇った。
■かつてのモスリンビークの森
森の中、僕は6日後の狼獲祭にむけてクロスボウの手入れをしていた。
「お兄ちゃん!!」
幼い妹、ルキの声がした。おもむろに立ち上がり、その声がする方を見やる。……なぜかルキは女に肩車されている。
「……この人は?」
「この人はお姉ちゃん!さっきそこで知り合ったの!」
ルキの声が上からする。その下で肩車している、お姉ちゃんと呼ばれた女。……白い肌、薄赤い瞳に、腰まで続く銀の髪が垂れ下がっていた。
「あはは……そっか。よろしく、お姉ちゃん。」
そう冗談めかして言うと、その女は苦笑いをする。
「あんたもお兄ちゃんって言うんでしょ?ルキちゃんからさっき聞いたわ。」
女もまた冗談めかして言う。
そして疲れたのか、彼女は肩車をやめてルキを下ろした。
「それで、そのお姉ちゃんとやらの名前は?」
そう言うと女は逡巡する。見たところ貴族だろうか。
「……ええと、お姉ちゃんでいいわよ。それよりあんたの名前を教えなさいよ。」
「はぁ?名乗れもしないのか。誰が言うか。褪せ髪貴族女。」
「あ……あ、あんた生意気!このチビクソ貧民!」
女は怒り、こちらにつかみかかってきた。
「ああー、お兄ちゃん、お姉ちゃん、ケンカしないでぇ!」
しばらく生意気な女と取っ組み合いをする。しかしそれは時間と共に終息し、すぐに仲直りした。
鐘の音がはるか遠くからうっすらと聞こえてくる。
「……あの音は?すごく遠い所から聞こえるけど。」
「行っちゃダメ!狼に食べられちゃう!」
ルキが怖々と言う。それを聞いた女はビクッとした。
「そうだ、ちょうど6日後にお祭りがあるの!お兄ちゃんが狼をやっつけるの!お姉ちゃんも一緒に見ようよ?」
「えっ6日後……?良いわよ。それまでモスリンの事いっぱい教えてよ?」
「もちろん!お祭りまでに一緒に衣装作ろうよ!おうちまで来て!」
ルキはそう言って、女と楽しそうに踵を返していった。
■8番車両 自室
「……久しぶり、お姉ちゃん。」
「こちらこそ……久しぶり、お兄ちゃん。」
この一見奇妙な呼び合い方で、お互いの曖昧な記憶を確信に変えた。
「お兄ちゃんはやめろよ。違うし。」
カチューシャはそっちこそ。と言い、二人笑う。
「それで……ルキちゃんは、今どうしてるの?」
「……妹は赤獅子に捕まって、死に際に人狼になった。そして最期に軍が雇ったハンターに狩られた。」
そう答えると、カチューシャは残念そうな顔をした。
「ダメね……浮かれてる暇なんてない。ユリちゃんの遺体の前で馬鹿なことを考えてた。でもあなたの事を今のうちにどうしても確かめたかったの。……とにかく、これからのことに集中しましょう。」
ふいに、扉がノックされる。
時計を見れば10時になろうとしていた。二人とも立ち上がり、カチューシャが扉を開ける。
そのままカチューシャはデミトリと、……コジロウを招き入れた。
「お待たせしました。……今夜の襲撃の計画についてお話しします。」
「その前に、なんでコジロウが?」
カチューシャが怪訝な顔をしながらコジロウを見る。
どうやらこの計画には本来関係なかったようだ。
「アレク様が亡くなられたようなので、急遽彼を加えさせていただきました。」
「……人狼がいると聞いて、ハンターとして協力させてもらう事にした。それ以外の事は一才知らない事にする。」
一見、かなり行き当たりばったりになっている気がして不安になる。
「この計画、そんな感じで大丈夫なの?言っちゃあアレだけど、グダグダになってる。最悪中止して次の機会に回しても良いと思うけど。」
カチューシャがデミトリに問いただす。
「サーシャ様――」
「カチューシャよ。」
彼女はデミトリをキッと睨みつける。彼は申し訳ございません。と謝罪してから続ける。
「確かに想定外の事が起き過ぎています。テレビにはカチューシャ様の偽物が映り、ルキ様との合流が遅れ、その間にアレク様が殺され、さっきの惨事によってこちらで揃えた仲間達も殺されております。」
じゃあもう無理じゃない。とカチューシャは言う。しかしこちらとしては中止にされると困る。
「中止はありえない。もしみんなが降りるなら俺は一人だろうと行くからな。……そうだ。もし良かったら、せめてコジロウさんは協力してくれないですか?」
「まぁ、拙者は人狼が狩りたいだけだ。一人でも行くし、協力するならそれでもいい。」
コジロウの返答を聞いて、カチューシャは呆れかえる。
「……もう好きにしたら良いわ。」
そう言ってとても不満そうな顔をする。
「これだけの惨事が起こってしまった以上、必ず首都シフォンで騒ぎになります。そうなると次の機会を探るのも困難になります。今回で仕留めるしかありません。」
デミトリは続ける。
「それに、作戦はシンプルです。本来人狼の女はラウンジで血を混ぜた酒で酔わせて足止めする予定でしたが、今日に限っては別の事に夢中になり、それも通用しなくなりました。」
別の事とはつまり、アンが自分に興味を持ってしまい、ディナーと称した虐殺を起こした事が由来するのだろう。
「その代わり、コジロウ様を人狼にぶつけます。そして、その間に私の残った部下で彼の護衛を始末し、ルキ様がサリを仕留めて下さい。」
デミトリの説明を聞いて、ゆっくりと頷く。
「では、武器を準備してください。作戦開始します。」
そうデミトリが指示すると、カチューシャはコートを羽織った。作戦成功後、脱出する事を見越しているのだろう。自分も同じように上着を羽織る。
そして部屋にいる全員が順番に扉を出る。
■通路
部屋の外にはデミトリの部下と見受けられる人間が5人いた。全員が小銃を携帯している。今までこんな乗客は見かけなかったが、途中駅から合流したのだろうか。
デミトリを先頭に計9人の小隊で移動する。
正直こうなってくると、自分などいらないわけだがやはりモスリンの若者にサリを殺させる事に意味があるのだろうか?
カチューシャを見ると何かぶつぶつ言っている。
「カチューシャも来るのか?危険な気がするけど。」
「……この目でサリ兄さんを見届けたいの。曲がりなりにも妹なんでね。」
彼女は不機嫌そうに答える。
「ごめん、怒らせたか?」
彼女がさっき計画中止を提案した事に、自分が反対したから怒っている可能性もある。
「いえ、あなたはいいの。たとえ一人でも復讐しに行きたくなる気持ちは理解できるから。……デミトリよ。むかつく。」
そういって彼女は先頭を歩いているデミトリをキッと睨みつける。
「どうしたんだよ。」
「元赤獅子軍だからなのかしらね、秘密主義なのよ!あたしはシフォンヌ家を継ぐ役目を持っているはずなのよ?それなのに今回の計画のほとんどを知らない。
この列車に人狼がいたことも、今いる5人の兵士が来ることも知らないし、何ならモスリンの若者が誰で何人なのかも知らされていなかった!あたしが知ってたのは乗車券の紋章の事だけよ!?」
カチューシャはあえて歩いている全員に聞こえるように癇癪を起す。この大胆不敵さは貴族たるやかもしれない。
「……なんでそんなにまどろっこしいんだろうな。」
「大体わかるわ。憂いなく尻尾切り出来るようにするためよ。知らなきゃ私も下手な事言えないでしょ?この5人の兵士みたく、モスリンの若者も、何なら最悪私の代わりも途中で補充させる手筈でもあったんじゃないかしら。私は何も知らないほうが彼らにとっても都合がいいんでしょう。むかつく。」
実際どこまでそうかは分からない。ただカチューシャの意見は少し邪推しすぎなような気もする。
「まぁ、アレクさんの代わりはいないみたいだけど……。」
「どっちかがいればいいのよ。あんたが仲間か分からない間はアレクが、彼が死んだあとはあんたがその役目を引き継いだのよ。」
「一応、拙者は補充されたらしいが……。」
コジロウが会話に参加してくる。
「そういえば警備の仕事が、この日は事前に入っていて動かせなかった。」
要するにコジロウは自覚なき補充要員だったわけか。なんだか寒気がしてくる。
しかしコジロウが話に参加してきたので、イエヴァの様子が気になってきた。
「そう言えば医務室には入ったんですか?」
「ああ。中々楽しかったぞ。……イエヴァは怖かったが。やる事があるらしくて一歩も外に出なかったな。」
コジロウは出来るだけぼかして言ってくれたが、要はまだ護衛の死体を隠蔽し続けている。殊勝すぎて怖い。
「ははは……。」
とはいえ予想通りだった。しかしそれを聞いたカチューシャは頭をかしげる。彼女はイエヴァの変貌ぶりには多分気付いていない。詮索されないうちに別の疑問をぶつけよう。
「そもそも……なんで俺のようなモスリンの若者に奴を暗殺させるんだと思う?兵士を使ってやればいいじゃないかと思っちゃうんだが。」
「本当はあんたを、貴族を殺したモスリンの若者として大々的に取り上げるつもりだったらしいわ。その若者は逮捕されて、テレビの中の処刑台の前で使命感を持って証言するの、サリ兄さんの、シフォンヌ家の凶行の数々をね。そして仕込んでいた反乱分子を使って、クーデターを起こしてシフォンヌ家を乗っ取り新生させるの。でもサリ兄さんに先手をうたれて、私の偽物が既に表舞台に出てきちゃったけどね。……どうするんだろ。」
カチューシャはため息をつく。
まつりごとに興味はないが、テレビの前でサリの凶行の全てを白日の元に糾弾できるのであれば、望むところだった。
「……申し訳ございませんが、もう1番車両の前です。」
デミトリがカチューシャに、静かにするように促す。彼女は舌打ちをして黙る。
「これから兵士たちを突入させますので、続いてください。」
デミトリがそういうと、5人の兵士は配置につく。
そして、合図とともに1番車両への扉を開け放った。




