④ ここに、欲しい
翌朝から、怒涛の下働き業務を課せられたユウナギとトバリ。
医師はまんざらでもないようだ。
普段日課の3分の2を占めている家事雑事を奴隷ふたりにやらせて、自分は一日のすべてをやりたいように過ごせる。
ふたりは家事や食料確保奔走に加え、医師の研究手伝いで休みなく働き、1日が終わるとその慣れない役目でくたくたになっていて、屋根裏に戻った途端倒れるように寝入った。
それを3日も繰り返すと、医師は理解した。
トバリがものすごく助手として使えることに。
機転が利き、簡潔に指示を出せばこちらの要求以上にこなす。元からの知識量も感心できる。何より手際が良い。
ユウナギも手先の器用さは悪くないが、比べたらその能力は平凡だ。
したがって仕事内容に差が出てくる。はっきり言って下働きはユウナギだけの仕事になっていった。
トバリにそれが納得できるわけもない。しかしユウナギは、医師に何も言うことのないよう彼を牽制した。
この屋敷はどうやら麓から歩いて2刻程度の山の中に建つ。稀に患者が運べる状態であれば、やって来るのだとか。
それ以外にも医師が自ら山を下り、3つの邑で定期診療をすることで糧を得る。
7日たったら、邑を周るのに3日間という周期でやっているのだという。
ふたりはやがて医師に付いて、3つの邑を周った。
医師はどの邑でも、それはそれは熱心に歓迎されていた。医療なんてものは依然として眉唾物なのだが、この医師は十分な信頼を得ている。
邑の民がその評判をあまり広めないようにしているのは、他から人が押し寄せてくるのを好まないためだろう。
途中の休憩時にトバリは邑の役場を訪ねた。お忍びというのを装って。
そこで役人に暦を確認したところ、ユウナギの見立てで間違いはなかった。ふたりとも殊に安心する。
こうして10日が過ぎた。
ユウナギにはまた下働きの1週間だが、先週より身体が慣れてきた様子。
ある夜、先にあがったトバリが屋根裏の窓から月を眺めていたので、ユウナギはその隣に座った。
「お疲れ様です!」
「お疲れ様です」
ふたりは笑顔を見合わせた。
「ああもう、本当に疲れたなぁ! 指の皮がぼろぼろしてるわ。でも民はこれが普通なのよね」
「私があなたの分まで働けたら良かったのですが、なにぶん身体がひとつしかなく。不甲斐ないです」
彼は大真面目に言う。
「私も働くことに意味があるの。残りも頑張りましょう! それに私この生活、案外気に入った」
「?」
「師の前では兄妹を装うために、私に様付けしないことにしたでしょ。めったに呼んでくれないけどたまにね、ナギって呼ばれると、やってるのも家の事だし、なんだか兄様の妻になったような……ってやだもう!」
赤くなった頬を手で隠し足をばたつかせるユウナギに、トバリは苦笑いをする。
「あ、ちゃんと仕事はやってるから。まぁ思い出したりしてても、手は動かしてるから!」
「ユウナギ様」
「ナギって呼んで」
「ナギ様」
「もう!」
トバリは真剣な顔で切り出した。
「どうやってここに来たのか、何がどうなっているのか、説明願えますか」
「……そうね、そろそろ話さなきゃと思ってたの」
ユウナギは、神の導きで時を超え、然るべき処へ飛ばされるようになったと話した。
ナツヒと2度、その移動をしたことも。その内容や、ナツヒの現状を引き起こした出来事は帰った後で、彼も含めて話し合いたいと伝えた。
「つまり、あなたはとうとう未来を知る力を得たのですね」
「そうはいっても今までの経験からだと、私はそれを森や林の中でしか。私を誘う気まぐれな神は木々に宿っているのね。それに、どうにも思い通りにはならない」
ユウナギが自嘲気味に言ったその時、トバリはぐっと彼女を抱き寄せた。
その大きな手は髪に触れ、後ろ頭を包む。
「本当に、良かった……。あなたは今まで苦しんでいたでしょう?」
「兄様……。兄様は嬉しい? こんなまともに扱えなくても、私が力に目覚めて」
「ええ、もちろん」
「あなたが嬉しいなら、私も嬉しい」
でも心は複雑だ。この力を失わないために、永遠に人と結ばれることはないのだから。
嬉しいと言う彼に対しても、悔しく思えてくる。
「じゃあ、お祝い欲しい」
「お祝い?」
「こ、こ、に」
そう自分の頬を指で突っつきながら目配せした。
「あなた初日に、何もしないと言ったでしょう」
「私じゃないの! 兄様がするんだから。これもだめなの? 5歳の子どもでもやってるのに」
「5歳でやってましたか? あなたは」
「やってたかもしれなーい。近所の男の子と~~」
と言ったらユウナギは、頬を突き出して目を閉じた。トバリはもちろん溜め息をつく。
たったこれだけでもユウナギの心臓は激しく打ち付けているのだ。だってこれすら拒否されたら立ち直れない。
その場は沈黙が続く。
ユウナギが、やけに待たされるなぁと思ったその時、頬に触れた。何か、べたりと。
「ひゃっ」
べたっとくっついてきたから、何だ何だと目を開けたら。
「土偶?」
目の前に土偶。
「これ、どこから?」
さすがのユウナギも呆れ顔になった。片手に土偶を掴んだまま彼は答える。
「ここは物置なので。すぐそこに積んでありました」
「そう……」
ユウナギは泣きそうになった。
これは仕方がない。彼女は知らないのだ。男は歯止めが利かなくなる生きものだ、ということを。
「代わりに今夜は、私を敷物にして寝ても構いませんから」
そう言いながらトバリは壁にもたれ両腕を広げるので、ユウナギはそこに飛び込んでうずくまった。
「むしろ寝にくいですか?」
「そんなことないよ」
ユウナギとしては、なんでこれは良くてあれはだめなの、と納得いかず。でもきっと唇は特別なの、と落ち込んだりもする。
「早く寝てくださいね」
「寝たらその辺に転がすつもりでしょ。敷物の職務怠慢よ?」
「そんなことしませんよ」
「温かい……」
この腕の中は、初めて覗いた空間みたいだ。
男女は全身で触れ合うと、溢れる自分の鼓動が相手の心をその拍子で押し出し、波に乗せる、加速させる。だから人は抱き合うのだ。想像でしかないけれど。
でも自分は永遠にここが限界。そう実感すると、鼓動は急激に萎んでいく。
それからすぐにユウナギは寝ついた。やはり疲れているには違いなかった。
2度目の邑訪問も終えて帰った翌日のこと。
医師がトバリに、昨日邑で診た患者の薬を、山を下り届けてほしいと頼んだ。
ユウナギは一緒に行きたがったが、彼が馬に乗って移動した方が早いので、ということだ。
ユウナギは子どものころ練習中に落馬したので、以降それは敬遠していた。
帰ったらやっぱり馬乗れるようにしようと思いながら、その日も懸命に家事に勤しむ。
「そろそろ3週間……。師が納得いくほどの役目は果たせたかなぁ?」
そこに医師がやってきた。
「ナギ、あなたにも遣いに出てもらいたいのだが」
「あ、はい!」





