序章
そこは女王の住まいが建つ、国の中央の一角だ。
「ユウナギ様!」
想い人に名を呼ばれ、王女は振り向いた。彼に名を呼ばれると、いつも胸踊るのだ。
しかしこのたび、なんだかこれっぽっちも温かな雰囲気はなく、彼はずいぶんと慌てている。
「トバリ兄様?」
「良かった、ご無事ですね? 何か変わったことはありませんか?」
周りがざわめいている。普段は冷静な彼が、血相を変えて走ってきたからだ。
「どうしたの兄様?」
「先ほど女王に憑依した神のお告げです。あなたのお命を狙う者が、ここ中央にいると」
「……ええ!?」
雰囲気なんて、温まるわけなかった。
プロローグ
王女が夢をみている。
王女はときどき夢の中、空をふわふわ浮かんで過去の、心地よい思い出に浸る。
「ええっと、なになに? 今夜の夢は……」
「準備はいいわね! ナツヒ!」
「とっくにできてるよ」
「今日こそあなたを吹っ飛ばす! てや――っ!!」
まだ身体も子どもながらにか細い、幼い王女はただ今、鉾の鍛錬中。幼馴染のやんちゃ少年ナツヒに向かい、ぐっと握ったそれを振りかぶる。
「100年早いんだよっ!」
「ひやぁあぁ――」
「ふん」
みごと返り討ちにした勝者ナツヒは得意げだ。なんせ彼は将来、軍事官長の座につく男。強いに決まっている。ちなみに彼は、“国でいちばん偉い男”の息子(次男)である。
「ひどい……。ナツヒひどい……」
王女は半べそかいている。まだ10歳だ、甘えたい。
「いや、お前さ、鉾は所詮さわり程度だろ。弓の腕を集中して磨け。そっちのが建設的だ」
「けんせつてき?」
「ユウナギ様!」
「あっ、兄様!」
そこに颯爽と現れたのは、官人の衣服をしゃきっと着こなす、もの柔らかな雰囲気の男性。
王女の面倒見役である青年トバリ。彼も“国でいちばん偉い男”の息子(長男)だ。彼が将来、父親の跡を継ぎ、国でいちばん偉い男となる。
「ユウナギ様、そろそろ舞いの稽古の時間です。女王の元へ参りましょう。……おや、足にお怪我を?」
「ナツヒに吹っ飛ばされちゃったの。でもこれぐらいへっちゃら。明日こそ一本取るんだから!」
「100年早い」
「兄様、おんぶ」
「仕方ないですね。女王の屋敷に入るところまでですよ」
苦笑いした彼は王女をおぶった。3人で談笑しながら、女王の屋敷へと向かっていった。
「ああ、10歳の私、いいな~~。兄様におんぶ……。もう全然してくれない」
もう14なのだから当然である。しかし、彼らは王女の家来だ。命じればきっと、なんでも言うことを聞いてくれる。
彼らの父は“国でいちばん偉い男”であるが、“国でいちばん偉い人間”ではない。
この国でいちばん偉いのは、他の誰でもない、「女王」だ。彼らの父はその女王を、いちばん近くで補佐する男。よって国でいちばん偉い男となり得るのだ。
この“いちばん偉い男”は役職名「丞相」と呼ばれる。「長」でいいではないか、とみな思うが、かつて交流のあった海の向こうの大国では、長のことをそう呼ぶらしい。大国の真似をしたがるのは古今東西、普遍のことだ。
「御母様、本日もご指導のほどよろしくお願いいたします」
夢の中の王女が女王の前で淑やかに頭を下げる。舞いを女王に習い始めてから3年が過ぎた頃だ。
国の女王はこの世のものとは思えぬほどの、美しい舞いを民衆に披露する。
まさしく、神の使いとして――。
神に愛されし巫女である女王は、天に舞いを捧げることで、神をその清らかな身体に呼び寄せ、有難き言葉を地上の人々に伝える。
民衆は女王を崇めたてまつる。建国より絶えず女王に護られ、国の平和は保たれているのだから。
舞いの稽古を終え、次はトバリによる歴史の講義だ。
「兄様、海の向こうの大国について学ぶのって、とっても面白い。すごい文明国! さすが千年を超える歴史を持つ国ね!」
「それは良かった。かつての女王が彼の国に朝貢し交易を求めたことで、この国もとても豊かになりました」
「でもその交易は何十年も前に止まってしまったのよね。それからまったく交流がないなんて。中央にある書もそれまでのものばかり」
「そうですね、いくつか理由があって。しかし今も丞相は、国交の回復に向け、力を注いでいます」
王女は実際、ここ3年でよく学んだ。3年前は文字なんて知らなかった。知る必要などない。
なぜなら、ただの、平民の娘であったのだから。
そう、王女は「生まれながらにして王女」ではなかった。
女王の住まいや国の行政機関が集まるこの土地を「中央」と呼ぶ。
中央の片隅に物心ついた頃の彼女は暮らしていたが、この屋敷にひとり有無を言わさず連れてこられたのは、7つになるかという頃。
いったいなぜ、そんな娘が突然、王女の地位に?
ここは神の声を聴く巫女を女王として擁立し、存続する国。
次を選ぶのは女王の、やはりふしぎな力による。女王は自らを継ぐ、神と伝う力を持つ者を見出す「目」を持っているのだという。
彼女は現女王によって、ありし日に見つけられたのだった。
夢は暗転し、次の幕が開いた。
「ん~~? 10歳の頃の夢はあれでおしまいか。次の夢は―っと……」
少し背の伸びた王女が、女王の部屋に呼ばれている。女王は上質な畳の上にて楽に座しており、そこから数歩下がった位置に王女が正座していた。
「あっ、確かこの場面ってアレじゃないかしら、12歳の時の。これはわざわざ夢で見たくないわ。さっさと目覚めよう」
「月のものが始まったそうですね。これでそなたも立派な成人です」
女王は優しく微笑んだ。
「はい。侍女からすべて聞きました。これで私も世の女性と同じく、子を身ごもる身体になったと」
「そうですね」
その時、女王が言葉を飲み込んだのを、王女は見逃さなかった。
しかしそれはほんの一瞬のことで、その美しい形の唇から、ゆるりと言葉は告げられた。
「ですが身体がどうであれ、そなたは生涯、子を身ごもることはありません」
場が静まり返る。
「……は?」
王女は明後日の方向を眺める。
「……??」
なんか断言された気がする~、とふんわり思った。
「なんですかそれ。予言ですか?」
「いいえ」
首をかしげる王女に向かって女王は説き始める。
「百数十年前、国の成った時からのならわしです。神に仕え、神とことばを交わす巫女、つまり代々の女王ですが、異性と交わることは禁忌とされています」
「どうして?」
「巫女は神前に差し出す供え物に他なりません。人が食したあとのものを、神に供えますか?」
「意味が分かりません」
いやまじめに意味が分からない。と王女がぶつぶつ呟くので、女王の笑顔が消えそうだ。
「神より与えられし、神と交信するふしぎな力……それは禁忌を犯すとたちどころに消え失せる、と言われています」
「でも、そんなこと言われても……」
王女は正座をくずし、そのまま4つ足で前進し、女王に掛け合おうとした。
「私、この人の子を生みたいと願う相手がいるんです!」
女王はそれが誰なのか聞きもしない。
穏やかな表情をまったく変えず、目線だけで無力な娘を静かに威圧していた。
母親にありがちな「いいから言うこと聞きなさい」である。
王女は立ち上がった。
「だいたいねぇ……そもそも私には……」
力を振り絞り、天に向かって声を張り上げた。
「その特別な力が、ないんだから――――!!!」
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