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第七話 憂いが杞憂というのなら

「へぇ、そんな大層な旅だなんてねー」


そういって女性は使い古された木製のビアジョッキにエールを注ぐ。エールの行き先は、今この場である、酒場の常連客へと向かった。乱暴な手つきでエールが多少零れたが、慣れているのか客は礼を言って、この店で出されたつまみと共に一献を傾けるのを再開した。


「その歳で旅をしている理由とか、路銀はどうするのか。そして、身内から止められなかったのか。他にも疑問はあったけれども、話を聞いて全部解決したよ。あ、いやまだ疑問があったわ」


再び女性は木製のビアジョッキにエールを注ぐ。そしてその行先は話を聞かせてくれた旅人へだった。


「何でしょうか?あ、頂きます。…このエール、ここにいる皆さんに提供している物と少し違うような…。それにこのビアジョッキ他のより使われてないですよね。使用された形跡が殆どありません」

「前者はまだしも、後者のことにもよく気が付いたね。それは話を聞かせてくれた例だよ」


三度(みたび)女性は木製のビアジョッキにエールを注ぐ。次なる行先は、という話だが、誰の下という前に、彼女自身がエールを喉に流した。彼女は一気飲みし、空となったビアジョッキが彼女を囲むバーカウンターへと叩きつけられた。


「いや単純な話なんだけどさ、どうしてうちの村、『バル村』なんかに寄ったんだい?話を聞いた限りだとソンゴからクリサンセモンに向かってんだろ?だったらこんな特色がない村に来るなんてただの遠回りじゃないか」

「いや特色ならありましたよ」


女性は首をかしげる。旅人の言葉の意味が分からなかったからだ。彼女は知っている。他の街や都市を。昔仲間たちと共に見て体験したことを覚えている。だからこそより強く理解している。この村バル村には特産品がない。観光名所がない。村の規模が大きいわけではない。都市と都市の間に存在している訳でもない、本当にこの世界において、普通の村なのだ。


「素敵な村民方達と、素敵な店主『ブルガレーソ』さんが経営している素敵な酒場があるのですから」


冬暁(ふゆあかつき)の空に、鴉が鳴き声で狼藉を働くような衝撃にブルガレーソは陥る。意味が分からないなりに旅人が言っていることを読み取ろうとしていたのに、出てきた言葉は自分と、自分の周りを褒め称えるものだったからだ。


だが、固まっていた店主の顔は次第に笑みを浮かべ初め、挙句の果てには腹を抱えて大爆笑をし始めた。


店主の奇行に客たちは困惑する。その中には言った張本人も含まれていた。


「はははははぁ!…。いやぁ、そうだったね。この村には私と酒場があるからね!…ははぁ…ふぅ……。まあただ一つ言うならご機嫌取りしたいのはいけ好かないねぇ…ククッ…」

「分かりましたか…、処世術の実践経験を積もうとしたというか…」

「全く、その歳から媚び諂ってばっかりじゃ、将来奸者(かんじゃ)になっちまうよ?」


これは年上からの忠告だ。今回は、ブルガレーソ心優しい人だからこのような結果に済んだが、もし癇癪持ちだったらどうなっていただろうか。


(何故分かったのでしょうか?アウニー達に嘘をついても顔が変わらないから分からないって褒められたのに)


ただ、素直に反省しても、その方向が真っ直ぐではなかった。試行錯誤をして、能力を高めるという面では褒められるかもしれないが、人間としてはよろしくないものである。


出されていたつまみを口にして失敗した要因を考えていると、男が旅人に近づいてきた。


「おいお前!さっきからブルガレーソと仲良く話しやがって!俺のブルガレーソに手を出すつもりか!」


知らない男に突拍子に理解不能なことを言われる。


男は酔っているのか顔を赤くし、不快さを前面に出していた。


「いつからあんたのモノにあたしは成り下がったんだい『ツァック』」

「いつからって、俺とお前が出会った時からさ!」

「相変わらずキモイねぇあんたは」


この場において、村という組織で見るなら、部外者は旅人だ。ブルガレーソを含めた客たちは、ツァックの行動に慣れている。しかし、旅人はそうはいかない。部外者という立場は、旅人である以上は避けられないものだ。だからこそ出来るだけ現地の人とは友好的に接して、厄介ごとは避けなければいけない。


(あ、これ巻き込まれてるパターンですか)


だが、知らないうちに誰かの一線を越えてしまうことがあるようだ。


「何回も言ってるけどね、私と付き合いたいなら…」


そう言いながらバーカウンターの外へと出る。どうやら店主は店の雰囲気を荒らした迷惑客に罰を与えるようだ。


ブルガレーソが何回も、と言っているように、ツァックへの罰は初めてではない。


ツァックは自分に何が起きるのかを察して、弁解を始める。


「あ、いや、これはそのっ!…ちょっとした冗談からの絡みだよっ!あ、ちょっと待ってくだ」

「あんたの言い訳はもうとっくのとうに聞き飽きたよ!」


ブルガレーソの右手がツァックの頭を掴む。そして五本の指を食い込ませ、あろうことか右手だけでツァックを持ち上げた。ツァックは平均的な身長や体つきをしている。体重もそれなりにあるはずなのに、ブルガレーソはいとも簡単にやってみせた。


旅人は既視感を覚える。暖かさの中にあった愛の罰を。付け加えるように出された女性のイメージを崩すような怪力を。





「『ウェール』!『シアティエン』!『オーシェン』!『ケイモーン』!お前たちはまた門限を忘れたのかいっ!」


荒々しい口調で言葉を吐くのは、凄まじいほどの隆々たる肉体を持つシスターだった。修道服から垣間見える肌は逞しさを見せしめていて、修道服は今にもはち切れそうだった。


「シアが破っても大丈夫って…」

「はっ!?なんで俺なんだよ!最初に言い出したのはケイだろ!」

「…僕は悪いことをしたという自覚があります…。だから罰を免除していただけないでしょうか…?」

「ぶっ殺すぞ!シア!シェンは何逃げようとしてんだよ!全員同罪だ!」


四人が責任を転嫁し合っている光景を見ているのはシスター一人ではなかった。


「いい加減にしなさい!全員懺悔室に来ることねっ!…はぁ、本当に馬鹿たちだねぇ。少しはブバルディアを見習うことだね」





ツァックは客全員に見守られながら酒場の外に連れていかれる。少し経てば外から一人の男の悲鳴が聞こえた。


「…あれ大丈夫なんですか?」

「ああ、毎度のことだから気にすんな。お前さんこそあいつに絡まれて災難だったな。根はいい奴なんだけどよぉ…。ブルガレーソについてってなると他が見えなくなっちまうんだよ。だからあいつのこと許してくれんか?」

「いや、端から気にしてませんよ」


ツァックの友人と名乗る男と会話をしていれば、直ぐにブルガレーソは帰ってきた。額に微かな汗を掻きながら。


「いや本当にすまないね。あいつにはしっかりとお灸を据えてやったからさ。詫びに今回の代金はあいつに支払わせるから」

「別に憤りとかあるわけじゃないので謝らなくて大丈夫ですよ。別にお金には困ってないですが、旅の思い出としてご厚意は受け取っておきます。使わないことに越したことはないので」

「ははっ。そうしとき。…お?もう行くのかい?あいつの奢りとなればもっと色々頼めばいいのに」

「いえ、元々そろそろ出ようと思ってたので。色々とお話に付き合ってもらってありがとうございました」


立ち上がればひらりと舞う小さな体を一周覆い隠すフードの付いた外套。これが彼の旅装束だ。外の暗さに溶け込むような漆黒は、容姿とのギャップを感じさせる。


未熟な旅人は外へと繋がる扉へ向かう。そして振り返らず進みながら最後に言った。


「とても楽しい時間をありがとうございました。本心から言えます。ここはバル村で一番の場所です」





「大丈夫ですか?」

「ん?…お前か…」


ふと見上げれば、先程自分が問い詰めた少年が居た。自分よりも幼く小さな人間が心配しながらも見下ろす姿は、俺の醜さには及ばないと思う。何用で再び接触してきたか分からないが、丁度いい話相手になるだろう。


「…見たところ愛の鞭でも食らいましたか?」


乾いた笑いが出る。そうか愛の鞭だったのか…。面白い冗談だ。そしてそうあって欲しかったとも心から思う。


「なあ…、本当はどうしてこの村に寄ったんだ?」

「…別に簡単なことですよ。旅をするからには大体の場所は行っておきたいんですよ。クリサンセモンを目指していることは確かですが、それはあくまでも敢えて行き先を決めるならっての話です。行きたい場所は何処かって言われれば、自分が行く価値があるって思った場所全てですから」


本当にこの少年は旅人らしい。本当の理由が気になっていたのではない。あれは嘘だったのかどうか、知りたかった。


「そうか…。なあ、話は変わっちまうけどよ、…俺はブルガレーソにもう関わらない方がいいのか?あいつとの関係に進展はねぇし、お前にやったみたいに迷惑をかけてるだけなんじゃねぇかって…」

「迷惑がかかっているのは僕だけじゃなくて、ブルガレーソさん、そして酒場の客全員だと思いますけど」


嫌みにしか聞こえない返しだが、ツァックに沸いたのは怒りではなく、自分の惨めさだけだった。


「…ああ、そうだな…。慣れているからって忘れていたが、一番迷惑被っているのはブルガレーソ達だよな…」


分かっていたことだった。だけどわざと知らないふりをしていた。自分は決して人に迷惑をかけたいわけじゃない。寧ろこんな行為を止める側としてありたかった。しかし、いつの間にかどちらにも傾くことをしなくなった中途半端なものになってしまった。


「…こんな無駄な恋なんかもう諦めた方がいいよな」


だからこそもう終わらしてほしい。さっきのように、この村ではない旅人にきっぱりと諦めろと言って欲しい。その一言で、自分は過去の自分を償えるようになれるのだから。


「…諦めない方がいいと思いますよ」


数秒の静寂が辺りを包む。


「…何故?」


やっと捻り出せた言葉は、理由を問うことだけだった。


「貴方が本当に彼女のことを伴侶にしたいと思うのなら、今回のような形ではなく、ちゃんと思いを伝えるべきだと思います」


理解出来ない。理解できない。理解できない。そうじゃない。そうじゃないんだ。もう終わらせたいんだ。俺を否定、否定してくれればもう終われるんだ。


「自分で諦めるべきかと言っといてなんだけどよぉ…もう俺はブルガレーソからぜってぇ嫌われてるだろ…。確かに諦めるくらいならちゃんと気持ちを伝えるってのは理解できる…だけどよぉ…」


ツァックは勢いよく顔を上げる。


「フラれるのはぜってぇ嫌なんだッ!もう終わりたいんだよッ!」


上げられた顔をブバルディアが見れば、その顔は涙に包まれていた。


それは彼の本心の表れであり、奇しくもブバルディアの質問への回答にもなっていた。


「…いや、多分大丈夫だと思います」

「…なんでそう言い切れるんだよっ!。お前は人の心が読めるとでもいうのか!!!」


暗闇ではっきりとは見えないが、少年は綺麗な笑みを顔に浮かべていた。人を嘲っていることではなく、愛想笑い、せせら笑いでもない。本当に綺麗で純粋な笑顔を旅人は浮かべていた。


「いえいえ、もっと単純です。彼女、『ブルガレーソ』さんは、たとえ迷惑と思っていても、貴方のことを嫌ってはいないようでしたので」






一人の旅人がバル村を訪れてから一年が経つ頃、バル村に一つの夫婦が誕生したという。











 バル村。正直に言えば何の変哲もない村です。強いて言えば活気のある酒場があるということでしょうか。それと近くに鉱山があるため、村には屈強な人が多い印象でした。場所の問題から、交通網はよろしくありません。村へ向かう馬車も数少なく、実際に僕は歩いていきました。ただ、村の人たちはいい人ばかりなので、もし酔狂な人ならば、行ってみて損はないでしょう。


 ブバルディア


次話投稿予定日は3月22日です

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