運び屋
2006年に内輪的な『デジタル社会塵』競作企画の何回目かの3題縛りで書いたものです。縛りは忘れてしまいました。
当時の私の書いた中では、一番「なろう風味に近い」内容です
いや困ったなあ、あの女の子。
美人局に見事に引っかかって、訳の分からないカバンの運び屋やらされたけど。
そりゃ俺が馬鹿だったさ。ぼったくりバーに入ってしまって、こんな時はなにがしかの金を出して、折れて逃げるのが常識なのに、こっちは酔っぱらって、けんか腰になっちまった。いよいよヤバいと思った時はもう遅い。
そんな時に救いの手を差し伸べてくれたのが、俺好みの可愛いウエイトレスだ。詫びを入れてくれて、金額もぼったくりの半額にしてくれた。2万5千円。2万円の損だが、それでもこれで次のバイトまではなんとかしのげる。そう思ったついでに、いや、それ以上に、彼女は俺にてっきり気があると思ったよ。だから、2万円も気にならなくなったね。
そんな俺の勘定を見越してか、彼女はこう頼んで来たんだ
「そこで、お願いだけど、これを**まで運んでくれる? 私、忙しくて」
そこまで言われて断る馬鹿はいない。こっちは仕事のない身だろ。でも、次の言葉が頭に引っかかる
「ちゃんと運んでくれたら、たっぷりお礼するから」
ニュアンスは金か身か。その時は何とも思わなかったが、酔いが醒めて、このリュックを背負っている今、言葉を租借したら、途端に不安になった。利用されただけ? いや、冷静な筈の今でも、彼女は三分の見込みがあるとは思っているが…。
リュックの中身は何だろう? 彼女は「爆弾」って言ってたけど、それは冗談に違いない。爆弾程には重くはなく、ibookよりちょっと重い。まあ、見るなと言われりゃ、普通の人間なら、気になりつつも結局見ずに相手に渡すもの。そして渡しがてらに相手に尋ねるもの。だから俺も見ずにそうしたら、返って来た言葉は
「爆弾」
おいおい、合い言葉かよ。そう反応したら、相手は2、3秒考えて
「おう、確かに見てないな、お前は信用出来る」
と言ってきやがった。言われてみれば、「合い言葉」という反応をする人間が中身を見ている筈は無いな。それはいいが、お前は信用出来る、とはどういう意味かい。
「君の正直さを買って、今度はこれを**に運んでくれないか、お礼は弾む」と言って差し出されたものが万札2枚。ノーと言わせぬ雰囲気だったね。いや、参った。
「なぜ、ご自分では行かれないのですか」
とやっと尋ねたけど
「忙しいからな」
と流された。なんとなくヤバいんじゃないかな、と思い始めたが、足を抜くのは難しい。弱ったぜ。第三者の運び屋が必要なのはヤクかハジキか。気になって
「今度の中身は何ですか」
と尋ねたら
「武器だ」
の一言。やばいんちゃうか? 冗談ぬきで、こいつはほんとに武器かも知れん。
中身はますます気になるが、中身を見た事が悟られたら最悪だろ。下手すると、こっちの命が危ないじゃんか。なんせ事の始めはぼったくりバーだものな。唯一の自衛策は、行き道の交番の前で中身を確認するぐらいか。その、頼みの綱は留守るす留守。とうとう目的地まで着いてしまったぜ。
さっきの灰色のビルの灰色の事務所と違って、今度は小さな工場だ。すでに夜半を回っている。今度の相手は痩せた青年、ラッキー、足を抜くチャンスじゃないか。ここは黙ってカバンを渡して、そのままさっと立ち去るのが上分別。しかし出鼻を挫かれた。渡す前に、にこやかに
「中身は気にならないのですか」
と機先を制されて、怯えから殆ど反射的に、
「武器なんでしょう?」
と、こっちもにこやかの答え返したのが祟って、息つく暇も無く
「本当に正直な方ですね、もう一度お願いしますよ」
と、受け取る前から畳み掛けられた。手には万札2枚。目は笑っていない。もしかしてこれはアリ地獄じゃないのか?。
「勘弁して下さいよ」
とは、俺でなくても言うだろう。
「もう遅いんでねえ」
「何が……?」
ふと見上げると、扉の向こうに人影と野球バットが見える。足を抜くのが遅かったか?
遅かったみたい?
いや、遅かったに違いない……。
この時の俺は顔を引きつったに違いない。そんな思惑を察してか、相手は
「時間ですよ、僕は帰らなくちゃならないんで」
それは建前、ヤクザのやり方だ。最後のあがきで
「私だって……」
と抵抗したけど
「あれ、彼女から電話で聞きましたよ、今日明日は暇だって。仕事にあぶれているんでしょう」
ちくしょう、ぼったくりバーとの繋がりを思い起こさせやがる。ついでに、聞きもしないのに
「今度の中身は印刷物ですから、ご安心ください」
と言い放ちやがった。印刷物だから安心だと? ふざけるんじゃないぜ。そう、なおも躊躇ったら、3万円を手に押し込んで来た。一枚増やす所が心憎い。威圧と金に身体は金縛りで、アタッシュケースを機械人形のように受け取ったぜ。はあ。
受け取りながらひらめき一つ
「ご安心ください」だと?
皮肉かよ。こんな時間にこんな形の運び屋をやらされたら、誰だって、危険な仕事と思うじゃないか。そうだよ、こいつは絶対、ヤバイ中身だぜ。いや考えるのもおぞましい。捨てられるものなら捨ててしまいたい。死ぬのはいやだぜ。一生不随になるのはもっといやだぜ。
そう思ったらタクシーと考えるのは当たり前だろ? さっきは金欠病ゆえに、そして交番探しゆえに地下鉄で行ったが、今回はさすがにそれではヤバい。いくら青年が、
「近道がありますから、歩いて行けますよ」
と言ったところで、とんでもないぜ。金はいっぱい貰ったじゃないか。
何とかタクシー呼んで貰って、さっさと乗り込んだまでは良いが、
「お客さん、あそこは工事中で入れないから、ここで降りて下さいよ」
と降ろされた所は倉庫と倉庫の間の人気のない階段。これを登って、そのまま歩道橋を渡った所だという。嫌な予感が喉まで上がって来たね。
おどおどと、しかし足早に登る。と、そのとき、横から現れた黒い陰。おもわず身構えると相手は猫だ。えい、脅かすんじゃねえ。気を取り直して暫く歩くと、今度は俺の名前を呼ぶ女の声。どきっとして横を見ると、アベックだ。俺と同じ名前を持っていながら、こんなところでいちゃつくんじゃねえ。石でも投げてやりたいが、我慢我慢。
こうして、最後の歩道橋まであと数歩までたどり着いた時、後ろから駆け上がって足音がした。反射的に、こっちも駆け登り始めるるが、カバンがずっしり重い。不安全開、追いつかれるぜ。
汗だくになりながら、火事場のくそ力で歩道橋を渡りきろうとしたが、間に合わなかった。そう、やっぱりヤバい相手だったんだ。タックルされかかったのをカバンで振り払うが、相手は刃物で身構える。いよいよヤバい、そう思って、刃物に向けてカバンを振り回す勢いで、そのままカバンを歩道橋の外に投げ落とした。もちろん
「助けてー」
と大声を上げて。
一瞬ひいた相手の横を通りぬけ、身軽な身体で逆方向に走って、一気に階段を駆け下りる。刃物を気遣って背後を振り返ると、助かった、暴漢は携帯を出して誰かを指図している。そりゃそうだろう、相手は敵前奪取という奴だから、アタッシュケースを素早く回収するのは当然だ。1分後ぐらいにパーンという轟音。どっと冷や汗が出たぜ。危機一髪だったんだからな。
仕事を完遂出来なかったのだから、そのまま家に帰るのは危なかろう。ファミレスで夜を明かしつつ、寝ぼけた、と言うより眠れない頭で考える。
分からない事だらけだ。一体、今回みたいな失敗に終るぐらいなら、どうして、連中は自分たちで運ばなかったんだ? 始めの2回は単なるテストだったのか? タクシーより歩いた方が良いと言ったのはなんでだろう? 疑問が浮かんでは消え、己の将来の不安が浮かんでは消えた。コーヒーは既に4杯。やってられないぜ。
ラジオからニュースが聞こえて来た。
「今日未明。**街で発砲事件がありました。たまたまパトロール中の警察が現場を通りかかった為、死傷者は出ていない模様ですが、当事者がすぐに逃亡した為、詳しい事は分かっておりません…」
や、や、やっぱりヤクザだったんだ。それにしても、あの中身は何だったのだろう。
「……現場の近くには壊れたアタッシュケースと共に、偽の1万円札500枚が見つかり、大規模な偽札偽造団を巡る抗争とみて、更に調査を進めています」
なんだって! 印刷物は印刷物でも、偽札かよ。そう思った次の瞬間、冷や汗が流れた。どう対処すりゃいいんや? 現場に指紋とかは残してないよな。ケースは手袋はめて持っていたし、顔も見られてない。
……やべえ、タクシーはどうしよう。カバンも顔も見られている。あの青年が
「タクシーは止めといた方が無難だと思いますけどねえ」
と言っていた意味がやっと分かったぜ、ちきしょう。しかしだ、こっちから警察に届けるなんて危なっかしいぞ。まずは容疑者扱い、最悪でっち上げ、よしんば開放されても、こっちをヤクザ連中から守ってくれる筈が無い。ここは様子を見てから、必要になったら出頭するか。
暫く考えるうちに、ふと気がついた。何時までもファミレスで粘っていては、タクシーからの通報で、俺の人相がテレビラジオに出まくりやんか。それじゃファミレスの兄ちゃんにますます怪しまれるぜ。36計逃げるに如かず。勘定勘定と思って、あわてて財布を取り出すと、万札4枚が光っている。う、これも偽札か? とすればタクシーの運ちゃんに渡した奴も? ますます怖くなって、千円札で勘定を済ませて、一目散に地下鉄に向かったけれど、さて、今から何処に行くか? 思いついたのは同じフリーターの友人宅だ。電話をすると、この時間はもちろん留守電だから、メッセージを入れて押し掛けたね。
「いったいどうしたんだ、俺、今日はバイトなんだぜ」
不機嫌な顔の友人に、昨日からの事をかいつまんで話す。
「警察に行けよ」
つっけんどんな答えは、彼に常識がある事を意味しているが、それでは困るぜ。不安の理由を話して、一両日だけでも、と頼み込んだ。
「しゃあねえな、まあ、とにかく寝ろや。俺はバイトに行くから」
交渉成立して、ふう、やっと一息、そのまま畳に寝転がったね。もちろんテレビを付けっぱなしで。
夢の中で、何度も昨晩の発砲偽札事件が繰り返される。幸い、タクシーの客という言葉は出て来ない。
彼のところで一晩過ごして、翌朝一番には情報収集に出たよ。だって、タクシー談話が一向に出ないんでね。もしかしたら、タクシーの事だからヤクザ連中を知っていて、それで恐れて言い出さないのかもしれない。新聞を買いあさるが何処にも出ていない。こりゃ、警察に行かなくても良さそうだ。ちょっぴり安心して、冷静に考えると、この際、しばらく田舎に帰ったほうが良いだろうと思ったね。誰だってそうするだろ?
田舎で無駄に2日3日。
いや、良い親孝行になった。新聞にも出てないし、と少し気分が良くなったんで、そろそろとアパートに戻ると…いや戻ろうとすると、ばったり出会ったのは、事の始まりの女の子。あいや、しまった。張っていたなと気付いた時はもう遅い。
「ゴメン、失敗して」
誤るのが先だ
「あれ、何の事? 私は有り難うって言おうと思っていたのに」
とにっこり微笑む。しらばっくれる積もりか、この娘。しかし、う、可愛い。この微笑みは俺に気があるのかな。お陰でこっちにも少し余裕が出て来たので、もう一押し。
「警察には行っていないから」
「分かってるわよ」
相変わらずの、意味ありげな微笑みだ。でも、これはモナリザ並みの謎だ。騙されてはいけない! 心を鬼にして
「じゃあ、もうこれで」
と逃げの一手。でも、彼女はひるまない
「ちょっと待ってよ。お礼がまだよ」
と手を掴んできた。柔らかい小さな手だ。つい、振り返りながらも、反射的に。
「いや、お礼だなんて」
「残念だわあ…」
なんという口調、息づかい。…本当に俺に気があるのか知らん?
「…それにさあ、聞きたくないの?」
これも聞き捨てならない。聞き捨てならないが、真相を話して仲間に引き入れるに決まっている。もう美人局こりごりだ。
「い、いや、聞きたくないよ」
「だって心配かけるの悪いじゃないの」
「いや、いい」
汗が出ているぜ、俺。
「ほんとにいいの? まあ、もったいない。……うーん、貴方は信用出来そうだから、教えなくてもいいわね」
やっぱりだった。危ない、危ない。
…でも、助かった。きっとそうだ。もう追っては来るまいな。
こんな街には住めないとばかり引っ越しして1年足らずに、偽札が大々的に出回った。このあいだのグループによるものと言う証拠は何処にも無いが、何となく関連を感じたね。しかも迷宮入りになったから、情報を持っている俺の良心はうずいたものだよ。
でも、ここまで逃げたんだから、やぶ蛇行為は出来ないぜ。だって、日本の警察はでっち上げが上手いんだ。御用に記者に漏らして、印象操作をするんだ。そのくせ、参考人を本当の悪から守ってくれないんだ。心を鬼にして黙った黙った。
そんなだから、例の万札4枚だって手元にある。見る所、おそらく本物だろうなあ、と思いつつも、銀行などで聞いて、もしも偽札だったら出所を尋ねられるに決まっているだろ? そんな度胸は俺にはないぜ。これは始めから無かったものと考える! そう、ぼったくりバーで有り金一切失わなかっただけでも良しとしなくちゃ。でも、4万円は捨てられなないね。非常食のようなもんだからな。
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時を経て、偽札事件の時効のあと、昔の街に出張で出かけた時に、警察を退職した人と話す機会があった。例の偽札の話を担当したという。やったぜ。
「いや、参りましたね、だって、そりゃ、もう単純なコピー程度の質で、事件とはとても言えない奴だったんですよ。確かに、偽札の作り方のメモまで現場に残ってましたがね、それだって、中学生の遊び程度の内容で、とても機密情報じゃない。それを巡って発砲事件というのはどうもおかしい……」
ここまでは週刊誌にも載っていた。それを読んだ時、俺には何が何だか分からなくなった。だから、手元の4万円の真偽とともに、事件について一切合切考えるのをこの時やめたんだ。
「…で、浮かんで来たのが囮です。偽物を対立組に襲わせて、本物の方は別ルートで運んでいたのではないかと…」
な、なんと、俺は囮だったのか。それなら確かに辻褄は合う。もしかしたら、あのタクシーの運ちゃんもつるんでいたのかも? 絶対そうだ。
「…だから、その本物の偽札…こんな言い方をすると変ですが…を探しましたよ。でも、闇のまま、彼らを押さえられず、全国で被害が出た事は御存知の通りです…」
なるほどなるほど。
「…いや、盲点でしたね。発砲事件があったので、暴力団がらみと読んでいたのですが、彼らをいくら内偵しても分からなかったんですよ。だから、偽札犯は暴力団じゃなかったんですね」
えっ! そこまで聞いて、中年独身未経験の俺は黙ってられず、思わず叫んだ。
「あの子と仲良くしとけばよかった!」
written 2006-8-1