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怪奇百語り  作者: アサオ
2/2

紫陽花のみち

 アジサイが咲く道の畝間を、歩いた記憶がある。

 その日はとても蒸し暑く、立っているだけでも汗が滝のように流れたものだ。夕方になってからもその暑さは和らぐことなく、私の額はずうっと汗で光っていた。

 ねっとりと絡みつくような暑さに、私は心底うんざりしていた。そしてこれから参加しなくてはならない、肝試しにも。

 肝試しをやろうと最初に口にした者は、いったい誰であったか。私はそれをよく覚えていない。気づくと、私もその参加が決まっていたのだった。

 参加者は全員で、七人。皆、大学で同じゼミに所属していて、日頃からよく飲みにいくこともあるメンツだ。男女比は、四対三。

 この中のだれかが言い出したことに間違いはないのだが、私はそれが誰であったか、当日になった今でも思い出せないでいた。だから文句を言おうにもそれが言えないのだった。

 みんな、集まったかー?

 仲間のひとりが軽快な調子で、周囲に声をかけてまわる。

 私を含めた肝試しの参加者は、大学の裏手にあるちいさな神社に集まっていた。随分と古くからある神社らしいが、私たちの他に参拝客は誰もいない。とはいえ、私たちも参拝客とは呼べないのだが。

 じゃあ、まず肝試しのペアを決めるから、このくじ引いちゃって。

 割り箸で作られたくじを持った彼が、言いながら私たちの前にそれをつきだしてくる。

 私はその中からしぶしぶ一本を引き抜くのだった。



「こんな日に肝試しなんて、やっぱり嫌でも雰囲気出るよねぇ」

 この肝試しは、男女がペアとなって行われる。

 私はペアの相手と肝試しの順番を待っていた。私たち以外の二組は、もうすでに肝試しをスタートさせている。

 黄昏時にさしかかる空は、不気味な暗さを孕んでいた。

「もしかしたら、途中で雨に降られるかもね」

 私は空を睨みながら、彼女に返した。彼女の顔はたちまち不快感をあらわにする。

「それは勘弁してほしいなぁ。傘さしてまでやりたくないよ」

「ほんとうに」

 私も心の底から同意した。はやくこんな企画は終わらせて、熱いシャワーで汗を流してしまいたかった。顔に笑顔が浮かんでいようと、私はこの企画を立ち上げた人物に対しては、沸々と怒りが込みあげてきているのだから。

「じゃあ、お二人さんもそろそろ行こうか」

 くじ引きにより、ペアからひとり余ってしまった彼が、進行役を引き受けている。

 彼は改めて肝試しの流れを説明した。

「先の二組はもう折り返し地点を過ぎたって連絡がきたから、ふたりはそのままゴールを目指してくれていいよ」

 それに彼女が問い返す。

「あんたはこの後どうするの?」

「俺はふたりが出発したら、別ルートでゴールへ向かうよ。たぶん俺のほうが君たちよりはやく合流できると思うし」

「なんなら、あんたもあたしたちと一緒にまわってもいいのよ」

「いや、俺、実は進行役になれてラッキーって思ってるから遠慮しとく」

「そう? まぁ、あんたは最初から乗り気じゃなかったもんね」

「じゃあほら、お二人さん。そろそろ」

 進行役の彼が再度促す。

 私たちは彼に背をむけると、仕方なく肝試しのルートを進んでいった。



「ところでさ、この肝試しをやろうって企画した人、誰だっけ?」

 神社を出て、その裏手にある山道を歩いている途中で、私は彼女にきいてみた。

 肝試しのルートは、ちょっとした山登りのできるコースが設定されている。神社の裏手から侵入できる山への道をのぼっていくと、しばらくして開けた空間にたどり着き、そこが展望台のようになっているのだ。その場所が、今回の肝試しの折り返し地点となっていた。先の二組はそこへたどり着くと、進行役の彼に連絡をし、帰りは来た道とは違うルートをたどって、下山することになっている。そしてそのゴールが、私たちの所属する学部棟の前というわけだ。

 前を歩いていた彼女が、私の言葉に勢いよく振り向いた。その顔は驚愕に満ちていて、私は思わず面食らう。

 一拍の間のあと、彼女は素っ頓狂な声を出していった。

「なぁに言ってんの!? 最初に言い出したの、あんたでしょう?」

 私は再び、間抜けな表情をつくってしまう。少しの間、ものが言えなかったほどだ。

 そんな私をみて、彼女は肩をすくめると、正面へ身体の向きをなおした。そして、さっさとのぼり坂を歩き始めた。私も慌ててそれに倣い、彼女のあとを追っていく。その間、私は喉がやけに乾いて仕方なかった。

 私は一体いつそんな提案をしたのだろうか。まるで思い出せない自分に腹が立った。

 そんなことを考えているうちに、いつしか私たちは展望台に着いていた。晴れた日なら、ここから街のようすが一望できるのに、今日は曇っているせいで、街は薄ぼんやりとした闇に覆われている。景色の良さはいまいちわからない。

 彼女とふたり、なんとはなしに、そのぼやけた街を見下ろしてみる。



「本当に覚えてないの?」

 下山の途中で彼女はいった。私は彼女の後頭部を見たまま、つよく肯定する。

「うん、まったく。本当にそんなこといったの?」

「いったじゃない。ほら、先々週のゼミおわりに、みんなでごはん食べたでしょ? そのときに、夏にみんなで何かしたいねーって。いつも飲みにいくだけじゃ面白みがないし、金もないし。もっと学生らしいベタなことして、思い出に残ることがしたいって」

「それが……肝試し?」

「そうよ。まぁ、あんたの口から出たのも、今考えてみれば驚きよね。あんた、そういうの嫌いそうだし」

 彼女が突然首だけで、私のほうを振り返った。鋭い視線を向けられて、思わず総毛立つ。この肝試しにお化け役は設定されていないのに、彼女がそのお化け役のように思えてしまった。

「今、あたしのことお化けみたいって思ったでしょ?」

「いえ、思ってません。なにを仰る……」

 完全に足を止めた彼女の顔は、穏やかとはいい難い。私は彼女の鋭い視線を苦笑いでかわしつつ、話の先をつづけた。

「でも、肝試しをしようっていったのは自分かもしれないけど、実際に動いた人は」

「それもあんたよ。みんなに連絡くれたじゃない、今日の五限が終わったら、集合ねって。──くんにはくじまで作らせといて。まさか、それも忘れたの?」

「ちょっと待って、それ本当に本当なの?」

 私はもはや訳のわからないことに、彼女の言ったことの半分も理解が追いついていなかった。それは私には全く見に覚えのないことだったからだ。

 私は彼女の顔を目を丸くしてみつめていた。そんな私をさすがに怪訝に思ったのか、彼女に「あんた頭、大丈夫?」と、呆れと心配がまざった瞳でみつめ返される。その眼差しは、たちまち私を不安にさせた。

 もしかすると、私は何かの病気なのか。そんな安直な考えが一瞬脳裏をよぎって、すぐに消えた。

 下山を再開させてからも、私たちの間には依然、沈黙は居座りつづけていた。その間、私は先ほど彼女にいわれた事実を必死に思い出そうとするのだが、どうやってもそんな過去は思い出さないし、心当たりもないことだった。それどころか、今が肝試しの途中であることすらも、私は忘れかけていたのだ。



 しばらくして、彼女がちいさな声を上げたのがわかった。そのお陰で私はやっと、外に意識を向けることができた。

 見ると、彼女がこちらを向いて、ある方向を指差している。

 彼女の示した辺りが、やけに青白く光っているようにみえた。

 私と彼女の視線が、再び交錯する。彼女のまるい目が私を挑発するかの如く見上げていた。その次に、その赤い唇が、「ちょっと寄り道しない?」といった。私はまるで彼女に意識を乗っ取られたみたいに、考える間もなく、それに頷いていた。

 彼女に先導されるがまま近づいていくと、ぽつ、ぽつ、と細いみちの両側に、あおい球体が姿をあらわす。さらに奥へと歩を進める。ぼぼぼ、と球体の数はますます増えていく。そうして気づけば、私のまわりは、無数の球体の群れに取り囲まれていた。

 私はかつてあれ程の数のアジサイを目にしたことはない。

 いつからここに咲いているのだろうか。枝は私の胸のあたりまで伸びており、葉は深いみどり色をしている。そのみどりに守られるように、何百というアジサイが粛々と咲きほこっていた。水に溶けていくかのような、あお色の花弁はとても上品で儚げだ。

 そのあおに目を奪われているうち、私たちはアジサイの道の深いところまで進んできていたようだった。そして、奥へ行けばいくほど、私の心はだんだんと不思議な心地に支配されていくような気がした。

 今この瞬間、私はこのアジサイにのみ込まれているんじゃないか。

 そんな錯覚を覚えつつあった。

「こんなところにアジサイなんて咲いてたのね。しかも、すごく立派。これだけ立派なら、ちょっとした観光名所にでもなりそうなのに。そうすればあの神社にももうちょっと人が寄りつくんじゃない?」

 彼女の声をきいて、私は彼女とふたりでいたことを唐突に思い出す。アジサイに気を取られて、すっかり彼女の存在を無いものとしていた。

 彼女の口がまたゆっくりと動いた。

「でも、アジサイってなんだか不気味じゃない? あたし、この花を見るといつも思うのよねぇ。なんだかこの、まあるい花が、人の顔みたいに思えてくるの。晒し首、みたいにさ。まるで人の首がってるみたいに」

 人の首、と聞いて、とっさにその光景を頭のなかに思い浮かべてしまった。

 目の前のアジサイが人の首であったら──。

 私はそれを食い入るように見つめては、すぐに目を背けた。けれど、いくら目を背けようとも、あたりは一面、虚ろな人の首でいっぱいなのだ。

「ちょっと、平気? 顔色わるいよ」

 彼女の声で、現実にしがみつくことができた。その声がなければ、私はこの場で卒倒していただろうに思う。

 改めて周囲を見渡すと、私はうつくしいあお色の球体たちに囲まれている。ほうっと胸を撫で下ろす。

「うん、もう平気」

 不安そうな表情をしていた彼女に返すと、彼女の表情が少しだけ緩んだような気がした。

「もう戻ろうか。さすがに時間かけすぎてるよね。みんな、ゴールで待ちくたびれてるよ」

 私は告げてから、来た道をふり返る。十メートルは進んだようで、ここからでは入り口が枝の茂みに隠されて確認できない。とうとうアジサイに出口を塞がれたような気分になる。またしても私の心は、不安の渦に巻かれていくようだった。

 すると、

「どこに、いくの?」

 彼女がぽつりと言葉を落とした。

 私は驚いて、彼女のほうを見る。彼女は不思議そうな顔をして、私の顔を見上げている。私は意味がわからず、彼女に問い返した。

「どこって、今肝試しの最中でしょ。みんな終わって、待ってる」

「肝試し? ああ、そうね、そうだったわね。肝試し」

 彼女が歯切れの悪い相づちをうつ。私はすぐに嫌な予感を覚えた。

 見に覚えのない肝試し。発案者は自分。そういえば、今、ペアを組んでいるこの彼女は、いったいどこの誰だったろう。同じゼミに、はたして彼女はいただろうか。飲み会のときに彼女と並んで、私は酒を飲んだことがあっただろうか。

 目の前で静かに微笑んでいる彼女は、いったい誰?

 私は気づくと、彼女に訊いてしまっていた。

 ぽつり。その瞬間、頬に雫があたって流れた。

「だれって、あたしよ。同じゼミじゃない、いきなり、何、いうの」

 彼女が抑揚のない声で答える。ぽつん、ぽつんと、雫がそこかしこにあたる音がしている。

 私は空と彼女の顔を交互に眺めた。これ以上、彼女とここにいてはいけない気がした。けれども、私の足は地面に縫いつけられたみたいに動こうとしない。とにかく今、会話だけは途切れさせてはいけないと思った。

「そうだよね、同じゼミの。ごめん、名前、ど忘れして」

「もう、あんたってほんとうに抜けてるんだから。しっかりしてよ」

「ごめんなさい。それより早く下りようか。雨も降ってきたし、風邪ひくよ」

 それとなく下山の説得を試みるも、彼女は聞いているのかそうでないのか、至極反応が薄い。それに先程から気のせいだろうか。彼女の表情が影のように、輪郭がぼやけてはっきりとわからないのだ。

 雨音がいっそう強くなってきていた。いよいよ躊躇している暇はなさそうだ。

 だから私は最後にもう一度だけ、彼女に下山を訴えようとした。すると、それより先に彼女の口がおもむろに開いて告げたのだ。

「まだ、いましょうよ。せっかく綺麗に咲いたのに」

 瞬間、私は今度こそ彼女の腕をつよく引いて、無理やりにアジサイの道の畝間を駆け出した。彼女の意思など、もうどうでもよい。ただ早く、このアジサイたちから逃げなければ。その一心で、私はがむしゃらに足を動かした。途中、何度かつまずきそうになりながら、アジサイの枝が私を捕まえやしないかと気が気じゃなかった。

 畝間を抜けてからも、私は立ち止まることなく、一目散に山道を駆け下りた。

 雨がやや小降りになる。これ以上雨が酷くなる前に、下山してみせる。



 学部棟の前まで辿り着いたとき、私は肩で息をしていた。

 先に肝試しを終えていた仲間にはずいぶんと驚かれたが、私は肝試し自体が本当に行われていたことに、心底安堵した。

 息を整え、仲間の顔を改めて見直すと、よく知る顔にまたほっとする。そして、私は思い出したように、彼女が後ろにいるかどうかを確認した。

 けれども、彼女はいなかった。

 瞬間、息が止まりそうになる。

 まさか、私があの場所に置いてきてしまったのだろうか。たしかに彼女の腕を掴んでる感触はあったのに。それとも、私はあの時、彼女の腕を掴みそこねたとでもいうのだろうか。それでは私が掴んだと思っていたものはいったい──?

 考えれば考えるほど、恐ろしい結末ばかりが浮かんでしまって嫌になる。

 彼女はただ私のペースについてこれず、遅れているだけなのだろう。

 私はそわそわと落ち着かない気持ちで、それでもなんとか自分自身をそう納得させた。けれど、次の瞬間、いやでも気づいてしまう。

 なぜなら、仲間の誰ひとりとして、彼女がいないことに疑問をもつ者がいなかったからだ。まるで最初から、私だけの帰りを待っていたとでもいうように。

 私は何がなんだかわからないこの恐怖を一人で抱えることが不可能となって、思いきって皆に彼女のことを尋ねてみた。すると仲間の口からは、半ば予想していた通り、「何いってんだ?」との返事が返ってくる。

 どうやら私は知らない女と、肝試しに参加していたらしい。

 肝試しの前に、彼女と確かに会話をしていた進行役の彼にきいてみても、彼すら「知らない」との一点張りだった。はたして彼はあの時、誰と親しげに会話を交わしていたのだろうか。

 私の顔が今度こそ青ざめたのは、言うまでもない。



 結局、私は彼女が何者であったのかを知ることはできなかった。しかし、後日気になって、紫陽花が咲き誇っていたあの場所を訪れてみたのだが、そこにはただの木が生い茂っていただけで、紫陽花の見る影はそのどこにもなかった。



自サイトの掲載作品を一部改稿したものです。

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