会話
深夜、一人の乗客の船室から医療用の緊急コールがあった。
「どうかしましたか」と、ユーサが聞く。
「薬をちょうだい。眠れないのよ」
声の主は女性だった。
通信のみなので、相手の容姿はわからない。
「ごめんなさい。ドクターの許可がないと、渡せません。明日でもよろしければ、医務室へ診察を受けに来てください」
女性は深いため息をついた。
「これだから、機械は……」
「申し訳ありません」
「いいわ、その代わり、あんた話相手になってよ」
「……」
「あたしの話を聞いてくれる?」
「……今晩だけなら……」
女性は苦笑した。
「なんだか、あんた人間みたいね」
そうして、この女性は思い当たったようだ。
「あんた……RAIシップ!?」
「はい」
「……」
「そう……そうだったの」
「……?」
女性はケラケラ笑った。
「あの子、あんたを守ろうとしてたのね。気付かなくてごめんなさい。私、ずいぶんヒドイ事言っちゃたわね」
女性の声は心なしか、先ほどより優しくなっている。
「この前は悪かったわ。私、イライラしてて。お酒で気を紛らわそうと思ったんだけど……あんたにあたっちゃて。そっか……そうだったの」
ユーサもやっとわかった。
この女性が誰なのか。
名前は知らない。あの時の女性だ。「お酒がない!」と騒いで、ユーサの視聴覚の柱をバッグで叩いた……。
「恨んでる? 私の事?」
そんな質問されたのは初めてだった。
文字通り、ユーサはキョトンとして答えた。
「いいえ」
「イヤな奴だと思ったでしょ? ……少なくともあそこにいた連中はそう思ってた」
「……」
「通信切ってもいいわよ。あたしとなんか話したくないようだから」
「そうじゃないわ。私は聞く方が得意なの。それに、あなたのこと、イヤな人だなんて思ってない」
「……どうして?」
「どうしてって……。私への悪意ではなかったから。イライラはその人自身の問題だもの」
「さすがRAIシップ。超越してるわ」
「……」
女性はしばし無言だったが、やがて静かに語りだした。
「私はね、スラムで生まれ育ったの。それでも、子供の頃は幸せだったな。未来に対して希望があった。汚い世界をいっぱい見てきた。抜けきれない今も。一度汚れた人間はもう二度と、きれいにはなれないんだわ。成功して、やっとここまできても過去の私を知ると皆去っていく。私は汚れているんだ。そう認識させられる。夢でさえ、私をさいなめる。ビクビクしてたあの頃をまざまさと思い出させるのよ」
そこまでずっと彼女の言葉を聞いていたユーサはポツリとこう言った。
「それでも、人は幸せになるために生まれてくるのよ。パパが言ってた。人は気付いた時から変わっていけるって。子供の頃、遥か彼方にあったボーダーラインはいつか足元にあって、目の前の茫漠な何もない世界におののくけど、そのボーダーラインは一歩あるくごとに拡がっていくの。つまらないことで悩んでても一生懸命自分を生きてる人間が好き。生きるって大変なことだと思う。そんな大変な事、皆してるのね。小さくても、神様はそんな人間のこと健気でかわいいと思ってるんじゃないかしら」
「変われるの? 私でも?」
「あなたは……どうしたいの?」
「幸せになりたいわ」
「じゃあ自分を信じないと」