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 生前のアリア達姉妹が、母の肉体に異変を感じたのは四十代半ばだったという。


『医師の診察の結果、死病にかかっていることがわかった』


 多重人格障害であった彼女達は、頻繁に人格が入れ替わることもあって、生涯において他者と親密な人間関係を築くことはなかった。

 孤独ではあったが、アリアが心の中から姉妹達の行動をある程度制御していたこともあって、それなりに順調な社会生活は送れていたらしい。

 そんな中、突然もたらされた余命宣告。


『姉妹達は皆、これも運命だろうと死を受け入れていた。……だがワタシは、どうしても受け入れられなかった』


 まだ叶えていない望みがあったから……。


『母はワタシを、守り導く者として生み出した』


 だからアリアは姉妹達を守り導いた。

 だが、アリアの一番の望みは母が目覚めること。


 幼い心のまま眠りについてしまった母。

 目覚めたら、きっと心と外見との年齢差に戸惑うだろう。

 さて、どうやって宥めようか。


 かつて母の周囲には守ってくれる大人がいなかった。

 だから彼女が目覚めたら、今度は自分が守って甘やかしてあげよう。


 だが甘やかすばかりでは、心の健やかな成長を阻害してしまうことになる。

 時には厳しく叱り、そして穏やかに語りかけ、彼女が納得するまでたとえ話を交えて話し合おう。


 心の中で眠り続ける母を見守りながら、ずっとアリアはそんな望みを抱き続けてきた。


『アメリアが言うように、ワタシ達姉妹を生み出した時に、母が心の死を迎えていたのならば目覚めないのも道理だ。……だが、ワタシはどうしても諦めきれなかった』


 死の間際まで母の目覚めを待ち続け、なぜ目覚めてくれないのだと嘆き悲しんだ。

 その嘆きは深く、いつもは長姉的立場で守ってきた姉妹達から逆に慰められるほどだったという。

 それでも無情に時は流れ、母の肉体は限界を迎えた。

 アリア達姉妹も、二度と目覚めることのない眠りについた筈だった。


『だが、助けを求める声が聞こえた』


 苦しい、誰か助けて……。

 その声が幼い母が救いを求めている声に聞こえて、アリアは目覚めてしまったのだ。

 だがどうしたことか、自分の側には、姉妹達の気配に守られるようにして眠る母の気配がある。


 ――では、この救いを求める声は誰のものだ?


 ひとり目覚めたアリアは、魂の深層から抜け出して浮上し、幼い日の私を見つけた。


『嬉しかった。もう一度、最初からやり直せると思ったのだ。……この子を助け、守り導き、無事に成長させる。母では叶わなかったが、この子ならばまだ自分にもできることがあると……』

(……そういうことだったの)

『ワタシは、アメリアを勝手に母の身代わりにしたんだ。すまなかった』


 ――呼吸をしなさい! 生きろ! 負けるな!


 熱病に冒された幼い日、突然心の中から聞こえてきた声。

 あの声が聞こえていなかったら、私は間違いなく死んでいた。


(謝ることなんてないわ。アリアの存在は、私にとって救いだったもの)


 今だってそうだ。

 アリアの励ましと導きがなければ、オズヴァルド様の助けを待てずに殺されていただろう。


『ワタシの身勝手さを知ってもそう言ってくれるのか……』

(あたりまえじゃない。身勝手だなんて、アリアはちょっと考えが堅すぎるわ。元々の理由はどうあれ、私はずっとアリアの存在に助けられてきたんだから、それでいいのよ)

『なるほど。……終わりよければ全てよしということか』

(そうよ! その通り)


 繋いだままだった手をぎゅっと握って、ぶんぶんと上下に軽くふる。

 アリアは嬉しそうに笑った。


『……ああ、もう充分だ』

(え?)

『ワタシの望みは、全て最高の形で叶った』

(アリアの望み……)

『ワタシの望みは、アメリアが普通の幸せをつかむこと。普通に家族に愛されて育ち、普通に学園で友に恵まれ学んで卒業する。そして普通に恋をして、愛する者と結ばれる。――ほら、全て叶っただろう?』


 アリアが得意そうに言う。


(そうね。……結婚式はまだだけど)

『だが、時間の問題だ』


 帝国が私を直接狙ったことで、これからは警備もさらに増強されるだろう。

 なにより、私の死をきっかけにオズヴァルド様にオールモンドへの敵意を植えつけるという帝国の企みは、もはや二度と通用しない。

 危機は去り、私達の婚姻の邪魔をする者はもう現れないだろう。


『ワタシという存在は、もうアメリアには必要ない。ワタシは再び眠ることにする』

(え?)


 突然のアリアの宣言に虚を突かれて、私はぽかんと口を開けた。


『こら。そんな間抜け面をしてはいけない。これからアメリアは、キールハラルの王子妃になるのだぞ。もっと品良く、気を張って過ごしなさい』

(そう、そうだわ! ほら、まだ必要よ。これからもそうやって助言してちょうだい)

『いいや、アメリア。それはお前の家族や侍女達でもできることだ。ワタシでなくともいい』

(そんなことないわ。アリアでなくっちゃ駄目よ。……ねえ、眠るだなんて、そんな寂しいこと言わないで)


 お願いする私に、アリアは首を横に振った。


『これからのアメリアに必要なのは天然王子だ。彼に一番に相談して、頼りなさい。ワタシの存在は、夫婦関係を育む邪魔にしかならない』

(そんなことないわ!)

『あるんだよ。たとえば、天然王子と結婚した後、頻繁に父上殿が訪ねてきて、あれこれ忠告したり助言してくると想像してみなさい。正直、うっとうしいとは思わないか?』

(……それとこれとは違うわ)

『違わない。ワタシは、アメリアの人生の妨げにはなりたくない。それに、ひとつの身体にふたつの心が宿った今の状態は、やはり不自然なんだ。アメリアは、ワタシにばかり相談していてはいけない。もっと表の世界の者達とも話さなくては』


 アリアの真剣な表情に、私はなにも言い返せなかった。


『それに……満足したからか、実はさっきからとても眠いんだ』


 眠気を感じるのは、目覚めてから初めてのことらしい。

 起きているのが辛いと言われて、私は更に返す言葉をなくした。


『大丈夫だ。たとえ眠っても、ワタシは深層には戻らず、ずっとここにいるから……』

(……本当に? ずっとここにいてくれるの?)

『ああ、聞こえてくるアメリアの心の声を子守歌代わりに、ずっとここで眠ろう。――だから、どうかワタシをもう目覚めさせないでくれ』


 ちょっとした諍いで泣いたり怒ったりするぐらいなら別にいい。それは、普通の日々の中のちょっとしたスパイスのようなものだから。

 だが、辛い、悲しい、助けてと泣き叫ぶ悲痛な声を聞かせないでくれと、アリアがいう。


『アメリアのそんな声を聞いてしまったら、きっとワタシはまた目覚めてしまうだろう。だから、どうかずっと幸せな人生をおくって欲しい。そして、ワタシを幸せなまま穏やかに眠らせておくれ』

(そんな難しいこと、約束できないわ)


 もうじき私は、オズヴァルド様と結婚する。

 それはきっと私の人生でも最高に幸福な瞬間になるだろう。

 だが私は、その幸福が永遠に続くと思えるほど物知らずな子供ではない。


(でも、努力してみるわ。なにがあっても、決して諦めない。最善の道を考え続けて、幸せになれるように……アリアがずっと教えてくれていたように)

『それでいい。アメリアなら大丈夫だ。それに、これからは天然王子もずっと側にいてくれる』

(そうね)


 でも、アリアがいなければ寂しい。

 そんな言葉を私は飲み込む。

 口にしなくとも、どうせアリアには私の考えはすべて筒抜けなのだ。


 それに、これ以上引き止めるつもりもなかった。

 アリアは最初から別れの挨拶をするつもりで、私をこの乳白色の空間に招き入れたのだ。

 この頑固者は自分の考えを決して曲げたりはしない。

 そのことを、長いつき合いの中で否応もなく学習してしまっていたから……。 


『ワタシはずっとここにいるのだから、別れの言葉は必要ないだろう』

(そうね。……その代わりに、おやすみなさいと言わせて)


 別れの言葉の代わりにおやすみの挨拶をすると、アリアは私の頭を撫でてくれた。


『先に眠るのはアメリアの方だ。表の世界では、きっと天然王子も待っているだろう』


 いつかのように寝台が現れて、促されるままそこに横たわる。

 そしてアリアの手の平が私の目を塞ぎ、また歌を歌ってくれた。

 私の知らない言葉で紡がれる、ゆったりとした旋律に私は聴き惚れた。


(以前聞いたのとは違う子守歌ね)

『これは子守歌ではなく童謡だ。……夜の砂漠を王子と姫君が二頭のらくだに乗って旅をする歌なんだ』

(そう、砂漠を……。素敵ね。ふたりはどこに向かって旅をしているの?)

『どこにも……。歌の中でははっきりと語られていない。らくだの背に金と銀の瓶を乗せて、ただふたり並んで旅をするという内容だ』

(そう……。それなら、きっとその瓶の中にはオアシスから汲んだ水が入っているんだわ)


 キールハラルでは、身分の高い者は弱き人々を守る義務があるのだと、オズヴァルド様が話してくれた。

 だからきっと、歌の中の王族のふたりは、水を求める人々の元へ水瓶を運んでいるのだ。


『ノーブレスオブリージュだな』

(どういう意味?)

『身分の高い者には、それに応じて果たさなければならない社会的な責任と義務があるという考え方だ。――キールハラルに嫁ぐのだから、アメリアもよく天然王子に学ぶように』

(わかったわ)

『アメリアはワタシの自慢の娘だ。きっとキールハラルの民に愛されて、幸せになれる』

(ええ、きっと……ね)


 自慢の娘と言われた途端、ずっと我慢していた涙が閉ざされた瞼から溢れ出た。

 両親よりも友よりもずっと近い場所にいてくれた、私の最高の守護者。

 私の心を守り、育んでくれた、もうひとりの母。

 もう会えなくなるなんて、やっぱり嫌だ。


『大丈夫。ワタシは、ずっとここにいる』


 そんな私の心を勝手に悟ったアリアが穏やかに答える。


『ワタシ達は同じ魂を共有する者同士。決して離れたりしない』

(……っ……)


 瞼から溢れる私の涙が、アリアの手の平を濡らす。

 どんなに泣いても、この頑固者の気持ちを変えることはできない。

 悲しくて悔しくて、でも、その意志の強さが誇らしくもある。


 ぐずぐず泣く私を宥めるように、またアリアが歌を歌う。

 二頭のらくだが夜の砂漠を旅する歌を……。


 知らない言葉で紡がれる歌を聞いているうちに、砂漠を旅するらくだの姿が脳裏に浮かんできた。

 綺麗な水をたっぷり湛えた水瓶を運ぶらくだの背には、いつの間にか私とオズヴァルド様が乗っていて、ふたり並んで砂漠を旅していく。


 そんな幸せな夢を見ながら、私は深い眠りに落ちていった。

メリークリスマス♪

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