26
気が付くと、私は乳白色の空間にいた。
周囲を見渡すと、少し離れた所にアリアの姿が見える。
(アリア! もう直接会ってはくれないと思ってたわ)
『今日は特別だ。――よく頑張ったな』
銀灰のローブを纏ったアリアが、私に微笑みかける。
嬉しくなった私はアリアに駆け寄って、普段は触れられないその手を両手でぎゅっと握った。
(ありがとう。アリアのおかげよ)
『助かったのは、アメリアが新たな選択肢を自分で作り上げたからだ。ワタシはなにもできなかった』
(新しい選択肢を作るよう勧めてくれたのはアリアじゃない。それにルコントを倒してくれたし、ずっと励ましてくれてた。私ひとりだったら、きっと汚された挙げ句に殺されていたわ)
自分で言っておきながら恐ろしくなって、私はぶるっと身を震わせた。
『……役に立てたのなら嬉しい。――少しだけ表に出て様子を伺ってみたが、騎士団も来ているようだ』
オズヴァルド様が率いて来たのか、表の世界では駆けつけた騎士団が屋敷内にいる者達を次々に捕らえてくれているらしい。
これで完全に安心できる状況になったというのに、アリアの表情は冴えなかった。
『表に出て気づいたのだが、アメリアのこの手、骨が折れているのではないか?』
(……たぶんね)
手に巻き付けていたロープに全体重が掛かった時、嫌な音がして激痛が走った。泣き言を言える余裕はなかったから我慢していたが、我ながら良く最後まで気を失わずに頑張れたものだと思う。
ここでは痛みをまったく感じないのだが、アリアは労るように私の右手をさすった。
『ワタシがかつて生きていた世界でなら、この程度の骨折の治療は容易いのだが、この世界では元通りに治せるかどうか……』
(少しぐらい後遺症が残っても平気よ。命が助かったのだもの。……ねえ、アリア。私、ルコントに気絶させられた時、あなたの過去を見たわ)
アリアの悲しい過去。そして私の前世。
心に深い傷を負っただろうアリアは、それでも強く生き抜いたのだ。
右手が少し不自由になるぐらいたいしたことじゃない。
『いいや、それは違う。アメリア、違うんだ。……あれはワタシではない』
(え? でも……あれは私の前世だわ)
自分でもなせかはわからないが、あの少女がかつての自分だという確信がある。
『確かにそうだ。だがワタシは、あの悲劇の後に生まれた存在なのだ』
握り合った手から、アリアの知識が私の中に流れ込んでくる。
(……多重人格障害?)
それは、ひとりの人間の中に複数の人格が同時に存在すること。幼少時の虐待が引き金になって発症することの多い障害だと言われているらしい。
(二重人格とは違うの?)
かつて私の中でアリアが目覚めた時、咄嗟に互いの自我の間に障壁を作り上げ、擬似的な二重人格状態を作り上げたと言っていた。
『似たようなものだ。今、アメリアの心の中には、ワタシとアメリアしかいない。だが、かつてのワタシには四人の仲間が――いや、姉妹達がいたのだ』
前世の私は、あの悲劇の後に五つの人格を生み出したのだとアリアが言う。
『攻撃的な者、穏やかな者、幼い心を持つ者、奔放な者、そしてワタシ。表に出るのは主に姉妹達で、ワタシは常に心の中にいて皆の調整役を務めながら母の眠りを見守っていた』
(母?)
『アメリアが見たという少女だ。母はワタシ達を生み出した後、二度と目覚めることはなかった』
そしてアリア達五人は、眠る母の肉体を生かし、守り続けた。
『ワタシは一種の疑似人格だ。人ではない。ずっと騙していて悪かった』
(どういうこと? 疑似人格とか言われても、よくわからないわ)
首を傾げる私に、アリアから知識が流れ込んでくる。
それでも、私には納得できなかった。
(アリアはアリアでしょう? 騙してなんてないわ)
私と同じように、喜び、嘆き、焦り、悲しむ。
ちゃんと確固たる人格を持った存在だ。
絶対に偽物なんかじゃない。
『いいや。騙していたんだ。そもそもワタシは、アメリアの前世ではなかったのだから……』
その言葉に、私はまた首を傾げた。
(でも、あの少女は目を覚まさなかったのでしょう?)
『そうだ。最後まで目覚めなかった』
(それなら、やっぱりアリアが……いえ、アリア達姉妹が私の前世なんだわ。……となると、あの少女は私の前世の前世ってことになるのかしら)
前々世とでも言えばいいのか。
たぶん、私があの暗闇の中で見せられた悲惨な暴力で、あの少女の心は殺されてしまったのだろう。
それでも彼女は、きっと最後の力を振り絞って、あの暴力に耐えて生きのびることができる新しい心を生み出したのだ。
(だからアリア達にとって、あの少女は母なのでしょう?)
『……アメリアは、ワタシを人だと認めてくれるのか?』
(当たり前じゃない。アリアが人じゃなかったら、私も人じゃないってことになるもの)
以前、フローリア様にアリアのことを打ち明けた時、フローリア様が私の心の中にはもうひとり他の人がいるのかと驚いていた。
それに対してアリアが過剰に反応したのを、私は思い出していた。
――中に他の人などいない。ワタシはアメリアのコインの裏。あくまでも分身体なのだ。
そんなのどっちだっていいじゃないと私は反論したが、アリアはどうでもよくないと譲らなかった。
あの時は、この頑固者めと面倒になって流してしまったけれど、今なら分かる。
アリアにとってそれはどうでもいいことなんかじゃなかったのだと……。
母の心の中で生み出され、表の世界には殆ど出ることなく生きたアリアは、自分が人間だという確固たる自信が持てずにいたのかもしれない。
そして所詮は疑似人格でしかないのだと、自分を貶め続けていたのだ。
(ねえ、アリア。あなたは人間よ。あなたが自分を人間だと認めることができなくても、私が認めてあげる。――私の大切なアリア。私の守護者にして一番の親友。肉体を持たずに生まれてきたとしても、あなたは人間なのよ? 偽物だなんて、自分を貶めるようなことは言わないでちょうだい)
繋いでいた手にぎゅうっと力を込める。
アリアは、痛そうな顔で少しだけ微笑んだ。
(アリアは、コインの裏なんかじゃないわ)
かつてアリアは、私とアリアの関係をコインの裏表だと言った。
同じ魂を共有する、ふたつの人格だと……。
だがこの魂の中に、かつて肉体を持って生きていた前世や前々世、更にもっと前の人格も眠っているというのなら、コインに例えるのは間違いだ。面の数が全然足りてない。
(きっと私達のこの魂は、綺麗にカットされた宝石みたいなものなのよ)
この魂は綺麗にカットされた宝石。
そして私達、それぞれの人格が、カットされた宝石の小さな面のようなもの。
複雑に組み合わされた小さな面はそれぞれが光を弾き、キラキラと宝石を輝かせる。
『私達の存在を宝石に例えてくれるか……』
(違う?)
『いや。……アメリアは、それでいい』
アリアは穏やかな笑みをその顔に浮かべた。
『はじめてアメリアの声を聞いた時、ワタシの側には母や姉妹達の気配があった』
熱病に冒され死にかけていた幼い少女。
辛い、苦しい、誰か助けてと心の中で響く声にアリアは目覚めた。
『だが、母も姉妹達も目覚めなかった』
(アリアは優しいから、助けを求める私の声を無視できなかったのね)
『そうじゃない。……ワタシを目覚めさせたのは、ワタシ自身の後悔だ』
かつての人生で残された後悔が鋭い棘となり、本来ならば目覚めることのない深い眠りを妨げてしまったのだろうとアリアは言った。
読んでくださってありがとうございます。
年末の慌ただしさで更新遅れ気味になってます。
そして誤字訂正ありがとうございます。この機能なかなか便利ですね。




