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――実は私、転生者なんです。
フローリア様の告白に、まあ、やっぱりそうなのねと答えかけた私を、心の中のアリアが慌てて止めた。
『今は黙っていなさい』
(どうして?)
『まずは情報を得るほうが先だ。こちらの事情を明かすのは、その後でいい』
そういうことならばと、「そうだったの」と、とりあえず相づちをうってみたら、今度は溜め息をつかれてしまった。
(わざとらしいわね。なに?)
『転生者などという言葉の意味を、普通の人間は知らないと思うのだがな』
それもそうだったと焦ってしまったが、フローリア様は私の失言にまったく気づいていなかった。
「自分が転生者だと意識したのは、四歳の時でした。熱病にかかって死にかけていた時、急に転生者としての意識が浮上したんです」
滔々と語り続けるフローリア様に、アリアがまたわざとらしく溜め息をつく。
『アメリアと転生娘は、まさに類友だな』
(るいとも? どういう意味?)
聞くと、言葉の意味が頭の中に伝わってくる。
(……私、ディスられてるのね?)
『おお、素晴らしい。新しい知識をさっそく使ってみたか』
心の中から拍手まで聞こえてきた。
むっとした私は、アリアを無視して、フローリア様の告白に意識を向けた。
転生者として目覚めたフローリア様は、なんとか熱病を克服して生き残った。
だが、同時に同じ病で母親を亡くし、愛人として母親を囲っていた父親に引き取られることになる。
そこには、愛人の子であるフローリア様を憎む義母がいた。
「とても辛い日々でした。ろくに食事を与えられず、義母に慮る使用人達にまで虐げられて……」
辛い日々での唯一の楽しみは、転生前の記憶を思い出すことだった。
「たぶん前世の私は、幸せな子供だったのだと思います。家族と過ごした日々を思い出したり、友達と遊んだゲームの記憶を辿ったりして楽しんでいたのですが、その時に、ふと気づいたんです」
――フローリア・コール。
それは、前世の記憶の中で遊んでいた乙女ゲームのヒロインの名前だった。
うす桃色の髪とペリドットのような明るい若草色の瞳もヒロインと同じ。そして、今の境遇もヒロインの過去と同じだ。
ならばいずれ、乙女ゲームと同じことがこの世界でも起きる筈。
その時になって困らないようにと、フローリア様は乙女ゲームに関する記憶を全て紙に書き留めたのだそうだ。
「その後、私はおば様に引き取られて救われました」
「そして、無事に学園でアルフレード様と出会ったのね」
「はい」
フローリア様は幸せそうに微笑んで深く頷いた。
「ですが……私、すっかり忘れていたんです」
「なにを?」
「乙女ゲームのことをです。そして、自分が転生者だったこともすっかり忘れていたんです。……アルフレード様やアメリア様に学園で出会った時、なんとなく懐かしいような気持ちにはなったのですが、その理由までは思い出せませんでした。乙女ゲームのことも、夢の中のお話だと思っていたんです」
「ああ、そういえば、アルフレード様も、乙女ゲームはフローリア様の夢の話だとおっしゃっていましたね」
「はい。アルフレード様にその話をした時もまだはっきり思い出してはいなかったんです。ですが、いきなりアメリア様が領地に戻られてしまった後から、なんだか無性に不安に襲われるようになって……」
なにか、自分はとても肝心なことを忘れているような気がしたのだと、フローリア様は言った。
それがなにかはっきりとは分からない。だがアメリアの不在が、その不安の引き金になったことだけは確かだった。このままアメリアが戻らなければ、なにか恐ろしいことが起きるような予感もした。
そんな中、アルフレード様との婚約が整ったフローリア様は、王城に部屋を賜って引っ越しをすることになる。
そして、その時に見つけてしまったのだ。
「子供の頃に書き留めた、乙女ゲームの記録を見つけたんです」
その紙の束を見つけると同時に、自分が転生者であったことも思い出したのだそうだ。
だが、思い出したのはそれだけで、肝心の転生前の記憶はどうしても思い出せない。
「乙女ゲームの内容だけではなく、かつて生まれ変わる前の自分がどんな人生を歩んだのかも覚えていません。確かに子供の頃には覚えていたはずなのですが……」
義母の元で暮らした辛い日々の中では、転生前の記憶が生きる為の心の拠り所だった。
だが、親戚のおば様に救われて幸せに暮らすようになってからは、徐々に思い出さなくなって、いつのまにか忘れてしまっていた。
『では、お菓子のレシピは? あれは転生前の知識だろう』
心の中のアリアが、転生娘に聞けと私をせっつく。
「フローリア様は変わったお菓子をいくつも考案されていましたが、あれも転生前の記憶なのですか?」
「あ、そうです! あれも確かにそうでした。……おば様を喜ばせたくて、子供の頃からずっと作ってきたから、他の記憶とは違って忘れずにいたんですね」
唐突過ぎる質問だったが、フローリア様は特に不思議がらずに答えてくれた。
「それで、乙女ゲームの記録には、なんと書いてあったのですか?」
とりあえず今は、それさえ分かれば、フローリア様の不安を解消する糸口を見つけることができるのではと思って聞いてみたのだが、フローリア様は首を横に振った。
「それが、私には読めないのです」
「え、でも、フローリア様がお書きになったのですよね?」
「はい。ですが、あれを書いた私は、転生前の記憶がある私だったのです」
当時のフローリア様は、五歳か六歳ぐらい。
虐げてくる義母の管理下では文字を習うことなどできなかったから、その紙に記してある文字は、転生者としてのフローリア様が覚えていた言語を使って書き記したものだった。
「ですから、転生者としての記憶を失ってしまった今の私には、肝心の記録がどうしても読めないのです」
「……まあ」
(そういうことって、あるものなの?)
『ないとは言い切れない。ワタシ達の世界にも自分が転生者だという子供が現れることがあったのだ。だが、大人になるにつれ転生前の明確な記憶は失われていったようだ。そんな記録を読んだことがある』
ほんの幼い日に読み聞かせられた童話の内容を大人になるにつれ自然に忘れてしまうように、残滓のように残っていた前世の記憶も、今世の記憶に徐々に押し出されるようにして遠い過去のものとなり失われてしまうのかもしれないと、アリアは推測する。
『ワタシとアメリアは、こうして分かたれていることで記憶を共有はしていない。そのお蔭でワタシの記憶は無事保たれている』
(そうね)
『……鈍いな。ワタシには記憶があるのだぞ。当然、乙女ゲームの記録を書き記した言語も読めるはずだ』
「あ、そうよね! その手があったんだわ」
思わず現実で声を上げ、パンと手を叩いた私を、フローリア様がキョトンとした顔で見ている。
『アーメーリーアー』
(……ご、ごめんなさい)
『まあ、いい。ちょうどいい頃合だ。転生娘に、ワタシの存在を伝えなさい』
(わかったわ)
不思議そうに首を傾げて私を見つめていたフローリア様に、私は気を取り直して向き直った。
「フローリア様。実は私も転生者なんですよ。ただし、フローリア様とは少し違う形なのですが……」
私は、フローリア様に今までのことを話した。
フローリア様とほぼ同時期に熱病にかかったこと。
そして、心の中に『アリア』という、もうひとりの自分を得たことを……。
「まあ、ではアメリア様の心の中には、もうひとり他の方がいらっしゃるのね」
『中に他の人などいない。ワタシはアメリアのコインの裏。あくまでも分身体なのだ』
心の中から、憮然としたアリアの声が聞こえた。




