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「王族が臣下に対し、そのように頭を下げてはなりません」
私は慌ててアルフレード様の前に跪き、身を低くした。
「相変わらずだな。君は私に甘すぎる。謝罪もさせてもらえないとは……」
アルフレード様から差し伸べられた手を取り、再び立ち上がる。
「謝罪を受ける理由がありませんもの」
「あるだろう。私の婚約内定者となることで君が負った損失が……。――私は愚かにも、そのことにまったく気が付いていなかった」
かつて私は、帝国の間者達を引きつける為に自らが囮となり、その結果、王都を脱出せざるを得なくなった(……事実は違うのだが)。
その報告を聞かされたアルフレード様は、同時に国王陛下からこう言われたのだそうだ。
――そなたはアメリアの献身と犠牲に報いる為にも、良き王とならねばならぬ。
「献身はわかる。だが、なぜ父上が『犠牲』と言われたのかが、その時の私にはわからなかった」
その意味を知ったのは、その後、社交の場に何度か出た後。
――王妃になりそこねた女。殿下に選ばれなかった女。婚約を破棄されて既に瑕疵が付いた身ゆえ、安く手に入れられるやもしれぬ。
口さがない貴族達が私の事を悪し様に噂するのを偶然耳にして、愕然としたのだそうだ。
そして婚約内定を取り消されたせいで、私の価値が損なわれたことに初めて気づかされた。
「それだけではなく、婚約内定者という地位が其方に強いていた犠牲についても、まるで理解していなかった」
アルフレード様自身は自由意志での婚姻を望み、フローリア様との恋愛を楽しんでいたというのに、私にはその自由はなかった。
本来ならば婚約者がいて当たり前の年齢に達していたのに、婚約内定者という地位のせいで孤独で有り続けた。
「どうか、お気になさらないで。私が自らの意志で選んだ道です。全て覚悟の上でのことですから……」
「だが、それでは私の気が済まぬ」
アルフレード様は苦しそうに顔を歪めた。
こんな顔をさせたくて、協力してきた訳ではないと言うのに……。
「ならば、国王陛下がおっしゃったように、どうか良き王におなりください。私は遠き地より、アルフレード様の御代が輝かしいものであることを祈っておりますから」
「そうだ。それも聞かねばならぬと思っていた。――君とオズヴァルド殿が婚約したと父上から聞かされた。これは本当に君の望んだことか? もしや望まぬことなら……」
「いいえ! これは私の望みです」
不敬と思いつつも、私は慌ててアルフレード様の言葉を遮った。
「私は、ずっと……その……オズヴァルド様を密かにお慕いしていたのです。ですから、この度の婚姻の申し出には心から感謝しております」
「そうだったのか……。よかった」
アルフレード様は心から安堵なされたようだ。
「ならば、この一年、その想いを隠し続けるのは辛かったのではないか?」
「もう忘れました。私達は、こうしてふたりとも真に愛する方と結ばれることができるのですもの。過ぎ去った日々を悔やむより、これからの幸せに思いを向けましょう」
「そうか……そうだな。ありがとう、アメリア。――良き王となるよう生涯この力を尽くし続けることを、君の献身と友情に誓おう」
その後、やはり立太子の儀に向けてお忙しかったようで、アルフレード様は慌ただしく部屋を出て行かれた。
「あの……アメリア様、私からも……」
「謝罪したら怒りますよ?」
アルフレード様が出て行った後、おずおずとフローリア様が言い出した言葉を、私は遮った。
「私達、お友達でしょう?」
「……はい」
「謝罪より、婚約が決まったことを祝福してくださいな」
「あ、そうでした。――ご婚約、おめでとうございます!」
「ありがとうございます。国は離れてしまうけれど、これまで同様お友達でいてくださいね」
「もちろんです。沢山手紙を書きますね」
「はい。私も」
微笑みあった私達は、ほぼ同時に互いの手首に目をやった。
そこにはお揃いのブレスレットが輝いている。
「アルフレード様とこのブレスレットを作る相談をしていた時に、オズヴァルド様が自分も混ぜろと無理矢理割り込んできた時は、実はちょっとだけ不躾な方だと思ってしまったんですが……」
「まあ、そうでしたの?」
「あ、ちょっとだけですよ。でも、今になってみると納得です。オズヴァルド様はアメリア様をお慕いしていたからこそ、お揃いのブレスレットを欲しがったのですね」
「……そうなのかもしれませんね」
そうなのですと肯定して幸せに酔いしれたいところだが、生憎とまだオズヴァルド様に事実を確認できていない。残念ながら曖昧に微笑むことしかできなかった。
これも、事実確認に厳しいアリアの薫陶の賜か。
『ディスられているような気がする』
(でぃす?)
聞き返すと、ディスるという言葉の意味が頭の中に流れ込んでくる。
(まあ、うふふ。そんなわけないでしょう)
ええ、本当に。ここに来るまでの馬車の中、長々と説教じみた注意を聞かされたことを根に持っているわけではない。決して。
『まあ、いい。……楽しそうでなによりだ』
(……ありがとう)
本当に、今こうしていられることがとても楽しい。
自分でも驚く程に、心は軽やかだ。
――君には本当にすまないことをした。
アルフレード様の謝罪を耳にした瞬間、感じたのは喜びだった。
もちろん、謝って欲しいと思っていたわけじゃない。
ただ、アルフレード様が真実の恋に巡り会うまでの間、私がどれだけの努力と犠牲を重ねてきたのかを知っていて欲しかったのだと思う。
この五年あまりの月日が報われたことが、本当に嬉しかったのだ。
(納得していたつもりだったのに……違ったのね)
『仕方のないことだ。戻ることのできないこの道を選んだ時、アメリアはまだ子供だった。むしろ、今まで投げ出さずに歩き通した自分を誉めてあげなさい』
(ありがとう、アリア)
知らずに背負っていた心の重荷が消えた私はご機嫌だったが、フローリア様は違ったようだ。
その愛らしい顔に浮かんだ微笑みが、じょじょに翳っていく。
「フローリア様?」
「……私達、幸せになれるんですよね?」
「もちろんですとも。私も貴方も心からお慕いする方に嫁ぐことができるのですから。王家に嫁ぐ苦労はあるでしょうが、王妃様はお優しい方ですし、きっとアルフレード様も助けてくださいますよ」
「そうですよね。……そうなんですけど……」
笑顔を完全に消したフローリア様は思い詰めた顔をして言った。
「人払いをお願いしてもいいですか?」
「え、今以上にですか?」
既に一度、アルフレード様が人払いをしている。
今この部屋にいるのは私の侍女であるエリスと、王城で新たにつけられただろうフローリア様の侍女だけだ。しかもその侍女は、子供の頃からアルフレード様の側に仕えて居た女性で、私とも面識がある。
彼女達ならば、なにを聞いても口を閉ざしていてくれるだろうと思うのだが。
「お願いします。アメリア様だけにお話したいことがあるんです」
酷く思い詰めた顔をしたフローリア様は譲らなかった。
仕方なく、エリス達には護衛達が待っている控えの部屋に移動してもらった。
もちろん、なにがあってもすぐに対応できるよう、皆を呼び寄せることができる呼び鈴を手元に用意することも忘れない。
(これでいいのよね?)
『次善の策だが、仕方あるまい』
ふたりきりになった部屋で、フローリア様はしばし躊躇った後に、意を決したように口を開いた。
「アメリア様、実は私、転生者なんです」




