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「知らないわ。ごめんなさい。不勉強だったわね」
あまりにもラルコが驚いているので、常識として知っておくべきだったのだろうかと不安になってしまった。
「あ、いえ。私もそちらの求婚の作法は存じ上げなかったので当然かと……。――ああ、でも、ご存じなかったとは……。となると……」
ラルコは、ひとりでなにやら深刻に悩み出した。
もしかしたら、とか、そういえばあの時……などとぶつぶつ呟き、最後にはとうとう頭を抱えてうなだれてしまった。
どうしたのかしらとしばらく黙って眺めていたが、なかなか復活しない。
と思っていたら、ガバッと顔を上げた。
「アメリア様、聞いて欲しい話があるのですが」
「どうぞ。なにかしら?」
「実はですね……」
と、肝心の用件を言おうとしたところで、馬車がゆっくりと停まった。
どうやら王都の屋敷の門前に到着したようだった。
「うわっ、もうお屋敷に着いちゃったんだ」
ラルコはアワアワと狼狽えて、私と窓の外にいるオズヴァルド様を交互に見ている。
そして「すみません。失礼します」と、停車していた馬車から転げ落ちるように降りて、オズヴァルド様の元へと駆けて行ってしまった。
「まあ、なんだったのかしら」
その慌てた様子がおかしくて、私はエリス達と目配せしあって微笑みあった。
門が開き、再び走り始めた馬車はゆったりと前庭を走り抜け、やがて屋敷の前で停まった。
大きな扉の前には、王都にいる家族がみな揃っていて私を待っていてくれている。
エリスの手を借りて馬車から降りた私の元に、真っ先に駆け寄ってきたのは弟のダージルだ。
「お帰りなさい、姉上! お身体の具合はいかがですか? 毒を受けたと聞いて、ずっと心配していたんです」
「もうなんともないわ。ありがとう。ダージル」
「それならよかった。――父上! 姉上はお元気だそうですよ!」
くるんと振り返ったダージルが、お父様に笑顔で告げた。
「あら、ダージル。お父様と仲直りできたの?」
「はい。姉上からのお手紙を読んだ後、助言通りに父上のお時間をいただいてゆっくりお話してみました。それで、父上がどんなに姉上のことを想ってくださっているのかよく分かりました。僕がまだまだ考えが至らない子供だってことも……。誇りあるローダンデール一族の者として、もっと勉強しなければなりません」
「まあ、素晴らしいわ」
まだ柔らかな頬をきりっと引き締めたダージルは、以前会ったときより少しだけ大人になったようだ。
ダージルは私と同じ黒髪に紫の瞳だが、顔立ちはお祖母様に似て垂れ目がちでとても愛らしい。小さな手で私の手を取り、屋敷の前で待つ家族の元へと大人びた仕草でエスコートしてくれる。
「お父様とは、どんな話をしたの?」
「主に姉上の縁談についてです」
「私の縁談?」
「はい」
それは初耳だ。
私が知らない間に、縁談が持ち上がっていたとは……。
政略結婚を良しとしない家柄だけに、縁談の相手は利害関係のない親族の誰かだろうか。二度目の恋も破れてしまった今、お父様が勧める縁談に否やを唱えるつもりはないが、できることなら領地内に嫁ぎたい。
「ご一緒に戻っていらっしゃったのですから、うまくいったんですよね? 遠い異国に嫁がれるのは寂しいですが、それで姉上が幸せになれるのなら我慢します」
「遠い異国って……。私はどこに嫁ぐことになったのですか?」
「え? あの……ご存じないのですか? え、でも……あれぇ?」
話が見えない。
私とダージルは見つめ合って首を傾げた。
「父上、姉上は縁談のことをご存じないようです。どうなっているんでしょう?」
「知らない? そうか。なるほど」
家族の元に辿り着くと、私の帰還の挨拶を遮って、ダージルが真っ先にお父様に報告する。
それを聞いたお父様は、にんまりと、それはそれは嬉しそうに笑った。
「父上が笑った! 笑いましたよ。姉上!」
「そうね。あそこまでの笑顔は私もはじめて見たわ」
「アメリア、お帰り。――ちょっと、こっちにおいで」
こそこそと語り合っていた私とダージルに、お母様と並んで立っているルーファスお兄様が手招きした。
「お兄様、お母様、ただいま戻りました」
「お帰りなさい。アメリア。本当に縁談の話を聞いていなかったの?」
「ええ。なにも……。どうなっているんでしょう」
「困ったことになったのは確かだね」
ルーファスお兄様が苦笑する。
その視線の先には、私達とすれ違うようにして前に出て行ったお父様がいて、馬から降りたオズヴァルド様にご挨拶していた。
「我が愛娘を無事に連れ帰ってくださったこと、心から感謝いたします。ですが出発前の誓約は残念ながら果たされなかったようです。今後、我が愛娘に関わるのは遠慮していただきたい」
「ローダンデール侯爵、お待ちください。どうか、今一度アメリア殿と話をさせて欲しい」
「私は既に一度あなたの願いを聞き入れた。二度目はありません」
お父様は笑顔のまま、オズヴァルド様の願いを冷たく切り捨てる。
断られたオズヴァルド様は、ふと痛いぐらいに真剣な眼差しを私に向けた。
そして再びお父様に向き直り、何事かを必死で訴えはじめる。
私にはなにが起きているのか分からなかったが、オズヴァルド様の必死の訴えに少しでも助力できればと歩み寄ろうとして、ルーファスお兄様に止められた。
「今は行かないほうがいい」
「いったい、なにが起きているんですか?」
「簡単に言ってしまえば、オズヴァルド殿下が求婚に失敗なさったんだ」
「え? 求婚?」
誰に? と聞きかけて、さすがに口を閉ざした。
この状況で、誰にと聞いてしまうのは、私は愚か者ですと公言するようなものだ。
つい先程、ダージルが私に縁談があると言ったばかりなのだから……。
「……オズヴァルド様から求婚されていたなんて、まったく知りませんでした」
知っていたら、なにを置いても喜んで応じたのに。
「本当に知らなかったようだね。……おかしいなぁ。わざわざ、求婚する為に領地まで行ったはずなのに」
「護衛の為だけではなかったのですね」
「そうだよ。王都の屋敷に戻るまでにアメリアが求婚を受け入れたら結婚を認める。駄目だった場合は、潔く諦めて国に帰るって約束だったんだ」
「そ、それなら今からでも」
「今からでは遅すぎるよ。アメリアはもう屋敷に帰ってきてしまったからね。そもそも、父上はこの縁談に反対なさってたんだ。オズヴァルド殿下のこの失敗を見逃してくれるわけがない」
「そんな……」
私が知らぬままに縁談が進み、知らぬ間に破談になってしまったとは……。
オズヴァルド様は、オールモンドで花嫁を見つけたと本国に報告したと言っていたが、それも私のことだったのだろうか?
『間違いなくそうだろう』
(まあ、うれしい。あ……でも……)
喜びから一瞬にして頬が熱くなったが、すぐに、すうっと冷めた。
『父上殿が反対しているのが厄介だな』
理由は分からないが、オズヴァルド様は私に直接求婚してくださらなかった。
お父様に、今一度と食い下がっているのだから、求婚してくださるつもりはあるのだろう。
だが、オズヴァルド様に、お父様のあの鉄壁の意志を曲げることが可能だろうか?
『無理だ。末っ子王子では、父上殿に太刀打ちできない』
私にとって最高の助言者であるアリアが、きっぱり断言する。
それを聞いた途端、目の前が真っ暗になった私は、その場に倒れてしまった。




