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あの日、こみ上げてくる恐怖と戦いながら、たったひとりで脱出した王都の北門を、今日は沢山の護衛達の騎馬に守られ、王家の豪奢な馬車に乗ったままでゆったりとくぐり抜けた。
「王都はもう初夏の装いね」
馬車のカーテンの隙間から眺める久しぶりの王都の街並みは、活気に満ち賑やかで、私は午後の眩しい日差しに目を細めた。
王都への十日間の馬車の旅は、実に穏やかなものだった。
護衛達は襲撃者を警戒していたが、幸いにも徒労に終わった。
オズヴァルド様が借りてきた、オールモンド王家の紋章が入った馬車を襲うような目立つ真似は出来なかったのだろうとは、護衛隊長の考えだ。
念のためにと、ダニエル兄様も途中まで護衛として付いてきてくれた。
ダニエル兄様とオズヴァルド様は剣を使う者同士意気投合したようで、休憩する度に手合わせをして楽しそうにしておられた。
意外と言ったら失礼かもしれないが、剣の腕はオズヴァルド様の方がダニエル兄様より遙かに上だったようだ。
「キールハラルの騎士達が五人がかりで倒す砂竜を、王子はひとりで倒されますからね」
驚く私に、オズヴァルド様の従者のラルコは得意気に胸を張ったものだ。
「これだけの剣の腕を持つ護衛がいるのなら、俺がこれ以上ついていく必要もなさそうだな」
オズヴァルド様の剣の腕に安心したのか、ダニエル兄様は予定より手前の宿場町で領地に戻っていった。
別れ際、ダニエル兄様から「幸せになれ」と、子供の頃みたいに頭をぐりぐり撫でられた。
どうせすぐに私も領地に戻るのに大袈裟だと照れ臭かったが、無骨な手の感触が懐かしく嬉しくもあった。
ダニエル兄様が領地に帰った後、オズヴァルド様は馬車には乗らず、ずっと騎馬で私が乗る馬車を護衛してくださった。
私としては一緒に馬車に乗ってゆっくりお話したかったのだが、どうやらダニエル兄様にそうするようにと頼まれていたようだ。
それならばと私も騎馬に変更しようとしたのだが、それは侍女のエリスとアビーに止められた。
「いま日焼けしてしまったら、さすがにもう取り返しがつきません。私達も先輩侍女達から叱られてしまいます」
王都から領地への強行軍で、私はそれはもうしっかり日焼けしてしまい、ヴィロス城の侍女達を嘆かせていたのだ。
ヴィロス城に滞在している間、侍女達から毎晩のように美白に効くと言われているパックやマッサージをしてもらって、やっとお化粧で誤魔化せる程度まで収まったところだ。確かに、いま日焼けしたら、立太子の儀までに元に戻すのは不可能だろう。
私は仕方なく、騎馬ですぐ側を颯爽と走るオズヴァルド様のお姿を、馬車の窓から眺めるだけで我慢することにした。
この旅の間、常に侍女や護衛達が側にいて周囲を警戒していたので、オズヴァルド様とふたりきりで過ごす時間は得られなかった。
少し残念だが、これで良かったのかもしれない。
オズヴァルド様には、花嫁にしたいと望むお方がいるのだ。
私はオズヴァルド様の友人として、節度在る距離感を保つべきなのだろう。
「オズヴァルド様ったら、王都の民に手を振っていらっしゃるわ」
騎馬に乗るキールハラルの民の姿はやはりどこでも目立つようだ。ちょうど繁華街に差し掛かったところで、沿道の民がそのお姿を見つけて歓声をあげて手を振っている。
私は、笑顔で手を振り返すオズヴァルド様の横顔を馬車の窓から眺めた。
「オズヴァルド様も沿道の民も楽しそうだけれど、危険はないのかしら?」
「大丈夫ですよ。うちの王子は勘も鋭くお強いですからね」
キールハラルの方々の中で、ひとりだけちゃっかり馬車に乗っているラルコが得意気に言う。
馬車にはエリスとアビーも同乗していて、長い道中、三人で私の話し相手になってくれていた。
「アビー。そろそろ仕舞ったほうがいいと思うわ」
「あ、はい」
アビーは、この旅の間、ずっと一心不乱にヤスリで磨いていた青の瑪瑙を慌てて革袋にしまった。
「綺麗な色の瑪瑙ですね。アクセサリーに加工するんですか?」
「いえ。あの……これは、結婚の贈り物にする予定なんです」
ラルコの問いに、アビーが頬を染める。
「結婚というと、アビーさんご本人の?」
「は、はい。あの……でも、まだ予定で……どうなるかわからないんですけど」
「アビー、大丈夫よ。トロン兄様は絶対に貴方を待っているから」
これは私もこの馬車の旅の間に聞かされた話なのだが、トロン兄様とアビーの結婚を、お父様が条件付きで認めてくださっていたようだ。
そして、その立役者は、なんとダニエル兄様だった。
私が毒を受けたという報告をギャレット叔父様がお父様に送った際、ダニエル兄様もお父様に手紙を送っていたのだ。
その手紙で、トロン兄様とアビーが互いに想い合っていることをお父様に知らせ、そしてこの事件でアビーを失うようなことになれば、ローダンデール領は優秀な文官の忠誠心を失うことになるかもしれないと警告したらしい。
驚いたことに、お父様はこの警告をすんなり聞き入れ、その上でアビーの一年間の王都行きを決定なさったのだとか。
これもはじめて知ったことだが、ダニエル兄様の人物を見る目(鑑定眼とでも言えばいいのだろうか)を、お父様はかねてより高く買っていたようだ。
だからこそ、アビーは騙されただけで悪意はなく、なおかつトロン兄様への想いが本物であるとダニエル兄様が保証するのならば、特別に認めてやろうとおっしゃってくれたのだ。
王都に居る一年の間、アビーは侍女としての再教育だけではなく、領主一族にお嫁入りする為の勉強もすることになる。
アビーへの一番の罰は、その一年の間、どんなに不安になってもトロン兄様に連絡を取ってはならないというものだった。
一年間なんの連絡も取らずに離れて暮らしてもなお、お互いの気持ちが変わらなければ、正式に結婚の許しを与えられるのだ。
ダニエル兄さま経由で、お父様からのそんな決定を聞かされたトロン兄様は、兼ねてから密かに用意していた求婚の石をさっそくアビーに贈っていた。
「そのネックレスの瑪瑙が求婚の石なのですか?」
「そうです。水晶湖の恵みを受けて生きる民は、みな自分の手で石を磨き上げ、水晶湖の水で綺麗に清めてからアクセサリーに加工して愛する人に贈るのです」
トロン兄様がアビーに贈ったのはオレンジ色の瑪瑙のネックレスだ。
アビーは、胸から下げたネックレスに愛おしげに触れた。
「求婚を受けた女は、やはり自分の手で石を磨き、水晶湖の水で清めてからアクセサリーに加工して、夫になる人への結婚の贈り物にするの。――アビー、その青い瑪瑙、きっとトロン兄様によく似合うわ」
「ありがとう」
「国によって、求婚の作法も様々なのですねえ」
「あら、これは水晶湖の近くに住む者に特有の求婚の作法なのよ。オールモンドはキールハラルと違って国教を持たないから、地域ごとに風習や習慣が違うの」
「そうでしたか……。綺麗な石を求婚に使うところは、キールハラルと同じですね」
「あら、そうなの? 是非、キールハラルの求婚の作法を教えてくださいな」
「えっ!? まさか、アメリア様、ご存じじゃないと?」
興味を惹かれた私が聞くと、ラルコは何故か酷く驚いた顔になった。




