15
ふと気がつくと、私は乳白色の空間にいた。
ミルクのように濃厚な乳白色に遮られて自分の手すら見えない……のかと思ったのだが、違ったようだ。
私が自分の手を意識した途端、じわりと乳白色の空間に手の形が滲み出てくる。
それならばと、強く自分の身体を意識したら、滲み出ていた手に繋がるように身体もじわりと滲み出てきた。
やがて、しっかりとした人間の形を取り戻した私は、自分の姿に小首を傾げた。
(どうして私、正装しているのかしら?)
なんだか物凄く場違いだ。
肘まであるレースの手袋に、絞ったウエストからふわりと広がるスカート部分のドレープが美しい、ブルーの華やかなドレス。
ティアラを飾った髪は結い上げずにゆったりと背中に流していて、ウェーブの掛かった髪のあちらこちらに、花をかたどったサファイアの小さな飾りを編み込んでいた。
初々しくてとてもいいと皆に誉めていただいた懐かしい装い。
(ああ、そうね。……これは、オズヴァルド様にはじめて会った日に着ていたドレスだわ)
――なんと美しい。その艶やかな黒髪と鮮やかな紫の瞳は、まるでこの世に顕現した夜の女神のようだ。
そんな風に、オズヴァルド様から誉めていただいた思い出深い姿。
思い出の中のオズヴァルド様がすぐ側にいらっしゃるようで、なんだか心強い。
よし、と私は両手を握って顔を上げた。
オズヴァルド様に誉めていただけた私のままで居るために、夜の女神のように、誇り高くあらねばならない。
戸惑ってばかりいないで、現状を把握しなければ。
(これは、きっと夢じゃない)
夢を見ているときとは違って、意識が生々しくしっかりしている。
きっとここは、ワタシに関係した場所。
私の心の中なのではないだろうか?
(ねえワタシ、いるんでしょう? どこにいるの?)
私がワタシを意識した途端、ワタシとの間に線のようなものが繋がったのが分かった。
と、同時に、ワタシの思考が一気に私の中に流れ込んでくる。
『毒ならば、組成さえ分かれば中和出来るはずだ』
いつもはワタシが意識した言葉しか伝わって来ないのに、この時はワタシの思考全てが私の中に流れ込んできていた。
様々な毒の成分、それをもたらす植物や鉱物、そしてそれらを現す数式らしき文字の羅列。
同時に、その毒を中和する薬剤の構成物質を現す数式らしきものも滝のように私の中に流れ込んでくる。
ワタシの思考は、私のそれに比べると倍以上の早さだった。
思考の流れもひとつではなく、平行していくつかの物事を同時に考えているようで、とてもではないが把握しきれるものじゃない。
というか、伝わってくる植物も鉱物も私の知らないものばかりだったし、数式なんだろうなと辛うじて分かる文字の羅列も、まるで見たことのないものばかりだ。
きっとこれは、ワタシがかつて生きていた世界の文字や記号なのだろう。
ただ覗き見ているだけで、ワタシが翻訳してくれていない状態では、その概念すら私には伝わってこない。
『駄目だ駄目だ。いくら考えても手遅れだ。この世界には解毒に必要な薬効を抽出する植物も、調剤に必要な薬剤も器具もない。ワタシは、アメリアの助けにはならない』
――ワタシはまた助けられない。
悲痛な叫びが乳白色の空間に広がっていく。
悲しい、悔しい、切ない。
ワタシの嘆く声が全身にまとわりつく。
とてもじゃないが、私には耐えられなかった。
(落ち着いてっ!! 私は大丈夫だって言ってるでしょう!!)
――それ以上、悲しまないで。お願い、泣かないで!
ワタシに負けじとばかりに、祈るように両手を組んで心の中で叫ぶ。
その行為が功を奏したのか、やっとワタシは私の存在に気づいてくれたようだった。
『そこに居るのはアメリアか? なぜ、ここに?』
(知らないわ。ここは私の心の中なの?)
『そうだ。……ああ、そうか。まさに今、現実のアメリアは死にかけて居るんだな』
(もうっ! 勝手に殺さないでっ!!)
再び深い嘆きに我を忘れそうになっているワタシに、私は思いっきり叫んだ。
(ワタシは、毒だったってことだけで混乱して、ちゃんと聞いてなかったみたいだけど、トロン兄様はあの時、毒は毒でも命を奪うような毒じゃないって言ったのよ)
『それは本当かっ!?』
(本当よ。私も、ワタシの混乱に巻き込まれて気を失ってしまったから最後まで聞けなかったけど、でも私はあの毒で死んだりしない。だから、落ち着いて……。そんなに悲しまないで……。私まで泣きたくなっちゃうわ)
『……すまない。ああ、そうか。よかった。アメリアは無事なんだな』
乳白色の空間に満ちていた悲しみがすうっと消え去る。
と同時に、流れ込んできていたワタシの思考がピタリと止まった。
(よかった。やっと正気に返ってくれたみたいね。――ねえ、ここでなら、ワタシも姿を現せるんじゃないの?)
出てきてよ、と私が頼むと、目の前の空間がゆらりと揺らぎ、白い影のような人型が浮き出てきた。
(もう、こんなんじゃなく、ちゃんと顔を見せてちょうだい)
『すまない。ワタシには固有の姿はないから、これで精一杯なんだ』
(固有の姿がない?)
そんなこと有り得るのだろうか?




