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トロンは、ズカズカと部屋に入ってきて問題の瓶を手に取り匂いを嗅いだ。
「……ジャムにしては有り得ない匂いだね。――アビー、毒味は?」
「え? あ……それを買ったときに、別の瓶のジャムを試食させて貰いました」
「君が買ったのか?」
「はい。キールハラルのジャムだって聞いて……。山でお嬢さまが楽しそうにキールハラルの話をしてらっしゃったし、珍しいと思って……」
アビーはふらふらとトロンに近づいて、その手に持っているジャムの匂いを嗅いだ。
「うそ……。試食したときは、こ、こんな変な匂いなんてしませんでした」
「兄さんは食べた?」
狼狽えるアビーの背を宥めるように軽く叩きながら、トロンが聞く。
「ああ、スプーン一杯食ったが、今のところなんともないぞ。アメリアはどうだ?」
「私も特には……」
私は乱れつつある鼓動に胸を押さえながら、首を横に振る。
脳筋ダニエルは直感の人だ。
キノコ取りに行ったときだって、どんなに紛らわしくても毒キノコに手を出したことがない。本人いわく、見ただけでなんとなく嫌な感じがするのだそうだ。
だから、今回もきっと大丈夫。
似た色の違う種類のジャムが紛れ込んでいただけだ。
私はそう思って安心していたのだが、ワタシは違うらしい。
明らかに動揺しているようで、その感情が私に伝わり、ドクンドクンと不自然なほどに鼓動が速くなり、じわりと背中に汗が滲んでくる。
「そうか。念のため、二人とも胃を綺麗に洗っておいて。僕は先生達にジャムを見て貰ってくる。――アビーは使用人達の控え室にいて。君の安全の為にも、絶対にひとりにはならないように。いいね?」
「は、はい」
ジャムの瓶を手に、トロンが応接室から飛び出して行く。
ダニエルもいつも通りマイペースに部屋を出て行った。
たぶん、胃を綺麗に洗いにいったのだろう。
でも胃を綺麗に洗うって、どうすればいいの?
困惑して小首を傾げ、手で頬を押さえていると、ふらりとアビーが近づいて来た。
「アメリア様……私……」
「ああ、アビー。大丈夫よ。ダニエルも言っていたでしょ? 本当になんともないのよ」
「でも、私がちゃんと毒味していれば……。あんなおまじないなんて……信じなきゃよかった」
「おまじない?」
なあに、それ? と問うより先に、たぶんトロンが呼んでくれたのだろう年かさの侍女達が、血相を変えて大挙して応接室に侵入してきた。
「お嬢さま! 今すぐ胃を洗いますよ!」
「え、でも」
どうやって、と問う間もなく、侍女達にがっしりと両腕を取られ、背中を押されて、浴室に連れ込まれ……。
その後、私は身をもって胃の洗い方を学ばせていただいた。
乙女の自尊心が傷つくので、これ以上のことを語る気はない。
こんな目に遭うのは二度とごめんだと思ったことだけはつけ加えておく。
◇ ◆ ◇
胃を洗い終えてぐったりした私は、着せ替え人形のように侍女任せで服を着替えさせてもらってから、侍女に手を引かれるままさっきとは違う応接室に向かった。
「アメリア、大丈夫か? どこか具合の悪いところはないか?」
「大丈夫よ。ちょっと色々と疲れただけで……。ダニエル兄様こそ、大丈夫?」
「もちろんだ。今すぐ鍛錬に戻れるぐらいだぞ」
やる気満々のダニエルを見て、私はそっと心の中に話しかけた。
(ほらね。大丈夫でしょう? そんなに心配しないで……)
鼓動の乱れは収まっていたが、得体のしれない不安感は依然として胸の中にある。
ワタシの感情が伝わってきているのが分かるので、さっきから何度も話しかけているのだが、ワタシは黙したままなにも語ろうとしない。
私が毒を口にしたかもしれないということが、いつも冷静なワタシをこれほどまでに動揺させてしまうとは思ってもみなかった。
私が死ねばワタシも同時に死ぬことになるのだから、動揺してもおかしくないのかもしれない。だが、この異常なまでの動揺ぶりには、なにかそれ以外の理由もあるのではないかとつい色々と勘ぐってしまう。
ワタシには私の考えていることが筒抜けの筈なのに、私がなにを考えていても、まったく反応してくれない。
一方通行なんて寂しい。
こっそりと溜め息をついたところに、トロンが男性をふたり伴って戻ってきた。
ひとりはいつものお医者様で、もうひとりは引退した二代前のお医者様でかなりの高齢のお爺さんだ。
「二人とも異常は?」
「ないぞ」
「大丈夫よ」
「そうか。――時間が惜しいから結論から先に言うと、やはりさっきのジャムには毒が混入していた。その毒は……」
トロンが毒に関する説明をいつもより幾分速い口調で話し続けていたが、私にはそれをじっくり聞いている余裕はなかった。
『―――――!!』
突然、心の内側から悲痛な叫び声が聞こえた。
それは、声にならない叫び。
哀切、後悔、自責、否定、慚愧。
ありとあらゆる悲しみに満ちた感情が、心の中に満ちていく。
(落ち着いてっ、ワタシ! お願い!)
心の苦痛が鼓動を乱れさせ、呼吸まで阻害する。
私は、心の中に吹き荒れる悲痛な叫びに耐えきれず、そのまま意識を手放していた。




