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あらかた料理がなくなったところで、簡単に後片づけをしてから男性陣とは別の天幕に入った。
湧かした湯で身体を拭き、寝るための服に着替えてから、女だけの二次会のはじまりだ。
春とはいえ、山の上だけに夜は冷える。
私達は毛布にくるまって火鉢を囲み、ハチミツを垂らした温かなハーブティーと火鉢で軽く炙ったナッツやドライフルーツをつまみながら、たわいのない会話を楽しんだ。
「エリス、潰れちゃって残念ね」
「ちょーっと飲ませ過ぎちゃったかな」
「いいのよ。こんな時ぐらい、エリスにも羽目を外して欲しいもの」
ワインをたっぷり飲んだ後で、剣の稽古で身体を動かしたのが利いたのだろう。エリスは、早々にダウンして寝袋の中だ。
「それより、ふたりに食べて欲しいものがあるのよ」
私は、アビーとジューンの目の前に城の料理長が焼いてくれたシフォンケーキを差し出した。
「あ、これ知ってる! お城で見たわ。確か、シフォンケーキっていうのよね?」
「えー、これでケーキなの? なんの飾りつけもしてないのに」
「ケーキなのよ。本当は小さくカットしたものにジャムやクリームを乗せてフォークで頂くんだけど、今日は気楽に手でむしって食べちゃいましょう」
小さく切ったシフォンケーキをフォークでちまちま食べる度に、一度もナイフを入れていない大きなままのシフォンケーキを、手で好きなだけむしって思う存分食べてみたい欲求に駆られていたのだ。気の置けない友達しかいないここでなら、それも可能だ。
私は率先してシフォンケーキを指でむしって、口に入れる。
口いっぱいに広がるメイプルの優しい甘さに唇が自然にほころんだ。
「うん、美味しい。ふたりとも食べてみて」
促されたアビーとジューンが直接ケーキを指でむしって、その柔らかさにびっくりした顔になり、口に入れるとにっこり微笑んだ。
「ふわっふわなのね」
「すごーい。こんなに柔らかいスポンジはじめて。いくらでも食べられちゃいそう」
「でしょう? 食べて食べて。これはメイプル風味だけど、紅茶の茶葉やベリーのジャムを練り込んだものも美味しいのよ。学園で出来たお友達がレシピを譲ってくださったの。私ね、これとフローズンヨーグルトっていう氷菓を出すお店を、商店街の方に出すつもりでいるのよ」
「フローズンヨーグルト? それってどんなお菓子なの?」
興味津々なふたりに説明しながら、きっとこれが領地での私の初仕事になるんだろうなと思った。
友人達に囲まれて、自分が手がけた店を作り、ギャレット叔父様の仕事を手伝いながら領主の娘として少しづつこの領地に根を下ろして行く。
婚約内定者という地位を受けると承諾したとき、自分なりにあれこれ想像した未来の中で、これがもっとも望ましい未来だった筈だ。
夫から愛されることのない王妃となって、一族からひとり切り離される孤独な未来や、不埒者に力尽くで結婚を強要されるような未来を摑まずに済んで良かった筈なのに、心のどこかから、望んだ未来はこれじゃないと叫ぶ私自身の声が聞こえるような気がする。
『アメリアは、まだやけ食いが足りていないようだ。もっと食べるといい』
(……そうね。そうかもしれないわね)
シフォンケーキを大きくむしって口の中に放り込む。
ふわふわのスポンジは口に入れた時には大きくても、噛んでいるうちにしゅわしゅわっと小さくなってしまうから、まだまだいくらでもやけ食いできてしまいそうだ。
「アメリア様は、領地で結婚相手を捜されるのよね?」
「え?」
もぐもぐと夢中になって食べている私に、アビーがびっくりすることを聞いてきた。
「そんなこと、まだ全然考えてなかったわ」
「そうなの? でも私達、もうそろそろ結婚適齢期よ。みんな、それなりに意識しはじめてるんだから」
まあ確かに、ここに来る途中でもマテオがジューンを気にしてたみたいだし、さっきもトロンがアビーを気にしてたみたいだし、領地ではあちこちで恋模様が繰り広げられているようだ。
でも、私はまだそんなこと考えられない。
「婚約内定が取り消されたばかりで、すぐに他の方とっていうのは、ちょっとまずいような気がするの。以前からの不貞を疑われても困るし……」
「別にいーじゃない。婚約だけして、結婚は数年後だっていいんだから。身分から考えて、アメリア様のお相手は、やっぱりダニエル様かトロン様ってことになるのかなあ」
「兄様方はちょっと……」
ちょっとじゃなく嫌だ。
ダニエルと結婚なんてしたら、きっと一生あの脳筋っぷりに振り回されることになるだろうし、トロンと結婚したら、きっと一生トロンとふたりであの脳筋のフォローをし続けなきゃならなくなる。
ふたりのことは決して嫌いじゃないが、それは嫌だ。もの凄く嫌だ。
「ホントに? アメリア様、あのおふたりと仲良いじゃない? 特にトロン様は、アメリア様のことをあれこれ気遣ってくれているみたいだし……」
「一緒に育った従兄だもの。仲が良くて当然よ。トロン兄様が私を気遣ってくださるのは、私が病み上がりだから。特別な意味はないわ」
アビーに言葉を返しながら、私は心の中で思わずにんまりしていた。
『恋敵になるか、探りを入れているといったところか』
(そうみたいね。トロン兄様の想いが、一方通行じゃなさそうでよかった)
「それでも、どちらかを絶対に選ばなきゃならなくなったら、きっとダニエル兄様を選ぶと思うわ」
これは嘘。どっちも選ぶ気なんてない。アビーに対するリップサービスだ。
大切なお友達に変な誤解をされて気まずくならずに済むのなら、この程度の嘘なんて軽いものだ。
案の定、アビーは、ほっとしたように肩の力を抜いていた。
「そっかー。ダニエル様の方が頼りがいがあるものね」
「あら、トロン様だってお優しくてしっかりしてらっしゃるわよ」
「そうね。でも、さっきも言ったけど、今は誰ともそういうことは考えられないの」
「それって、やっぱり……そのー……王子様のことが忘れられないから?」
ジューンの問いに、違うわと答えかけて、止めた。
「そうね。……忘れられないみたい」
私が恋した王子様は、オールモンド王国の王子様じゃない。キールハラルの麗しの末っ子王子だ。
夕陽の輝きに、揺らぐ炎に、ブレスレットのルビーの色に、あの方の瞳の色を思い出してしまう間は、他の方との婚姻なんて考えられそうにない。
「だからね、もうしばらくの間は、そっとしておいて欲しいの」
王都を脱出したあの日から、ずっと腕にはめたままのブレスレットを指先で撫でながら私は微笑んだ。
そんな私の言葉に、ふたりは神妙な顔で頷いてくれた。




