マフィアからのプレゼント 1
あの忘れたくても忘れられない、今までで1,2を争う死線を越えた夜から早くも三日たった
今でさえ俺に……いや、マックスに関する噂は絶えないようだが、しかしそれが酒の肴になるほどのホットな話題ではなくなった。日本では一週間は連日テレビや新聞の特集を飾るような大事件であったはずなのに、ここではそうではないらしい
そもそもここでは大事件など日常茶飯事であり、街の住人からしてみれば気色は違うが“また”大事件が起こったのか、という認識となるらしい
流石は犯罪横行都市だ。激し過ぎるカルチャーギャップに一周回って拍手を送りたくなった
そして俺が今向かっているのは、街の南東部にある建物だ。理由は簡単。そこが俺の仕事場兼住居となるからだ。
発端は真っ黒グラサンこと『玉樹會』の劉だ。例の事件で共闘したはいいものの、それはあくまで一時的のもので、俺と『玉樹會』の間に確執があるのは確かだ。俺は向こうの、おそらく幹部クラスの人間に手を出した。面子にこだわるマフィアからしてみれば面白くもない話で、報復の一つでもしなければ他勢力から弱腰の腑抜けだ、とでも思われるだろう。
にも拘わらず、アイツは俺に再び接触してきた。剰えこっちの足元を見た提案を吹っ掛けてきたのだ。
曰く、
『お前、便利屋するつもりなんだってな?』
『玉樹會の系列の不動産にちょうどいい物件があるんだが、どうだ?』
『なぁに、心配いらねぇよ。暇ができるようなら仕事の斡旋くらいはしてやるよ』
『どうだ、悪い話じゃねぇだろ?』
怪しい。聞く限り怪しさ満点でしかない提案だった。
向こうが善意でやってくれるなどというお花畑な思考回路は持ち合わせていない。ことマフィアともなれば利潤を求めるのは当然だろう。絶対に何か裏がある。では、それは何か?
玉樹會の俺に対する評価としては“組織の面子を潰した目の上のタンコブ”といったところだろう。邪魔で邪魔で仕方がない人間のはずなのに、実際の俺へのアプローチは異例の好待遇。
考えられるのは油断させておいての暗殺か、貸しを作っていざという時に利用するか、面子を潰した幹部が抜けた分の穴埋めとして厄介な仕事を押し付けるか、その何れかだろう。
安全安心の新生活とはいかないが、これで住居が手に入るなら背に腹は代えられない。俺は内心で色々と覚悟を決めた上でその話を承諾した。
一応下見も終えてあるが、向こうについたら狙撃予測ポイントや侵入経路のチェックや盗聴器か盗撮機の類の捜索をもう一度入念にやっておこう。新生活スタートの最初の夜に永眠とか笑い話にもならない。
そしてその話が持ちかけられてからは、急いで準備にとりかかった。
何せ、小さい便利屋とはいえ事務所である。それに生活するための家具一式に、生活必需品。加えて事務用品、護身用装備etc. 必要な物は急いで買いそろえるに限る。貯蓄はそこそこあるとはいえ、必要経費を差し引いたら手元に残るにも僅かになってしまうし、それに日が立てば宿代でどんどん削れていくからだ。そのため販売店へ行くバス代や電車賃はケチったので移動は全て徒歩だ。そしてここはただでさえそれなりに大きい──おそらく1000㎢はある街。おかげでここ二日間は歩きっぱなしだった。
───街の端と端に生活用品店と事務用品店を複数配置した奴はいつか絶対にぶっ飛ばす
ここに来て一週間も経っていない俺が広告なんてとっているはずもなく、どちらの店が価格と品質がいいのかしる由もないため、購入には実際に足を運んでみるしかなかった。
そして比較してみればまぁ、ものの見事に品質と価格の良し悪しはバラバラだった。南端のA店で品質がよかったものが北端のB店では粗悪品でさらに値段も高く、逆にA店で高いと思った者がB店でお手頃だったりと、街を縦断して往復するのに多大な労力を使ってしまった。この配置にしたやつはきっと悪意を持っていたに違いない。
それらを工面して何とか間に合わせて、やっと今日になって荷物が運び込まれることとなったのだ。すぐ横を同じ方面に向かって何台も輸送用のトラックが行き来していることから、その多くが俺の事務所に運び込まれているのだろう。
住人がいないのに勝手に運び込まれている訳だが、鍵の管理は不動産会社に管理して貰っている。中の荷物を全て運び終えるまで鍵を管理していてくれと頼んでおいたのだ。むろん別料金を払って。俺がいない間に何か良からぬことを企むことも懸念されたが、一応伝え聞いた俺の噂としては軍隊相手に渡り合う孤高の軍隊らしい。ハッキリ言ってコレは過大評価なのだが、これのおかげで俺の安全が守られるなら喜んで受け入れよう。
そしてそんな噂を持つ俺だからこそ、妙なことをすれば生半可ではない報復をされる、と勝手に警戒してくれると踏んだから懸念はそこまで大きいものではない。それにそこの不動産は玉樹會の系列といっていたし、妙な事をすればそっちからも制裁が下される可能性が低くないこともそれに拍車をかけている。系列ということは、あくまで名を貸してもらっているという立場なのだ。だからその庇護を受けられなくなるのは、店にとって手痛いだろう。
「………ッ、すいません」
「──とっ!」
考え事をしていたせいか、前方への注意が疎かになってしまっていた。そのせいで、一人の子供とぶつかってしまった。ぶつかってきた子供の身長は俺の胸元に届かないくらい、大体130cm強だろうか。雨風に晒されたせいでボロボロになってしまったフード付きの上着で顔は隠されていたが、体つきからして男の子だろうか?そのまま俺の左脇を抜けるようにしてすれ違う。
道幅もそこまで広くなく、歩道も整備されていないとはいえ、先ほどから大型車の往来が激しいために自然と人が通る道幅は限られる。それに前方不注意であったならば、本来謝罪すべきは俺の方だ。
まぁ、それだけならば、の話だが
「フッ──!」
踏み出した右脚に重心を乗せ、片脚だけで全力でバックステップ。これでもスタントマンとして多少はアクロバティックな動きの心得はある。伊達に地獄のような訓練を二年以上続けてきたわけではない。膝をバネのように使い、脚で地面を蹴ったエネルギーを余すことなく身体を後方へ飛ばすエネルギーに変換する。宙ぶらりんとなっていた左脚は慣性の法則のせいで置き去りにされていたが、それもちょうどいい。
軽く腰を捻り、左脚を右へ振る。そして反対側に腰を捻ることで振り子の要領で左脚が横薙ぎに振るわれる。
狙うは、子供の左脚の膝裏。丁度全右脚を前に踏み出すタイミングだったため、重心が全て左脚に乗っている。
その状況で思いっきり不意打ちで膝裏を蹴られたらどうなるか?
そんなもの、身体を支えられなくて一瞬で崩れる
身体を支えているのは人体の構造的にどうしても脚となるのだ。そして歩行は常に片方の脚に重心を乗せている状態になっており、足を掬われると転倒するのは必須だ。
多少なりとも鍛えている人間ならば体制を立て直してバランスをとったり、踏ん張ることができるかもしれないが、狙ったのはほぼ身体と脚が直立となっているタイミングで、尚且つ筋肉が一切ついていない膝裏。例えこの子供がどれほど鍛えていようと、転倒は免れ得ない。
「──わわぁっ!?」
案の定、子供は後方からの急襲に持ち堪えることはできず、両の脚を宙に放り出した状態で背中から仰向けに地面に倒れこむ。
そしてその弾みで被っていたフードは捲れて素顔が露わになった。汚れでくすんでしまった伸び放題の金髪。そこから覗く顔にはまだあどけなさが残っており、淡緑色の瞳はこの子供の心を映したかのように輝きは失せ、どこか淀んでしまっている。
両腕は咄嗟に何かを掴もうと反射的に前に出されるが、あいにくとここは路上だ。そこにあるのは何もない虚空のみ。その手が支えとなる何かを掴もうと開かれるが、それはただ空を切るのみ。
そして閉じていた掌が開かれたその瞬間、空中へ何かが飛び上がった。それは先程までこの子供が持っていたもの。そして、ひたすらに隠そうとしていた物。俺はそれを、左手で掴み取る。
ここアトロシャスの東部には住宅街が立ち並ぶ区域があるが、それは真っ当なものではない。そもそもこの街が既に真っ当ではないのだが、その中でも殊更にひどい。大通り付近の南東部と北東部はまだまともなほうなのだが、さらに東に進めば街の様相は一瞬で変わる。衛生の『え』の字も感じられない廃墟にゴミ溜め。中には腐った死体なども平然と放置されており、そこに住まう者は皆瘦せこけ、いつも飢えている。しかしてここを出ていっても行く当てなどないため、ここに住まうしかない者たちの吹き溜まりとなっている
そう、東部のさらに奥部に広がるのは──スラム街だ。
そんな区域が近くにあるというのに、子供がただぶつかってきただけと考えるのは楽観的過ぎる。
その掴み取った物は、縦20cm、横幅10cmの長細い革製の入れ物──俺の財布だ。
つまり、こういった場所でぶつかってきた者の大半は、この子供と同じくスリというわけだ。
まったく、油断も隙もあったものじゃない
「今回は見逃してやる。次からは相手はちゃんと選ぶことだな」
「───ッ」
なるべく放漫に、余裕を持った風体を装って子供に言葉を投げかける。俺の演じる『マックス』という人物は、生粋の大悪党という設定だ。こんな子供相手に銃を向けていては、それこそ『マックス』の格が下がってしまう。優しさとはまた違うが、懐の深さや器の大きさというものも持ち合わせていなければならないのだ。
こうした子供相手に銃すら使わずに封殺し、剰え見逃してやるという寛容さを見せつけてやるのも大事なことだ。人目があるならいついかなる場所であっても、俺は『マックス』を演じなければならないのだ。子供だからといって、手を抜くことはしない。
そしてまんまと財布を奪い返されてしまった子供はキッ、と俺を恨めし気に睨みつけ、そのまま走り去っていった。
───こりゃあ、もっと物騒な噂を立てていかなきゃならないのかねぇ
大の安全のために、大の危険を冒さなきゃならないのか。ややげんなりとしながらも、俺は目的地に足を運ぶのだった。
◆◇◆◇
「よぉ、遅かったじゃねぇか。マックス」
「……なんでお前がここにいるんだ、劉」
「そんな釣れないこと言うなよ。俺とお前の仲じゃあないか」
「銃口と殺意を突き付け合った関係がどうして互いにとって良好なものになるのか、小一時間程じっくり話し合いたい所なんだが」
俺が自宅兼事務所となる建物に辿り着いた時には、見覚えのある、というよりも二度と見たくない車が停車していた。
キャデラックDTSリムジン
贅を尽くして快適な空間を追求したもので、艶のある黒の光沢は日光を受けて尚独特の黒を呈しており、カラーリングだけで高級感が感じられる。内装も一切の手抜かりがなく、どこを取っても最古級品と言わざるを得ない一品で、米大統領御用達の車種である。ただ、それはある種の目印と言っていい。何せ所有しているのは一人だけなので、見かけたら十中八九あいつがいると思えばいい。
そしたら案の定、こいつがいたのだ。
黒一色に統一されたスーツの護衛を引き連れて、これまた同じく黒一色のコートを着こなした三十代の男こそ、この間ドンパチを繰り広げた劉だ。リムジンに片腕をついて凭れ掛かり、優雅に一服していた。そしてこの暑苦しい季節だというのに、その真っ黒なコートという装いは変わっていなかった。
一見すると暑苦しそうなコートに見えるが、侮ってはいけない。おそらく体温調節機能は万全だし、このコートの本当の機能は別だろうと俺は思っている。
利点と言えば、胴回りから膝下まですっぽりと覆えてしまえることだ。そんなもの、銃器やら暗器やら隠し放題だろう。仮に暗器の類でなくとも、脇には拳銃のマガジンやら手榴弾、背中にアサルトライフルくらい携帯して持ち歩けるだろう。ただのスーツだけに比べ、弾薬のストックは段違いのはずだ。
つまり、何が言いたいかというとだな……
俺はここで撃ち殺される可能性が往々にしてある、ということだ
銃撃戦なら五分五分だろうが、単純に弾薬数で言えば圧倒的にこちらが不利。この間で大分節約したとは言えほぼ残弾は使いきったし、新しく購入しようにも費用をケチったからあまり数は多くない。
しかもよくよく気配を探ってみれば、俺は少なくとも三か所から狙撃体勢万全の状態の狙撃手にロックオンされていた。
事務所向かいの建物の一室。俺から向かって右前方、約300m地点にあるビルの屋上。俺の左後方、約100m地点の物陰。
なるほどなるほど、俺はまんまと敵の罠の中に飛び込んでしまったという訳だ。
焦りを悟られないように表情に余裕の笑みという仮面を引っ付けているが、背中に冷や汗がダラダラと垂れ流されている。マズい、非常にマズい。ここは相手を刺激しないようにし、そして迅速にお帰り頂こう。ここでドンパチやって死ぬのは確実に俺の方だ。
「それで? ホントのところは、仕事の話か?」
「……そう急かすな。お前に依頼したい案件はあったんだが、こっちの都合で予定は変更だ」
「最高のシチュエーションにおけるスナッチミッションとか言うなよ?」
「……ハッハッハッハッ」
「おい、その笑いはなんだ。おい、こっち向いて答えろ」
無理矢理に話を変えようとしたところ、今度はこっちでも不安そうな案件が飛び出してきた。
目の前に地雷在りそうだから避けたら今度はそっちにも地雷があった、みたいな気分だ。
本当に大丈夫なのだろうか? 俺の生活……
「まぁ、今日の所はその要件を伝えに来たついでにお前の開業祝いを言いに来たんだよ。ありがたく思いな」
「オレの開業祝いはついでか」
「もちろんだ」
さらりと笑顔で言いやがったこいつに、俺の自慢の鉄仮面のこめかみにピキリ、とひびが入る。今すぐに銃弾をぶち込んでやりたい衝動がムクムクと沸き上がってくるが、それを自慢の自制心で押さえつける。一時の怒りなど、俺の安全な生活の前にはゴミと化す。ここは、耐えなければならない時だ。
「それで、ウチの荷物は粗方搬入されたのか?」
「ああ、そうか。今来たんだからしょうがねぇか。先まで忙しなく出入りしていた業者は大体撤収したな。それと、お前は今まで何してたんだ? 普通は家主がいるもんだろ」
「最後の買い物があったんだから、しょうがねぇだろ」
「……ああ、確かに。そいつは自分で買わねぇとな」
そう言った劉の視線は俺の右肩に担がれているもの──買い物バックに詰め込まれた食品に向けられていた。
一瞬、グラサンの奥から注がれる視線が生暖かいものに変化したのを感じたが、きっと気のせいだろう
「それじゃ、俺はこのへんで失礼するよ」
「おう、次来る時は仕事持って来いよ?」
「そうするさ」
そう言って劉は、お抱えのリムジンに乗り込んでいく。俺はその横を通りながら、俺の新しい住居に目をやる。
築二十年くらいはたってそうな、白塗りの三階建ての建物だ。一階は丸々ガレージとなっており、大型四駆も余裕入れそうなほどスペースがあるだろう。そのガレージ横にある階段を上った先にあるのが、居住スペースだ。二階は事務所、そして三階を生活空間にするつもりだ。
ただ、築二十年ということを考えると、少し不安なことがあるのだ。それも暫く使われていなかった物件なら、なおのこと。
「出ないといいんだがなぁ」
主に、ゴキブリが
◆◇◆◇
「総員、撤退しろ」
『『『了解』』』
「………はぁぁぁぁぁぁ」
「兄貴、お疲れ様です」
「おう、ぶち殺されるんじゃねぇかと冷や冷やしたぜ」
部下へ撤退の指示を出し終えた俺は、情けないくらい盛大に溜息をついた。どっと溜め込んでいた疲れが吹き出したかのように、完全なオフモードになってしまっている。今から仕事をする気分には、到底なれそうにない。
今回の件は、完全にこっちの不手際だ。三日後に依頼するはずだった案件が、突如として頓挫したのだ。依頼しようと思ったのは中東における紛争地帯における二大勢力の一方の指導者暗殺。勝った方の指導者を、周囲が戦勝ムードで浮かれているところを強襲する手はずだったのだ。予定では今日明日で終わりそうだったのだが、どこかの誰かが敗色濃厚な方に物資の融通をしたものだから戦線はまだ継続されることとなったのだ。
玉樹會としてはあのあたりで敵対組織が勢力広げられるのは困るから漁夫の利を狙っていたのだが、計画は見事瓦解してしまった。
取りあえず、時期を開けて下手に期待を高めさせる前に事を収めようと、こうして出張ってきた訳だが、万一に備えて戦線復帰できた部下を何人か連れてきて良かったと思う。
が、それが正解だったかと聞かれたら唸らざるを得ない
アイツは俺の姿を目にした途端、周囲の索敵を行っていた。そして目に留まったのは、ピンポイントで部下が配置していた場所だった。
場所さえわかれば、仲間を撃ち抜くことはアイツにとっては最早作業ゲームと化すだろう
暗闇での走りながらの正確な射撃。銃の射程を度外視した遠距離射撃。そして撃ち始めが見えないほどの早撃ち。
部下の位置が割れた段階で、戦闘になれば一瞬で部下たちは刈り取られていただろう。
それに今は、傷が癒え切っていないため万全とは言い難い。ここで第二次開戦をすれば、今度こそ全滅は必須だ。だから、今回は何事もなく終えることができて正直ホッとしている。
「しかし兄貴、良かったんですか? あんな物件を与えちまって」
「………むしろ、アイツならどうにかしちまいそうなんだよなぁ」
「……何となく、俺もそんな気がしますが。しかし、ホントにあそこは出るんですかね? 俺ァ未だに信じられませんぜ」
ボッ、とライターの火を咥えていたタバコに点けた部下が、不安げに尋ねてくる。
まぁ、あそこはたしかに訳アリ物件ではあるし、おかげで資金なんてはした金程度しか出資していないから特に痛手ではない。いや、どちらかといえば扱いに困っていた面倒な物件を押し付けることができたからこちらとしては助かっているのだ。アイツも住居は欲しかっただろうし、これもwin-winな取引と言えるだろう。
それに、アイツはあの物件がどういう“いわく付き”の物件かを知っているような発言を別れ際に言っていた。それを承知の上で了承したのだから、報復も来ることはないだろう。
「実際に行方不明者は結構出てるし、出るんじゃねぇか? “住人殺しの幽霊”が」