アトロシャス・デイズ8
前期試験が本当は8日からだったのに、急遽月末に変更になったので、リハビリを兼ねて更新です。
前回の更新から一ヶ月ほど経ってしまいましたが、ようやく今話のエピローグです。
「いやぁ、まいったまいったぁ。まさかあの二人が返り討ちに遭うなんて。それはこっちも予想外ですわぁ」
サンサンと降り注ぐ陽の光を遮った、薄暗がりの部屋の中。投げ出された雑誌や衣類がそれらしい生活臭を漂わせる部屋の中から、間延びした男の声が聞こえてくる。溶けかけの氷が入ったロックグラスを片手で掴み、椅子に片足を乗せて電話口に語りかける一人の男。その声の主は、今回イヴとノエルを襲撃したレオ、ラルド両名の後押しをしたウィル本人だった。そしてその間延びした言葉には、当然とばかりに怒気を孕ませた声が返ってくる。
『生憎とそちらの失敗の言い訳を悠長に聞いていられるほど、こっちは心穏やかじゃあない。何せそちらが失敗した所為で、こっちにはピンの外れたグレネードが転がってきてるんだからな』
「それはお気の毒に。盾でも構えておくと、被害は最小限になりますよ」
『あぁ。そして丁度いいところに、手頃な肉壁もある』
「怖い怖い。流石、天下の玉樹會支部のボスが言う言葉は違いますわぁ」
ニィと。軽妙な口は変わらずに、ウィルの口角は吊り上がる。例え電話口の向こうに三大勢力の一角を担う大物がいると知っていても、ウィルの態度は変わらない。そして格下相手にそんな態度を取られては、電話越しにいる相手———劉としても、いい気はしない。
『……それで? 一体今回の落とし前はどう付けるつもりだ? 次の機会に挽回を、なんて三文芝居はナシだぜ? 子供二人を仕留めきれない連中に、次なんてねぇからな』
「勿論。重々それは承知してますよ」
玉樹會からすれば、こちらは数ある当て馬の一つでしかないのだろう。いつでも使えて、いつでも切り捨てられる、そんな存在だ。だから与えられた簡単な依頼すら失敗するようなら、彼らはそれこそ紙屑を捨てるような感覚で軽々しくこちらを切り捨ててくる。
しかし、こんな木端もいいところで彼らは終われない。為すべき野望があるというのに、こんな所で散ることなどあってはならないことだった。
だから、前提を崩す。そもそもの認識を、根幹から塗り替える必要があった。
「……でもまぁ、相手が“双子鷲”なら、話しは少し変わってくると思いますが?」
『…………なに?』
劉の口から、怒気の色が引いていく。代わりに浮かび上がるのは、好奇の色。
あぁ、食いついたと、ウィルは内心ほくそ笑む。そしてここぞとばかりに、口調を正して畳みかける。
「流石に事前情報もなしに、無謀な突貫はしませんよ。しかしまぁ、そちらも人が悪い。せめて相手の情報くらい教えてくれてもよかったのに。おかげでこちらは『名持ち』を相手するために、急いで物資を揃えるハメになりましたわ」
『ダルフールの双鷲』またの名を、『双子鷲』
多少なりともアフリカの紛争事情を聴いたならば、その名前は一度は耳にすると言われるビッグネーム。容姿、性別、素性は一切が不明。しかし双子であるということだけが判明していたため、その二つ名で呼ばれるようになった。通算キルスコアは確認されているだけでも優に1000を超えると言われ、アフリカの傭兵たちの間では死神にも似た認識をされているという。
そんな大物が、件の子供だと言う。劉からしても俄かには信じがたかった。苦し紛れのホラ吹きだと断じるのは簡単だったが、しかしそれが本当だと思わせる何かを劉は感じ取っていた。
『向こうが武器を揃えた、なんて情報は入ってきてないが。……それでも仕留められなかったと?』
「えぇ、まぁ。後で裏を取ればわかりますが、ウチの二人と殺り合った場所はそりゃ酷いもんでしたよ。あれをあんな女の子がやったって考えただけで、ゾッとしますわ」
とある『集団』の廃墟に起こった、灰から赤への変貌の様子。積み上げられた死体の山と、血色に染め上げられた赤い壁。敵一人だけでなくその場にいた全員を殺し尽くしたその残虐性。殺し方が異なっていたが、それは戦闘への慣らしが目的だったのではないかと。どれをとったにしろ、決して油断していい相手でないことを、ウィルは事細かに語った。
『なるほど。流石は『名持ち』の面目躍如、っと言った所か。それも、飛び切りおっかない類の奴ときた』
「おかげでウチの手練れも二人やられましたわ。まぁ、バラす口がなくなったのは、お互い良い事だと思いたいですね」
違いない、と受話器の向こうで声がする。互いに思い浮かべているであろう男の姿に、思わず安堵の息を漏らす。
「いいだろう。あの二人を仕留められなかったのは遺憾だが、その危険性が知れただけでもこちらにとっては有意義な情報だ。今回は依頼完了ということにしておいてやる。報酬は指定した口座に入れておくぞ」
「そりゃぁ、ありがたい。寛大な采配に感謝しますわぁ」
そう言って、二人の通話は終了した。用済みになったグラスと電話を机に放り、ウィルはすっくと立ち上がる。これで少なくとも、玉樹會への売り込みは達成できただろう。未だ知られていなかった二人の情報を先んじて知っていたというだけで、こちらの情報収集能力の高さを見せることはできたはず。体よく足手纏いも消せたことで、ウィルとしては今回の一件はプラスになることばかりだった。
「ふっふっふ。今回は上手く利用させてもらったから、ありがとうって言っておくよ。マックス」
見つめる視線の先には、四隅を針で留められた街の地図。東西南北に伸びる大通りと、空港や港をはじめとした主要な外部との玄関口が誇張された地図の中に、四枚の写真が貼り付けられている。北西部、中心部、南西部、東部。それらはいずれも、この街を牛耳る三大勢力の拠点となる建物であり、そのいずれにも赤いバツ印が刻まれ、ダーツの針が撃ち込まれていた。そしてその中には……マックスが運営する『Crown or Clown』も含まれていた。
「今は、その地位に甘んじていればいい。………だけどいつか、その場所はボクらが奪いに行くよ」
そう言って、投げかけられたダーツが、ストンとマックスの写真に突き立てられた。
◆◇◆◇
日もすっかり沈み、街が夜の顔を見せるようになった頃。カールの店から引き上げた俺は我が家に戻り、リビングで水を飲みながら力なくソファに凭れ掛かっていた。結局あの酒盛りはイヴとノエルの乱入後、ナターシャを含めその場にいた客全員が張り切って騒ぎを起こした所為で日暮れまで続いた。結局ほぼ全員が潰れたところで漸く解散する運びとなったのだが、あのまま飲み続けていたらどうなったことやら。おかげで午後から回る予定だったロットンの店には回れず仕舞いで、武器調達は明日への繰り越しになった。
「あぁ、クソ。わかっちゃいたが飲み過ぎたなこりゃ……」
今日はナターシャが張り切ってボトルを空けたため、空けたボトルの数はいつも以上。二桁空けた時点で数えるのを止めていたし、その所為で普段は出るはずのない酷い頭痛がする。二日酔いにならない体質だから、明日まで痛みが長引かないことだけがせめてもの救いだった。
「ぅん……」
「ったく、気持ち良さそうに寝やがって」
そんな俺の言葉に返ってくるのは、声にならない静かな寝息。
視線を落とせば、俺の膝を堂々と枕にして寝るイヴの姿が。すっかり寝入っているようで、身動ぎするだけで起きる気配もない。余所余所しさが外れたのはいいことだが、実際イヴはかなり肝が太いのではなかろうか。聞けば、服が血塗れだろうと俺が居る所なら突貫しても追い返されないと言い出したのはイヴの方らしい。そして面白そうだと便乗したノエルがOKしたことで、酒場での出来事に繋がったのだ。後で一発殴ってやると決めていたが、こうまで無防備な姿を見てると、そんな毒気は抜けていくばかりだ。
「ホント、気持ちよく寝てるねー」
「あぁ、ノエルか。もうあがったのか」
「うん。長風呂しないタイプだからね」
背後の声に振り返ってみれば、インナー姿に着替えたノエルがソファの後ろからそっとイヴを覗きこんでいた。レース生地で作られたキャミソールとキュロットの組み合わせは、露出が多い所為かどこか色っぽい。とても12月に着るような服装じゃないが、ここが温暖な気候だからか薄手な恰好でも風邪をひく心配はない。
「なら、この寝坊助を起こしてさっさと風呂に入らせるか。寝るなら新調したベッドの方がいいだろ」
「そうだけど、この状態のイヴは起きるのかなー?」
つんつんと。とても楽しそうにイヴの頬を突くノエル。それでも身動ぎ一つするだけで、イヴが起きる気配はない。
「……酒を飲ますには早すぎたか。暫くは禁酒にするか?」
「飲ませ過ぎなきゃ大丈夫だと思うよ? あ、私はちゃんと飲めるのわかったから、飲みに行くなら連れてってよ」
「安心しろ。お前も一緒に留守番だ」
「えぇー! なんで!?」
「今日の自分の行いをよーく振り返ってみろ」
忘れるわけもない。今回ナターシャがいつも以上に張り切って飲んでいたのは、ノエルがナターシャを煽って飲ませまくったからだ。そして周りの客まで一緒に煽って飲ませるから酒場はさらに大盛り上がり。しかし当の本人は煽るだけ煽った後、酔ってバカをやる大勢の客を遠くから眺めてほくそ笑んでいるだけというのだから性質が悪い。
因みに俺とカールはそれを見てドン引きしていた。
「ぶぅーぶぅー」
「拗ねても変わらねぇよ。バカ騒ぎし過ぎるとあそこ出禁になるぞ」
「ちぇ。じゃあ今度からは煽るの控えなきゃ……」
「そこで止めるってならない辺り、ホントいい性格してるよなぁ、お前は」
溜息一つでわしゃわしゃ頭を強めに撫でてやれば、ノエルは大した抵抗もせずくすぐったそうにはにかんだ。これが今日、酒場で死屍累々を築き上げた首謀者だとは誰も思うまい。
「悪戯は程々にな。相手を間違えると痛い目を見るぞ」
「大丈夫だよ。加減くらいはできるし………悪戯する人はちゃんと選んでるよ」
「で、その中にオレも入っていると?」
「そーだよ。ちゃんと悪戯できる雇主でよかったよ」
「される側は溜まったもんじゃねぇんだがなぁ」
クスクスと。悪びれる素振りもなく笑顔で言ってくるのは、本心からそう思っているからだろうか。しかし悪戯の加減はちゃんと弁えているようで、こちらが本気でキレるようなことも、しつこいと思うまでしてくることもない。そういう人間だと認識する程度の、絶妙な匙加減で悪戯を仕掛けてくるのだ。腹立たしいと思わないのが逆に腹立たしい。
「ふふっ。じゃ、これからもたーくさん甘えさせてね?」
フゥー、と。耳元で吐息を吹きかけられ、思わず肩がピクリと動いた。
横目でジーっと睨んでやれば、愉しそうな笑顔が返ってくるばかり。凝りもせず悪戯を仕掛けて来た下手人をとっちめ、頬を軽く引っ張ってやる。「いふぁい、いふぁい」なんて変な声を出しているが、それは自業自得だ。尚も追撃しようと反対の腕も伸ばすが、流石にそれは勘弁して欲しかったのか、下手人はスルリと腕から抜け出してしまう。腕を伸ばそうにもイヴが膝で寝ているためにこれ以上動けるはずもなく、結局「きゃー」と可愛く叫んで遠ざかるノエルの後ろ姿を眺めるだけに終わった。
「ったく。あいつも随分とヤンチャになったもんだ。……ま、騒がしくても楽しいならそれでいいか」
そう一人ごちながら、膝で眠るイヴの髪を撫でてやる。
今日、二人の心境が変化する何かがあった。しかしそれが何かを聞くのは野暮というものだろう。今日を経て、二人は変わった。それだけ覚えておけば十分だ。
一人は普段は冷静なのに、酔えば無意識か意図的か人肌を求めて引っ付いて眠るし、一人は普段は飄々としていて、酔えば更にハメを外して大勢を煽って自滅するのをケタケタ笑って眺めるようになった。
咎めるべきところもあれど、出会った時と比べれば随分と人らしくなったものだと思う。二人が楽しんでいるようなら、これはこれでいいのだろう。
「…………帰る家が騒がしいってのも、いいもんだな」
誰に聞かれるわけもない独り言は露と消え、心地良さに身を任せていると、気付けば俺の意識は暗転していた。
◆◇◆◇
パタリ、と。背後の扉を閉めると、灯りを点けずにその場にズルズルと座り込む。
ヒリヒリする頬に手を添えながら、間違いないと自分を安心させる。
これは自分がやった行為の報いだと、そう自分に言い聞かせる。
本当に、マックスが雇主でよかったと、心からそう思う。
だって、私たちを人として扱ってくれるだけでなく、私の悪戯だって許容してくれるから。その報復だって、ちゃんと加減をしてくれているから。
おかげで、私が私であると、ちゃんと確かめることができる。
———うん。大丈夫。これは、ちゃんと私がやったもの……。
そう自分に言い聞かせ、安堵の吐息を零せば、自然と胸のつかえはなくなっていた。
今日はよく眠れそうだ。そう思ってベッドに横になれば、自然と瞼は閉じていった。
さて、これで今話は終了になりますが、いかがだったでしょうか。
今話はイヴとノエルの二人にスポットを当てつつ、二人の為人と内面を描写することに注力しました。
ようやく二人は閉ざしていた心を開いたのですが、その影響で二人はマックスに随分と遠慮がなくなりました笑
ただまぁ、仲間であるならばこれくらいの関係がちょうどいいんじゃないかなとは思います。




