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アトロシャス・デイズ4



「ッ———ノエルッ!」



 背中に氷柱を入れこまれるような感覚。

 一瞬にして場の空気が変ったことを察知し、イヴは反射的に片割れの名前を叫んだ。内に秘めた冷めた感情が余分な感情を一瞬で食い尽くし、熱を失った冷たい血は機械的なまでに体内を駆け巡った。

 いつも以上に早い感知。思考を置き去りにして、気付けばある方向へと視線が向けられていた。培われた直感と何らかのブースト。それにより何故という言葉を思い浮かべる前に、視線の先に答えを得られた。



 十数階建てのマンションの一室。中途半端に開けられたブラインドの下から覗くスコープと、目が合った。



「————ッ!」



 言葉で理解させるには時間が足りない。故に咄嗟に左腕での影響の肩を引っ張り、更に脚を引っ掛けて自分ごとノエルをその場に引き倒した。直後、鉄火場で慣れ親しんだ風切り音と共に、後ろの露店の壺が盛大に割れ罅入た(響いた)。そして、音に反応した周りの視線が一斉に二人に向けられる。



「———狙撃!?」

「考える暇がない! 走って!」



 イヴがそう叫ぶ。狙撃による奇襲がたった一発で終わるはずがないと知っているからだ。

 初撃を回避した姿勢からすぐさま立て直して走り出す。そのすぐ後ろを、二発目の弾丸が追い縋る。開けた場所に出るのは愚策。経験から来る直感的な思考に基づいて、二人は遮蔽物が多い人混みに紛れて込むことを選んだ。



「本っ、当に来た」

「なんでこんな予感ばっかり——!」



 人混みを掻い潜り、走りながらにイヴは自分の当たり過ぎる予感に恨み言を吐く。勘に基づく予感とは、それまでの経験からもたらされるもの。その精度が高いのは彼女が常に戦場で神経を研ぎ澄ませていたが故の副産物なのだが、そんな贅沢な恨み言は聞き入られるはずもない。その返答は再度撃ち込まれた弾丸だった。

 弾痕は先程よりも近くなっている。人混みに紛れていてもその内追いつかれるだろうとそれまでの経験で予測する。


 そんな中、ふと周囲が明るくなったような気がした。



「ッ———イヴ!」



 ノエルの声に反応して、彼女は周囲の状況把握に移った。そしてその視線の先の光景を見て、苦虫を嚙み潰したようにその端麗な顔を歪めた。


 人混みがまるでモーセの海割りのように、きっぱりと左右に別れて彼女たちに一本道を作っていた。


 思えば、それも当然と言えることだった。

 イヴは戦場から生き延びるために、常に頭を回し続けていた。それは予感と言う形となって、彼女の命を危機から回避する手助けとなっている。

 では、この街の住人は? ここは天下に悪名を轟かせる犯罪横行都市アトロシャス。常日頃から理不尽な理由で危険が襲いかねないこの街の住人が、果たして危機察知に疎いものだろうか。



 答えはNO。そしてその答えの裏付けとなる光景が、今まさに目の前に広がっていた。

 逃げているイヴとノエルから左右にちょうど2~3m。その幅を維持した状態で、市場に空白地帯が生まれていた。近くに居た者は逃げ出すための時間はなく、狙われている二人(ターゲット)と弾丸の着弾地点から大まかな狙撃位置を経験から予測してその射線に入らないよう最低限に距離を取り、遠くにいた者は余裕があるため、先に動いた者に倣って距離を取るか巻き込まれないように早々に逃げ出していた。



 死ぬのは御免だから、助かりたいから。

 そんなありきたりな思いのために動いた住人達には、厄介者である二人に早く死んで欲しいなどと言う気持ちは一切ない。


 但しそれが、本人たちに正しく伝わるとは限らない。



「ッ! 人が——!」

「これじゃあ恰好の的……!」



 住人の迅速な動きに目を見張るだけで、対応が追い付かない。

 近くにいた住人ほど少ない避弾場所に押し寄せ、その圧で強固な壁を作り既に入り込むスペースはなく、遠くにいる住人もまた似たような状態になろうとしているためその人だかりに紛れ込めない。こっちに迷惑を掛けるなと、二人にはそんな意図すらあるように思えた。

 そして自然と、二人の前にはどうぞ通ってくれと言わんばかりの空白の路ができる。



 ここが教会ならば、この路はさしずめ『花嫁の門出路(バージンロード)』なのだろうか。横に並ぶ参列者からは祝福の拍手があがり、上からは色彩豊かな紙吹雪が舞うのだろう。歓喜のあまり涙するに違いない。


 だが悲しきかな、現実はもっと物騒だ。


 通る道は平穏を願って作られた『生贄の処刑路(サクリファイスロード)』。参列者からあがるのは恐怖故の悲鳴で、下手すれば舞い上がるのは鮮やかな血飛沫だ。周りの薄情さに、悲しみの涙すらこみ上げてくる。

 バージンロードの赤色は、きっと彼女たちの血で形作られるのだろう。



「———チッ」



 舌打ち一つ。遮蔽物がなくなったおかげでここに居続けても死ぬだけだと悟り、イヴはノエルに合図を出すと進路を変更して裏路地へと飛び込んだ。追い縋る弾丸が角を小さく削った。狙撃位置からの角度的に、それが限界なのだろうと二人は考える。

 暫く走り続け、スコープ越しでも見られない位置まで来ると、二人は漸く足を止めた。



「はぁ、はぁ……ここまで来れば……大丈夫?」

「さぁ、ね。少なくても狙撃は……大丈夫そうだけど」



 若干乱れた呼吸を整えつつ、額に流れた汗を袖で拭い取る。

 陽の光が当たりにくいこの場所は、ジメジメとしていて気分が悪い。比較的高い建物が周囲をぐるりと囲って圧迫感を与えているのも拍車を掛けているのだろう。それに外観が似た建物が多くある所為で、道を覚えていても気を抜けば迷いそうになる。



「はぁ………あの人、襲ってくるならチンピラぐらい、って言ってたけど、ここのチンピラはライフルも持ってるの?」

「みたいだね。あちこち爆発もしてるし……火事場泥棒がしやすいのかもね。もしくは誰かのお下がりか」

「あぁ、そういうこと」



 尚、実際のところ。火事場泥棒はあるにしてもお下がりはそうそう貰えない。

 どの組織も自分の組織の力を高めたり自衛するのに精一杯で、傘下の組織に援助をする余裕なんてないのだ。むしろ傘下になる組織は即戦力になれることを売りにしているため、自前で武器を用意できることが当たり前だった。数はあります。しっかり動けます。だけど武器は調達できないので恵んでください。そんな組織は誰も傘下にはしたくないだろう。

 一方で火事場泥棒の方も、実は収穫はほとんどない。抗争で勝利した相手がその場で戦利品として物資を持っていくからだ。後に残るのは、見向きもされなかったガラクタだけ。因みに過去にマックスが依頼を受け、そして『フォラータ・アルマ』と結託して潰した組織の事務所も、その後にこっそりと工作員が潜入して使える物資は根こそぎ奪われていた。



 故に、チンピラはライフルなんてそうそう持っていないのである。



「……それで、どうする?」

「どうする、って?」

「そんなの、決まってるよ………」



 ノエルの問いに、イヴは間髪入れずに聞き返した。見つめる瞳はどこか冷たく、有無を言わせない圧力を持っていた。



「………戦うのか、それとも逃げるのか、だよ」



 久しく見なかったその目に気圧されるも、ノエルは意を決して言葉を絞り出す。イヴはそれを聞いて、ああやっぱりか、と思った。



「折角いい居場所を見つけたんだよ? 無理して戦わなくても、逃げちゃえばいいじゃん」

「…………あいつが、許してくれるから?」



 額に別の汗を浮かべながら頷くのを見て、イヴは確信する。そして同時に、僅かに嘆息を漏らす。

 ノエルの心は今、完全に尻込みしていた。武器もロクにない現状も心を傾ける要因になっているのだろうが、一番の理由は束の間の日常に触れてしまったからだ。

 戦いに明け暮れていた頃には経験し得なかった、あの甘美な空間。できることならあの空間に留まりたいのだろう。嫌いな戦いを避けてあの場所に逃げ込みたいのだろう。

 だが、何もなしにあの空間には居られない。



「今逃げて、その後は? 襲われたら、また逃げつもり?」

「っ………」



 できるなら戦いたくない。そう思う気持ちもわからなくはない。かく言うイヴ自身も同じ気持ちだから。

 だが現実は、否応なしに戦いを強いてくる。どれだけ逃げてもどれだけ避けても、いずれ戦いは自分たちの前にやってくる。それがプライベートだろうとお構いなしに。

 だからイヴは思う。いっその事、初めから迎え撃てばいいのだ。向かってくる敵は誰であろうと叩き潰し、それができるという実力を証明できれば、次への抑止力となる。それが大きければ大きいほど、余計な戦いはやって来なくなる。

 逃げているだけではダメなのだ。あの場所を守るためには、どう足搔いても戦わなければならないのだ。

 ノエルもそれをどこかでわかっていたのか、ギュッと唇を固く結んだ。



「でも、それでも———っ」



 ノエルが何かを吐露しようとした、その時だった。

 イヴとノエルが同時に勘付き、反発する磁石のように逆方向に飛び退いた。そしてノエルの言葉を掻き消すように小気味よい破裂音が裏路地に響き、地面には二人を別つように一直線に弾痕が刻まれる。



「な、っ———」

「くっ———」



 そして襲撃者は、どうやら考える暇も与えないらしい。続けざまに、今度は二人の背後の建物の屋上が爆発した。視線が向かう。すると今度は、二人は更に大きく距離を取った。

 ただの爆発なら、外壁の破片に注意していればそれでいい。だが今回は、爆発はただの起爆剤でしかなく、その本命は積まれていた木材や鉄材の落下だった。一つだろうと当たれば致命傷になり得る大質量の物体が、束になって一気に雪崩れ込んでくる。二人は遅れてやってくる風圧とそれに舞った小さな凶器(砂や破片)から逃れるため、ブーツで減速を掛けつつ地面に伏せてそれらをやり過ごす。



 直接的な被害と二次的な被害を無傷で乗り切れたため、この動きは最適解と言えるだろう。だが二人にとっては、この選択は強いられた(・・・・・)ものと受け止めていた。



「っ、イヴ!!」

「分断された……!」



 ノエルは頭ごと覆ったフード越しに、イヴは顔を覆った腕越しに瓦礫の壁を忌々し気に睨み付ける。

 戦いの中を生き延び続け、その経験値を蓄積させていった者ほど、動きは洗練され身体は最適解を選び取るようになる。


 こうするしか避けれない。


 その思考を、今回は逆手に取られた。その結果二人は、敵の思惑通りに分断されてしまっていた。



「イヴっ……イヴっ!!」



 壁の向こう側から、ノエルの必死な声が聞こえてくる。こちらを心配している声———ではない。涙ぐみ、声は震えていて、声色で壁越しにでも悲壮感が伝わってくる。これは半狂乱になりかけて、反射的にイヴの名前を呼んでいるだけだった。声を抑えるだけの理性を残して、それ以外の頭の中がほとんど真っ白になっているだろう。



 ———またいつものが……!



 どうする。この状況では慰めることもできない。ノエルがこの状態でたった一人、ロクな武器もなく生き残れるのか。以前にも似たようなことはあった。顔色は酷かったが、無事合流することができた。だけどあれは十分な武器があって、直接ノエルを狙っている敵がいなかったからに過ぎない。今の状態で、それができるとは考えにくい。

 それに先ほど銃撃してきた敵は、狙撃手とは別人物だ。ならば元々待ち伏せされていた可能性が高い。待ち伏せしてこちらを分断したなら、一人につき最低一人は宛がうはず。どうあってもノエルが放置されるはずがない。


 どうする。どうしたらいい。


 イヴの頭の中で、思考が加速していく。しかし考えれば考えるほどに、ノエルが助かる道が消されていく絶望的な状況に歯嚙みする。



「ノエ———っ」



 声を掛けようにも、完全に分断することを選んだ敵は再び銃撃を開始した。最初の標的はイヴ。アサルトライフルの連続的な銃撃音と同じ数だけ地面に穴が穿たれ、咄嗟にバックステップで躱すも、それだけでは追尾してくる射線にはどうすることもできない。

 無理をしてでもノエルと合流するべきか、そんな考えが過るも、アサルトライフルの銃撃音の中からまったく異なる銃声が聞こえた時にその考えは否定した。音からして恐らくそちらはライフル。やはり待ち伏せしていた敵は複数だったかとイヴは内心で吐き捨てる。

 瓦礫に一瞬だけ視線を向けると、僅かにだが隙間からノエルの後ろ姿が見えた。やはり別の敵に狙われているようで、この場から速やかに遠ざかっていた。



 憂いはある。しかしノエルは既に動き出しており、こちらから指示が届く距離にはもう居ない。

 ならばまた会えると信じて送り出すしかないと、イヴは覚悟を決めて去り行く後ろ姿に言葉を投げかけた。



ちゃんと(A tempo)生き延びて(do almoço)!!」



 生まれも育ちも、そして苦楽を共にした相棒にはそれだけで伝わってくれるだろう。

 胸に抱く一抹の不安を信頼の言葉で覆い隠して、イヴは身を翻して走り出すのだった。






◆◇◆◇






「よーっし、分断できたか。……んじゃ、こっちは貰ってくぞ」

「オーケー。……って、まだ拗ねてんの?」

「うっせ。なんも文句言ってねぇだろ」

「声が不機嫌だーって言ってるんだよ。文句言うならコイントスの女神にしてよ」

「だから文句は言ってねぇ!」



 裏路地の建物の一角から、二人の男が話し合っている。

 一人は黒髪のパーマに濃紫色の太縁(ふとぶち)のサングラスを掛けた、褐色肌の不機嫌そうな男。手元のアサルトライフルを投げ捨てて、愛用の武器を装備し直していた。

 その男に話しかけているのは金髪に黒のメッシュを入れ、ピアスを左右に4つずつ付けている軽薄そうな男———レオだった。チークパッドを片手で持ち、フォアハンドを肩に掛けた状態でライフルを持ち、もう一人の男に話しかける。



「ラルドが女好きなのは知ってるけど、俺も妹の方は譲れねーからな。兄の方は最後まで心折れなさそうだけど、妹の方はイジメたらいい顔で泣いてくれそうだ」

「けッ、相変わらずのドSだな。……まぁ、俺は男の趣味はねぇからさっさと片すか。終わっても援護はいらねぇな?」

「勿の論。っていうか手を出したらお前を殺す」

「へいへい。気ぃ付けるよ」



 そう言って、二人は移動を開始する。

 ここは二人が育った場所。いわば彼らの庭のようなもの。路は複雑に入り組んではいるが、その全ての経路は把握している。それぞれどの経路を通るかなど、二人は手に取るようにわかっていた。



「そういや、最後兄貴の方はなんて言ってたかわかるか?」

「さぁ? 英語じゃないからわかんなかった。上手く逃げろ、とかじゃない?」

「ふぅん。やっぱり噂通り、ただのペットだったわけか」

「もしかしたらマックスの奴、両刀なのかもね。妹の方にベッドの上でのあの男の様子とか聞いてみようか」

「ハッ、そいつは傑作だな。なんなら後でデマ流して赤っ恥をかかせてやるか」



 ゲラゲラと笑いながら、二人は別れて意気揚々とそれぞれの標的に向かっていった。

 自分たちが負けるなどとは、微塵も思わずに。


 そしてどんな思惑で動かされているのか、知らされぬままに。





当初は敵一人に対して二人で連携して倒すという構成だったけど「それじゃあ呆気なく終わるな」ということで敵側にテコ入れしてこうなりました。

尚それに伴って執筆難易度が一気に上がったのは自業自得


因みにルビを振った『A tempo do almoço.』ですが、意味は『ランチに遅れるな』です。

それまでに片付けてこい、とイヴは遠回しに伝えているのです。

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