戦火に駆られた哀玩人形2
空っ風の吹く表通りから裏通りへ。コンクリートの灰色と投棄された廃材やらに囲まれた閉鎖的な空間を、小さな案内人に手を引かれてドタドタと駆け抜ける。
「おい、テメェっ───」
「奴らに真っ向から喧嘩売るとか何考えてんの!? ひょっとしなくてもお兄さんはバカなのっ!?」
その小さな案内人───未だ幼い現地住民の子供が、必死な形相で俺に声を散らす。茶髪混じりの短い黒髪に、やんちゃ坊主を思わせる顔立ち。ファーの付いた深緑色のダッフルコートから伸びる未だ短い手足を必死に動かして、俺をグイグイと引っ張っている。身長差で見上げる体勢になったその目は、迷いなく俺の顔を睨みつけていた。銃撃戦で死傷者が出るのを気にしているのだろうか。
「心配し過ぎだ。近くに他の連中はいねぇよ。銃撃戦が起こるまでもなく、ただ死体が一つ出来上がるだけだ」
「だからそれがダメなのっ!!」
走りながらの所為で、既に子供の息が上がってきている。全力疾走してはいるようだが、しかしそこは子供の脚。向こうとの距離はあまり離せていない。僅かでも敵の進行を妨げるようにゴミ箱や鉄パイプを横倒しにして道を塞いでいくが、後ろから追ってくる奴はそれを押し退けて迫ってくる。T字路の角を曲がった直後には、銃弾が背後の壁を穿った。
「ヒィっ!?」
「おうおう、容赦なく撃ってきたなあの野郎」
傍から上がった情けない悲鳴を他所に、後ろの敵を注視する。主軸は変わらずAK-47だが、よく見れば腰のあたりにサブアーム用のホルスターがあった。となると、まだ見えていない武装もいくつかありそうだ。
「一旦隠れるぞ。やり過ごせそうな場所はあるか?」
「えっ、あ、うん。この先を曲がったところに……」
「十分だ」
バンッ、と。俺のホルスターから引き抜いた拳銃が火を噴いた。狙いは頭上、路地を挟んで向かい合う家屋の間に渡された物干しロープ。プチン、と切れたロープは乗せられた衣類の重さで力なく垂れさがり、宙に白い布をぶちまけた。まだ乾かし切っていない衣類は水気を含んで重さを増し、空気抵抗に翻ることもなく真下へと落下していく。そこを通るのは、ちょうど俺たちを追ってきた男。突如として視界が遮られ、慌てて布を退かそうともがいている。
その間に、俺たちは近くの角を曲がる。そこはより雑多な廃材が投棄された場所。丁度二人が隠れられそうな場所を見つけ、二人で身を寄せ合ってやり過ごす。
「あ、アイツら、前は裏でコソコソしてるような連中だったのに今じゃ表でも平気で銃を撃ってくるんだ」
「へぇ……」
つまり、それはつい最近武器が流れるようになったってことか。
遠くからの物資がやっと届いた、っていうのは正直考えづらい。戦場なんかじゃあ手間がかかり過ぎるのは嫌われるし、それなら拠点を近くに置いた方が遥かに効率的だ。今回の依頼内容からしてみれば襲撃ポイントが近いのは美味しい話でしかないが、それはそれとして面倒な事案も孕んでいるということが判明してしまった。
「……シッ。来るぞ」
ダッ、ダッ、ダッ、と。地面を蹴る音が聞こえてくる。見失ったことに焦り焦りがあるのか、その足音はやけに大きく聞こえてくる。
そして、ちょうど俺たちが曲がったT字路に差し掛かると……男もこちらに曲がってきた。息遣いで気取られないように急いで口元を手で覆い、子供の口も覆っておく。
こちらに歩いてくる男が俺たちの傍を通る瞬間、減速し出したのでバレたか、と思ったが、男は一頻りきょろきょろと辺りを見回すとそのまま奥へと走っていった。
男の背中が見えなくなったところで安堵の吐息を零し、隠れていた場所から姿を現す。
「………何にせよ、こりゃ超過勤務は免れねぇな」
「えっ?」
「こっちの話だ。気にすんな」
前々からこの街へ工作を仕掛けていたんなら、連中の動きは計画なものに違いない。物資調達から街の経路の把握と言った根回し、そしてそれを行う上で欠かせない現地の協力員がいることも頭に入れておいた方がいいだろう。
そして表立って行動に移したってことは、下準備はほぼ完了したということ。お抱えのAK-47に、腰回りの拳銃はおそらくベクターSP1。冬装備の中には銃弾チョッキやナイフ……手榴弾もあると見るべきか。ともかく、たった一人でもあの武装であると考えるなら、予備も含めて向こうの装備はそれなりに充実していると考えられる。
───そんなフル装備の連中が狙うとするならアレしかない訳だが……
この件は後で依頼主としっかり話をしておこうと心に決める。報酬の一つも出なければ、慈善事業などやっていられない。
そんな密かな決意を心に留め、再び子供を前にして歩き出した。
「ちなみに聞くが、俺たちはどこに向かってるんだ?」
「……ともかくさっきの奴には見つからないような場所。そこまで連れていくから、後は絶対に騒ぎを起こさないようにして逃げて」
「へぇ、秘密の抜け道ってやつか。……いいのか、オレに教えても?」
「お兄さんは放っておいたら絶対ダメな人だってわかったから。でもその代わり、他の人には言っちゃダメだからね」
「赤の他人に抜け道教えるほど善人じゃあねぇからな。言うつもりは更々ねぇよ」
態々危険を冒してまで裏路地に引き込み、そして逃げ切れるように手配までしてくれた相手の言葉だ。無碍にするのは憚られるというもの。ここは素直に忠告を受け入れるところだろう。
しっかし考えれば考えるほどに、この少年はなんと聡明で正義感の強い子供なのだろうと感心してしまう。銃という目に見えた脅威を前にして勇気を持って赤の他人である俺を助け、剰え逃走の便宜まで図ってくれるというのだ。子供が勇気を振り絞るというのは、テレビのヒーローものの影響か、目の前の悪に対して真っ向から立ち向かうという行動になりがちだ。
だが、それは勇気ではなく蛮勇だ。後先考えずに危険を冒しては、守りたいものどころか自分の命まで危ぶまれる危険な行為だ。勝機の欠片もないのに行動を起こすのは、只の愚行でしかない。
その点、この少年は違った。
立ち向かっては叶わない。だが立ち向かわなかったらどうなるのかもわかっていた。だから、穏便に、かつ平和的な手段で俺を助けることにしたのだ。フードを深く被ることで顔の露見を避け、かつ路地から覗かせたのは腕の一本だけ。向こうの印象に残るのは腕一本しか見せていない子供より目立つコートを着た俺の方で、尚且つ俺が見つからないような場所に逃がしてくれるのだから、敵に見つかってからの銃撃戦に縺れ込む心配も極力抑え込まれているのだ。
民間人にも配慮し、尚且つ自分の正義感に背かずに俺を助け出せるのだから相当に頭がキレるはずだ。世にこんな子供たちが多かったならば、それはそれは素敵な世界になるんだろうなぁ、と思いながら───
「それじゃ、案内はこの辺で十分だ」
そう言って、懐の銃を突き出した。
◆◇◆◇
『ディーン、あんたはいっつも喧嘩ばかりしてるわね』
少女が、目の前に座る少年へと声を掛ける。呆れと諦めと、そしてその中に慈愛を含んだ、優しい声色。
『う、うるさい! あいつらが悪いことしようとしてたから…………痛たっ!』
『ほーら、そうやって動くから傷が沁みるのよ』
『うぅ……姉ちゃんのいじわる』
『自業自得よ』
叫ぼうとした少年───ディーンは、頬にぴったりと貼られた絆創膏の傷が沁み、恨みがまし気に姉を睨みつける。ただし涙目で睨んだところで、欠片も怖さを感じないが。
そんな弟の子供らしい反応に少女がくすりと笑い、くしゃくしゃと無造作に髪を撫でつける。
『でもね、ディーン。悪いことしてる奴らを懲らしめようしたことは、お姉ちゃんは素直に凄いなって思うわよ』
『ほ、ほんとうっ?!』
『ええ』
褒められた少年は少女の手に擽ったそうにするが、その頬は嬉しさで緩んでしまっていた。何だかんだ口では文句を言いながらも、最後は笑って受け入れてくれる姉のことが、少年は好きだった。ダメなことはダメと叱り、良いことは褒めて伸ばす。仕事で忙しい親に代わってよく面倒を見てくれた姉のことを、少年は母親のように思っていた。
これは、今は懐かしき記憶の話。
春麗らか木漏れ日が差し込むベランダで、擦り傷だらけになった少年が姉に手当を受けていた時の話だ。
『ディーン、あなたのそういう所は確かに美徳よ。………でも、でもね。世の中そうやって上手く割り切れないこともあるのよ』
『? 姉ちゃん?』
いつもと聞き慣れない弱々しい姉の言葉に、思わず振り返ろうとした少年だが、その動きは頭をより強く撫でられることで叶わない。それとも、振り返らせないことが目的だったのだろうか。今思えば、その時姉は自分に頑なに顔を見せたがらなかったような気がした。
『それはね、大切な何かを守る時よ』
『何かを、守る時?』
『ええ、そう。何かを守るためにはね、別の何かを捨てなきゃいけないの』
『うぅ……わかんない! 全部守ればいいじゃん!』
『ふふっ。ええ、そうね。…………そうできれば、いいんだけどね……』
子供ながらの答えに、思わず少女が笑いを零す。しかし尻すぼみになっていく声には、どこか諦めの色があった。
すっくと、姉が立ち上がる。慌てて少年が振り返るが、その時既に姉は億の扉へと歩き出していた。何か嫌な予感がした少年が、姉を呼び止める。
『ね、姉ちゃん!』
『ディーン……ちゃんといい子にしてるのよ。お姉ちゃん、ちょっと出掛けてくるから』
『何処に行く気だよ姉ちゃん!…………姉ちゃん!!』
痛みが身体を走るのを意に介さず、少年は姉に向かって叫んだ。子供は、周囲の機敏を感じ取りやすい。姉の僅かな変化を感じ取り、思わず叫んだのだ。
だが、姉の歩みは止まらなかった。ただの一度さえも振り返ることなく扉の奥に消え───
衣服を剥がされ、力なく鎖で繋がれた姉の写真と脅迫文が送られてきたのは、その2日後のことだった……。
そして今に至るまでの半年間、少年は姉の顔を見たことはない。
◆◇◆◇
カチャリとハンマーを下ろすと、この時勢を理解できる程度に早熟したこの子供はすぐに自分の状況を理解する。一歩一歩、踏みしめていたその小さな脚から力が抜けていく。
「な、何をしてるのお兄さん? そんなことしたら案内が───」
「惚けるなよ嘘つき野郎。ペテンに掛けるなら、もう少し慎重に行くべきだったな」
完全に足が止まったところで、頭の後ろに銃を突き付ける。声は強張り、脚も文字通り恐怖に震えていた。そこに容赦なく、追い打ちをかける。
「前々からこの街に潜伏してた用意周到な連中が、ガキでも見つけられる抜け道を抑えていないはずがねぇ。考えてみりゃ、誰でもわかる簡単なことだ」
それに加え、あの男は俺たちが隠れていたT字路に差し掛かった時、欠片も迷う素振りを見せずにこちら側に曲がってきた。まるで最初からこっちに曲がるのが分かっていたように……いや、いつも通りと言うべき慣れた足取りでこっちに曲って来たのだ。
そう考えると、こいつとあいつが最初から裏で結託していたと見るのが妥当だろう。手際のよさから、既に何人も同じ手段で手に嵌めているのかもしれない。
理想や空想。そんなものの正体が、これだ。
「ま、ここまで運んでくれた駄賃はやろう。そいつでママにいいもの買ってもらいな」
口止め料と、これ以上は干渉するなという脅しを込めて、紙幣を服のポケットに忍ばせる。行動、仕草、雰囲気から察するに、やんちゃ坊主ではあるが不良少年というわけではないはずだ。何か、よっぽどの理由があるのだろう。でなければ、進んで他人を殺気立った人間が複数いる場所へ案内するという悪辣な所業をしているとは考えづらい。
「───ない」
「あん?」
ぼそりと、少年が呟いたのを反射的に聞き返す。すると少年がぐるりとこちらに振り返り、今度は声を大にして叫んだ。
「いらない!! そんなの貰っても殺されちゃうだけだ!! 母ちゃんも、父ちゃんも、僕も。………それに姉ちゃんだって、二度と帰って来なくなる!!」
冷気を纏う木枯らしと共に、少年の声が耳を打つ。ひらひらとコートが煽られ、宙を泳ぐように翻る。人通りの少ない裏路地がシンと静まり返り、冷たさとは別のものが空気を張り詰めさせていた。
対峙する少年の目は迷いなく俺を睨みつけ、一歩も退かない覚悟を持っているのだと理解させられる。それは先程とは違い、追い詰められて尚敵を睨みつける獣のような目だった。
「へぇ………攫われたか。連中もまた汚ぇ手を使いやがる」
「そうだよ。だから、僕の大切な家族のために───」
あなたが代わりに死んでください……。
その言葉は驚くほどに、自然と俺の心に響いた。
日本でも、アトロシャスでも、殺す、殺すと日常的に使われているが、その言葉の多くはどこか薄っぺらい印象が付いて離れない。
それはきっと、覚悟の有無。殺すからには殺される覚悟を持っているかどうかの違いだ。気持ちの籠っている言葉には、言い知れない重みというものが現れる。たった一言の言葉でも、相手を黙らせることは可能なのだ。
その重みが、少年の言葉にはあった。
「ク、クククッ。あっはははっ、ははははははッ!!! 『死んでくれ』か!! お前はオレにそう言ったのか!? ペテンの次はホラ吹きとは、なかなかどうして肝が据わっているじゃあねぇか!! 」
だからこそ、俺は少年の評価を改める。早熟したが故に、全てを守ることはできないと無力を知った失望。守るためには代わりに何かを犠牲にしなければならないと知った葛藤。それら全てを飲み込んでやると覚悟を決めたその心を、俺は評価しよう。
あるいは、過去の自分の姿を重ねただけなのかもしれないが。
いきなり笑いだした俺に一歩後退った少年を、もう一度見やる。瞳には怯えが見えるが、その奥には確かな覚悟が宿っていた。
「いいぜ少年、気に入った。そういうのは嫌いじゃあねぇ。……一日だ。今日一日だけ耐えろ。そうすれば、この街に巣食っている連中はこの街から姿を消す」
「な……一体何を言い出してるの!?」
飛び出した荒唐無稽な言葉に言葉を詰まらせるも、少年は泡を吹いたように俺に食って掛かる。向こうの戦力と、その恐ろしさを知っているのだろうか。だが、連中はどの道排除しなければならない敵なのだ。クライアント側も動いていることだろうし、俺が動くとしても戦車やヘリもないならやり方はいくらでもある。
「警察の奴らだって、あいつらが好き勝手してるのに何もできないんだよ!? そんなやつ相手に、一人で何ができるっていうのさ!!」
「そうだな。確かに法の番人には、ちと難しいことだろう。……けどな───」
そう言って、背中から銃を取り出した。黒塗りのサブマシンガン───MP5 A5。
32発の命を奪う弾丸を込めた愛銃は、手にずっしりとした重さを伝える。コッキングレバーをカチャリと引き、弾を送り込む。
狙いは側面。民家と外とを仕切る木製のドア。狙いは簡単、的は動かない。距離にして2mもない標的に向かい──────ファイア。
ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッ!!!
突き抜ける衝撃、零れ落ちる薬莢。腕に伝わる確かな衝撃は、命を奪った重さの証。風切り音は火薬の音にかき消さされ、当りに火薬の臭いが充満していく。
カチンッ、と。引き金が虚しく引かれる音が響いた頃には、32発の凶弾は全て吐き出され、それと同数の空薬莢が地面に転がっていた。
その間、少年は一言すら喋っていない。目の前でいきなり行われたフルオート射撃に、度肝を抜かれていたのだろうか。再び少年に向き合いながら、俺は途切れていた言葉を繋げる。
「覚えておきな、少年。悪党を倒すのは、いつだって同じ悪党だってことを」
ドサリ、と。扉を押してターバンを巻いた死体が転がり込む。
目の前の少年と話している時から控えていた、退路を塞ぐための人員だろう。少年は知らされていなかったのか、それを見て驚愕していた。
「な……な、な……」
空になったマガジンを捨て、新しいマガジンを装填する。敵の装備と今の練度からして、実力は精々が傭兵崩れと言った所。これなら遅れを取る理由はどこにもない。
ポン、と少年の頭に手を置き、そっと声を掛ける。
「いい子は家で大人しくしてな。こっから先は、悪党の仕事だ」
片手を振り、その横をするりと通り抜ける。行先は敵の狩場。まんまと獲物がかかったと高を括っている、慢心した獲物が待ち構える場所。
───さぁて、仕事の時間だ
高らかな開戦の銃撃音の音が、裏路地に鳴り響いた。




