赤と銀の硝煙二銃奏12
時刻は犯罪都市が第二の顔を覗かせる逢魔が時。
サンサンと降り注いでいた陽は既に勢いを失い、街一帯はオレンジに覆い尽くされている。さして特筆すべき事件も起きなかった一日が過ぎようとしている今日のこの頃、玉樹會の本拠地最上階に位置する一室では、劉が煙草を片手にソファへと腰を落ち着け、受話器を片手に話をしている。
「ああ、お宅が言うことはごもっともだ。あそこを墜とされたら、いよいよ世界は向こうの思うがままになっちまうだろうさ。……そうカッカしなさんなよ。一応の手は打ってある。振ったダイスの目が分かるまで緊急発進の指示は待っててくれよ? ……ああ、いざって時は頼りにしてるさ、合衆国国防副長官様?…………ハァ」
通話を切った瞬間に溜息を一つ零し、疲労の色を隠さないまま受話器を放る。
心中に渦巻くあれやこれやを飲み下そうとグラスを煽る所作は、それだけでこの案件がどれほど厄介なものなのかが窺える。
「……兄貴、お疲れなら少し休まれては?」
「こっちも休めるなら休みたいところさ。だがな、今こっちはとっくに火のついた、複雑怪奇に枝分かれした導火線を一本一本消していかなきゃいけねぇ時なんだよ。……一本でも取りこぼしてみろ。そしたらアラブ首長国連邦は火の海だ」
部下の進言をバッサリと切り捨て、纏わりつく疲労感を振り払ってテーブルの報告書と向き合う。世界の大国を含め、劉の所属する玉樹會が支持している『OPEC義勇軍』が今回の紛争地帯において諸々の武器を掲げて戦闘行為を行えていたのは、編にハムドチェラ地区ならば更地にしようと支障がないという理由だからだ。人も物も金も何もかも。皆同じく等価値に消費されていき、他所人に何ら影響を与えない場所であったからこそ、貧相なお題目を掲げて武力を行使できていた。
しかし、大手石油産出国ではそうはいかない。
そこまで侵攻されては、如何に裏から情報局に手を回してニュースの内容を誤魔化そうにも表沙汰になるのは必須。何せ石油だ。昨今のエネルギー供給のほとんどを賄っている資源であり、その供給路が絶たれるということはそのままライフラインが絶たれることと同義。それを評論家たち知ったならば、我先にと、声高に「石油産業が危ない」などと仄めかすことだろう。オイルショックの再来だと、どこかの誰かが言ったならば世界中でパニックが起こるはずだ。
生活の基盤を支える資源の供給源を個人が抑えようものなら、全方位から反発を受けるのは自明の理。そのため、政府組織に留まらずマフィアやギャングの間でも一次産業と鉱業には手を出すべきではないという暗黙の了解があった
だが、今回はそれが侵された。事が明るみに出たならば政府の行動如何を無視してデモやらパニックやらが起きるのは火を見るよりも明らかで、各国政府としても、そして玉樹會からしてもそれは望まれることではない。
故に、今回の案件は是が非でも、表沙汰にせずに食い止めなければならないのだが──
──トゥルルルルル、トゥルルルルル……
劉が頭を悩ませ、パラ、パラ と紙を捲る音だけが静かに響いている部屋の中に、一本の電話が鳴った。その音源は、劉の懐に納まっている携帯から。こんなタイミングで誰からだと、そう思いつつ画面を開いたところで劉のその思考は露と消えた。
「ほう、『登録名なし』ねぇ……」
画面に表示されているのは『登録名なし』の文字。この番号を知るのは組織内でも限られた人間だけであり、劉が自ら教えた者を除いて部外者が知ることはまずあり得ない。しかしこうして自分が登録していない番号から掛けられたということは、発信者はそうしなければならない状況下であるのだろう。
テーブル上に無造作に放られた報告書の束と、そこから浮かび上がった敵勢力の有り難くない不穏な動き。今現在こうして劉の頭を悩ませるような状況下であって劉が発信者として自然と思い浮かんだのは、一人の男だった。
「おう、マックスか? 墓の下から態々墓地の場所を知らせに電話とは、随分と殊勝な心掛けじゃないか。あとで酒でも供えてやろうか?」
『開口一番に人を亡き者にするとは大した肝の座り様だな、劉。今晩辺りに枕元に化けて出てやろうか?』
「おー、怖い怖い。今晩馴染みの霊媒師に除霊の依頼をしないとな」
クツクツと笑みを浮かべ、受話器の向こうでいつも通りの飄々とした笑みを浮かべているだろう相手に向けて紫煙と共に毒を吐く。無論のことながら、劉は電話先のマックスが死んだとは微塵も思っておらず、しかし確実に何かしらの手段で連絡は来るだろうと思っていた。
───まぁ、お前から直接連絡が来たのは意外だったけどな……
内心でそう思いつつ何事もないようにソファどっかりと構え、フゥ と紫煙を吐き出す。
彼からしてみれば、部下からのマックスの報告を待っていたのであって本人からの連絡は期待してなかった。偶々タイミングからしてマックスからだとわかったものの、連絡が来るとするなら部下に連絡役を任して彼自身は任務に集中しているのだろうと踏んでいたため、その内心は意外に思っていた。
心なしか、マックスの声のトーンが高くなっているな と思いつつも、そのことを心の片隅に留めつつ話の続きを促した。
「それで? 態々任務途中に電話を寄こすんだ。予想外のことでも起こったか? こっちで入手した情報通りなら、部下を追加で送っても責めはしねぇぞ?」
マックスがこの街を経った後に、彼と入れ替わるように舞い込んできた情報から判明したのは、マックスが到着する時期にかち合うようにして『S.R.H』お抱えの部隊が投入されるということ。
その部隊の名は『ライカ』
その武は、世界屈指を誇るイタリア軍隊をして厄介と言わしめたほど。劉自身、過去に散々煮え湯を飲まされたからこそあの部隊の恐ろしさを知っている。アレが投入されては任務失敗をも視野に入れなければならず、失敗を許容する対価としてマックスに大きな貸しを一つ作っておく予定だったのだ。
『ハッ。そっちの子飼いの部下を追加で寄こすまでもねぇよ。たった今、任務を終えてクソ溜めからズラかってるところだ』
「……なに?」
しかし、投げかけられた言葉は思い描いていた懸念とは逆のもの。
そのゆったりとした所作な劉の眉が、ピクリと動いた。事もなげにさらりと電話口から伝えられた事実を、胸の内で半濁させる。
それは劉の思考を停止させるも、しかしそれを嘘だと思わせない確かなものがあった。それをやってのけたのは、あのマックスだからである。劉が、この街にいる人間の中でも精鋭と呼べる人間を厳選して挑んだあの作戦を、過半数の無力化という結果で以て切り抜けた規格外な男。
余計なフィルターを取り除き、十分にその情報を噛み砕いて頭に回し切り、ようやくストン と納得し終えた劉はその口に抑えきれぬ悦が沸き上がった。
「ク、クク……ハハ、ハハハハハハッ!!! 流石だなぁ、マックス! 部下の情報通りならそっちは相当荒れていたはずなんだがなぁ?」
「お前の言う通り、酷い荒れようだったよ。いかにも一気に片付けに来たっていう装備の充実ぶりだったな。……ったく、どさくさに紛れて標的の首は獲れたから良いものの、これを見越して依頼出したんならお前はとんだ食わせ者だよ」
「よせよ。照れるじゃねぇか」
いつも通りの言葉の応酬。互いに気分が高揚しているからこそのやり取りだろうが、話している内容が内容だけに、受け取りようによっては抗争待ったなしの宣戦布告である。スピーカーモードに切り替えて周りの部下に聞かせていたら、即戦闘準備に取り掛かっていたことだろう。気分とは斯様に恐ろしや。
「にしても、よく生き延びられたな。頭が討たれたんなら連中は死に物狂いでお前を討ちに来ただろうに」
『お察しの通り、任務遂行中よりも任務遂行後の方がよっぽど熾烈だったな。連中が取り乱してパニックになるなんて夢見てよかったと冷や冷やしてるところだ。……まぁ、こっちも遮二無二でやってたからな。気付けば街の外で車を飛ばしてたさ』
「そいつぁ随分なことだ。おかげでこっちも、余計な面倒事が消えて助かってるよ」
『まったくだ。きっちり、予定外のことも含めて仕事を終わらせたんだ。報酬は弾んでくれよ?』
「ああ、いくらか色を付けて送ってやるよ」
それじゃあ
ああ
プツン と通信が切れ、会話が途切れる。
懐に携帯をしまい込み、グラスに注がれていた酒を口に含む。これからまた酷使することになるだろう脳に向けて、栄養を注ぎ込む。薄まるストレスと、スゥ と引いていく疲労感。酒を飲むからこそ味わえる感覚を十全に堪能しているという所で、外からドタドタと騒がしく伝わる靴音に束の間の静寂はかき消された。
「あ、兄貴! 今、外から連絡があって───!」
「ハムドチェラ地区の一件なら、ついさっきマックスから連絡が入ったぞ。マックスの奴がゴザンを討ち取ってケリがついたんだってな」
指先で挟んだ紫煙の昇るタバコを部下に向けつつ、劉は言葉を遮りそう返した。最大の懸念事項だった案件がようやく消化された今、どこか自身も気分が浮ついていることを自覚しつつ、突然部屋に入ってきた部下のことは不問にすることにした。
だが、その部下は焦燥と恐怖を綯交ぜにした表情で首を横に振る。まるで、そんなものは些末事でしかないと言わんばかりに───
「れ、連中は……全滅っす…………」
「何………?」
上手く聞き取れなかった。……否、劉をしてその言葉を理解することができなかった。
浮足立っていた高揚感が息を潜め、途端身体の芯が凍り付くような感覚に陥る。
そこから先を聞き返すのは容易だ。だが、その先に待っているものは荒唐無稽な現実。
そんなものは物語の中だけで十分だと、心のどこかで訴えかけてくる。思考と感情が停止し、それ以上先の答えに辿り着かないように無意識に活動が凍結されている。
あまりにも非現実的で、あまりにも理解不能で、あまりにも…………悍ましい事実。
しかしそれは、不変にして確然の事実であり───
「『解放戦線』を含め、『ライカ』の部隊諸共………
…………奴一人に、全滅させられました!!」
ポトリと、劉の手から、煙草が零れ落ちた。
◆◇◆◇
「ふぁ、あぁぁ……」
身体が怠い。視界がぼやける。思考が朧気になる。意識を保つのも億劫になるほどの疲労がドッと押し寄せ、このまま寝てしまいたいと身体が勝手に睡眠態勢を取ろうとするのを理性でねじ伏せる。
車のハンドルを握りしめているというのにこの有り様。睡魔とは状況を選ばず襲い掛かってくるものなんだと改めて思い知りつつ、輸送業界でトラック運転手の事故が異様に多いのはきっとこういう状況下を強要されているからなんだろうな、なんてどうでもいいことを考える。
身体も打ち身だらけで心身共に疲労困憊。敵兵に囲まれている状況で体力が底を尽きかけていた所を只々高揚感だけで乗り切った所為だろうが、そのおかげでこうして今の俺は体の良い的にまで成り下がってしまっている。立ち塞がってくる敵だけをどうにかしたとは言え、やはり無理があったのだろう。
───新調したライフルは早速ガラクタになっちまったからなぁ。……ロットンにどやされるのは覚悟しなきゃだな……
随分と軽くなった肩の荷に思いを馳せつつ、このことを伝えた後のロットンの怒り心頭な顔が容易に思い浮かぶ。帰ったところで心配事ができた訳だが、流石に俺を殺すようなことはないだろう。
劉への連絡もあの地区から抜け出した段階で済ませたことだし、後はアトロシャスに帰るだけとなった。早い所飛行機の席を予約してゆっくりしたいものだ。
既に日暮れも過ぎており、オレンジ色だった大地も大分薄暗がりになってきている。
車窓から見えるバクダッドの市街では街灯やら家の灯りが街を彩るようになっているし、すれ違う対向車両もほとんどがヘッドライトを灯している。
タクシーやバス、軽自動車や普通車が思い思いに走り、点が尾を引き線を描く、夜特有の路の光景。ここはまだ平和な街なんだな、と束の間の平和に懐古的な感情を抱いているそんな時に───
───パンッ、と。対向車線のトラックから、何かが破裂する音がこだまする。
「ん……?」
通常通り走っていては絶対出ないであろう音に、ふと意識がそっちに傾いた。
そして目にする。
ふらつき、まるで制御をできなくなったかのように二度三度と蛇行し、ハンドルを切ってこちらに迫ってくる大型トラックの姿を───
「おいおいおい、そいつは洒落になんねぇぞ……!」
緩んでいた神経を本能が鞭を打って叩き起こし、思考をフル回転させるために脊髄の熱が一気に奪われる。状況に一刻の猶予もなしと脳が即座に判断し、すぐさまシートベルトを外して身を自由にする。こちらに車体の正面を向けているトラックのヘッドライトが視界を遮り、連続的に鳴らされるけたたましいクラクションが耳を襲う。
結果は出した。なら、後は身体の動かせ───!
身体に熱が戻り、代わりに脳の思考が停まる。
身体が最短最善を過程を省略して理解し、思考に使うためのエネルギーを削ぎ落し身体が最速で動くためのエネルギーとする。
脚を抜く────既にトラックが目前へと迫っている。
ドアを押し開ける────遂にトラックが車体を捉え大きく揺れる。
助手席を蹴り外へ飛び出す────トラックが車両を巻き込み家屋へと突っ込んでいく。
一拍遅れ────爆発
ドゴォォォォォォォォォンンンッッッ!!!!!
吹きすさぶ爆風と熱風に背中を押され、砂埃の舞う薄暗い裏路地を二転三転と転がり衝撃を分散させていく。負荷がかかり過ぎないレベルまで失速したところで体勢を立て直し、四つん這いになって身体の勢いを殺す。数mの距離を摩擦で痕を付ければ、完全に勢いは死んでいる。
少し遠くに見える景色は、実に見慣れた光景だった。
濛々と上がる火柱に、飛び散る瓦礫とガラス片。爆風は無差別に周囲に拡散し、煽りを受けた原付バイクや歩行者が無残にも吹き飛ばされ、路上へと投げ出された者はそこで二次災害の被害者となる。事故が事故を呼び、混乱と恐怖が人々に伝染し、悲鳴と喧騒は惨劇を彩るバックミュージックとなり、突如として起きた事故をより一層悲劇として引き立てていく。
つい先ほどまで見ていた、あの場所と同じ光景だ。
「クソッ、やってくれるなぁ……!」
苛立ち混じりに言葉を吐き捨て、埃を払う。裏路地の入口は落ちてきた瓦礫に完全に塞がれていて、進路はこの路地を奥へと行く道しかない。
ジメっとした陰湿な空気が肌を伝う。底なしの泥沼の最奥と比べるのは烏滸がましいが、それでも下衆な犯罪が行われていそうな空気が漂う道に歩を出し歩みを進めていく
ようやく終わりかに見えたこの依頼。その最後にこんな事故に遭うなんて、随分と不幸なことだ────
────なんて、単純なことならよかったんだけどなぁ……
目の前で起きた不自然なトラックのパンク。引き起こされた事故。封じられた退路。
逃げ出したとなればここしかないという場所に、これでもかと誘導してくる一連の流れ。
こうなるしかなかったという、作為的なまでに整えられた状況。
全てを繋げて記憶を漁り、導き出される答えを携え、裏路地の角を曲がれば、そこには当然とばかりに彼女の姿があった。
壁に背を預け、腕組みをしながら俺を出迎えたのは、凛となる鈴の音のような声を持つ絶世の美女。
「よぉ、アリシア……いや、アナスタシア・アリーニナ、か。せっかく紛争は終わったんだ。ここは余韻を楽しみつつ、お家に帰るのが流儀ってもんじゃねぇのか?」
「そうね。でも、待ってる人たちにはお土産を渡すっていうのも、れっきとした作法だと思うのよ」
『S.R.H』所属。『見えざる凶刃』アナスタシア・S・アリーニナ
偽装工作員として俺に接触し、寝首を掻こうとした暗殺者にして、卓越した狙撃技術も持ち合わせ、あの戦場で俺と銃撃戦を繰り広げた一流のスナイパー。
それが再び、俺の前に立ちはだかった。
「さしずめ、そのお土産はオレの首ってわけか」
「ええ、そう。これ以上ないお土産だと、私自身も確信しているわ」
「ハッ、そうか。……退く気はねぇってわけか」
「言うまでもないことでしょ?」
壁から背を離し、完全に通路を塞ぐ。利き手に携えたFN ブローニング ハイパワー のスライドがカチャリと引かれる。その所作に一切の躊躇いはなく、今、確実に、ここで俺を殺すという意思が言葉無くして伝わってくる。普段通りの人を魅了して止まない微笑から覗く瞳には、明確な殺意の色があった。
それを見てこちらも躊躇いなく、ホルスターの拳銃を引き抜いた。
ニヒルな笑みを携えたまま、両の腕を軽く開き、ゆっくりと歩みを進める。
警戒を解かず、むしろ集中を最大限に研ぎ澄ませる。
意識の切り替え。カチリと頭の中で何かが嵌り、完全に『俺』の思考が消え去った。
「ハッ! 暗殺者であり、狙撃手でもあるお前が、まさか真っ正面から来るとはなぁ────よほど死にたいらしいな。その白い服を赤に染めたら、さぞや映えるだろう」
そしてピタリと歩みを止め、声色に殺意を乗せる。
───さぁ、仕事の時間だ!!
「ふふ。そうね………色男の血で染められたのなら、さぞや映えることでしょう、ね!!」
「ばーか。そいつを染めるのは……お前の血だ!!」
銃撃が、衝撃が。空気を裂き、硝煙と殺意を交えて優雅に踊る。
赤と銀の硝煙二重奏。その最終幕が今、火花を散らし幕を開ける。
ラストのシーン。ここが書きたかった
このシーンに持っていくのにかなり脱線とかあったけど、無事に辿り着いてなにより




