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戦客万来Ⅱー7

力尽きた……



 船上で佇む男が、微動だにさずに思慮に耽る。

 それは、つい昨夜のことだ。アトロシャスにあるとあるマフィアの拠点が襲撃され、構成員は全員殺害された。殺られたのは、男の所属する組織とかなり仲のよかった組織。組織の長どうしの仲も良好で、共に薬や女を売るといった悪事を働いたり、不利になったら躊躇わず加勢に入ったりと、互いに持ちつ持たれつの関係を持っていた。その組織の中には、この男と気の合う飲み仲間も何人もいた。

 組織は違えど、二つの組織の間には友情にも似た確かな絆のようなものが生まれていた。打算の範囲内の関係を越えたそれが、決して長続きするものではないことはよくわかっているはずだったのだが、その関係が十年近くも続けば次第にそんな懸念は薄れてくる。いるのが当たり前、明日も、明後日も、会おうと思えばいつでも会えるものだろうと思っていた。今夜も誰かと飲もうか、そう思っていた矢先だった。



 日も完全に暮れた宵の頃。男の事務所にかかってきた一本の電話で、彼らは現実を思い知らされた(泡沫の幻想から覚めた)



『た、助けてくれ!! 拠点(アジト)が、拠点(アジト)が奴らに襲撃された!!』


 相手方の組織のボスの、焦燥しきった声が電話越しに部屋の中に響き渡る。

騒いでいたメンバーの顔が、一気に緊張を帯びた。


『フォラータ・アルマの連中、こっちが刺客送ったのに勘付いたのか容赦なく攻撃してきやがった!!』


 受話器越しに聞こえる、聞きなれた火薬音。窓ガラスが、壁が、装飾品が、その身を爆ぜさせ崩れる音が、絶え間なく聞こえてくる。そこに混じって、野太い悲鳴が聞こえてくる。たった今襲撃を受けていることが、ありありと伝わってくる。

 メンバーは、すぐさま動ける準備を整えだす。中には、もう準備を終えている者もいた。仲間の危機に向かわないのは、己の恥であると、そう言う者までいた。



『──ん? おい、なんでお前がそこに……ちょうどいい! こっちだ!! 助けてくれーー!!』


 近くに、仲間でもいたのだろうか。電話越しの相手ではなく、視認した相手に呼びかけるような声だった。

 よかった。多少でも増援が入ったのだろう。聞けば、最近名を上げだした一級品の戦力を雇ったと、酒の席で語っていた。恐らくそいつなのだろう。安堵の気持ちとともに、早く自分たちもそこに行かなければ、という使命感が身体を動かす。



 だが、僅かに生れた希望は一瞬にして絶望に転じた。



『お、おい、なんで遠ざかる……お前、まさか裏切ったのか!? 俺たちを売ったのか?!』



 僅かに希望の差し込んだ声色が、いっそう深い絶望に塗れた声色に変わった。

 メンバーの顔色が、一瞬にして陰る。内臓が、鉛のように重くなった。



『待てよ、待てよ畜生……!! マックスゥゥゥァア────』



 一際大きな炸裂音と破砕音。それは電話をかけてきた男の声を遮り、続く言葉をかき消し、「ツー、ツー」と無機質な音に書き換えた。

 その先は、聞く必要もなかった。

 窓の外を見れば、とある方角の夜空が、そこだけ夕陽のようにオレンジ色に染まっていた。

言うまでもなく、その組織の拠点のあった方角だった。



そして向かった先、かつて酒を飲み交わし、賭博で大損して泣いた、酸いも甘いもある『馴染みの場所』は、一瞬にして『思い出の場所』に成り果ててしまっていた。






◆◇◆◇






 ギリッ、と男が歯ぎしりをする。思い出すだけでも、腸が煮えくり返る。

 アイツらを裏切ったあの男は、何が何でも見つけ出し、血祭りに上げなければ気が収まらない。今朝、悲しみの中で作り上げた仲間の墓標を前に誓った約束は、今も彼の心に生きている。



「マックス……てめぇだけは、絶対に許さねぇぞ……!!」



 キツく握りこぶしを作った男の瞳に宿るのは、報復の二文字のみ。

 彼だけではない。彼の属する組織が、飢えた獣のようなギラついた目をしている。



 その全ての瞳が見据えるのは、水上を滑るようにして迫ってくる赤い悪魔(マックス)



 轟音とともに味方の船がオレンジに染まり、仲間共々船が海の藻屑と沈んでいくのを、双眼鏡越しに確認できた。船団の指揮官機を墜とし、統率の取れなくなった残り2隻を墜とすことなど、彼からしてみれば赤子を弄ぶかのように容易かったことだろう。攪乱し、隊列を乱し、連携を取らせないように立ち回り、目立った被弾も見せず、悠々と最後の1隻をロケットランチャーで沈めてみせた。



 激しい炎を上げて沈んでいく船を見届けたのは、僅か数秒。

 それでもまだ食い足りなかったのか、ロケットランチャーを水面に投げ捨てると、なおもエンジンをふかして水上を駆けて行く。

 貪欲なまでの戦闘衝動。だが、彼らにとっては好都合。

 群れ成して狩る狼のように、ほぼ無言ながらも煮え滾る殺意の瞳を隠しもせず、彼らは準備を進めていく。



 彼らが乗る船は、他と比べて一回り以上に大きい。他の高速魚雷艇に比べて装甲は頑強かつ重すぎないことで高速航行を可能としており、尚且つ装備がより強力となっている。Mk.3 40mm単装機銃を二基装備し、後方には72式Ⅰ型の魚雷を携えた4門の魚雷発射管が鎮座しており、今か今かとその砲撃の許可を心待ちにしている。



 だが、甲板に鎮座した物々しい兵装が、圧倒的存在感でそれらの請いを霧散させていた。

機関室からは前方が全く見えないほど巨大な質量を誇る物体が、船体から優にはみ出している長大な砲門を、陽光の下に晒して怪しく光る。重厚な機械音を鳴らしながらゆっくりと動き、照準をマックスへと定めた。その動きは鈍長なれど、それを責める者は誰もいない。逸る気持ちを押さえつけ、全員が速さを捨てて確実性を取っていた。

 何故ならそれは、当たれば必殺の一撃となるのだから。当たれば標的は秒も持たずに粉微塵に帰し、跡形もなく海の藻屑と消え去るのだから。



「砲撃、用ォォ意ィッ!!」



 船上にいる乗組員が、バタバタと定位置に着く。砲射手を除く全員が手摺にしがみつき、放してなるものかとガッチリとホ-ルドする。それらを確認し、唯一残った射手はその野太い声を契機として、手元の操縦桿で巨大な砲門を操作し──構えた。

 狙うは遥か彼方、数km先を走る、戦場で命を食い物としている赤い悪魔。

 こちらに気付いた様子は、ない。これ以上とない絶好の機会(チャンス)。近づかれれば、ジ・エンド。なれば、今撃たずして、一体いつ撃つと言うのか──!



()えェェッ!!」



 待望の合図を以て、トリガーを引く。釣られ、砲身が紫電を帯びる。内包された二本のレールにバチバチと火花が迸り、燃え上がる殺意のように膨らんだ熱量が唸りを上げる。



 ──────────ッッッ!!!



 破壊の光が、海を薙いだ。この世のあらん限りの殺意と憎悪を滲ませた極光が、紫電を纏わせ海を切り裂く。音速をとうに越えた閃光は、相手が気付いた時には既に目前と迫っており着弾と同時に眩い光を瞬きの間に発する。



 その直後──音が死んだ

 引き起こされた静寂。音が止んだ無音の世界で、音よりも早く風が来る。荒れ狂う暴風。勝鬨の声に似た、破壊を決定付ける大質量のそれらが、水面に浮かぶ船を何度も打ち付ける。次いで追走するかのように、一拍遅れて破壊の音が鼓膜を打つ。

ようやく頭を擡げた彼らの目に映ったのは、第二次世界大戦を連想させる、天に昇る大質量の水柱。機雷や魚雷によって戦艦が天に召される様式美にも似た光景が、彼らの網膜に焼き付き離れない。



 その壮観な景色を、彼らは眺めることしかできずにいた。






◆◇◆◇






「キタキタキタァーーッ!!」

「ビバッ!! ロマン砲ォォッッ!!」

「「イエェェイッ!!」」



 バカ騒ぎに似た声量で、文字通り小躍りをして身体で衝動を表現している二人の男女(トリアナとオクトー)

 モニターに全画面で映し出されたリアルタイムの戦闘シーンを前にして大はしゃぎし、子供のように身体で感情を表現している様は、見ているだけなら微笑ましいことなのだろうが、モニターに映るのは人が争い、銃口を突き付け撃ち合い、命を奪い合う殺人現場であり、それを見ても欠片も感情が揺れずむしろ面白がっている姿は、果たして正常と言えるのだろうか。その喜びはしゃぐ無垢さの裏に、隠し切れない純粋な凶器が垣間見えているようにも思えた。



 いや、もしかしたらこれこそが、アトロシャスでは正常なのかもしれない。



 人が死ぬのは日常茶飯事。喧嘩に殺しも、息をするように起こるのがこの街だ。

 彼らにとって殺人(それ)は単なるイベントでしかなく、娯楽として楽しむべきエンターテインメントでしかないのかもしれない。でなければ、人の死を見て無邪気な笑顔でハイタッチなど出来ようものか。



「……また、か。いつ見ても、コレは受け入れがたいものだ」



 そんなお祭り騒ぎな二人の喧騒の中で、ボツリ、と低い声が零れた。それを敏感に拾い取り、二人が視線を映した先にいたのは、憂いの表情を浮かべたウーナスだった。溜息を零し、思いつめた人のように眉間に皴が寄っている。こんなことが当たり前でいいのだろうか? と、そんなことを思っているのが容易に窺えた。そんな思いつめた表情の彼に対して、二人は「またか」という態度をとった。



「まーた始まったねー。ウーナスの悪い(・・)クセ」

「そうだよそうだよ。ウーナスももうちょっと緩くいこうよぉ。そんなんじゃあすぐに気が滅入っちゃうよ?」



 そんな彼に甘く囁く二人の悪魔。

 目の前の事実を前にして無邪気に嗤う二人は、幼さよりも狂気を孕んでいるといった方が適切なのかもしれない。薄く弧を描く口元が、不気味に見える。前に立った二人に、ウーナスが言葉を返す。



「うるさい。俺は、お前たちのように壊れ物(・・・)にはなれない」



 ぶっきらぼうに、甘言をスッパリと拒否したウーナスは、忌々し気に二人に目をやる。と言っても、これも何度目かわからないほどに繰り返された問答。暖簾に腕押し、糠に釘。何を言っても無駄、どうやっても相容れない。正常と異常など、そんなもの。きっとそんな彼らの考えは、永遠に平行線のままなのだろう。



「フフフフフフ……操縦技術も最高レベル、取りたいデータが取り放題……素体としても申し分ない……フ、フフフフッ! これからどうしようかなぁ……ヒヒヒッ」

「あちゃぁ、こっちもまーた始まっちゃったよ」



 そんな部下たちのやり取りなどどこ吹く風。映像データを前にしてブツブツと呟くユーリに気付いたトリアナが、またか、と呆れた声を出す。彼女をはじめとした部下たちには見慣れた光景なようで、特にこの急変に違和感を覚える者はない。はぁ、とため息をついて、面倒くさいと思っていることを隠そうともせず、少し大きめの声で自分の世界に入り込んだユーリに声をかける。


 

「所長―、実験素体に使えそうって言っても、ヘルメットがあれじゃ(・・・・・・・・・・)、彼を捕まえるなんて無理なんじゃないの?」



 そういってクイクイ、と親指で指さした場所には、試験機であるバイクに加え、ヘルメットの稼働状況が記録されたホログラムがあった。

 ホログラムによって浮かび上がったヘルメットは、右側面が赤紫に染められており、そこから浸透し、広がっていくように段々と赤色へと変化していっている。そこに表示された『SYSTEM DOWN』の文字を見れば、どういう意味なのかが一目両全だろう。全体の稼働率が40%を切っているあたり、結構酷いダメージを負っている。

それを見たユーリの顔が、絶望色に染まる。



「ノオォォォォォンンッッ!!?? そ、そんなことがあっていいと言うのかッ?! せっかく申し分のない相手を宛がっていいデータが取れたというのに、ついでに面白そうだから作ったロマン砲のお披露目もできたというのに?! ここまで来たらこのまま彼を実験用のモルモッ──」

「はいはーい。所長も落ち着いて落ち着いて。どうどう」



 話している内容が至極物騒なものなのは、彼らにとって触れるに値しないことなのだろう。

 何か、マックスにとって好からぬ機能がダメージを負って使用できなくなったのか、ユーリが嘆きにも似た声を張り上げた。それはもう、とても悔しそうに。

 そんな悲愴な表情を見せるユーリに、オクトーが歩みより、なんとか諫めようとしている。

人の生き死にを掌の上で転がして弄んでいるというのに、随分と和気藹々とした会話を繰り広げているのはもはやご愛嬌というやつだろうか。



 まぁ、そんな一部始終を、通信中を示す(・・・・・・)青字の『SOUND ONLY』が聞き逃すはずもないのだが



『ほー、なんか、面白そうな会話してるなぁ。……なぁ、ユーリ?』

「………………あ」



 感情を隠そうともしない低く重たい声が、マイクの向こうから投げかけられた。

 それがどんな感情なのか、この場の全員は考えるまでもなく悟った。






◆◇◆◇






 視界が白、黒、白、と明暗を繰り返す。衝撃で頭を打ったのか、思考も纏まらない。呼吸は正常に行えているあたり、どうやら海中を漂っているわけではないらしい。意識が飛びかけている中でも、ハンドルを手放さず、海に放り出されないように持ちこたえることができたのは僥倖と言うべきだろう。今は視界が水蒸気に覆われているから、連中から俺の姿が視認されることはない。



───なるほど、ね。連中は別口でアイツらにも依頼を出してたってわけか



 確かにそれなら、俺が文句を言う筋合いはないだろう。連中は別の試作機の稼働テストがしたいと言ってアイツらを金で雇っただけだ。俺が向かうよう指示された場所にて待機し、標的()が来たら撃てばいいという依頼を受けただけなのだから、その依頼内容に俺がとやかく言うことはできない。俺は依頼の関係上、試運転のための場所と言われれば向かわざるを得ないのだが、その試験場がどういう場所なのか確認していなかったのは俺の落ち度だ。連中からしてみれば、ただ海上でバイクを走らせるよりも、実践形式の方がより美味しいデータが取れるから好都合だったのだろう。だから、俺とアイツらをカチ合わせた。

 つまりは連中は初めから俺とアイツらを戦場に駆り立て、お膳立てした闘争を勃発させてみせた、というわけだ。

 なるほど、反吐が出る。



───にしてもあの野郎……よりによってSF兵器を持ち出して来やがったなッ!!



 現状が連中の手引きによって引き起こされたと理解して募った感情が、その言葉を契機として爆発した。生き残ってよかったと安堵するより、よくもやりやがったなと怒りが湧いてくるあたり、俺も大分染まってきていると思う。

 アレを避けれたのは、正直運が良かったとしか言いようがない。音速の7倍の速度を前にして、普通に視認してから避けられるやつはきっと人間辞めてる。砲撃を視認してから動き出していては、今頃きっと粉微塵になって海の養分に様変わりしていたはずだ。

 前方から漂う殺気を感知して、視認できるギリギリの距離にそれらしい船影を見かけた時から動き出していたのが正解だった。俺のこの危険察知能力は一生大事にしなければならないな。



 あの兵器の一撃で死にかけたのは事実だったが、まぁ、おかげで首輪は外れた。たぶん避けた時に飛び散った紫電の一部がヘルメットに直撃して、機能がダウンしたんだろう。連中が俺を捕まえる手段は、これで実力行使のみになった。すでに脅すだけの材料がなくなったんだからそれしかないだろう。機械兵やらパワードスーツでも出て来られない限り、負けるつもりはない。



 まぁ、その前に、やらなければならない仕事を片付けておこう。たぶん、再装填と冷却時間の関係で、暫くはあの砲撃は来ない。仕掛けるなら、今しかない。



「んじゃあ、先ずはアイツらから先に片付けるかぁ」



 知らず知らずのうちに、口角が上がる。ああ、たぶん最高に気分が高揚している。心臓がバクバクと煩いくらいに鼓動して、力んでもいないのに力が漲ってくるような感覚がする。今なら、たぶん何でもできるような気がする。徐にふぅぅぅ、と息を吐き──



 煩わしい、とばかりに『マックス』の仮面を取り外す



 これからやることは、『マックス』なら絶対にやらないことだ。溢れるカリスマ性を持ち、人を惹きつけるような人物が、こんなことをしてはいけない。

 ああ、わかっている。こんなことは人前ではしない。これから死に行く死刑囚か、バレても気にしなくていい相手でなければ、やるつもりはない。こんなものは、子供の癇癪となんら変わりない。晒すなら、バレても問題ない相手でやるべきだ。



 掌の上で俺を弄び、挙句の果てに依頼を達成しようとも俺を実験用のモルモットにしようとしてきた連中だ。生き延びるためとは言え、色々と溜め込んでいたせいでかなりストレスが溜まっている。

 アイツらには恨みつらみも何にもないが、ここは少し俺の鬱憤を晴らすために付き合ってくれ。



「さぁて……少しは愉しませてくれよ?」



 今の俺は…………八つ当たりをしたい気分なんだ。






◆◇◆◇






「よっしゃああぁぁぁ!!」

「あの悪魔め、木端微塵に吹き飛びやがったぜ!!」

「お前ら、見てるか? 仇は、取ってやったぜ……!」



 船上に立ち込める男たちの戦勝ムード。特大の切り札による一撃が海に柱を立て、水蒸気による霧ができはじめたあたりから、誰かの言った言葉を皮切りに男たちは勝鬨の声を上げていた。あんなモノを食らってはいくらアイツでもひとたまりもあるまい。そんな認識が男たちの間に広がり、勝った気も同然でいた。



 そんな男たちの喧騒を他所に、見張り役の男は役目を続ける。心から喜ぶのは死体を確認してから、というのが彼の持論だ。その意識は、今日も彼の中に生きている。



「ん? あれは……」



 と、そんな時、立ち昇る霧の中で何かが動いたような気がして、男が双眼鏡を持ちながら疑問符を浮かべた。気になって双眼鏡を覗いてみれば、立ち込める白い霧の中に、赤い点が映っているのが見えた。敵のバイクの色に似ているようだが、大きさが違う。そもそも、カラーリングしようとも発光はしない。だから何が映ってるのか気になるのだが、浮かび上がった点は急に動き出し、軌跡を描いて左右に激しく揺れ動く。徐々に近づいているのか、だんだんとその光の強さは増していき、ついにははっきりと映るようになり───



 赤い悪魔が、霧の中から飛び出した。



 そうだ、忘れていた。あいつの駆るバイクには、モノアイが付いていたではないか。見落としていた自分の不甲斐なさと、湧き上がる焦りをない交ぜにした心が複雑模様を描くが、それらを飲み込み、あらん限りの声で仲間に敵の再来を知らせる。



「まだ生きてるぞォ!! こっちに向かってきてる!!」



 野太い声が甲板に響く。戦勝ムードだった男たちの顔が、一瞬で苦々しいものに変わった。



「何ッ?! チィィ、しぶといヤツめ……。おい、デカブツの装填はまだかッ?!」

「無茶言うな!! 暫く使いモンになんねぇよ!!」

「クソッ、なら機関砲でもいい。撃ちまくれ!!」

「オーライ。嵐の前に鉛の雨を降らしてやるぜ!!」

「今度こそ沈めてやらぁ!!」



 観測手の報告を受け、メンバーが揃って臨戦態勢を取る。射手は機関砲の操縦桿を握り、仰角を合わせてマックスに照準を合わせる。角度は重要だ。少しのズレが、距離によって何mものズレを生むのだから、射手には相応の練度が求められる。

 双眼鏡を持った観測手の指示を受け、砲身の角度を合わせる。「OK」の合図を出され、砲撃手は砲身を固定した。これで、いつでも撃てる。男の口角が吊り上がった。



「さぁて、海上で無様に挽き肉(ミンチ)にでもなってやがれッ!!」



 そう言うや否や、男が引き金を引くと同時に手元の砲身から殺意の籠った鉛玉が空へと舞い上がる。炎が吹き、破壊の雨を降らすのは、忘れ去られた過去の遺産。第二次世界大戦も終わり、生み出されたはいいものの、マフィア撲滅運動期には次々と生み出された最新兵器の前に手も足も出ず、遂にロクな活躍もせずにお役御免を言い渡されたロートルが、再び日の目を浴びて活躍する。しかし、撃つべきはずだったマフィアたちの手によって機会が与えられたというのは、何とも皮肉な話だ。



 いいぞ、いいぞ、そこでくたばれ。仲間の無念を晴らすため、無様な死に様を晒して逝け。それは怒りにも執念にも似た感情。心の内を覆い占めるその感情をぶつけるように砲撃を続ける射手。しかしその心境を、目の前に来る悪魔は逆撫でするように華麗に弾を避けている。



 慣性を度外視したことによって行われる加速と減速の自在変化に、鉛の雨はその尽くを撃ち損じていく。当たりそうになった弾もマックスの巧妙なハンドル捌きに不発に終わり、断続的に続く砲撃音の後に返ってくるのは水面を打ち付ける虚しい音だけで、依然として爆発音と肉を絶つ生々しい音は聞こえてこない。

 右に左に、前に後ろに。掴みどころのない動きで猛然と迫る脅威と、撃っても撃っても当たらないという苛立ちが男たちの心を荒立たせる。



 優位なのは自分たちのはずだ、そうに違いない。なのに何故、何故こうも心が荒れるのか。言い寄れぬ不安が徐々に男たちの心に立ち込め、勝気だった勢いが急速に萎んでいき、逆に何かに後ろから追いすがられるような気分が、男たちを襲う。



 ついに、彼我の距離が1kmを切った。タガを外した推進力を得たバイクがここまで辿り着くのに、そうは時間はかからないだろう。他の男たちも、愛用の銃を片手に甲板から狙いを定めた。

 次いで、花開く無数のマズルフラッシュ。

 ずらりと並んだ男たちの銃から放たれる怒涛の銃弾が、次々と青い海に飛び出していくが、それでもマックスは止まらなかった。姿勢を限りなく低くしているために機体に隠れ、生身には銃弾が当たる場所はほぼない。そしてマックスが盾にしているバイクだが、機関砲ならいざ知らず、ただの銃弾如きでは未来技術が詰め込まれたバイクの装甲を食い破ることができるはずもなく、ただ掠り傷を無数につけていくだけに終わっていた。

 それが一層、彼らの絶望を加速させていく。



 しかし距離が詰まれば詰まるほどに弾幕の密度は上がっていき、角度も付いてくることで生身にも被弾が増えてくる。そこまで粘れば、まだ勝機はある。メンバーの誰かが言った言葉が、絶望の淵に追いやられていった仲間の心に希望の光を灯した。



 希望なんて(そんなもの)、端からないというのに



「ぐふぁッ!」

「う”っ」



 突如として、仲間が呻き声を上げ倒れた。それだけでない、銃弾をばら撒くすぐ横で、さっきまで同じように撃っていた仲間が、一人、また一人と、次々と倒れていき、そして二度と起き上がることもなかった。


 空白の間


 突如として起こった不可解な現象に理解が追いつかず、なんだ、何が起こった! と恐怖を煽られた男が声を荒げるも、その直後に同じように頭から血を噴き出して絶命した。



 構えられた銃口を視認して、ようやくそれがマックスの仕業だと気づくまで、数瞬を擁した。そしてその事実を受け止めた瞬間、全身を恐怖が蹂躙した。

 今までずっと見ていたというのに、全く気付くことができなかった。それは彼らが、『初動』を認識できなかったから。認識した時には、既にマックスが撃ち終わった『事後』であったためだ。

 動き出しを認識できるからこそ、人はそれが動いたと認識できる。が、その初動すら認識させない馬鹿げた早撃ち技術を持つのがマックスだ。彼らからしてみれば、気付かれない内に魂をあの世へと送る悪魔にも見えたことだろう。



 その悪魔は、容赦を知らない。

 たった数瞬でも訪れた僅かな隙を、閉ざされる前に強引にこじ開け、致命的な隙へと塗り替える。

 怖いもの知らずに突っ込んできたマックスが、刹那の内に更なる加速を以て押し迫る。恐怖で足元すら覚束ない彼らの弾が当たることなどなく、20mを切った所でマックスがハンドルを切り、船体に沿わせるような角度に合わせてきた。乗り込むつもりだ。



 そんなことさせてたまるか、と男たちが銃口を向けるも、次の瞬間にはお空に向かって昇っていってる。絶対的捕食者と、被捕食者の関係図。その構図を変える手段は、彼らに残されていない。最初で最後の切り札。彼らは、あそこで当てるべきだったのだ。



 バイクに仕込まれたワイヤーが船体の手摺に絡みつき、直後、マックスがバイクから跳躍して乗り込んできた。パサリ、と臙脂のコートを翻して優雅に手摺に着地する姿は、コートが白だったならば翼を広げた天使にも見えたのかもしれないが、臙脂のコートが乾いた血の色を連想させ、冥府から命を刈り取りに来た悪魔にしか見えなかった。

 それだけではない。身体から溢れ出て来る、吐き気すら催すドス黒い瘴気の塊が、彼の全身を包み込んでいるような錯覚さえ覚える。滲み出て、蜷局を巻き、天井知らずの濃密な悪意をまき散らす。

 彼を、『人』と認識していいのか、わからなくなった。



「お天道様は大変お怒りのご様子だ。本気で怒る前に、テメェらの汚ぇ臓物を供物にすりゃあ多少は怒りも収めてくれるかもなァッ!!」



 そこから始まったのは、一方的な蹂躙劇。

 恐慌状態に陥った彼がばら撒いた銃弾を、獣染みた俊敏な動きで避け続ける。幾十、幾百にも及ぶ銃弾の舞いの渦中に居ようとも、彼につけられたのは幾つかの掠り傷。そう、それだけだ。



 繰り広げられる戦禍の中で、マックスが投げた手榴弾が、物陰に潜んでいた男の下に飛来した。一瞬、恐怖にビクッ、と肩を震わせるも、手榴弾は爆発までラグがあることを思い出した。まだ猶予がある。そう思えたことでできた余裕のせいか、唐突にこみ上げてきた。このまま引き下がってたまるか、と。意地を見せてみろ、と。なけなしの勇気を奮起させ、飛んできたソレを掴みとった。



負け(やられ)っぱなしは──趣味じゃねえんだ!!」



 物陰から飛び出し、激昂と共に一投。思いの丈を込めて投げ返した凶器を前に、マックスは一瞬動きを止めて視線を合わせ──フルフェイスの中で、狂気の笑みを浮かべているような気がした。



「そいつぁ、いい台詞(セリフ)だ。けどなァッ──」



 言って、発砲。飛び出した弾丸は狙い違わず手榴弾の重心を正確に撃ち抜き、もう一度男の下に押し返し──爆発した。

 血と臓物が飛び散り、物言わぬ骸と成り果てた男に、マックスは言葉を遺す。



「──お前はこのまま、負け(やられ)っぱなしで死ぬんだよ」



 返答は、来るはずもない。

 マックスはすぐに目の前の死体から意識を切り替え、索敵を開始する。

 


 その様子を、反対側の物陰から窺う影が一つ。



───冗談じゃない。こんな、こんなことになるなんて、聞いてねぇぞ!!



 心の中で、声にならない叫び声をあげる。復讐だ、仇討ちだ。そんなことを本気で思っていた自分が馬鹿らしい。あの時の衝動は、恐怖の前に露と消えた。

 アレは悪魔だ。人が決して、敵に回してはいけない存在だ。ましてや怒らせるなんて論外だ。このままいけば、確実に殺される。命あっての人生だ。死んでは元も子もない。復讐なんて情動に駆られて、行動なんてするんじゃなかった。そんな後悔の念に押しつぶされる一歩手前な心理状態で、男は思考する。



───まだ、見つかってはいない。あいつの位置を確認して、さっさとここからズラかろう。



そうなれば、先ずはあいつの位置を確認しよう。そう心に言い聞かせ、深呼吸をしてもう一度物陰から覗こうとして──



「よぉ。そんなところで、かくれんぼか?」



 拳銃が、額に押し付けられた。

 押し寄せる絶望。絶たれる退路。希望の光は飲み込まれ、目の前に佇むは命を徴収しにきた赤い悪魔。

 気付かれていないと思ったのは、自分の思い込みだったようだ。恐怖に苛まれ、怯え、震えている様を、後ろからそろりそろりと這い寄り、追い立てて楽しんでいたのだろう。

 気付けば、仲間の声なんて、とっくに聞こえていなかった。正真正銘、自分が最後の生き残り。

 そして目の前に立つのは、並み居る船団を全て沈め、血濡れの死体の上で優雅に佇む赤い悪魔。



生き残る術は、残っていなかった。



「は、ははははは…………悪魔め……!」

「あぁ、好きに呼べばいい。お前がそう言うなら、俺は悪魔でいいさ」



 乾いた銃声が、良く響いた。熱い衝撃が脳に突き刺さり、男の意識は闇に沈んだ。



主人公を敵に回した時の絶望感が書けてれば作者は満足です笑


19.12/31 加筆修正しました。

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