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戦客万来Ⅰー3

前回の更新からかなり空いてしまって申し訳ないです



 チュン、チュンチュンチュン



 朝日が顔を覗かせたばかりで、まだ多くの人間が微睡の中にいる電線に止まっている時間帯。そこでは二匹の小鳥が(さえず)りを鳴らし、閑散とした住宅街に一日の始まりを告げていた。



「………………ああ、もう朝か」



 そんな囀りを片耳で聞き流しながら、俺は事務所の椅子で完全に脱力し切っていた。

 清々しい朝を迎えられたことに、何か喜んだ方がいいのだろうか? と日本人なら浮かびそうな感性すら、今は湧き上がってこない。早起きは三文の徳、という諺が存在しているが、もはや今の俺にとっては朝だろうが夜だろうがハッキリ言って変わらなかった。



 疲労困憊。精疲力尽。

 その言葉が自分でもしっくりくるくらいに、今の俺は疲れ果てていた。

 依頼を受けたあの日に、一番最初にアレ(・・)を見た瞬間から何も食べていないし仮眠すら取れていない。丸一日断食していれば腹が空腹を訴えてくるはずなのに、まるで脳から音を出すなと命じられているかのように鳴りを潜め、眠りに落ちようとすれば「寝るんじゃねぇ」と言わんばかりに脳があの(・・)光景をフラッシュバックしてくる。



 振るわれる凶器(狂気)、泣き叫ぶ少女の絶叫、飛び散る凄惨な血飛沫。



 悍ましく、倫理という鎖を引き千切りそうなほどの、悪魔の所業。可能な事ならば、もうあれは二度と見たくはないと、そう思えてしまう代物だった。




───まぁ、命と正気を繋いでいるだけ十分か……



 辛うじて水分は取れているから何とか二徹して依頼を完遂することはできたが、おかげで目の裏はジンジンするし、頭はボーっとして動きそうにない。思考も点でバラバラのことに飛躍していくし、まともに考えることができそうにない。気配察知は気力を振り絞ってやってはいるが、振り絞られた気力が雀の涙ほどしかない。

 何せ、さんざん見続けていたのがああいった(・・・・・)映像ばかりだ。世の男性諸氏の大半が夜の友として愛用するような人の三大欲求に訴えかけるようなメジャーなものとは訳が違う。人間誰しもが必ず持ち得ているものの、決して公にしていいようなものではない加虐性の根幹を揺り動かすようなスナッチビデオだったのだ。



 今回の依頼で渡された三つのビデオ全てが、その手のキワモノビデオ。それも一つ一つが気色の違うビデオで、幼い子供に殺人を強要して初人殺しを撮影したものや、人の精神がどれくらいで壊れるのかを撮影したもの、……そして、あの双子の動画。

 どれもこれもが悪質であって、撮る側も撮られる側も、必ずどちらかの残虐性や醜さをまざまざと見せつけられたせいか、その強烈なインパクトで脳内に克明に記録され、まともな思考すら働かせることができなくなっていたのだ。

 初めての経験だったが、精神的にまいるというのがこれほど辛いものだったとは思わなかった。



───完成は、させた。後は、見せるだけ、だ……



 それまでは、もう少し休んでいてもいいだろう。

 そう思って、俺はそのまま外から人の活気が聞こえてくるまで、燃え尽きたように虚脱感に身を任せているのだった。






◆◇◆◇






 時刻はあの時と同じく昼前。太陽が真上に昇り、雲が遮ろうともその溢れ出る熱線をサンサンと降り注ぎ続けている時間帯。

 その頃になってようやく気力が回復してきたため、ハイエルにこちらから向かうという旨の連絡を入れてから事務所を後にしたのだ。依頼された側としては事務所で受け渡しをするという方法も取れたのだが、今回は気分転換がてらに徒歩で出向くことにしたのだ。

この前の亡霊騒ぎ解決の折に掛けだした横長のスマートなデザインのサングラスをかけ、街の中を歩いていく。陰鬱とした空気の中にずっといたせいか、ただ歩くだけでも随分と久しぶりな感覚に囚われる。よくもまぁ短期間でここまで体が鈍るものだなぁ、としみじみと思う。



 そして徒歩で30分ほどかけてやってきたのが、ここ、ランバート商会の本社ビルだ。

 2000年代に突入して急速な技術成長を見せる中で、このビルもその流れに乗り遅れていないことを現すかのように近代的な構造をしたビルだった。ガラス窓が透き通る青空と立ち並ぶビルを映し出し、都会ならではの光景が目に入る。その入口から入れば、夏のオフィスで感じられる熱気を一気に冷ます冷気が肌を撫で、歓迎を意識させる心地よさを運んでくる。入った俺をそこから広がる広大なエントランスとそこに行き交う大勢の人込みが出迎える。それは人種の違いはあれど、普通に日本の都心のビルとなんら遜色がない光景が広がっていた。



───………とは言ったものの、無粋な視線がいくつか飛んできているが



 その既視感を覚える光景に妙な懐かしさと感慨深さがこみ上げてくるが、それも人込みの中から紛れて飛んでくる肌をピリっと刺激する敵意によって泡沫の夢のように消えていく。

 サングラス越しではほぼ読まれないため、顔は動かさずに視線だけで確認した所、左奥の壁際に、吹き抜けとなっている二階のテラス、右のフロントに正面右の柱の後ろ。少なくともその四か所から俺に対する敵意を感じた。警備員と思しき服装をした男たちが、まるで狙い澄ましたかのように入ってきた瞬間に俺に敵意を込めた視線を向けてきたのだが、これはハイエル(アイツ)の指示だろうか? それとも、このディスクを渡したくない外部組織が雇った連中だろうか?



 こういった外部に依頼を出した場合に起こり得るパターンを、これまでで読んだことのある脚本の中から精査していくが、どれも可能性としては考えられるため絞り込めない。

 それ以外で、何か俺自身のことでキーワードになりそうなものがないか記憶の海を手探りで探っていくが、特にこれといったものが見つから──




『なるほど、確かに受け取った。……ちなみに、この映像が呪いのビデオとかだったら迷わず電話越しに呪詛を吐きかけるが問題ないか?』



───あーいや、あったな……



 広い広い記憶の海の中、刻一刻と彼方へと向かっていく海流に流されていた小さなカギを、何とか掴み取ることができた。

 なるほど、俺としては何気なく言ったことだったのかもしれないが向こうにしてみればそうではなかったということか。

 つまり、これは俺の報復を警戒してのことだろう。「よくもこんなもの押し付けやがったな」と乗り込んで銃撃戦を繰り広げる俺を想定して事前に何とか取り押さえようという魂胆だろうか?



───向こうは俺が報復として暴れ出すのを懸念している。なら、そこまでいかずとも多少は不満を抱いている風体を装えばいいか?



 向こうの最重要懸念事項は流石に俺もする気がないが、逆に何事もなくこの作品を仕上げたと思われるとそれはそれで俺がその手の精神汚染者と認定されるようなものだ。意図していなくとも、精神面で危ないと思われる部分を見せておくと何かあったときに俺が疑われることだって考えられる。

 仮に事件の容疑者として候補に挙げられた時に、「アイツならやりかねないな」と思われるのではなく「アイツはそんなことしないだろう」と思われるような人間性を見せておくのが理想なのだ。武力面では問題ない風評が立っているし、あとは分別を弁えた人間性を示せればそう言ったとばっちりは来ないだろう。



「ハァ……」



 小さく一息ついて頭の中で演技の方向性を決めていく。懸念事項はまだ残しておき、それ以外の余計な俺のこと(私情)を内側からも外側からも堅牢な心の牢獄へと幽閉する。

 限りなく表に出る『俺』の影を薄くしていき、『マックス』の影を色濃くしていく。



 すぅっ、と指先から次第に意識が手放されていき、『俺』という自我が胸の内だけに押し込められていくのがわかる。

 目の前にある景色を目にした時、それは視界ではなく映像へと切り替わっていく。

 『俺』という色は薄れ、『マックス』という色が『俺』を上書きしていく




───さぁて、そろそろ行きますかぁ






◆◇◆◇






「やぁやぁ。随分と待たせてしまったね、マックス君」



 コンコン、と木製のドアが子気味いいノック音を鳴らし、来客が訪れたことを知らせる。

 その音に口元まで運んだ紅茶を飲む手を止め、逆再生のようにティーカップをソーサーに戻し、部屋のソファに腰を落としている人物が返事を返す。



「構わねぇよ。それで、オレが二徹して手掛けた作品はお気に召したか?」


「うんうん。君のその努力が多分に垣間見えるものだったよ」


「そいつは重畳だが……もうその手の依頼は勘弁して欲しい所だな。おかげでロクに寝れてないし、食事も喉を通りゃしねぇ」




 訪れた来客───というよりもこの会社のトップであるハイエルが、人の食ったような笑みを浮かべて悠々と対面のソファに歩みを進める。その後ろには、秘書と思われるブロンドの髪をセミロングに揃えた妙齢の女性が付き従っている。如何にも、仕事ができそうな女性だった。

 大企業の応接室だけあって、その調度品には目を見張るものが多い。上質な絨毯は人が歩いたところで足音が希薄に聞こえるほどに柔らかく、ソファは沈み過ぎず、硬過ぎずの丁度良い座り心地を座者に提供し、採光用のガラス張りの窓からは陽の光が差し込み、部屋全体を明るく照らしている。その中を二人が歩んでいく。



 こうして彼らが遅れて入ってきたのは、報酬の受け渡しの前に仕上がり具合をチェックしておきたいと申し出たからだ。ただでさえ期限はギリギリ。不備があってクレームが入るのは会社としても問題なので、極力そうした時間が割けるようにしたのだ。



 そして遅れてきた彼らを出迎えたのが、ソファに腰かけているマックスだ。彼はハイエルたちが作品の意上がり具合のチェックを申し出た見返りとして、二徹明けで疲れていることを理由に部屋での休息を求めたのだ。ハイエルからしてみれば、待ってもらうのであるから否定するつもりも毛頭ない。むしろ負い目に感じる懸念がなくなったとも言えるので、結果としてプラスに傾くくらいだった。



 そして少しの間とは言え休憩をとることができたせいか、ほのかに感じられていたマックスの疲労の色も消えていた。

 片手を挙げて挨拶をする姿はどこか堂に入っており、高級感溢れる部屋の内装に物怖じ一つする様子が見られない。それはいつも通りの、堂々とした立ち居振る舞いに沿ったものだった。



 ただ、普段と少し異なった点を挙げるならば、その後ろに立っている一人の若い女性だろう。クセのないミドルショートのブロンドヘアに、知的さを感じさせるハーフリムの眼鏡。会社の受付用の制服を身に纏った20代半ばの女性で、面倒見の良いお姉さんといった印象だ。

 今は口だしすべき時ではないと弁えているためか、静かに佇んでいる。



 ただどこか、その顔立ちが秘書の女性の面影を残していた



「ああ、エリーゼ君とアイラ君。君たちは退出していてもらって構わないよ。これから先は、当人同士だけで話し合いたい内容でもある」


「おいおい。そりゃあ暗に、オレが信用ならねぇって言ってるようなもんじゃねぇか」


「現に、私はあなたを信用していませんので」


「随分とまぁ警戒されたもんだな。黙っていられるよりは言ってくれた方がわかりやすくてマシだが……商談には最低限の言葉遣いとかがいるもんじゃないのか?」


「いえ、中には罵られて恍惚な表情を浮かべる御人もいらっしゃいますので」


「よし、このあとゴシップに突撃してくる。ランバート商会社長、まさかの被虐性癖あり、と。こりゃあ特ダネだろうよ」


「何故ここで矛先が私に向いたのかねッ?! 彼女を秘書にしたのはそんな不純な動機ではないよっ!?」



 社長秘書──エリーゼから投じられた聞きたくなかった情報(爆弾情報)はサラリと受け流されてハイエルの下で爆発する。別段気心の知れた間柄というわけではないが、そこは一度会ったことのある相手。ジョークを交えても大丈夫な人物かは既に把握済みだ。

 大企業の社長相手になんて口を利いているのだ、と言われるかもしれないが、ハイエル自身もこのやり取りをどこか楽しんでいる節があるので問題ない。



「ハァ……それはいいとして、あなたは問題ないでしょうアイラ。退室しなくていいのかしら」


「え、えっと……はい……」



 繰り広げられた茶番に呆れの籠った溜息を一つ零して、エリーゼがマックスの後ろに立つ女性──アイラに話しかける。

 社長秘書として彼女は護衛任務も兼ねるため退室しない旨を伝えたが、受付嬢である彼女にこれから先ここにいる理由はこれといってない。彼女の仕事はここまでの案内と、休息中のマックスの接待くらい。残りの仕事はせいぜい帰りの案内くらいで、実質彼女がここにいる意味はこれといって存在しないのだ。

それを暗に伝えられると、彼女は俯きながら返事を返した。現状としては彼女にここでできる仕事は何もない。一礼をしてチラッ、とマックスを見た後、どこか後ろ髪を引かれるような感覚を覚えつつも彼女はドアへと向かった。



「おいおい、安全を期するならアイラはオレの後ろにいたほうがいいんじゃないか? 何かオレが不穏なアクションを起こした時、背後からオレを撃ち抜けるだろう?」


「え……?」



 だが、その歩みを止めさせる一声が、後ろから投げかけられる。

 彼がそんなことを言うなど想定していなかったのだろう。三者三様。それぞれまた違った理由ではあったが、意外なものを見た、とばかりに一様に驚いた表情をしている。

 ある者はいいことを知った、とばかりにほくそ笑み。ある者はまさか、と純粋に驚き。そしてある者は……



「………………」



 まるで苦虫を嚙み潰したように、声を発した人物へと忌々しげな眼光を向けていた。サングラス越しで見えないが、恐らく視線だけはこちらに向けているのだろうと彼女は直感的にそう思った。



 と言っても、これがマックスの本当の狙いだったりする。

 秘書であるエリーゼはハイエルの安全を考慮して残る、と言っていた。それならば、位置的に絶対に優位なマックスの死角に立っていたアイラに、態々席を外させるのは普通に考えておかしい話なのだ。

 何かここに居させたくない理由があるのだろうが、そこはどうでもいい。さらっと毒を吐かれた仕返しだ、とばかりにマックスは攻撃(提案)を仕掛ける。



「ふむ、まぁ君がそう言うなら、アイラ君も残るといい」


「は、はい!」



 ハイエルはハイエルで、また別の理由から彼女を引き留めたのだろうと思い、依頼相手であるマックスの意を汲んでアイラを引き留める側に回った。

 それは予想外な展開ではあったものの、アイラはどこかぱぁっ、と晴れたような表情をしてそそくさとマックスの背後に戻った。



「ん”ん”。さて、ではあの映像についてだが……」



 と、ここでハイエルが丁度良いタイミングで場の流れを変える。他の三人ともがその変化を感じ取り、緩みかけていた意識を引き締めた。ピン、と張り詰める空気。緩み、解け、フワフワと漂っていた空気の糸が緊張し、纏まり、物理的な拘束力でも付加されたように、中の住人にのしかかり、絡まり、動きを阻害する。

 だが、その引き締めるベクトルが一人だけ異なっていた。内二人は、商談に適した程よい緊張をする、という意味で。だが、もう一人は……




「実に、実に、この上なく素晴らしい出来だったねぇ」




 この目の前の老人から発する、異常なまでの狂気に耐えるためだった。

 もぞもぞと、服の袖口、襟から這い出てくる、マックスのものとはまた違った忌避感を催す悍ましいオーラ。これは危険だ、と本質的に感じ取るのではなく、凝縮し極限まで煮詰めた黒々しいモノが絡み合い、断続的にうねり、胎動する。生理的嫌悪感を抱かざるを得ない混沌とした邪悪なモノ。それは嫌悪を通り越して恐怖に転じ、張り詰めた空気の糸を伝って相手に伝染する。



「ひぃっ……!?」



 その異様なほどの変わりように、思わずアイラが悲鳴をあげた。蠢きながら滲み出る狂気は糸を伝ってアイラを絡めとり、恐怖ですくみ上げる。

 今まで普通に接していた、目の前に座る老人の纏う外殻が一瞬にして狂気に染まる。善から悪へ。その者が纏う雰囲気が、一気に正反対に振りきれる。



「……それが、お前の本性か?」


「ヒヒヒッ……あまり人前では見せたくはないんだけどねぇ。あんな最ッ高なものを見せられてしまっては、つい私も気持ちが昂ってしまうんだよ」



 その喋り方すらも、もはや紳士からはかけ離れた薬物中毒者のようなものに変わってしまっていた。瞼は大きく見開かれ、血走った眼球が晒される。呼吸も荒くなり、聞こえるはずのない動悸までもが聞こえてくるようだ。

 まるで何かに取り憑かれているように、ハイエルは別人のように成り果てていた。



「……………………」



 しかしその変わり様を、マックスは静かに見つめるだけだった。アイラのように強張ることも、恐怖を感じることもない。

 ただ一つ、その胸中にあるとすればそれは───



───こいつも、なんだろうなぁ………



 同情だった。

 目の前にある視界(映像)を通して見たハイエルの変わり様に、ポツリ、と胸中で言葉を零す。

 その脳裏に浮かぶのは、かつての自分。演劇を始めた当初の、どうして自分が演劇にのめり込むようになったのか。そうするに値する価値を見出した時の記憶。

 己では受け入れられないような現実に直面した時。どうしようもなく、逃げたしたくても逃げられないような状況において、唯一現実から逃げられる手段



 それは、自分がそういう人物を演じること(思い込むこと)



 だから彼も、同じく現実から逃げたかったのだろう。

 「狂気的なまでに逸脱した隠れた一面を持つ」という本来のハイエルとは少し違った『ハイエル』という仮面を取り付け、それに沿っているからこうした行動をしている。と自信に言い聞かせることで、自身が直接関与することから逃避する。

 これはマックスが、実際にあの映像を編集したからこそ共感できることだった。こうでもしなければ、身が持たない。常人が日常的にあんなものに触れ続けていれば、壊れるのは自明の理。それを、彼は身をもって知っているから。



「……気に入って貰えたようで何よりだ。それで、報酬はどうなる?」


「ああ! ああ! もちろん支払おうとも!! こんな傑作を生み出してくれたんだ。 売れる。売れるぞぉ! これなら10000ドル出しても構わないと思える出来だよ!!」


「おうおう、随分と報酬額が跳ね上がったな……まぁ、そちらが納得の上でなら問題ないが」



 チラッと、沈黙を貫いている秘エリーゼへと視線が飛ぶ



「……あまり言いたくはないですが、こうなった社長は止められません。本当なら上限は5000ドルが妥当な所ですが……差額分は、甚だ遺憾ですが慰謝料ということで受け取ってください」


「オーケー。なら、報酬額はそれで手を打とうか」



 今のハイエルは、どう見ても精彩さを欠いている。確認するなら、秘書であるエリーゼに聞くのが最善だ、という判断の下でマックスはエリーゼに尋ねる

 結果。その返答はOK。

 ただ、妥協したくはない、という気持ちがありありと顔に出ているが。



 結局、エリーゼはハイエルの提示した額での取引を承認した。それからは用紙に必要事項を記入し、その場で解散という運びとなった。今日中には、指定した口座に入金がされるとのことだ。



「それじゃあ、オレは帰るとしようか」


「で、では! 私がご案内しますね!」



 手続きも全て終わり、後は帰るだけとなった。

 その旨を伝えると、今までハイエルの変貌に完全に呑まれていたアイラが、間髪入れずにそう言った。どこか焦りを含んでいるその様子は、一刻も早くここから退出したいという気持ちがひしひしと感じられた。

 そしてそのまま、マックスを引き連れてそそくさと退散していった。



 そして退室の間際。閉まりかけるドアの間から見えたハイエルの姿をチラリ、と一瞥して、完全に退室を果たした。






 初めての依頼。無事に完遂することはできたものの、裏社会の真っ黒で残忍な一面を垣間見せられるという酷く苦々しい依頼だった。

 だが、これは始まりにすぎない。光あれば影がある。陰があれば陽がある。

 本当の意味で裏社会の闇の惨たらしさを肌で感じたマックス。歩むべき道は荊道よりも更に過酷なものだったと実感した彼は、それでも歩みを止めることはない。

 身に着けた『マックス』という仮面に外骨格。それらを徐々に黒く染めつつ、彼は一歩一歩、その道を進んでいくのだ。






◆◇◆◇






「……行きましたか」


「うんうん。そうだねぇ」



 二人が退室した応接室にて、依然としてハイエルは動く気配がなかった。そこへカチャリ、と新しい紅茶が運ばれてくる。それは当然、エリーゼが淹れたものだ。仄かに湯気が立ち昇るそれを、優雅に口へ運ぶ。

 未だにその身から滲み出るオーラは健在で、されど洗練された気品さを感じられる所作を併せ持っているその光景は、もはや魔人族の大貴族とでも言えばよいのだろうか。



「ハァ……あの()には社長のそう言った一面を見せたくなかったのですが」


「クククッ、それはマックス君に言ってくれ給え。彼が、彼女を引き留めたのだから」


「どちらにしろ、今回の件で触発されてあの娘がそちら側(・・・・)の人間になることは避けなければなりません」


「それは神のみぞ知る、というやつだろうねぇ」



 クツクツ、とハイエルは嗤いを零す。

 ここでマックスは、一つの思い違いをしていた。



 それは、ハイエルは初めから(・・・・)こうであったことだ



 あの手のビデオに精神が汚染され続けたからこうなったのではない。元々(・・)汚染されていた精神が、多大な月日の中で更に濃縮されしまった結果がアレなのだ。

 つまり同情の余地など、初めから存在していない。彼は人として踏み込んではいけない領域までとうの昔に踏み込み、そして今回、禁忌の領域まで踏み込んだ。

その所業は、もはや悪魔か何かだ



「しかしなんともまぁ、彼女も災難だねぇ。あのマックス君に好かれるとは」



 しみじみと、ハイエルは言葉を漏らす。これは利用できそうだ、とまでは口にしない。彼女と良好な関係を構築させて、彼女にはこちらとの懸け橋となってもらうのが最善手だろう、とハイエル(悪魔)は密かに画策する。



「……それは判断できませんが、確かに災難でしょうね。彼と関わると、厄介事に巻き込まれそうですし」


「クククッ、いやいや、それもあるけどそうじゃあないよ」


「? では、何でしょうか?」


「だってそうじゃあないか───」













「二日間ぶっ通しで、寝る間も惜しんでこんな作品を作れる人間が、まともな感性をもっているわけないじゃあないか」



 新しい同類を見つけたとばかりに、その口元は歪に弧を描く。


マックス(ヽ''ω`) 「もうこの手の依頼は勘弁して欲しい」


ハイエル(。-`ω´-) 「(ふむ、ついのめり込んで睡眠時間が削れてしまうからかな?)」


ハイエル(・∀・)ニヤニヤ「(なんだ。君も私と同類じゃあないか)」


大体こんな勘違いが起こっている



次回は、今回初登場のアイラについての話です。

それを以て、戦客万来Ⅰ は終わりです。

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