戦客万来Ⅰー2
書きたいシーンよりも書きたいシーンに持っていく話を書く方が難しいと気づかされた今日のこの頃……
階段を上る足取りをいつにも増して軽やかにして、俺は三階に向かっている。
こうして『マックス』の仮面を取り外して素顔を晒すのは、実に二週間ぶりになる。宿にいる時でさえ、安全を考えて外さずにいたのだ。
『マックス』は俺とはだいぶ異なる人間性であるため、それを継続的に演じようとすれば俺自信の負担も馬鹿にならない。人物像が役者本人から離れれば離れるほどに、比例して演技にかかる精神的な負担も増えていくのだ。それも、今は台本なんてものは存在しない予測不可能なむちゃぶりな舞台劇の最中。次から次へと起こる場面に、後手に回って対処しなければならないのだ。その負担の量は察して図るべし。軽やかという表現もあながち間違いという訳ではないのだろう。主に、俺の負担が減ったという意味合いで。
日本にいた時も普段から仮面をつけてはいたのだが、あれは限りなく『俺』に近いものだ。せいぜい角がとれ、目立つ要素がなくなった程度。だから負担はそこまで多くはなかったのだ。
負担とともに気持ちも軽やかになったのか、久しぶりの上機嫌で階段を上りきり、玄関で靴を脱いでから部屋に上がる。相変わらず物が少なく質素な光景だが、今はそんな部屋の光景さえ見違えて見えてしまう。これも気分が高揚しているせいだろうか?
グゥゥゥ……
「ん~、先ずは昼飯でも作るか」
時刻はちょうど昼時。空腹を訴えてくるお腹をさすり、苦笑いを浮かべながらそう呟く。そういえば、心で思った通りの感情を表情に現すのも久しぶりだっただろうか。久しく自分らしく振る舞うということもしていなかったため、こうした当たり前のことにも一々感動してしまう。
だけど、これからはここに帰れば素の自分で在れるのだから、その内慣れてくるだろう。
「食材は~っと……げ、あんまりないなぁ。今日の昼はトーストにしておくか」
冷蔵庫を覗いても短時間で料理できそうな食材はなかった。というのも、そもそもここ数日は破損した物品の再発注やら修理の手続きなどで買い物に行けていないからだ。何とかあるもので片付けてはいたのだが、おかげで簡単に料理できそうな食材は軒並み消費してしまった。今ある食材でできそうなのは時間がかかりそうな料理ばかり。流石にこの空腹時にそこまでして料理をするのは億劫なので、手軽なトーストで済ますことにした。
……あまり腹持ちがよくないのは、この際目を瞑るしかない
「さってと、付け合わせにジャムと……あぁ、久しぶりに紅茶でも淹れてみるか」
トースターに食パンをセットしてから、何か付け合わせのものを探す。冷蔵庫の傍に調味料やら保存の効く食材が入っている棚があり、そこを物色した結果、中からジャムを一瓶取り出した。そして、ふ、と目に入ってきた紅茶のティーバッグも何気なく一緒に取り出す。買ったは買ったで、結局一度も使っていなかったものだ。流石に上物を買うことはできなかったが、少し高かったものが運良く安くなっていたから買ってみたのだ。
ケトルをコンロにセットして、ボッ、と強火で火をつける。その間に開封すらしていなかった包装をベリッと破り、『ウバ』の茶葉を取り出した。
日本だと少し値が張るものだが、ここはアジア大陸にある都市。インドやスリランカ、中国といった世界でも有数の紅茶の茶葉の産地も近くにあるということで、日本に比べて輸送費が浮いた分、値段が安くなっているのだ。特にインドとスリランカからは海運で直接運び込めるからそれが華著だ。
もっとも、中には非合法な輸送経路も含まれているわけだが
「──っと、もう沸いたか」
暫くボーっとしている内に、ケトルの水は熱湯に変わっていた。見れば、五百円玉ほどの気泡がコポコポと断続的に浮上と破裂を繰り返していた。熱湯であれば、これくらいで十分だろう。
コンロの火を止め、ケトルを傾けてカップに湯を注ぐ。視界を濁らせるほどに湯気がもわっ立ち昇り、どれほどの温度かを直に知らせてくれる。カップに注ぐのは大体150ml。それがティーバッグ一つ分の目安だ。
お湯を淹れ終えたカップに、ティーバッグを入れる。ちょぽん、と音を立てて底まで沈んでいくのを確認して、カップの上に蓋となるものを置いて蒸らす。
この最適な蒸らしの時間は商品ごとに異なり、同じ種類でも微妙に異なったりすることもある。日ごとにも微妙に差異が出てくるし、分刻み、もしくは秒刻みでその味、香りというものは最高潮から劣化品にまで千差万別に変化する。その最高潮となる時間を見極めるには時間をかけてセンスを磨き、努力を積み上げていくしかない。
そのため、その紅茶を最高の状態で出すためには並々ならぬ修練を重ねなければならないのだ。
───そういえば、紅茶の淹れ方を馬鹿みたいに頑張った時期があったなぁ
ふ、と思い出すのは中学三年生の頃。休み時間中の教室で何気なく行っていたアイツとのやり取りが切っ掛けだった。
『え……? ──君、紅茶淹れられるの?』
『ほうほう。結構自信がある、と』
『なら今度の休みの日、家に来て私に淹れてみせてよ。私、こう見えて普段から紅茶を飲んでるから、紅茶は好きなのよね』
『え、知ってる? 見かけ通り?』
『むう、君が私をどう思っているのかを含めて、そこの所はキッチリと話をつける必要がありそうね……』
腰に手を当て、頬を膨らましてジト目で睨んでくるアイツをその場でなんとか諫め、後日本人の自宅へお邪魔して午後のお茶会兼審査会を開く運びとなったのだ。
無論、参加者は当然俺とアイツの二人だけのささやかなお茶会だ。
しかし、訪れた俺を出迎えたのは、口をあんぐりと開けて、暫く思考停止をせざるを得ないほどの立派な豪邸だった。ポカンとした俺を目の前で手を振って再起動させたアイツに「どこのご令嬢だよ、お前」とその場で聞いたら日本有数の企業グループの社長令嬢らしかった。
……また、暫く思考停止してしまったのはいい思い出だ。
その後、案内役の執事の男性に従って付いていき、辿り着いたのは二階にあったアイツの部屋から続くテラスだった。天気は良好。心地よい午後のそよ風が吹いてくるテラスから一望できる広大な緑の芝生と、色鮮やかな花が咲き誇っている美しい庭。そんな場所で行うと言われたお茶会に今更ながらにハードルがガガガンッと三段階ほど一気に跳ね上がった気がした。
当然ながら容易された茶葉も高級品であり、緊張して淹れるだけで手先が震えていたことは今でも覚えている。
当時、ちょっとしたドラマの脇役で出演させて貰った際に、配役の都合上、撮影の最中に紅茶を淹れなければならなかった。そこで、なんなら淹れ方までしっかりと学びたいと申し出たところ、場所をお借りしたレストランの厨房の人にOKを貰い、一から教わっていたのだ。なので、それなりに淹れるのに自信はあったのだが……
『ふむ……確かに、淹れられることには淹れられているわね』
返ってきた反応は上々。顔を顰めることもせず、口に含んだ紅茶をゆっくりと喉に通し、一拍置いてそう感想を述べた。その感想に一先ずの安堵を零した。だが──
『……でもこれは、所詮その程度のものよ!』
彼女曰く、これは本当に淹れているだけであって至高を追求したものではない、とのこと。この時、俺は自信を木端微塵に打ち砕かれその場で倒れ伏した。
ズガガァーーン、と雷が背後に落ちるのを幻視したと、後日アイツはクスクスと笑いながら語っていた。
そこから俺の対抗心に火が付き、「なら、今度こそ上手く淹れてやる」と意気込んで、その日以降、美味しい紅茶の淹れ方をマスターしようと躍起になった。
審査員は、もちろんアイツ。あの後、毎週アイツの家に訪れ、その度に俺が淹れた紅茶を飲んでもらったのだ。
『ふむふむ、上達しているわね。でも、まだまだよ』
『あら、美味しくなってきたじゃない』
『うんうん。これなら十分及第点をあげられる、かな?』
『あれ……この前よりも更に美味しくなっているんだけど……』
『お、美味しい……』
『………………』
『ね、ねぇ。良ければ今度から毎日私に紅茶を淹れてくれると、嬉しいんだけど……』
感想は徐々に良好なものへとなっていき、最終的に俺の努力が実り、ついに紅茶には一過言多いアイツを唸らせるほどに腕を上げることができたのだ。最後の最後に縋るように頼んできたが、やんわりと断っておいた。あの時のこの世の終わりと言わんばかりの顔は一生忘れない。
そんなこんなで、俺は紅茶の淹れ方にはそれなりに自信があるのだ。
ちなみに、断った後にアイツがかなりごねたので、アイツの渾名が俺の中で『紅茶令嬢』になったのはちょっとした秘密だ。
「……よし、もういいな」
もう何年も前の懐かしい記憶を思い返しているとちょうど時間となったので、蓋を外してティーバッグを取り出す。その際、芳醇な『ウバ』特有の香気がカップから広がり、部屋の中に漂っていった。
時間も完璧。今日も最高を引き出せたようだった。
そこへチンッ、と軽快な音が鳴り、音がした方へ振り返ると、そこにはこんがりと焼き色がついたトーストがトースターから顔を覗かせていた。タイミングもドンピシャ。今日はいいことありそうだと思いながら、ソーサーに載せたカップをトレーに載せ、皿に運んでからそっとテーブルまで運ぼうとしたその時──
チリンチリーン、チリンチリーン
下の階から、取り分け高いベルの音が聞こえてきた。
それは、俺が来客用に設置した呼び鈴の音。来客を知らせるその音は、商売をする人間からすれば来客を知らせる福音に聞こえるのだろうが、生憎と昼食を始めようとしていた俺にはシンデレラで言うところの十二時を告げる鐘の音に聞こえてしまった。
ハァ、と嘆息を零し、スッと再び『マックス』の仮面を取り付けた。
───さぁて、お仕事しますかぁ
◆◇◆◇
階段を上りきった先にある玄関前。そこには呼び鈴に指を押し付け、立った今家主を呼び出した一人の男が立っていた。
上等な深緑色の外装に、同色のシルクハット。右目にモノクルをかけ、カイゼル髭を蓄えた顔には年月を重ねたためにできたいくつも皴が刻まれている。若いころのように瑞々しさを保っていた金髪には白髪が混じりだしており、齢は60を過ぎた頃合いだろうか。
手には黒のスーツバッグが握られており、膨らみ具合からしてその中身が、今回マックスの経営する万屋『Clown or Crown』に訪れた理由なのだろう。
呼び鈴を鳴らして待つこと数秒。ガチャリ、とドアが空き、中から家主が顔を見せた。
未だ若さを感じる瑞々しい肌に、黒髪黒目という典型的な東洋系の顔立ち。身長は180㎝に届くかどうかという、ここでは平均的な背丈だが、服を通してでもわかるほどには鍛えられた肉体を持っている男だった。
男──マックスは来客へ歓迎の意を示し、敵意を感じさせない笑みで来客を出迎えた
名状しがたい、忌避感を齎す純黒のナニかと共に
───ッ! こ、これは……!
マックスの背後から這いよるようにして現れたソレを見た瞬間、全身の毛という毛が一斉に粟立ち、同時に嫌な汗が至る所から溢れ出した。まるで『冷静さ』というものが文字通り体内から絞り出されてしまったかのように、動悸が速まり、煩いほどに脈動を繰り返している。噂にも聞いたヤバい類の人間だということは頭に入っていたが、噂は所詮は噂でしかなかった。口頭で伝えられたものが、正確に己に伝わるはずがないのだと痛感した。
だがその一方で、この出迎えている本人からは一切の害意や敵意を感じない。むしろ好感が持てると思える程度には人当たりが良さそうに見える。ある程度付き合いが続くようなら、飲みに行くのもありかな、と思える具合に。
しかし、その態度と周囲に漂うソレとのギャップが激し過ぎるために、逆に目の前にいるマックスに強い恐怖を抱いてしまっていた。目の前にいる存在は、決して噂通りの人間じゃあない。部屋に漂い、巣食っているソレを微塵も感じさせずに完全に御して内に押し込めている。そんなことができるなど、噂よりもヤバい人間だ。彼の本能がそう呼びかける。
「おお、あんたが依頼人か。まぁ、立ち話もなんだから入ってくれ。依頼内容は中で話し合おう」
「そ、そうだな。うん、そうしてくれるとありがたい」
「……別にとって食ったりしねぇから、そんな怯えるなって」
「はははは……かの孤高の軍隊に依頼をするんだ。小心者の私は、いつ殺されるかと思ってビクビクしてしまうのさ」
しかし彼は、そんなことをおくびにも出さずに、おどけたように肩を竦める。
逸る鼓動は内に完全に秘め、冷や汗は目のつく部分には一切出さない。多少上ずった声も、マックスの噂を聞き及んでいたからだということで何とか誤魔化した。
彼はこれでも商売人。相手の不快になるような言動は、極力慎まなければならない。そのためならば、心の機敏すらも封じ込める。
「まぁ、立ち話もなんだから入ってくれ。依頼の話はそこでだ」
「おお、そうかそうか。なら、失礼させてもらうよ」
マックスが半身を引いて道を開けて彼の入室を促すと、それに従って彼はシルクハットを軽く持ち上げて一礼し、部屋の中へ足を踏み入れた。一歩一歩進むその動作はどこか気品と優雅さを醸し出し、それだけで彼の育ちの良さが窺い知れた。身に纏う上等な衣服も、決して成金の見せびらかしというわけではないのだろう。
そして案内されたのは、テーブルを挟んで奥にあるソファだった。入口から一番遠い位置、即ち『上座』と呼ばれる位置だ。
───ほぉ……こういう時のマナーは知っているのか
マックスからは見えない角度で、彼の目が感心を示す。
こういった商談のマナーとして、席を設けた側は相手側、特にそれが客だった場合、相手を上座へと座らせなければならない、というものがある。客側にも気にしないという人もいるのかもしれないのだが、そういったマナーを知っているかどうかで、言葉を交わすことなく相手の格付けができてしまうのだ。
彼はこの外見通り、上流階級の家の出だ。家庭的にこうしたマナーについては厳しく躾けられてきたため、マナーは一通り網羅している。つまりそこから相手がどれだけできないかを減点方式で採点していけば、自ずと相手の格がわかってくるのだ。
「さてと、では今日ここへ訪れた依頼について話し合うとしようか。私の名はハイエル・ランバート。『ランバート商会』という商社を経営している」
「『ランバート商会』って言えばここでも有数の商社だろう? ……たしか、ビデオテープやDVD、本を専門に取り扱っているところだったか?」
「ああ、それで合っているよ。まだ、ここに来て日が浅い君にも知って貰えているとは、嬉しい限りだ。もしや、ウチの商品のご愛用者だったかな?」
「残念ながら、世話にはなってないな。……アメリカで事業展開している『ランバート・コーポレーション』には聞き覚えがあったからな。その系列の子会社かと思っていたが…」
「ああ、それは私の先祖が立ち上げた会社だよ。……もっとも、今は別の経営者が運営しているがね」
淹れたばかりの紅茶を配膳し終えると、自己紹介を交えた雑談が始まった。
『ランバート商会』というのは、世の男性諸氏の大半と、女性諸氏の一部の人間が認知している有名な商社だ。その手の商品を次々と世に売り出し、主に盛んな十代から三十代の男性の心を鷲掴みにしたのだ。大衆受けの良い作品から、需要が極端に少ないにも関わらずその領域の人間をも虜にするニッチな作品まで、多種多様なヒット作を生み出し続ける商社として、その業界では他の追随を許さぬ絶対的な王者として君臨しているのだ。今尚静かに世界中でファンを増やし続けており、その人気が途絶えることはない。
「……まぁ、詮索は野暮だったな。それで、その『ランバート商会』のトップが直々に持って来た依頼というのは?」
最後にハイエルが零した寂しげな独り言に思わないこともなかったが、下手な詮索はタブーだろうと思い、その詮索を踏みとどまった。
代わりに、マックスは雑談を切り上げた。顔に浮かべた笑みはそのままに、その瞳から友好的な色が失せ、代わりに獲物を狙う猛禽類のような鋭さを覘かせる。ここからは仕事の話だ、とハイエルもそれを察したのか、彼も居ずまいを正して、本題を切り出した。
「んんっ……今回の依頼というのは、来月発売する我が社の新作DVDの映像の編集をやって欲しいのだ。担当が軒並み倒れてしまったことで時間も押しているし、猶予は3日。仕上げる作品は3つだ」
「……それはまた随分と無茶ぶりだな。その手の映像の編集は複数の視点から撮られたものもあるんだろ? 依頼を受ける側のオレが言っていいかは微妙だが、素人であるオレにやらせてもいいのか? 下手すりゃあバッシングの嵐だぞ?」
「背に腹は代えられない。こちらとしてもある程度の手直しくらいならできないこともないが、骨組みができていないことにはどうしてもそれはできない。担当がいつ復帰できるかわからない以上、もうこちらに依頼するしか手がなくてね」
「それほど重症とはな…………まさか、ライバル企業が何か仕込んだか?」
「それなら、忍び込んだ時点で銃殺してるよ」
「違いねぇ」
クツクツ、とマックスは嗤いを零す。
そうは言ったものの、この依頼を出してくる時点で絶対にロクでもない作品なのだろうと予想は立てられる。
作品を手掛けるにあたって、収録した映像の編集を外部の人間に依頼するなんて普通では考えられない。極力、担当が違えど内部で行うのが妥当なところだろう。
それを捻じ曲げてこうして依頼を出したというのならば、そうせざるを得なかった何かがあった、ということだ。
───担当だけじゃあなくて、本当に他の人間までも倒れたか。あるいは……
全員が、匙を投げたか
「それで、報酬の方だがこちらもちゃんと用意してある。前金に1000ドル、そして依頼完遂で3000ドルだ。出来が良く、売れ行きが良かった場合は売り上げに応じて追加で正当な金額の報酬を支払うことを約束しよう」
「報酬の話は了解した。……まぁ、これでも初依頼だ。その依頼を請け負おう。三日後までに間に合わせてみせる」
「おおっ!! そうか! そう言って貰えると助かるよ!」
一瞬、間があったが、マックスはその依頼を了承した。無論、リスクを考えてのことだが、その上でマックスは依頼を受諾することにした。そもそも、これは初依頼。ここで依頼を蹴ったら、それこそこちらの信用問題になりかねない。その後を考えると、このリスクは負って然るべきものだと考えられた。
マックスが了承の旨を伝えると、ハイエルは年齢を感じさせない破顔一笑でマックスの手を両手で握り、喜びを露わにした。心なしか、刻まれた皴が減ったようにも見えた。
そんな商人としての顔を忘れてしまうほどに、差し迫っていた彼にはその言葉が何よりも欲しかったのだ。
「では、こちらが映像を収録したディスクと前金だ。それと、何かあった時はここへ連絡して欲しい。裏面に私の携帯の番号が書かれている」
「なるほど、確かに受け取った。……ちなみに、この映像が呪いのビデオとかだったら迷わず電話越しに呪詛を吐きかけるが問題ないか?」
「ははは、亡霊狩りの君なら問題なく対処できるだろう?」
「悪霊払いが要るならバチカンの大聖堂に放り込んどいてやるよ」
両者ともに商談の終了を告げる握手を交わし、サッと席から立ちあがる。
そのハイエルの顔は憑き物が取れたかのような晴れ晴れとしたものとなっており、望んだ結果を得られたことがありありと伝わってくる。心の奥底で封じ込めていた恐怖心も、この吉報で払いのけられてしまったのではないだろうか。
「では、完成を心待ちにしているよ」
「ああ、期限までには終えてみせるさ」
最後に互いに挨拶を述べると、ハイエルは入ってきた時と同様に、堂に入った一礼をして扉の向こうに姿を消した。
そして後に残ったのは、ハイエルが置いていった複数のディスクと、前金の入った封筒のみ。
マックスはどこか陰鬱な表情をしたまま、そっとディスクを持ち上げた。既に『マックス』の仮面は外されていた。
話を聞く限り、いや、話には細部は一切語られていなかったが、この内容が相当にマズいのだろうとマックスは考えている。
───俗に言う、裏ものビデオってやつかねぇ……
片手で頭を掻きながら眺める三セットのディスクが、異様に禍々しいオーラを放っている光景が幻視されるほどに、マックスの脳内がけたたましく警鐘を鳴らしている。
それでも、引き受けたからには全力を以て完遂するのが仕事人としての義務だ。そう思い、鬱屈とした思いを一息に集約して、吐き出す。
長い、長い溜息がマックスの口から吐き出される。肺の空気全てを吐き出したのではないかと思えるほどにとめどなく口から空気が漏れていく。
「さぁて、お仕事しますか……」
以前の言葉よりも覇気が籠っていないのは、言うまでもない。