マフィアからのプレゼント 3
久しぶりに書いた戦闘回です
突如として背後から襲い掛かってきた襲撃者の得物と、マックスの黒塗りのナイフがぶつかり合う。
ギリギリッ、と金属同士が擦れ合う不快な音が聞こえるが、それも一瞬のこと。相手の全体重を正面から受けるのを避け、己に掛かる力を右へいなし、マックスは素早く手元のライトを懐へしまい、空いた左拳で襲撃者の右脇腹に一撃を見舞う。
しかし寸での所で襲撃者は身体を捻り、軽快なバックステップで拳撃の射程から逃れると、左拳を振り抜いて隙ができたマックスの脇腹に蹴りを見舞う。それに対してマックスは両腕を交差して受け止める。
ドンッ、と鈍い音が漏れるほどの重い蹴りを受け止め切ったマックスだが、その顔に苦痛の色は見えない。そしてお返しとばかりに、マックスは右脚を軸として左回りに身体を捻り、踵で襲撃者の顎を捉えようと豪快に左脚で蹴りを繰り出す。
だが、襲撃者は予想に反して柔軟に身体をしており、上体を後ろに反らしてバク転の要領で蹴りを躱し、マックスから離れる。意図してか、両者の間に距離が空く。しかし、その距離は1m。拳銃を使おうにも距離が近すぎて使えず、近接格闘に持ち込むしかない距離のため、互いに互いの一挙手一投足を見極めようとして膠着状態に陥った。
───クソッ! ぬかった……
マックスは内心で己の迂闊さに悪態をつく
初めから二階に敵が潜伏していることには気づいていた。気付き始めはここに来た瞬間から。気付いた理由は持ち前の殺気感知能力もそうだが、第一はそもそも気配や殺気云々以前の問題だ。
部屋に置いてあった荷物が多すぎるのだ
買った本人だからこそわかることだったが、二階部分に配置する荷物はどう積み上げたところで視界を覆うなんてことはあり得ない。他の部屋に配置させる分も含まれていることも考えられたが、それは手紙の内容と実際に三階の荷物がちゃんと運ばれていたのを確認したためその可能性はなくなり、荷解きをした結果、三階の荷物が下に紛れ、増えた分が三階に配置されたということもなかった。
つまり、二階部分の知らぬ間に増えた荷物の中にこちらの敵となる者が潜んでいるということだ。
マックスとしても部屋に入った瞬間から索敵に引っ掛かった敵と戦闘開始しても問題はなかったのだが、しかしより安全を期して事を構えるために敢えて見逃していた。
見つかる場合を見越して武器を構えている敵を刺激するよりは、奇襲をかけようとしている敵を誘い込んで逆に奇襲を仕掛けた方が敵も混乱しやすく、労力も減るだろうと踏んだからだ。
それに敵意の隠し方が、今まで対峙してきた相手に比べて数段劣ることから敵の練度も高くはないだろうと思っていたのだが、その中に無視してはいけないイレギュラーが混じっていたようだった。
───部屋の中に侵入されるまで全く気付けなかった……。向こうの駄々洩れの敵意に上手く紛れているし、コイツの隠密能力はずば抜けているな……
僅か1m程ではあるが、互いに距離を開けたことによって、暗がりで見えなかった黒い影の正体がハッキリと視認できるようになった。
元はカッターシャツだったのだと辛うじて判断できるまでボロボロになったその服は所々が破け、赤黒いシミがこびり付き、そこから見える肌は人のものと思えないほどに腐って見える。
首から上の容貌も同様の凄惨なものとなっている。腐った頬肉は落ちて中の筋繊維や頬骨が顔を覗かせており、額にある刃物で抉れた傷跡から垂れた血が顎まで伝った跡が残っている。死んだ当時は初老だったのだろうか、白髪の目立つ髪は、しかし一部がごっそりと抜け落ちている。
それはゲームでもドラマでも映画でもお馴染みのホラーの代名詞とも言える架空の生物──ゾンビを連想させるには十分だった。
それが、マックスの背後から忍び寄り、飛びかかってきた影の正体だった。
───感触からして人間であることは間違いないんだが……
何故ここでそんな恰好をしているのか、マックスとしても非常に気になるところではあるが、そんな素朴な疑問に懇切丁寧に答えてくれそうな相手でもなかったため、その疑問は胸中にしまい込む。
「おいおい、一体どこの世界に人間に隠密行動+背面強襲仕掛けるゾンビがいるんだ、よッ!!」
マックスが一人ごちるも最後まで言い切ること能わず。襲撃者は容赦なくナイフで一閃する。
右手に握られたそれは月光に照らされて銀閃を描き、逆袈裟に振るわれる。それを避けたところで、予め備えていたのか、今度は首筋に向けて高速の刺突が繰り出される。
それに対してマックスは酷く落ち着いて、何てことないように左手で敵の外側から右手首を掴んで強引にナイフの軌道をズラし、逆手に持ち替えたナイフを敵の心臓目掛けて突き立てる。
しかし敵も一筋縄ではいかず、左手でマックスの右手を掴み、ナイフの切っ先が皮膚に触れる前にその動きを抑え込んだ。
「近接戦闘能力をするゾンビって字面からして相当ヤバそうなんだが、どうよ?」
「………………」
「チッ、だんまりかよ……」
互いが目と鼻の先とも言える距離で、膠着状態に陥る。
それは互いに少しでも気を抜けば、急所に致命傷を打ち込まれるこの状況ではミス一つで命が飛ぶ。マックスのナイフはゾンビの心臓を、そして逆手の持ち替えられたゾンビのナイフはマックスの項を穿たんと、それぞれがその切っ先を押し込もうとし、また防ごうとしている。
しかしこのままの状態が続いても、マックスは不利にしかならない。何せこのゾンビの後ろにもまだ敵は何人も残っているのだ。こっちに合流されれば、マシンガンか拳銃でハチの巣にされるのは目に見えている。故にマックスには迅速に目の前の厄介な敵を排除しなければならないという時間制限が掛けられているのだ。
一筋の汗が頬を伝い、ポタリ、と床に落ちる
「────ッ!!」
それを合図とし、マックスは重心を全力で前に傾け、同時に床を思い切り蹴った。
所謂、体当たりだ。敵はマックスの後方からナイフを突き立てようとし、マックスは前方へナイフを突き出そうとしている。つまりは、力の向きは二つとも同じなのだ。
ならば、この至近距離で接敵しているという好機を逃さず、尚且つナイフで仕留めるにはどうするか。
横へ逃げるのは論外。ならば、前へ行くしかない。
彼我の距離は僅か。そしてナイフと敵の距離はさらに僅か。紙切れの如く薄い距離しかないナイフは、ほんのちょっと相手の力を上回れば容易く心臓に突き刺さる。
喧嘩を齧ったことがある程度の相手ならば
───ッ、そうそう上手くはいかないかッ
この程度の考えは対人戦闘経験があれば誰だって思いつく手だ。それをこの敵が思いつかない訳はない。
マックスが重心を移しきったタイミングで、このゾンビもまた後方へと身体を跳ばしていたのだ。
受け止めるはずの相手がいないためにマックスの手元に残る手応えなど微塵もなく、突き出すことに特化した力は横からの力に耐えられず簡単に軌道は右へと逸らされる。
そしてガンガンと鳴る警鐘に従って力づくで頭を下げると、後頭部の毛先をいくらか掠め取って銀の凶器が空を切る。
何とか難を逃れた?
違う、ここからがマズいのだ。
今のマックスの状態は右腕をあらぬ方向へ突き出し、左腕をナイフの軌道を逸らすために中途半端に上げた体勢だ。対して敵は左手でマックスの右手を掴み、ナイフを持った右腕を振り抜いた体勢だ。ここから右腕を強引に引き戻してナイフをマックスに突き刺すことも可能だが、流れた力を引き戻していてはラグが発生して対策を取られてしまう。
だが、脚が健在だった。それに対してマックスの胴は、完全にがら空き。
敵はすぐさま左脚を後ろに引いて軸とし、自由となった右脚をまるで鞭のようにしならせ、強烈な脚撃を振るう。そしてそのつま先に、月光に妖しく光る突起物があることをマックスの優れた動体視力が捉えた。
───仕込み武器まで装備してんのかよ……!
「ぐっ──!!」
絞り出したような苦渋の声をあげ、ゴロゴロと錐揉み状態になりながら、マックスは部屋の床を転がっていく。その拍子にナイフは手元を離れ、床にカラン、と零れ落ちる。
部屋の中ほどまで転がったところで、マックスは右足を床に押し付けて靴の摩擦で勢いを殺し、何とか上体を起こす。
服はあちこち擦れて埃塗れとなっており、とても新調した服とは思えないほどの汚れ様だった。
それに加え、胸元には上着とインナーを含めて斜めに鋭利な刃物で一閃された痕がありありと残っていた。
しかしそこに、血の痕は見当たらない。
───咄嗟に後ろへ跳んだのが正解だったか
それがなければ、今頃胸元から紅い花を咲かせていたことは、想像に難くない。
「とっ!!」
一瞬の安堵の暇もなく、その場から飛び退けば空気が抜けるような音と共に床に弾痕が刻まれる。
こういった暗殺を旨とする手合いが、ナイフと格闘術だけの近接戦闘特化型なんてことは絶対に考えられない。音もなく暗殺したければナイフと徒手空拳で。そしてそれが不可能と踏んだならば──銃を使う。
この敵もそれに当てはまるようで、距離が空いたら迷うことなく懐から取り出した銃でその命を狙う。
サプレッサーを取り付けたグロック26は、その延長された銃口をマックスに向け、血と命を求める亡者の如く、その身を屠らんと弾丸を吐き出し続ける。
だがマックスもただでやられるつもりなど毛頭ない。弾から逃れるように部屋の中を時計回りに走りながら、同じく懐から取り出した愛銃のセーフティを外し、お返しと言わんばかりに二挺から弾丸を撃ち出す。
敵の放つ弾丸はマックスの足元へと次々と着弾して木屑を宙へ舞わせ、マックスの放つ弾丸は敵のすれすれを通り抜け、壁へといくつもの弾痕を刻んでいく。
サプレッサーから漏れる静かな発砲音と、二丁拳銃から放たれる力強い発砲音が部屋の中に木霊し、静かな夜闇に強弱併せ持った銃声が織りなす旋律を奏でていく。
広がる硝煙は戦意と殺意を帯び、銃声を重ねる度にこの部屋を戦場の空気へと変えていく。
薬莢はカラカラと音を立てて床に散らばっていき、月明かりに怪しく輝いている。
撃つか、撃たれるか。
その生死の境目で、死人と生人は躍っていく。
◆◇◆◇
───ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなぁッ!!?!
ゾンビを模した特注マスクに隠された素顔は驚愕と焦燥に満ち、さらにその心の内までもがその色で染め上げられていた。
襲撃者の男は敵対するマックスの急所──頭や心臓、首といった一発でも弾丸が入れば致命傷になり得る箇所を集中的に狙っている。
だが、着弾するのは決まって彼の足元だ。
別段、彼の射撃技術が壊滅的だとかそういった理由ではない。むしろ、彼の射撃技術はこの街でも上の方に位置している。
では何故、彼の弾は狙った位置よりも大分離れた場所に着弾しているのか?
そしてそれこそが、彼が驚愕を覚える原因だった。
───狙って弾丸で弾丸を弾いて軌道を逸らすとか聞いたことねぇぞ?!
こちらが撃ち出した弾丸が額を狙えば、やや下の角度から射出されたマックスの弾丸が弾頭の中心からやや上に当たり、その軌道は下へと変えられる。心臓を狙えば、弾くだけに飽き足らず、僅かに上へ逸れたマックスの弾丸はこちらの顔面すれすれを通過し、空気を切り裂くという耳元で聞いても嬉しくない音を置き土産として後方の壁へと直撃する。
1㎤にも満たない小さな鉛の塊が、秒速400mという高速で飛び交い、それが意図して当たる確率など小数点よりもさらに下に振り切れている現象が、目の前で確かに起こっている。
それが、全弾。
その常軌を逸した結果を平然と叩き出しているマックスに対して、襲撃者は衝撃とともに驚愕を覚え、次第に恐怖すらこみ上げて来ていた。それでも、暗殺を遂行しようとするのは、彼の意地か誇りか。
手元のグロック26の残弾が僅かになったところで、彼は懐に携帯している予備のマガジンを取り出す。
そして弾を撃ち尽くしたタイミングで素早く古いマガジンを捨てて床へそのまま落とし、取り出したマガジンを再装填して弾幕を切らさないようにする。これにかかった時間は、1秒もない。
その滑らかな手際の良さは、彼が並々ならぬ場数をこなし、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた実力者であることを雄弁に語っている。
だが、その培った技術を以てしても彼の心自らが優勢にあるという思いが欠片も湧いてくることはない。
マックスが走っている軌道は、時計回りに円を描くようなものだ。だが部屋の広さを鑑みて最後は絶対に壁に激突する。走る勢いを殺したくなければ、壁沿いに右に向かって走るしかない。そうすれば、壁際に追い込み、進路を絞り、移動先を見越して狙い撃ちすることができる。
だが絶好の好機とも言える場面であるというのに、彼の心には決して晴れることのない不安がこびり付いている。
それは今でさえ弾丸弾きなどという絶技を披露し続けているマックスに、欠片も追い込まれたという素振りが見えないからだ。近接格闘を通じてわかったことだが、マックスの先読みの能力は決して低いものでもなかった。先を見越して、予め対策を容易しておくくらいの技術は持ち合わせているはずだった。
その彼が、これから先の光景を予見できないはずがない。追い込まれ、絶望する未来しかないというのに、彼の顔は、微塵も陰っていない。
というよりもむしろ……
───なんでこの状況で、終始嗤っていやがる……?!
その顔には、笑みが浮かべられていた。絶望した訳でも、自棄を起こした訳でもなく、その顔には終始絶えることなく笑みが浮かべられていたのだ。
余裕を含んだ、邪悪な笑み
その笑みが言外に語りかけてくるのだ。
この程度がどうした? これで追い込んだつもりか? もっとオレを愉しませて魅せろ!
その悪魔の笑みが何故浮かべられるのか、不気味さを覚えつつも彼はその引き金を躊躇わずに引く。マックスが壁の直前に差し掛かった瞬間、襲撃者は迷わず彼の進行方向の右側を狙い集中的に発砲した。
走る勢いを殺さずにできるギリギリの軌道修正のコースに向けて、脚を奪うために重点的に下半身を狙った軌道だ。今まで上半身にしか狙いを定めていなかったため、ここで急な変化を盛り込むことで絶技のミスを誘ったのだ。
プシュンッ、プシュシュンッ! プシュン、プシュン!
サプレッサーで押し殺された凶弾が、その脚を食いちぎらんと空気を駆る。
弾頭は空気を切り裂き、鈍い金属光沢を煌めかせ、夜闇の中を突き進む。当たればそれはマックスの機動力を容易に奪い取り、その身を処刑台の前に立たせることもできるだろう。血肉を欲する獰猛な鉛玉は、獲物に目掛けて直走る
しかし、得てして現実は小説よりも奇なり。
マックスは壁に差し掛かると……………上へ跳んだ
右脚で床を勢いよく踏み切り、入れ違いに伸ばされた左脚が壁を捉えると、そこからさらに左脚で壁を踏み抜き加速する。曲げられた左脚が伸ばされ、前方へと向けられていた力を上方への力へ変換。摩擦で靴が壁に接することができるほんの僅かな時間でそれを行使し、マックスはその身を空中へ舞わせる。
だが、その高さは普通ではない。
跳び上がった彼自身が、棒高跳びの選手のように身体を後ろに大きく反らせなければならないほどに彼は壁を蹴って跳躍したのだ。顔面すれすれから始まり、胸部も腹部もあと数cmで天井に擦ってしまうほどに。
そんな二次元機動から三次元機動をやられてしまっては、襲撃者もたまったものではない。思惑が盛大に外れたことで思考が鈍り、隙が生まれる。下半身を狙って撃ち出した弾丸はマックスを捉えられるはずもなく、ただ壁に弾痕を生み出すだけだった。
そしてマスクの奥で驚愕に見開いた目に入る視界がマックスの顔を捉え、凍り付く。
そこにあるのは、変わらず浮かべられている笑み。
だがその何一つ変わっていないはずの笑みが、全く異なって見えた。
月夜に浮かぶ、ギラついた二つの目。その瞳孔は暗がりであるはずなのに、己一点を見据え、昼間の如く萎んでいた。
まるで、獲物はお前だと言わんばかりに。
そしてそれを代弁するかのように、硬直という隙を晒した己に向けて二挺の拳銃が向けられていた。
避ける予備動作をしたとしても、弾丸が発射されてから避けるという超絶染みた反射神経は持ち合わせていない。そして、弾丸弾きなんて絶技も習得していない。
もうこの時点で、詰みだった。
───……あーあ、ここまでか
最期に空気が破裂したかのような音が二つ響き、手元と額に焼けるような痛みが走る。
視界は端から徐々にフェードアウトしていき、真っ黒に覆われていった。
アトロシャスで名の知れた殺し屋、『隠密影殺』のベルドットは、今宵その命を闇夜に散らした。
何故ベルドットさんがゾンビマスクつけていたのか、それは次回以降で説明します。