転換期
『小説家になろう』様で初めての投稿になります
至らない点があると思いますが、この小説を読んで楽しんで頂ければ幸いです。
基本的に一人称と三人称で物語を進めていきます。それにあたり、同じ話の中でも一人称の部分とと三人称の部分が出てくることもあると思いますが、その点はご了承ください
誰かに成りきる、なんて経験はしたことあるだろうか。
自分でない別の誰かになる。それは現実を忘れられる時間でもあり、ある種の現実との乖離だった。自身に登場人物という殻を纏い、現実と直接触れ合うことを絶つ。直視したくない現実がある人間にとって、その時間は何よりも甘美で魅惑的なものだ。
かく言う俺も、そんな魅力にとり憑かれた一人だった。
場面ごとの登場人物の心情を理解し、どうすればそれを表現できるのか。この人物の行動を見た他の登場人物はどう思うのか。そしてそれが、物語にどういった影響を及ぼすのか。そういったことを考えている間だけ、誰かを演じている時間だけ、そこは現実とは切り離された物語の世界となり、一種の『現実離れ』の状態となる。
地に足つけていたはずなのに、そこは水面に変わり身体は抵抗することなく沈んでいく。ドプリ と足先から頭頂部までその水面に沈み、生を終えた死体のごとくその身はより深みに近づいて行く。足元すら覚束ず、どこかもわからぬ場所をただ揺蕩っているというのに、不思議と身体を優しく包み込むような感覚。その感覚が、俺の心を掴んで止まなかった。
小学生から始めた演劇に時を経るごとにのめり込み、いつしかそれ俺が生きる支えとなり、学校生活よりもそちらの方が楽しいと感じるようになるのはそこまで時間がかからなかった。通い始めた劇団の指導教室は、あくまで演劇を楽しむためのものだったが、日に日に技量を上げていった俺を見て思うところがあったのか、当時担当していた講師の助言もあり、俺は中学に上がった頃から芸能活動を目指す人が通う本格的な指導教室へと移ることになった。
だが、場所が変わろうとも俺のやることは変わらない。
いつも通りに配役について思考し、その後の物語の影響まで見据え、どういう表現をすればこの役の味を最大限に引き出せるかを模索する。チャレンジと失敗を幾度となく繰り返し、上手くいかない悔しさと、溢れそうになる涙をすべて飲み下し、全てを糧として俺は演劇に没頭した。
高校に上がる頃には身体が大分出来上がってきたことから、知り合いの紹介でスタントマンの指導も受けることになった。偶々受けた養成所はその業界では有名なスパルタ振りが売りな所だったようで、慣れないことも相まって途中で吐いたこともあったが、俺がやりたいと言い出したことなので、弱音をドブに棄て死に物狂いでスタントマンとしての技術を身体に覚え込ませた。おかげで細身だった身体には引き締まった筋肉が付くようになったし、全体的に動きに力強さが出てきたとのことで、配役にも幅が出てくるようになった。
とまぁ、こうした具合に。俺の青春と呼ばれる時期はほぼ全て演劇というものに注がれた。中学・高校という青春の場と呼べる学校生活は、特筆すべきこともないという生徒を演じることで余計な問題を起こすことなく、学校生活を楽しんでいる至極一般的な生徒として振る舞った。どの部活にも属さず、所謂帰宅部という分類に甘んじ、友人関係もそこそこにしていたおかげで誰にも憚られることなく演劇に打ち込むことができた。俺が心に空虚なもの抱えたまま接していることに、誰も気付いてはいなかっただろう。
……いや、厳密には一人だけ俺の本性を見抜いたやつがいたな。小中高と同じ学校に通っていたあいつは、良くも悪くも誰よりも俺のことを見ており、それでいてあいつは誰よりも相手の心を読み解くのが上手かった。
そんなこんなで過ごしてきた高校生活の、それも最後の夏休み。
俺は受験前の最後の息抜きとしてヨーロッパで開かれるミュージカルを鑑賞すべく、一人飛行機で日本を発った。
二泊三日の一人旅。英語は将来に使えるからと以前から仕込まれてはいたし、他の公用語となっている言語も日常会話レベルなら話せる程度には修めている。準備は万端、気合は十分。意気揚々と荷物を詰めたトランクを引いて、俺は羽田国際空港からヨーロッパ行きの便で発ったのだ。
一応、仕事を除いては初めてとなる海外旅行に、内心ウキウキとしていた。出演のオファーを受けて仕事として海外に脚を運んだことは何度もある身だが、全て自分でプランを立てて旅行をするというのは実はこれが初めてだったりする。
離陸して身体に降りかかる浮遊感。慣れ親しんだものでも、一人旅に浮かれていた俺にはその些細なことでも心躍らせる要因となり得た。子どもの様に、童心に帰って、ワクワクが止まらなかった。座った座席の周囲から窺えるのは、和気藹々と話し合う家族連れ、移動時間までも仕事に勤しむ努力家のサラリーマン。誰も彼もが俺と同じように、この旅路を思い思いに過ごしているありふれた光景だった。
そう、だったのだ…………。
◆◇◆◇
───あーあ、折角の一人旅だったってのに……。
俺の気分は、出立時の高揚をそのまま真逆にしたかのようにマイナスに振り切っていた。目の前に欲しいものがあるというのに、それを手にする直前で取り上げられたかのような失望感、あるいは虚無感に似た感情に、今の俺は苛まれていた。
「ああ、神様神様…どうか、どうか私をお救いくださいぃ」
隣に座る、年季の入ったスーツに身を包む壮年の男も、ただブツブツとうわ言のように神頼みをするばかり。まぁ、無理を悟って無気力になっている俺よりかは、きっと希望に縋っている分マシなのだろう。
そう思いながら、俺は周りへと視線を向けた。
「いやぁぁぁぁぁああああ!!!!」
「誰かどうにかしてよぉぉぉ!!!!」
「うるせぇ!? ギャーギャー喚くなよ!!!」
「そこどけ!! 俺は外へ出るんだ!!」
まさに阿鼻叫喚。
悲鳴、怒号、懇願が四方八方へと飛び交う地獄絵図が、そこには描き出されていた。楽しそうだとか、忙しいだとか、それまで醸し出していた雰囲気は霞の如く消え去り、人が内に秘めた醜い本性が命の危機に瀕して剥き出しとなり形振り構わず振り回されている。生に縋って手を伸ばす亡者のような様は、正に地獄絵図という言葉が相応しい。
事の発端は約10分前。
飛行機の右翼に搭載されたエンジンが、突如として轟音をあげて爆発したことから始まった。窓から見えていた青く澄み渡る空の景色は一瞬にして紅蓮と灼熱の赤に彩られ、生身でいようものなら即死であろう高熱が飛行機側面に襲い掛かった。機体はドラム缶を転がしたかのように一回転し、乗客・CAを問わず機内は一瞬でパニックになった。その爆発はエンジンだけでなく、穏やかだった機内の空気すらまとめて吹っ飛ばしたのだ。
そんな中でも俺は、不思議と取り乱すことはなかった。俺の胸中にあるのは、諦観。自分でも驚くほど簡単にストンと心に落ちた諦めの色は、水に染み渡る絵の具のように俺の心を『諦め』という色で塗り尽くした。その覆い尽くした『諦め』は俺から行動力とやる気を削ぎ、パニックすら起こさせなかった。
後悔? 現実への執着?
それはない。俺が生きていく上で、行きつく先はどうやっても虚構にしかならない。現実離れに意義を見出してる時点で既にアウトだろう。帰るべき場所が帰りたくない場所だなんて、そんな世界はまっぴらごめんだ。
望むなら──そう、次があるというのなら、俺はもっとマシなところに生まれたいものだ。
『あ、ぁぁぁあああああ!!! もう地面が見えてきてる!?!!』
誰かが発した声に釣られて窓の外に目をやれば、鬱蒼と木々が生い茂る森林を視界が捉えた。日本からヨーロッパ行きの便だから、恐らくはアジア圏のどこかだろう。このままいけば、俺は飛行機ごと地面に激突してスクラップになるのだろう。そうして誰にも知られることなく、ひっそりとその生を終える。俺が死んでも、それは飛行機事故の犠牲者の一人としかならないだろう。……だがそれも、悪くないかもしれない。
地面に墜落するのも残すところ後十秒ほど。まるで走馬燈のごとく視界の動きが鈍り、煩わしい雑音も遠のき思考が加速する。
───あぁ、そう言えば…………
そんな中でふと、過去に思いを馳せて抱いた独白が思い浮かんだ。
それは、俺が映画やドラマに出演させてもらった時の記憶。そのすべてがスタントマンとして、ほんの少しのシーンにだけに登場する所謂脇役だったのだが、それでも漠然と思い描いていた夢想。淡い夢物語。
それは、いつか希望を抱いていた時期に夢見ていたこと。叶うかどうか分からない、果てのない憧憬。
───たった一度でいいから
そして、ついぞ叶うことのなかった子供じみた夢
───脇役じゃなくて……主人公を、演じてみたかったなぁ
直後、機体を揺さぶる衝撃波と燃え盛る熱の奔流に飲まれ、俺の意識は暗転した。
さぁ、今こそ舞台は整った。
分水嶺を迎えた今、この時。この物語は、ここから始まるのだ。
世界は回る。どれほどの不慮の事故を、予想外の出来事を、不運を孕んでいようと、現実は動き続けるのだ。
そしてこれより先。誰かに動かされるのでもない。流されるのでもない。この物語は、君が動かすのだ。
喜べ、少年。君の願いはようやく叶う
19.12/31 加筆修正しました。