08 少年と隻腕の巨人と
遠く、鐘の音が聞こえた。
時を告げる、時計塔の鐘の音。
3回を3度。夜天の1刻(20時相当)。
ティルは唐突に目を覚ました。眠りから覚めるのとは少し違う、急速な意識の覚醒だった。
眼に映るのは薄暗く、殺風景な天井。翼法紋を使った明かりが天井に反射して柔らかな光が部屋の中を包んでいる。
見たことのない天井だった。
「……どこですか、ここ」
部屋を確認しようと起き上がろうとして鈍い後頭部の痛みに気がついた。恐る恐る触ってみると、ぷっくらとたんこぶが出来上がっていた。雑にではあるが包帯に巻かれている。何で、と思ったところで思い出す。
スフィーラを助け、その反動で足場から落ちてしまった。それからのことは記憶にないが、天国でも留置所なく、病院でもないのだとすれば恐らくはスフィーラに助けられたのだろう。
「……かっこ悪い」
助けたつもりで自爆して気絶。挙句、治療までされてしまった。なんとも締まらない話だ。
ティルは気をつけながら起き上がる。
思ったほど頭の痛みは大きくない。だが、左肩にも同じように痛みがあることが分かった。
「あいててて」
軽く体を動かし、動きに支障がないことを確認する。
大丈夫だ。
肩は痛むが、後頭部から落ちなかっただけ幸運だったと言える。
「改めて、ここはどこなんですかね」
薄暗い部屋。一言で言うなら廃屋だ。個人宅や集合宅ではない。元々は小規模な事務所だったのだろう。事務机や椅子、棚が乱雑に置かれている。
ティルの寝ていたところもかつて来客用に使われて居たソファかと思われた。
棚に置かれた工具や書類の背表紙を見て、恐らくは解体屋の事務所だとあたりをつける。
8年前の疫病では、多くの大人が亡くなった。中には廃業に追い込まれた解体屋も居たと聞く。
この場所もそうした解体屋が残したものだったのだろう。
経緯を考えるに、ここがスフィーラたちの住処もしくは潜伏場所なのだろう。だが、この部屋に彼女の姿は見えない。
彼から見て右手は通りに面しており、外に街の夜景が見えた。確認するとここは建物の二階だとわかった。遠く、花弁が光に照らされているのが見える。
都市の中央に照らし出された落ちた星、花弁の角度、位置から現在地を推測し、ティルは少し驚いた。
「割と、家に近い」
恐らく家から通り一つか二つ、都市の外縁側に行ったところ。ご近所さんである。
ここまでご近所さんであったら、もし無事に逃げきれていたとしても何かの拍子に遭遇していたかもしれない。
「スフィーラさんは何処に……?」
何も言わず立ち去ることも考えたが、さすがにそれはあまりに非人情が過ぎると思い、彼女の姿を探す。
通りの反対側の窓から外をみると、解体途中のゴヲレムがいくつか散乱していた。そちら側から灯と音が漏れてきていた。
ティルは痛みの残る頭を押さえながら部屋の外に作られた階段を降りていった。カンカンという足音が少しだけ頭に響く。
建物の一階には道具置き場と大きな扉があった。ゴヲレムを運び入れる搬入口だ。その側には人間用の小さな扉もある。
裏手、解体場には軽素材でできた屋根がある。解体場は雨風をしのげさえすれば良いのでそこは問題ないのだが、その中程には大きな穴が空いていた。そこからは星と双子の月ががよく見える。
灯に近づく。
灯に照らし出されていたのは10メルト級のゴヲレムであった。暗くてよく見えないが、色は灰色で無骨な印象を与える。よく見るものより手足のボリュームは一回り太くなっており、逞しく感じた。立膝でその場に座り、解体中なのか左腕が無い。
「……?」
ティルはそのゴヲレムに何か違和感を覚える。解体されるゴヲレムなど、今までいくつも見てきたのだが、だからこそ感じる違和感。
と、その脳裏に気を失う前に見たものが浮かぶ。
ゴヲレムの手と足を持つ女性。同じ質感を持つ蜘蛛モドキ。
「このゴヲレム、もしかして……」
ティルが思案し足を止めたところで、そのゴヲレムの顔が動き、ティルを見た。
「ッ!?」
ティルは慌てて一歩後ずさった。
予想はしていた。しかし、今までの常識からするとあり得ない出来事。
動く。ゴヲレムが。決して動くことのないはずのガラクタが動き、ティルを見つめる。
人に似た、しかし人とは異なる顔つき。金属鎧の兜を思わせるが、それともまた異なる表情のない無機質な顔。下から照らす灯のため不気味でティルは悪魔を連想した。
と、その双眸に薄っすらと光が灯される。淡い、翠の光だ。
「……ッ!?」
見られている、と感じ、ティルはその身を強張らせた。射すくめられたかのようにその場から動けない。
ゴヲレムは、きぎ、と軋みを上げながら右腕を上げる。
先ほど感じた違和感の正体も知れた。自ら動くことのないゴヲレムをわざわざ立膝で置いておこうなどという物好きはいない。これから解体するのだ。わざわざ手間をかけてそんな姿勢にする必要などないのだから。
初めて見る、動くゴヲレムの姿にティルは目を離せないでいた。
右手はゆっくりと確かめるように垂直に向けられ、、二度、挨拶をする様に左右に振られた。
「……へっ?」
予想外の動きに思わず声が出た。
まるで気安く挨拶を交わすような動き。
今度は指先が曲げられ、くいくい、と手招きするゴヲレム。
その指示に従い、おっかなびっくり近づくと、ゴヲレムの腹部、人一人が入れそうなほど開けられた空洞部分に埋もれるように三つ編みのの女性が座っていた。
燃えるような赤毛を三つ編みにまとめた女性。両手両足は金属で固定されており、拘束されているようにも見える。
「スフィーラさん、ですか?」
その言葉に彼女ではなく、ゴヲレムが首を上下に振ることで答えた。
ゴヲレムは続けて手を大きく開き彼の前に突き出す。
「えと、ちょっと待って、ですか……?」
頷くゴヲレム。
言う通りしばらく待っていると、ゴヲレムの腕の位置が元の位置に戻る。
鈍い音がして、脱力したかのようにゴヲレムの首が僅かに項垂れる。
と、スフィーラの両手両足の拘束が解かれ、彼女は自由になった手の動きを確認するように振り回した。
「ん……っと」
次いで両足を動かし、その場で立ち上がる。
スフィーラはゴヲレムの胸部から飛び降り、音もなく着地した。
その足の様子は昼間に見たときとは少し変わっていた。膝上から下が金属質であるのは変わっていない。ただより細く女性的なものとなっていた。
ハイヒールを履いているかのように踵が長く、流線型の足は脚はとても艶めかしい。
「おまたせ」
『無事、目が覚めた様だな』
ベリルがスフィーラの胸元から声をかける。
『軽く診断した限りでは後頭部に若干の裂傷があったが出血は直ぐに止まった。内出血もなさそうだし、大したことはないだろう。肩にも打撲が見られたので少し痛みは続くかもしれないが大事は無さそうだ』
すらすらと言葉を述べるベリル。
『と、素人判断で判るのはコレぐらいだ。自己診断では頭痛は無いか? 体に違和感は? 』
「あ、はい、特には」
『そうか、なら良かった』
「包帯、大丈夫? あんまり得意じゃないから、きつくないかな」
やはり包帯を巻いてくれたのはスフィーラだったらしい。
心配げな彼女にティルは感謝を述べた。
「ありがとうございます。大丈夫です」
彼女はその言葉にホッとした様な表情を浮かべる。
「よかった。それと、助けてくれてありがとう」
『私からも感謝を。スフィーラを助けてくれてありがとう』
続いた言葉に僅かにたじろぐ。やはり、感謝されることには慣れない。
だからティルは曖昧に頷き、頭上のゴヲレムを見上げ、ごかます用に言葉を発した。
「ゴヲレム、動くんですね」
『ああ』
その目は光を失い、先程までとは様子が違って見える。
彼の知るゴヲレムは掘り起こされる素材でしか無い。ゴヲレムは動かない。それは彼が生まれる前からの常識であり、言ってしまえば鉱物と何ら変わらないものであった。
「あれは、スフィーラさんが動かしたのですか?」
「……ん」
彼女は小さく答えると、優しく撫でるようにそのゴヲレムに触れた。
「今はきちんと動けないんだけどね」
悲しそうに、少し苦しそうに、彼女は答えた。
しばらく何も言えず、ティルは彼女の視線の先を追う。
ゴヲレムの体をよく見ると様々なところに傷が見えた。足には無数の擦り傷、胸部全面には幾つもの浅い穴。腹部左側にはまるで切られたかのような引っかき傷が見えた。発掘や搬送の時にできるものではない。それらはまるでいくつもの戦いをくぐり抜けてきた歴戦の勇士を思い起こさせた。
「戦いの跡……」
「ん。そうだよ」
スフィーラは頷く。
『このゴヲレム、クリサリスは損耗して今ではマトモに動くことが出来ない。私達がこの都市に来た理由はそれだ』
「理由?」
首をかしげる。破損したゴヲレムをこの都市に持ってきた理由。
「もしかして、修復のためですか?」
答えは簡単だ。壊れたものを直す。
彼の常識ではありえないことだった。しかし、その答えにスフィーラは頷く。
『そうだ』
「一体、何のために? 昼間の奴と戦うためですか……?」
「そうだね」
スフィーラの顔には何とも言えない表情が浮かんでいた。
悩むような、困ったような、言いたいけれども言えない、そんな表情だった。
「とーさん……」
スフィーラは胸元のベリルに小声で話しかける。何事か小さい声で相談したあと、ベリルがティルに話しかけた。
『ティルくん。私は、キミはこれ以上私たちに関わるべきではないと思っている』
『昼間の出来事でもわかったかと思うが、私たちは狙われている』
「それは、“緋目"とか言っていた奴ですか?」
“緋目"。何度か聞いた言葉だった。彼らは昼間の蜘蛛モドキのことも“緋目"の尖兵と呼んでいた。
『そうだ。我々は”緋目"と敵対している。だから、今度はそのような怪我だけでは済まないかもしれない』
その言葉に、ティルは頭の痛みを思い出し、そっと後頭部に手をやった。
鈍い痛み。怪我自体は自業自得だとは思う。しかし、そうしていなければティルもスフィーラも死んでいたかもしれない。
今更ながら、僅かに恐怖して手が震えた。
『しかし、私達には時間と、手が足りていない。もし、君が構わないのなら、私達に手を貸して欲しい』
ベリルの言葉にスフィーラが続けた。
「私たちを助けてほしい」
ティルは震える自分の手とスフィーラの顔を見比べる。
例えば、チックのようなお調子者だったら。おそらく詳しく内容も聞かずに二つ返事で了解したのではなかろうか。そして騙されてマジかよ、と呟くのだ。
そう想像して、ティルは軽く首を横に振った。この想像にはあまり意味がない。この二人が人を騙そうとするとは思えないし、何よりこの場にいるのは自分なのだ。
「どうしてですか? 僕に何か手伝えるとは思えない」
率直な質問を返す。
『いや、私たちはあまりこの街のことには詳しくない。こいつを直すにしても、どのようにして部品を手に入れれば良いか知らない』
「わかったのって、ご飯の買い方ぐらいだからね」
「なるほど」
ティルは彼女が買っていた串焼き肉を思い出す。
確かに、ゴヲレムの購入をするのは初心者にはむずかいしい。そもそも一見さんお断りの回収屋も多い。
「……すこし、考えさせてもらって良いですか?」
『唐突な話だ。構わない』
ベリルの言葉に続いてスフィーラが頷く。
『先ほど夜天の1刻を告げる鐘がなっていたな。今夜はもう遅い。何なら今日はここに泊まっていけばいい』
「ん。ティルくんも眠そうだしね。ソファ、使ってくれていいから」
その申し出にティルは首を横に振る。
「いえ、この目は生まれつきです。……大丈夫です。多分、家がは近いと思うので帰れます」
『わかった。ならばせめて家までは送らせよう』
うんうんと頷くスフィーラ。
「いえ、一人でも……」
「そうだね。私もちょっと気分転換したかったし。ちょっと待ってね」
そう言って彼女はゴヲレムの横手に向かう。
「よっ」
そこから取り出したのはゴヲレムの一部のように見えた。それを足に取り付けていくスフィーラ。見る間に彼女の足は昼間見たときと同じような物々しい代物になった。
続けて取り出したのは昼間つけていたゴヲレムのような巨手だ。今度はそれを腰に取り付けた。
更に外套を羽織り、最後にベリルを外套の外に出す。どうやらこれが彼女の外出スタイルらしい。
「ささ、行こう行こう」
そう言ってティルの背中を押して通用口に向かう。
出た先では見慣れたトラッシュガーデンの街並みが見えた。