07 落音
「大丈夫ですかね?」
巨手の盾の影から様子を伺うが、ティルの位置からでは足場が邪魔になるためスフィーラの姿が確認できない。
ティルは見えない事に僅かの不安を感じ、つい聞いてしまった。
『……逃げた奴を仕留めたみたいだな』
「わかるんですか?」
『ああ。奴らの場所がわかる。随分と大雑把ではあるがな。なので破壊すればそれと判る』
ティルには理屈は不明だがそう言う事らしい。
ふぅ、と息をついき、スフィーラの姿を確認しようと巨手の影から出る。
「じゃあこれで終わりですかー。早かったですね」
『いや、もう一体残っているぞ。気をつけろ』
ベリルの言葉に通りすがりにスフィーラが破壊した蜘蛛モドキに目を向ける。
半分の足を破壊され、起き上がることもままならない。
「え、でももう動けないんじゃ」
『見ろ。そろそろ動き出す』
その言葉に合わせたわけではないだろうが、蜘蛛モドキの動きが変わった。
それまでは不恰好に地面をのたうち回るだけであったのが、残された日本の足を此方に向け、不恰好ではあるものの体を引きずりながら此方に向かってくる。
「なんだあれ……」
正直に言って気持ちが悪い。
『多少の学習能力は持っているからな。気をつけろ。撃ってくるぞ』
何を、と返す前にティルの顔のすぐ左を緋色の光線が貫いた。掠めた髪の毛が目の前で蒸発する。
『それほど威力は高くないが、当たりどころが悪いと即死するぞ』
「!? それ、威力高くないんですか!?」
慌てて巨手に隠れるティルを追って、続けざまに2発、光線が放たれた。
「う、うわあ……」
『うむ、やはりこの程度であれば問題ないな』
一発は逸れ、もう一発は巨手に当たるが表面を僅かに削っただけに留まった。足場が穴を開けていたことを考えると確かに頑丈な手である。
「ど、どうしたらいいんですか、これ!」
ガリガリと足場を傷つけながら光線を放ちつつ迫る蜘蛛モドキ。本能的な恐怖を掻き立てられる。
左手の頑丈さがあるため、直ぐにどうこうなるという事は無いのだろうが、ティルにはあの蜘蛛モドキをどうにかする手段がない。
トラッシュガーデンの街中で武器を持ち歩くのが禁じられているわけではない。それは都市の外から来る商人や旅人、その護衛者たちに携帯を禁じるのが難しいから、という理由が有るからだ。現在それなりに治安の良いこの都市の住民で武器を持ち歩くものはそれほど多くない。
そもそも今は仕事のために手持ちを最小限にしていた。
ティルは当たりを見回し、金属棒を見つけてそれを手に持った。かつて足場の一部であったであろうそれはサビが浮いており大変頼りない代物だった。
「コレでなんとかなるとは思えないけど」
ベリルは明言を避けているが、ティルはあの蜘蛛モドキがゴヲレムとほぼ同じものであると見当をつけていた。
彼の知るモノと同様であるのであればこの金属棒程度では傷ひとつつけることが出来ない。
それでもイザという時はなんとかしなければ。
彼我の距離は約10メルトまで迫ってきている。
『大丈夫だ。帰ってきた』
ティルが覚悟を決めたその時、ベリルの言葉に返り見ると--上からスフィーラが降ってきた。
丁度蜘蛛モドキの真上。右腕を大きく振りかぶり、着地と同時に蜘蛛モドキに叩きつける。
破壊音が響き、衝撃に煙が舞い上がり、蜘蛛モドキの内部部品が飛び散った。
胴体は巨手に潰され、反して二本の足は天を突くように伸び上がっていたが、やがて力をなくしたようにその場に崩れ落ちた。
「これで終わり、と」
スフィーらが右の巨手を持ち上げると、その場には胴体部を見事なまでに破壊された蜘蛛モドキの残骸だけが残されていた。
彼女は息を吐いて左腕で額の汗を拭う。
目の前で行われた破壊にティルは声も出せず、持ち上げた金属棒を取り落とした。
『ティルくん。私は落としてくれるなよ』
ベリルの言葉にティルは慌ててペンダントを両手で抱え込んだ。
「おとーさん、ただいま」
言いながら彼女は右手を腰に戻し、ティルの目の前の左手も同じく腰に戻した。
音を立てながら変形し、再びスカート状の形に戻った巨手を見つめるティル。
『おかえり。無事だったか?』
「うん、平気。ティルくんもありがとう。おとーさんを守ってくれて」
「あ、え、いえ……。ど、どういたしまして?」
どう考えても何もしていない自分が感謝されることに釈然としないものを感じつつ、スフィーラにベリルを返す。
スフィーラは受け取ったペンダントを首につけようとし、チェーンが破壊されていることを思い出してその手を止める。
「うーん、どうしよう」
ペンダントを持ち運ぶのにどうしたものか、と少し悩んだ。彼女の服にポケットの類は無い。財布として使用している小さなポーチは有るものの、その中に父を入れることは少し抵抗が有るようだった。
仕方ない、と胸の谷間に入れようと胸元をはだけさせたところでティルは慌てて視線を逸らした。その光景はなんというか、青少年的にはわずかに刺激が強い。
案の定、ベリルから静止の声がかかった。
『スフィーラ。待った。そこはちょっと、止めてくれないか』
「え、でも持ち歩くのもちょっと不安だよ。両手使えないの不便だし」
考えあぐねて、うーん、と唸るスフィーラ。
『判るが、そこは色々と問題が有る』
「……えっと、そのチェーン、直しましょうか?」
ティルは片手で目線を隠し、もう片方の手を小さく挙手して声をかけていた。
その言葉に目をぱちくりさせるスフィーラ。
「直せるの?」
「えっと、はい。とりあえず簡単にならこの場で出来ます」
ティルが壊したチェーンはリングのスキマを広げただけだ。再度付けなすのはそれほど難しくはない。
『ふむ。手先が器用なのだな』
「渡した瞬間に逃げる、とかは無しだよ」
ジト目で睨みつけるスフィーラ。とは言え、ティルを捕まえたときのような怒気を込めたモノではない。
その事に心のなかで安堵しつつ、言葉を返す。
「逃げませんよ。元はといえば僕が壊したものですし、直させてください。それに、ここから逃げるのはちょっと……難しいですし」
回りを見回す。高度50メルトの高さから簡単に降りる方法を、彼は知らない。
万が一何かの奇跡が起こって降りることが出来たとしても、スフィーラの人離れした速度からは逃げられそうにない。
『それもそうだな。スフィーラ。任せてみようか』
「ん。おとーさんが構わないなら。はい」
スフィーラはティルにペンダントを手渡した。三度その手に取ったペンダント。ベルリという名の謎の人物そのものでもあるその不思議なペンダントを眺める。
『よろしく頼む』
「はい」
明滅するその宝石はやはり彼の知る何物でもない。謎だ。
ティルはチェーンの状況を確認する。やはり簡単に修理できそうだ。
「それじゃあ、直しますね」
そう言ってティルはその場に座り、修理を始めた。
ティルはペンダントのチェーンを直しながら、少し懐かしいことを思い出していた。
クライン&ヒース解体屋に来る前、スリで生計を立てていた頃のことだ。
妹が誤って壊してしまった母の形見のペンダント。その時は確か留め具が壊れてしまい、部品を探すところからだった。
なんとか部品を見つけ、今と同じように仮の宿の地面に座り込んで直していた。妹は泣きはらした目で、こちらの指先をじーと見つめていた。
スフィーラはあの時の妹と同じようにこちらの手元を覗き込んでいる。妹とスフィーラは歳も格好も全然違うというのに、何故かそんなことを思い出してしまい少しバツが悪くなってしまった。
「その、腰に巻いてる手って、ゴヲレムと同じモノですよね」
居心地の悪さにティルは思わず気になっていたことの一つを聞いた。答えてくれないだろうと思っていたものが、回答はあっさり帰ってきた。
「そーだよ」
予想外の回答に、一瞬手が止まる。
「ティルくんはゴヲレム詳しいの?」
「ええ。それなりに」
恐らく、適切な工具があれば分解できる程度には詳しい。
「当然、それが動かないものである事も知っています」
ゴヲレムは動かない。このヴェルティシュ公国の人間であれば子どもでも知ってる事実だ。
「そうなんだ」
言外に何故動くのかと聞いてみるが、それに対する答えは無い。
代わりに何か考えるようなスフィーラの表情に気になった。
「っと、出来ましたよ。少し短くなってますけども」
壊れそうなリングを外し、まだ大丈夫そうなチェーンリングで補修したため、僅かばかり短くなったそれを首にかけるスフィーラ。
「おー、ホントだ。すごい」
「スキマが大分出来てましたので、僕が壊してなくてもそのうち落ちていたと思います。そろそろチェーンごと交換しておくべきですね」
『とりあえず、今は問題なさそうだな』
「ありがとう。助かったよ」
ペンダントをかけ、嬉しそうに笑うスフィーラの笑顔に、ティルは自分の心臓が一瞬跳ねる音を聞いた。
「あ、いえ、そんな感謝されることでは……」
狼狽える。ティルは感謝されることには慣れていない。そうだ。だからきっとこれはそのことに驚いたに過ぎないのだ。
そうしてスフィーラから視線を外した。そして、だからこそ気づけた。彼女の後ろ、10メルト後方。
スフィーラが叩き潰した蜘蛛モドキから、緋い光が彼女の頭を狙って放たれるのを。
「危ないっ!?」
ティルは咄嗟に彼女を突き飛ばした。
二人の間を通り抜ける光線。
後先考えない彼の行動によって二人は救われた。床に倒れるスフィーラと、反動で後方へと飛ぶティル。彼は足場の手すりを壊しながら更に後方、宙へと飛んだ。
そちらは花弁の外側。つまり、斜面の急な側だった。
(や、ば)
妙に間延びした自感覚の中、スフィーラの目が驚愕に目を見開き、慌てて手を差し伸べるが余りに遠い。
自分の体が足場より低い位置に落ちる。後ろは見えない。振り向けない。このまま真っ逆さまに落ちる、と言うことはないだろうが、このまま足場か何かにぶつかるか、それともそのまま滑り落ち、頭から地面に激突するか。
どちらにしても嫌だなぁ、と思いながらティルはその背中と後頭部に衝撃を受け、意識を手放した。