05 誘拐するもの、されるもの
騒ぎを聞きつけた付近の住民が集まり始め、遠くから自警団の笛の音が聞こえて来たため、ペンダントの人物(?)の提案によりティルたちは場所を移す事にした。
スリの事を追求されたくないティルと、諸々のこと--ペンダントのことや、地面に空いた大穴、ここに来るまで破壊してしまったらしい獣車や露店のこと--を追求されたくない女性の都合を磨り合わせた結果である。
『人の目がないところが良いな。そうだな、花弁の上に行こう』
「了解、とーさん」
女性は串焼き肉を咥え、複雑な表情を浮かべるティルの首根っこを掴み、まるで猫のように持ち上げた。
「……へ?」
向かい合う顔と顔。視界いっぱいに彼女の顔が広がる。整った顔立ち。真っ直ぐ伸びた眉に吊り目。思った以上に長い睫毛。
彼女に見つめられ、ティルは己の顔が熱くなるのを感じた。
「跳ぶから、舌を噛まないようにね」
言うなりティルを肩に抱き、二、三歩助走をつけて彼女は跳び上がった。
「……ッ!?」
見る間に地面が遠く離れていく。想定外の加速に驚き、思わず悲鳴を上げそうになるが歯を食いしばり耐えるティル。
加速が収まり、一瞬の浮遊感の後、トン、という軽い衝撃。見ると既に建物の屋上へと降り立っていた。
「な、な、な……」
とても人間業とは思えない跳躍に言葉を失う。
先程の破壊力といい、この女性は一体何なのか。改めて疑問を深めるティル。
『おぉ、よく耐えたな。その調子で頑張ってくれ』
「行くよ」
「う、うわあああああああ!?」
続けての跳躍に次ぐ跳躍。激しい上下運動と浮遊感の連続に思わず悲鳴を上げる。
「うるさいー」
「ちょ、まって、これは……ッ!」
そのうちに気持が悪くなり、ティルはやがて諦めたようにぐったりと彼女の動きに身を任せた。
……
ということで、二人が居るのは落星街を覆う花弁、その一つの頂上付近である。
胃から登ってくる酸っぱいものを飲み込み、こんな場所で内容物を吐き出すという屈辱をなんとか回避し、ティルは息を整える。
「はぁ、はぁ、あぁ、ようやく、おちついて来ました……」
気持ち悪さにうなだれるティル。対して女性は花弁からの景色を見下ろしていた。
「なかなかいい景色ね」
落星街を見下ろし、彼女はそうつぶやいた。
ここからは都市と都市を囲む丘が一望出来た。
トラッシュガーデンは星が落ちた際に土が巻き上げられ、外周を小高い丘に囲まれた形となっている。対して街の中心部は少し低くなっている。今、二人が居る場所は外縁部とほぼ同程度の高さである。高低差は約50メルトといったところか。
風はやや強い。すぐに吹き飛ばされてどうこうないるようなものではないが、普通であれば恐怖を感じるだろう。
しかし、女性はそうでもないようで、フードを外し、髪と外套をはためかせた。
楽しげに柔らかく微笑む。それがとても絵になり、ティルは暫し見とれてしまった。
『心配しなくてもいい。あとでちゃんと降ろ地上まで連れて行くよう約束しよう』
「……ぜひお願いします」
見回すとこの花弁の上は無秩序に組み上げられた足場と手すりが残されていた。
トラッシュガーデンが出来た当初は解体するために人が出入りしていたと言うが、一度大きな事故が起こってからはこの花弁に侵入することも解体することも禁じられている。普段決して入ることのない場所だ。月日が経過し、サビも目立つ。一応地上までの足場は残っているようなのでなんとか降りれなくは無いだろうが、命綱も無い状況で気をつけながら降りるとなると一体どれだけ時間がかかるかわかったものではない。
「それじゃあ、誘拐犯くんから色々聞かせてもらおうか」
「……誘拐犯はやめてください」
ティルとしては心外であった。今まで色んなものを盗んできたが、人と人の命は盗ったことはない。
むしろ誘拐、人攫いといった類には嫌悪感を覚える。
客観的に見た場合、誘拐犯はむしろ女性の方になるのではないか。外套の人物が悲鳴を上げる子どもを抱えて飛び去るのは、正しく人攫いのそれである。
とはいえ、そんなことを言える立場でもないため、ティルは口を噤んだ。
「それじゃあなんと呼べば良いかな?」
『そうだな。お互い名前がわからないのでは不便だ。軽く自己紹介させてもらおう』
その言葉にティルは女性の手に掲げられたペンダントに目を向けた。
『私の名はベリルという。お察しの通り、このペンダントが……ここに納められている翠の石が私だ』
よく観察すると、言葉を発する際に薄っすら発光している。正直言って気味が悪い。
『故あってこの様な姿では有るが気にしないでくれ』
「気にするな、と言われても気になるものは気になりますが……」
『まあ、我慢してくれ』
若干苦笑いを含んだ声で返すベリル。
「私はスフィーラ。とーさんの娘だよ」
女性は簡潔に答えた。ベリルと、スフィーラ。ティルは二人の名前を頭の中で反芻する。
『では少年。君の名を教えていただいても?』
さて、どうしよう、とティルは逡巡する。
素直に答えるべきか答えざるべきか。
名を述べるのは得策ではない。今ならまだ、誤魔化し逃げることができる……かもしれない。
「ティルと言います」
しかしティルは正直に名を述べてしまった。
誤魔化し嘘を付くこともできたが、なぜかそうしたくない気持ちが湧いたのも理由の一つだ。
それより何より、この珍妙な二人に興味を持ってしまった。仕事のことを忘れたわけではなかったが、この二人は何者なのかを知らなければならない。
『ティルと。さて、では改めて君に話を聞かせてもらおう』
「答えられる事なら答えます」
『それで構わない』
さて、とベリルはティルに質問を始める。
『先程、“仕事”と言っていたね。私を盗んだのは、誰かに依頼されたということで間違いないね』
ティルの独り言は聞かれていたらしい。今更誤魔化しても仕方がないので正直に答える。
「はい。」
『理由や目的は聞いているかね?』
「いいえ。知らない方がいいことは多いですから」
そう、例えばこのような時に情報が流出する恐れがる。
『成る程。君の依頼主はなかなか用心深いようだ』「ティル君、キミはいつもこんなことやってるの?」
スフィーラの言葉の割り込みに、若干驚きつつ答える。
「えっと、時々。依頼されれば……」
「とんでもない悪党だね。こんなに小さな子に悪いことさせるなんて」
「小さい……」
気にしてることをさらりと言われた。やはり自分はガキに見られるのだなぁと、改めて落ち込むティル。
(いや、勘違いするように変装してるから安心するところなんだけどさ…)
「無理強いされてるなら私がその悪党を懲らしめるよ?」
バシンッ、と右手の拳を左手で受け止めるスフィーラ。
一瞬脳裏にスフィーラの拳がクラインの横顔にクリーンヒットし、高速回転しながら吹き飛ばされる様を思い描いてしまった。
ティルは首を振ってその妄想を吹き飛ばす。
「いえ、自分の意思でやってます……。見返りが大きいので」
「……ティル君も悪党だったか」
ティルは、スフィーラの言葉に何かいたたまれない気持ちになる。
『では、その依頼主のことを話してもらっても?』
「直接話をくれる人は知っていますが、本来の依頼主は知りません」
それは本当のことではあるが、知る全てでは無い。
ティルが盗みを働き、その結果盗まれたモノとその持ち主がどうなったかを見れば、大体の想像はついている。だがしかし、今その想像を披露する必要はない。
『では、キミはこのペンダントが“普通でない”ことを知っていたかね?』
首を横に振るティル。
知っていたら流石に盗みはしなかった。
失敗必至の仕事とか、流石に受けない。
「そもそも、ベリルさんは一体なんなのですか? 石が言葉を話すなんて聞いたことが無いです。僕が知らないだけで普通のことなんですか?」
ティルの返しにベリルは暫し沈黙を返す。
『……いいや。君たちの常識に照らし合わせれば、普通のことでは無いな』
「どう言う事ですか?」
『この姿は本来の私のものでは無い』
「この石の中に封じられているとか、実は遠くにいて言葉だけ届いているとか……?」
そういう古代遺物、アンティークの話は聞いたことがある。ツボに閉じ込められた男のおとぎ話であったり、遠く離れた男女が話のできる古代遺物を使いやがては出会う恋愛物語であったり。
昔、演劇や歌物語で聞いた話を思い出す。
『いや、そうでは無い。これが私である事には違いがないのだが……』
うーむ、と唸るベリル。
『ティル君、残念ながらキミに話すことではないな』
気になるが追求しても答えてくれそうにはなさそうだ。
その後もいくつかの細かな質問があり、時には素直に、時には嘘にならない程度に誤魔化しながらティルは答えていった。
時折逆にティルが質問することもあったが、二人の正体に繋がるような回答は無かった。
「それじゃあ、最後の質問、いいかな?」
質問も尽き、陽が傾き始めた頃、スフィーラがそう切り出した。
「“緋目”という言葉に聞き覚えは有る?」
真剣な、睨みつけるような目に、ティルは少し狼狽した。
“緋目”。その言葉を口の中で転がしてみる。
「……いいえ。聞いたこと無いです」
「そう、良かった」
そう言ってスフィーラは大きく息を吐いた。
「ありがとう。とーさん、やっぱりこの子は別件みたいね」
『そのようだ。それにまだ噂もないならもう少し猶予は……待て』
ベリルの言葉が途中で変わった。
同時にスフィーラの雰囲気も緊張したものに変化する。
「……とーさん、見られてる」
潜めるような声。
『場所は分かるか?』
「うん、正面と右前方。多分、いつもの奴」
『私もそう感じる。間違いないだろう』
こくん、と頷くスフィーラ。唐突な自体にティルは目を瞬かせる。
「何か有りましたか……?」
「ティルくん、とーさんを持ってて」
そう言ってスフィーラはペンダントをティルに手渡した。
「……えっ」
渡されたペンダントを見て思わず握り締めたティルの前で、スフィーラは外套を脱ぎ捨てた。
中から現れたスフィーラの姿にティルは絶句した。
上半身は体のラインがはっきりわかるような丈の短い黒のインナーに前結びのカーディガン。肩も腕も、どこからあんな力が出せるのかというほど細い。
程よく主張した胸とむき出しのヘソに思わず目が釘付けになりそうだった。
しかし、彼が言葉を無くしたのはそこが理由ではない。
彼女の腰から下は赤かった。
彼女の髪と同じ、燃えるような赤。
一見すると膝のあたりまで伸びるスカートのようだ。だが、その素材は布や革といった衣服に使われるものでは無い。
硬質な金属でできていた。
「よいしょっと」
思いの外軽い声で彼女はそのスカートの右半分を取り外した。
その下はホットパンツ。露わになる程よく筋肉のついた太もも。
しかし、その膝上から下はスカートと同じく硬質な、まるでゴヲレムのそれを小さくしたような足かついていた。
「スフィー……ラ……さん……?」
想像外の事に言葉に詰まるティルを、今度は柔らかな衝撃が襲う。
「ッ!?」
顔に押し付けられた柔らかな感触と、嗅いだことのない人の匂い。
ティルはスフィーラに抱きしめられていた。
未知の出来事に混乱する頭と早鐘を打つ心臓。
「跳ぶよ。絶対に離さないで」
スフィーラはそう言うと外したスカートの半分を右手で持ち、掲げた。
ガシャンという機械音が響き、見る間に巨大な拳へと変形する。
先刻彼を捉えた巨大な手が、そこにあった。
そうして、彼女は跳び、直後彼らのいた足場に緋色の光が突き刺さった。