04 盗まれたモノ
串焼き肉を食べ歩きながら何かを探す様にキョロキョロと辺りを見回す女性。
早々に発見した今回の標的は、非常に目立つ存在だった。
ゴヲレム部品を扱う回収屋や解体屋の殆どが男性である。
中にはステファニーの様に女性もいないわけではないが、ゴヲレムは大きく重いためその仕事は必然的に力仕事となる。力自慢の男性が多い。
女性かつ華奢な彼女はそれだけで目立つ。
ティルは改めて彼女を観察する。
似顔絵で見ていたため美人ではあるだろうとは想像していた。似顔絵ではなんとなく冷たい雰囲気であったが、実際の姿を見てみると思った以上に生き生きとした女性だった。
串焼き肉を頬張っているので余計にそう見えるのかもしれないが……。
「似顔絵より可愛い……かな」
思わずそう呟く。
ティルは人でごった返す市場の中、目標を視線の端に入れたまま周りに合わせた速度でゆっくりと後をつける。
なるべく視界に入らぬよう、だが不自然ではないように。
年季の入った土色の外套を纏っているため、服装はわからない。得物を持っているかは不明。
肩下まである長い赤髪。三つ編みにまとめられたそれは彼女が歩くたびに楽しげに揺れている。
ティルは彼女の胸元を確認し、そこに目標となるペンダントがある ことを確認した。
情報通り翠色の宝石があしらわれた大きなペンダント。その色は彼女の瞳の色に似ており、とても似合っていた。
探しているものがあるからか、ゴヲレムを扱う露店に近づいては飛んだり跳ねたりしながら覗き込んでいる。
飛び跳ねるたびにペンダントが踊り、見ているだけで危なっかしい。
彼女は食べることと探すことに夢中になっており、周りがよく見えていない。時折人にぶつかりそうになっては気づいて避けることを繰り返している。
ティルの目からはそんな彼女がとても無防備に見えた。
ティルは指の動きを確認する。
小指からゆっくりと握りしめ、開き、今度は一気に握りしめる。淀みなく動く。
大体観察は終わった。あとはどのタイミングで仕掛けるか決めるだけ。
さてどうするかと辺りを見回すと一台の獣車がこちらに近づいてくるのが見えた。
荷台には10メルト級のゴヲレムが乗せられて居るが、人の多さに辟易としているのが御者が無理に進もうとしている。それを避けるように人混みが割れていく。
この通路は獣車通行禁止だったはず、と思い御者台に目を向ける。そこに座るイライラ顔の金髪の青年の姿を見て、ティルは眉根を寄せた。
(げ、ゴルド商会の奴らか)
ゴルド商会はあまり評判のよろしくない解体屋兼加工屋である。
ゴヲレムの解体から加工販売まで行うため、安く販売できると豪語している商会ではあるのだが、実態は安く買い叩いたゴヲレムを粗悪な方法で解体、加工して販売するという安かろう悪かろうの商会だ。
とは言え安い加工品もそれなりの需要があり、商会としての規模も大きいため無下に出来ない。また、商会員も粗暴な者が多く、時には脅迫紛いの方法で買い叩きを行うことも有るという。
諸々の事情から回収屋、解体屋、加工屋から嫌われている。
今回も例に漏れず何事か喚いており、関わり合いになりたく無い者たちが避けるように道を開けて行く。
普段から迷惑な連中ではあるが、今回はいいタイミングだ。この混雑を利用させてもらおう。
そう決意して彼は少しずつ目標に近づいていく。速すぎず、遅すぎず。
そうしてティルは女性のすぐ近くまで接近した。
彼女も混雑に気づいたのか、ゴルド商会の獣車に目を向け、避けるように道の端に移動している。
(ーー今だ)
ティルは一番混み合うタイミングを狙って彼女の左後方にいる男性を肩で押す。
よろめいた男性は堪らず女性の肩にぶつかってしまった。
「きゃっ」
「っとと、すみません」
落としそうになった串焼き肉を慌てて掴み、顔を男性に向ける彼女の死角に入りながら、ティルは彼女の首筋に手を伸ばす。
「いえ、大丈夫です。それにしても凄い混みようですね」
寸分の違いなく右手でペンダントのチェーンを破壊した。
瞬間、チンッという金属音がしたが、喧騒に紛れて誰の耳にも入ることはない。
落ちそうになるペンダントを左手の指で絡め取り、ディルは素早く女性の元を離れた。
「ええ、ゴルド商会の奴らですよ。何だってこんな所に入って来てるんだか」
「ゴルド商会?」
「あれ、ご存知ないですか? ゴヲレムの解体から加工まで引き受けてる商会ですが、関わらない方が良いですよ」
会話を続ける女性と男性を尻目に、ティルは手の中のペンダントの感触を確かめながらゆっくりと歩き離れて行く。
髪の毛一本揺らさず奪い取った自信があった。
ティルはそのまま人混みに紛れる。ここで駆け出すようでは素人もいい所だ。
暫し人の流れに身を任せて移動し、そのまま地元の人間しか知らない抜け道を使って落星街から離れる。
ようやく花弁の外側…落星街の外に出たところでティルは息をついた。
「ふう。今回のお仕事も無事完了ですね」
終わってみれば案外簡単なお仕事であった。
今頃彼女はペンダントの紛失に気づいているかもしれないが、時すでに遅しだ。
市場からは既に何キロメルトも離れている。
万が一知られたとしても既に手の届かない位置に逃げている。
もし目撃者がおり、彼の姿を見たとすればこの容姿に背格好だ。市場の浮浪孤児を探している間にこちらは既に手を離している。
犯人が誰であるかなど絶対にわからない。
ティルは掴んだペンダントを確認する。
中央に輝く翠の宝石。ふと脳裏に同じ色の瞳の女性の顔が浮かび、一瞬心臓が跳ねた。
「……?」
突然のことに動揺し、ティルは頭を振って考えを改める。今更、この仕事をすることで罪悪感を覚えるなどということはない。
そのはずだ。
きっと空腹で少し思考がおかしくなっているのだろう。
そう結論付けてティルは頷いた。
「さて…腹は減ったけど、このまま依頼主にこいつを渡しに行くとしますか」
小物袋に仕舞おうとし、ペンダントを握り締めた所でーー
「見つけた! 誘拐犯!」
大きな声とともに空から巨大な拳が降ってきた。
どかーん、と擬音にするのもバカバカしくなるような音で地面に突き刺さり、狭い路地で砂煙を巻き上げる。
「なん……だ…!?」
濛々と立ち込める砂煙。
突然の事態に頭が回らない。
言葉の意味も、起こった現象も何もかも想像の範囲外だった。
と、途轍もなくイヤな予感を覚えて彼は大きく後ろに跳んだ。
直後、先ほどまで彼が立っていた空間を拳が薙いだ。普通の拳ではない。空から降ってきた巨大な手だ。まるで彼の体を掴んでしまえるほどの巨大な手。
突然の事態に混乱する。
寸での所で躱したティルを追いかけ、煙の中から人影が飛び出す。
それはティルと同程度の背丈でありながら異常に肥大化した腕を持つ異形だった。
こんな巨大な手を持つ種族など聞いたことがない。
いや、そもそも、その手は生物のものではなかった。金属でできた手。ティルの知る巨大な手。即ち
「ゴヲレムの手だって!?」
彼が後退するより圧倒的に速い速度で迫るそれは、その巨手でもって彼を掴み、そのまま壁に叩きつけた。
「ぐはっ!」
押し付けられた衝撃で肺から空気が漏れ出し、堪らず呻き声を上げる。
壁と巨大な手で挟まれ、拘束される。
「捕まえたよ」
そう言う巨手の主は燃えるような赤い三つ編をはためかせ、翠色の瞳でティルを睨みつけた。
見間違うはずもない、ティルがペンダントを盗んだ女性であった。
先程まで市場で見せていた表情とも、似顔絵で感じた冷たい雰囲気とも違う、怒りに燃える翠色の瞳。
「おとーさん、返してもらうからね」
反して声は低く、冷たい。
何の事だ、と胸中で言葉を返す。
彼が盗んだのはペンダントであり、彼女の父親などではない。
「ぐ…ッ!」
せめてもの抵抗に声を出そうとするが、一度抜けた空気は中々肺に戻ってきてはくれない。
強くなる圧迫感。軋みを上げる肋骨の音に恐怖を覚える。押し潰されるのが先か、それとも窒息するのが先か……。
こんな所で訳もわからず死ぬのか……と思い始めた所で制止の声がかかった。
『その辺で勘弁してやれ。それ以上やると死んでしまうぞ』
「あ、とーさん。遅くなってごめん。大丈夫だった?」
『うむ。私は大丈夫だから拘束を緩めてあげなさい』
女性の顔に笑顔が浮かび、言葉に従うように不意に拘束が緩められた。
ティルはそのまま滑り落ちるように座り込んだ。前かがみに目から口からだらし無く液体を撒き散らし激しく咳き込む。
『うむ、無事なようだな』
死んでなくて良かった、と話す謎の声。少し曇った何か伝声管を通して聞こえるようなその男性のものと思しき声は握りしめた左手から聞こえた。
「……んだよ、これ…ッ!」
咳き込みながら手を開く。
その中にあるのは当然、彼女から盗んだペンダントだけだ。
「返してもらうね」
そう言うと女性はティルの手から、ペンダントを奪い取った。
ーー正しく言うのであれば取り返した。
気づけは先程まで彼を拘束していた巨大な手は既に無い。彼女の手も一般的な女性のモノである。右手にペンダント、左手にはまだ食べ残しの串焼き肉があった。
「あー、チェーンが壊されちゃってる……」
『買い直さないといけないな』
やれやれとため息交じりの声は、間違いなくペンダントから聞こえてきた。
ティルは何度か咳き込んだあと、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。息が戻ると同時に思考も戻ってくる。
無数の疑問が頭のなかに去来する。先ほどのゴヲレムのような手は何だとか、地面に穴を空けるほどの馬鹿力は何だとか、串焼き肉を持ったままあんな動きをしたのかとか、その喋るペンダントは一体何なのかとか。
だが、口を開くと最初に出たのは違う言葉だった。
「どうして…… どうして僕が盗んだと、わかったんですか……?」
何とか切られたペンダントを首にかけようと四苦八苦していた女性は目を瞬かせ、ペンダントに目を向けた。
『ほう。この状況で先ずそれを聞いてくるとは』
感心するような声色に、少しだけムッとしてペンダントを睨む。やはり変わらず眠たげな目のため、あまり迫力はない。
ティルには先程のスリに絶対の自信があった。取った瞬間には気づかれず、その後の逃走も細心の注意を払っていた。
成功を確信した瞬間にコレでは納得出来ない。
『普通なら私のことを疑問に思う所だと思うが、不思議には思わないのかね』
「それも疑問ですが、何故、僕が失敗したのかがわからない」
『先程“仕事”と言っていたな。成る程、君は人から物を盗む事に余程自身があると見える』
ほうほう、と頷く声に女性が続ける。
「なんでも何も、私はとーさんの所に真っ直ぐ進んで来ただけだよ」
と、説明になっていないようなことを答える彼女にペンダントが続ける。
『離れてもこの子には私の場所がわかる。鈴を鳴らしながら逃げる猫よりもよっぽど簡単に見つけられるよ。残念だったね』
種明かしをされ、がっくりと項垂れるティル。
「はぁ…。それはどうしようもなく無駄なことをしてしまったということですね……」
ため息しか出ない。確かに依頼内容は如何にも失敗してこいと言わんばかりの内容ではあったが、さすがにこのような事は想定外だった。
『いやいや、君の手腕は見事だった』
「ん。気づいたらとーさんいなくてびっくりしたよ」
『うむ。誇っていい事ではないが、少なくともその手先の器用さには感心させられる』
「……ありがとうございます」
会心のスリに失敗し、その相手に褒められるというわけのわからない状況に、ティルは思わず感謝を述べていた。
『さてと、君の疑問に答えたところで、今度は此方の問いに答えてもらえるかい?』
その言葉に少し緩みかけていた空気が引き締まるのを感じ、ティルは唾をゴクリと飲み込んだ所で、
ぐぅ、とティルの腹の虫が鳴いた。
折角引き締まった空気が一気に弛緩する。
「えと、これは昼食を食べそびれて……」
一瞬で顔を赤らめ、あたふたと言い訳するティル。
冷静に考えれば気にする必要は一切ない訳だが、あまりにいいタイミングであったため思わず言い訳してしまっていた。
対して、女性は眉根を寄せ、額に手をつき、考えを巡らせてティルを睨みながら……串焼き肉を差し出した。
「これ、食べる?」