第17話 共生
小高の家に帰宅したのち、僕らは早く床についた。しかし、横になってからが長かった。瞬く間にいびきを立て始めた小高とは対照的に、僕の目は冴え続けていた。クーラーの涼風は体の火照りを冷やしきれず、思考は脳をグルグルと巡ってはバチバチと弾け、不安と期待を生み出しては消していく。それが、当事者意識からのものなのかは僕にはまだ、分からなかった。
一瞬飛んだ意識から覚めると、朝日が差し込んでいた。エアコンは止まっており、わずかに額に汗が滲んでいた。気だるさの残る体を起こし、半開きのカーテンを開けた。
二日目の朝を迎えた。初日の朝に抱いた期待感とは対象的に、見つかった手紙や二人の会話が絶え間なく脳内再生される。昨日聞いた言葉、見てきた景色。僕らの行動から導かれる推測や憶測が絶えず脳内をかき乱している。
僕とは対照的に、早い時間にいびきをかいていただけあって、小高の目覚めは良さそうだった。血色も良く、とてもすっきりした表情をしている。
「相変わらず神経質だな、東は」
僕の寝起き顔はなかなか悲惨なようだ。
「仕方ないだろ。一日で理解する以上の出来事だったんだから」
今朝の集合場所は、昨晩送ってもらったコンビニに迎えに来てもらうことになっていた。少し重い頭をコーヒーで緩和しながら待っていると、見覚えのある、パジェロ・ミニがやって来た。
「おはようございます」
昨日と変わらぬ、優しい笑顔で唯さんが車から降りて来る。昨日の反省を踏まえてなのだろうか、今日はスカートにヒールではなく、パンツにスニーカーと動きやすい服装に変わっていた。
それぞれが必要な物を買い揃えたところで、車に乗り込む。座席につき、大西さんがハンドルに手をかけた。
「じゃあ、海岸に……」
大西さんが切り出したその時だった。その勢いを小高が制す。
「待ってください」
張り手のごとく手のひらを大きく広げ、座席と座席の間に差し出した。
「どうしたんだ?」
大西さんと唯さんは後部座席に振り返り、不思議そうに小高を見た。
「実は、次の場所が解けました」
なぜか、小高が唯さんに目配せし、それに合わせて唯さんが頷いた。
「それは本当?」
「昨日の夜、実は浜辺での唯さんの様子が気になって、夜にSNSで尋ねてみたんです」
小高は自身のスマートフォンを指差しながら自身げに言った。なるほど、昨晩の笑みはそういうことだったのか。
「その前に。唯さん、昨日の尋ねた内容、話しても大丈夫ですか?」
「うん。もう、昔の話だから。悩んでいたけど決心がついたから、大丈夫だよ」
手紙では、三人で過ごした思い出ではなく、二人で過ごした思い出と書かれていた。
昨日、浜辺で東がお二人に、手紙の人物との思い出について語っていただきました。大西さんは吉村清十郎の小説について語り合った、と。一方で、唯さんは相談をした、とおっしゃいましたが、どうやらいい思い出ではないようでした。
それぞれとの思い出がヒントとなっているのであれば、唯さんの思い出が、吉村清十郎の何かを指すのではないかと考え、調べたんです。
どうやら、吉村清十郎の書く小説のタイトルは、二文字や三文字程度の短いものが多いみたいでした。つまり、そのタイトルの中で、唯さんが相談しそうな事象がタイトルと一致するんじゃないかなと思いまして、俺は唯さんに尋ねることにしたんです。唯さん、その相談って恋愛や告白に関することではなかったですかって
そのメッセージを投げかけると、直ぐに打ち明けてくれました。唯さんが、手紙の主に告白したってことを」
小高の言葉に僕は驚く。その一方で、大西さんはそのことを知っていたようだが、複雑な表情を浮かべている。なかなかデリケートな話なのかもしれない。
「では、その告白内容が、手紙の主との思い出なんじゃないかって。それで、単刀直入に聞きました。告白のセリフは何でしたかって」
そう言うと、小高は一度唯さんを一瞥し、話してもいいか確認をとった。
「あなたと一緒に生きていきたい、と言ったそうです」
「うん。そう言ったわ。もうずいぶん前のことだけど、好きだったんだ」
唯さんが乾いた笑いをしながら、観念したように白状した。
「そして、その言葉を手掛かりに調べてみました。ビンゴでした。吉村清十郎の書いた短編の中に、”共生"というタイトルの短編があることがわかりました。ということは、吉川清十郎の”共生”という短編の書かれた書籍の中に挟まっているのではないかということになります」
「確かにあるね。よく覚えているよ。でも…」
大西さんのかなしげな表情から、見つけることが難しそうなのだと僕は悟る。
「そうなんです。調べてみたところ、その本は生産数が少なく、希少本。そんなもの、近くに置いてる場所なんて、と俺も思いました。ここで、他の言葉に注目しました。それが、海辺に眠る蔵書、という言葉でした。この海辺の近くに、蔵書として収められているのではないか、と。
実は、最初に紹介した時にお話ししたかと思いますが、俺、大学では図書館情報学を専攻しているんです。なので、この辺の蔵書が収められている場所はレポートを書く際に調べ物をするために行ったことがあるんです。それで、この近くにも蔵書がある施設を知ってました。
この浜の近くの民族資料館があるんです。蔵書ということなら、そこの置いてるんじゃ無いかと思って。ホームページで資料館の蔵書を調べたらビンゴでした。それに、吉村清十郎の展示もしてるみたいです。ってことで、次の手紙の場所はここなんじゃないかと思います」
車をヒスイ海岸の方向へ走らせること数十分。防風林として植えられた松林の並木を進むと、民俗資料館が見えてきた。外観はコンクリート造りの蔵のようで、耐火性を考慮してのことなのだろうと理解できる。
「こんにちわ。四人です」
「はい。どうぞ」
窓口の老年男性に入場料を支払い、施設内に入った。
錆びた鉄扉を抜けると、古書独特の懐かしい香り、アーモンドやバニラのような揮発性の有機物の香りがした。室内には、灰色の絨毯が一面に敷かれ、甲冑や貝殻などのこの街で昔から出土したり、保存されているものの展示がなされている。目立つものとして、平安時代だろうか、着物を着た女性の蒔絵や、中国風の仙人の住んでいるような雲海と庭園の掛け軸が展示されていた。中央に並べられた、仄かなライトに照らされたガラスケースには、昔の民族衣装や印鑑が並べられており、湿度を一定に保つためであろう、空調の音だけが部屋に低く響き渡っていた。
二階に登ると、街のコーナーがあり、街に関係する写真や書籍、年表が展示されていた。何冊か街の偉人コーナーに吉村清十郎の書籍が展示されているものの、今でも販売されている有名どころだけで、目的の”共生"の書かれた書籍は見当たらなかった。
「ないですね」
僕はぼそりとつぶやく。
「たぶん、普通の本ではなく、貸出が制限されている、たとえば全集のようなものではないだろうか」
「蔵書、と書くぐらいだから、保管庫みたいに、貸し出し禁止になっている蔵に置いているんじゃないかしら」
「でも、展示エリアに蔵につながる扉みたいなものはありませんでしたよね?」
それぞれが痕跡を探すべく、部屋中を探し回っていると、先ほど窓口受付をしてくれた老年男性が二階に上がってきた。
「どうしたんだい、そんなに探し回って。珍しい年代のお客さんたちの集まりだから、珍しくて声をかけちゃったよ」
「探している本があるんです」
「探している本?」
「吉村清十郎の"共生"が書かれた書籍を探しています」
大西さんが答えた。その瞬間、何かを察したようで、男性の目つきが変わった。
「くわしく、話を聞かせてもらえないかね」
僕らは手紙のことを男性に話す。すると、理解した様子で一言つぶやいた。
「……時期が、来たようだね」
そして、男性は僕を見て、確認するように丁寧に尋ねた。
「君の名前を聞かせてもらえるかな?」
「東、東優生です」
「よし。確かに君だね。案内しよう。ついてきてくれ」
階段を降り、受付の部屋に通されると、部屋の後ろに扉があった。
「これは見つからないわけだ」
小高が笑いながら言った。扉が開かれると、対流もせず、熟成された書物の香りが流れ込んできた。
「ここが、書架になっている」
男性についていくと、吉村清十郎と書かれた札書きを発見し、僕らは書籍を探した。確かに、そこには吉村清十郎全集並べられていた。
「素手で触っても大丈夫ですか?」
唯さんが確認を取る。
「そこにあるものは問題ないんだが、ここにあるものじゃないんだ」
そういうと、書棚の後ろにある巨大なロッカーがあった。
「こっちに本人がサインを書いた初版が保管されていてね。こちらに保存されている。はい、手袋だ」
手袋をはめ、"共生"の書かれた全集の第三巻を手に取った。捲ると、表紙裏に一冊の封筒が挟まれていた。封筒を取り出して、僕は便箋を広げた。
***
ちゃんと保存されていたようでよかったよ。ヒントに関しては、愚直に思い出をヒントにしたものだから、もしかしたら唯に迷惑をかけてしまったかもしれない。一応、謝っておく。すまない。でも、あの日言ったように、ちゃんと君の想いは伝わっていたんだ。だから、こうやって二人との思い出をヒントに使うことができている。
さて、次の手紙のヒントだ。
「何かを思い、何かを伝え、何かを変えようとしたとき、あの場所はいつも優しく包んでくれた。そして、その場所の中で手紙もまた、後輩たちに包まれている」
言わなくても、わかるよね。僕ら全員が共通する、あの場所だ。
6.「青春」の終わりを知ってもなお、共に過ごした時間は消えることはない
***
手紙を受け取ると、僕らは資料館を出た。
「ありがとうございました」
「なぁに、とある中学生との約束さ」
見送りに出てくれた老年男性も、嬉しそうな誇らしげな様子で僕と握手を交わした。
「では」
「もう、場所はわかっているのかね」
去ろうとする僕らに男性は投げかけた。
「はい」
「そうか、気をつけて」
僕ら四人、共通する場所はあの場所しかないのだ。
懐かしい気配が漂ってくる。グラウンドに、体育館。何度も通った校舎。それらは次第に、過ごした思い出を想起させ、感傷的な思いを抱かせてくる。そう、僕らの学んだ母校である中学校だった。
「僕が税務課に入った時に、中高は生徒会にいたと言っただろう。唯と彼も生徒会にいたんだ。となると、生徒会室に手紙がある、ということになる」
「そんな、OBOGだからといって、突然生徒会室を訪問することなんて」
僕は心配になる。あくまでも、僕らが手紙を追い求める行為は私用であって、公的機関を動かすに値する事象ではない。
話通すの難しいのではと東
「俺の書いた手紙を忘れたのか?」
「手紙?」
「そうだ。連絡はついているっていっただろ」
小高から僕の元へ送られた手紙のことを思い出す。
「確かに書かれていたけど、それは教頭先生と連絡がって……」
僕の不安げな言葉を払拭するように、小高は自信満々にこう告げた。
「その教頭先生が今、この中学の校長先生をやってるんだ」
次話に続きます。