第16話 海岸と思い出
「海辺に眠るヒスイを拾い上げるように、海辺に眠る蔵書に二人と過ごした思い出が鍵となり、僕の欠片は拾い上げられる」
そう記された次の手紙のヒントを元に、四人を乗せた車はヒスイ海岸へと向かった。
ヒスイ海岸に向け、車は林道を下っていく。ここまで順調すぎるほどに手紙が発見できた。驚き半分、予定調和なのではないか、という猜疑心がもう半分だ。中学生の頃抱いていたワクワクや好奇心という、現実離れしたものへの単純なまでの信用が、現実を知るようになった今では疑心によって簡単に薄らいでしまうことに少し悲しさを感じる。だからといって、この謎の全容を僕らが簡単に解読できるほど容易な”現実離れ"ではない。僕は気を取り直し、ここまでの流れを整理する。
最初に手紙を見つけたのは、僕らが中学生の頃。僕と小高、それに教頭先生。三人で突入した旧校舎の地下でのことだった。
そして、手紙に書かれていた期日ーつまり今日、僕らは駅で大西さんと唯さんに出会った。二人も手紙を受け取っており、僕らは二人の手紙に書かれたヒントから自然公園に向かった。
自然公園では、"重い犬が守りし箱”というヒント、加えて、園内神社の賽銭箱底の文字から、手紙の示す場所が自然公園そばの定食屋"比良坂"であることを突き止めた。比良坂ではラッキーという犬が飼われており、ラッキーの依拠であるカーペットの底から箱が発見され、中から手紙を発見する。そこに書かれているヒントから、先ほどまでいた天文台が導かれた。
天文台の科学館内では、"太陽系に並ぶ、名も知らぬ星々の中に"というヒントのもと、様々な太陽系に関する展示物から、"名も知らぬ星々"を探すことになった。しかし、一般的な惑星たちが天遊する太陽系と異なる見た目や構造を持った展示物はなく、僕らはあぐねていた。そんなときだった。科学館入り口天井に吊るされた太陽系に見慣れない構造物が並んでいることに気づいた。手元のスマートフォンで調べてみると、太陽系の火星と木星の間には小惑星帯が存在し、これが"名も知らぬ星々"だという結論に達した。構造物を調べたところ、中から次の手紙を発見することができた。
ここまでの出来事から、手紙の主に関する情報も整理してみる。送られてきた手紙の主語は”僕"であることから送り主は一人の男性だ。内容から僕のことを知っている人物のようだ。また、大西さん、唯さんへの手紙や彼らの言動から、二人と親しい人物で、年齢的に彼らに近い人物である可能性が高い。加えて、彼らの年齢や、旧校舎について知っていることから、彼らの同級生という推測ができる。さらに特筆すべきは、手紙の主は、各手紙の結びに必ず”青春"という言葉を用いていることだ。過剰に”青春"というものを意識していることがうかがえるが、これは一体何を表しているのだろうか。現在ではまだ何とも言えない。
僕の疑問は大きく三つ。手紙の主と僕の関係性。手紙の主の実在性。教頭先生に送られていた手紙についてだ。
まず、手紙の主との僕との関係性について。手紙の内容や手紙に記載されていた僕の名前から、彼は僕のことを一方的に知っているようだ。しかし、少なくとも中学生の頃から十数年前、すなわち僕が生まれてから数年間の僕のことを知る人物であれば、僕以外の親や親類と関係のある人物である可能性が高いだろう。親類との親交を立っていない以上、どこかで話を聞いているのではないだろうか。僕が生まれてから二十年近くの間、一度も耳にしていないというのはおかしい。なぜ、僕がこの人物を知らないのか、それが引っかかっている。
次に、手紙の主の実在性について。情報化社会となった今、手紙の主はどうしてデジタルで連絡を取らないのか。ここまで、大西さんと唯さんは携帯電話を一度も出す様子はなく、手紙の主との連絡している様子は伺うことができなかった。意図的に連絡を絶っている可能性が一つ、連絡することができない可能性がもう一つだ。前者は手紙以外から、すなわち手紙の主本人に確認を取ることを禁ずる、という制約が手紙の主との間に交わされていることが考えられる。一方で、後者であれば、手紙の主は既に手紙以上の情報を提供できない状況にあるという可能性が考えられる。具体的には、手紙の主が、この手紙をめぐる旅が催される今日まで存命することが困難で、既に死亡しているという場合だ。現状、二人から語られる言葉、手紙に綴られる、ロケーションへの懐かしさから、後者ではないかというのが僕の推測だ。
そして、三つ目。中学の頃、教頭先生の元に送られた手紙についてだ。これは二つ目の疑問からもつながる。もし、彼が存命していないのであれば、教頭先生の元に届いた手紙は手紙の主が書いたものなのだろうか。中学生のとき、今、手にしている手紙、すなわち未来を予言する手紙として噂が流布していたが、最初に噂が広まり始めたのはその十年も前。未来を予言する紙、という学生が興味を抱きそうな言として、噂を継承させ、僕が中学に入学する頃までに噂の伝播を途切れさせないことに意味があったのだろう。そんなまわりくどいことはせず、僕が入ってきた頃に噂を流せばいいのに。しかし、そうしたということであれば、それ以外の方法をとることができなかったからだろう。結果としてその噂が僕らが中学生であった頃まで残り続けたのだから大したものだ。
もし、手紙の主が十枚で完結するよう手紙を仕込んだのであれば、教頭先生に送られてきた手紙は十一枚目となり、手紙の言動と矛盾が生じてしまう。もし、旧校舎の取り壊しというアクシデントによって僕に発見されなくなる可能性を恐れ、教頭に早急に発見するよう手紙送ったのであれば、その手紙の人物は、これまでの手紙の主とは別人ではないだろうか。つまり、それは手紙の主が意図しない協力をした者がいたということになる。それが、案内役を仕った大西さんなのか、それとももう一人の同行者となった唯さんなのか。それとも、二人ともなのか。それとも別の協力者がいるのか。すべての手紙が発見できるまでは知ることは難しいかもしれない。
「どうしたんだ、そんなに顔にシワを寄せて」
表情に力が入っていた僕に小高が気づいたようで、心配そうに尋ねてくれた。
「少し、考え事をしてたんだ」
僕は一人でつぶやくように答えた。
「手紙の主、についてか?」
「うん。僕なりに整理をしておきたくて」
「なるほどな。まだ、本人についてわからないことも多いしな。整理はついたか?」
「まあね。でも、いくつか疑問が出てきた」
「それは、"手紙の場所を探すこと”よりも優先度が高いのか?」
小高が諭すように言った。きっと、僕が考え込みすぎていることを気にしての質問なのだろう。先を先を、と考えすぎてしまう僕が今目の前で起こってていることを一つずつ処理していこうとせず、何でもかんでも手に取ろうとしてしまう癖を知っている小高らしい返答だった。
「ううん。そこまでじゃない、と思う」
こちらに関しては、すでに答えを知るであろう二人が徐々に答えを与えてくれるだろうから、少しずつ考えていけばいい。
「そうか」
小高がそう一言告げると、前を向いて二人にも声をかけた。
「落ち着いたところで、次の場所について考えましょうか」
「そうだね」
「じゃあ、もう一度手紙を読み上げるわね」
唯さんが先ほど発見した四つ折りの手紙を開き、手紙を声に出して読む。それぞれが推測を口々にする。
「ヒスイという言葉や海辺に眠るという表現を使っているあたり、やはりヒスイ海岸を示唆していそうですね」
「そうだね」
「僕の欠片が手紙なら、蔵書の中に手紙が挟まっていると捉えられそうね」
「二人と過ごした思い出が蔵書を見つける鍵、多分ヒントってことですが、二人はヒスイ海岸で手紙の主との思い出は何かありますか?」
二人は顔を見合わせる。
「僕は三人でヒスイ海岸に行った記憶がないんだけど。唯は?」
「私も。三人で行った覚えはないわ」
海岸駐車場に到着した時には車内に斜陽が注ぎ込んでいた。時刻は四時過ぎ。石場にはテントやパラソルが、海辺には水着や浮き輪が散見し、色合いの豊かさが目に付いた。一方、眼前の海岸線には群青の海水が押し寄せ、砂利に打ち寄せ白い泡沫を散らしているのが遠くからでも見えた。
車から降り、海岸へと向かうアスファルトを歩く。普通の浜とは違って黄色い砂がなく、靴が汚れないことが岩石海岸のいいところだなと思う。
「見えてきたね」
波の音が近づいてくる。浜の方へ歩いて行くと、視界が開き始め、この街の湾の全貌が姿を表した。街の東西を弧を描くように繋がった海岸線。四人とも、美しさと懐かしさに自然と足が止まった。東西の先端には山並みが繋がっており、時代が時代ならダイアモンドヘッドへと繋がるワイキキビーチの日本版として売り出していたかもしれない。
「相変わらずいいロケーションだ」
大西さんがつぶやく。
砂浜とは違う波の音。少し、音にくぐもりを感じる。歩くたび石がこすれ、ぶつかる音がじゃりじゃりと鳴る。ヒールの高い唯さんは隣のアスファルトの石段を並行して歩く。
「どうでしょう。何か思い出すことはありますか?」
僕は二人に尋ねた。が、二人とも首を振った。
「やっぱり、三人でやってきたことはないよ」
「きていたら、絶対覚えてるもんね」
「では、手紙の"二人と過ごした思い出"っていうのは、三人でではなく、二人それぞれとってことだとしたら、それぞれの思い出はありませんか?」
「そうだね。それだったら、あるよ」
「ホントですか」
「学校帰りに自転車をかっ飛ばして海辺にきたことがあるんだ。テストとかなんか色々と嫌になる時ってやっぱりあるだろう。そんな時によく、二人で海辺に何度か来たんだ」
「どんなことをしてたんですか」
「どんなこと…って言われると難しいな。単に、水切りをしたり…あ、そうだ」
「どうかしましたか」
「よく、こんな話をせがまれたな。何か、面白い話は無いかって」
「面白い話、ですか。どんな話をしたんですか」
「僕がそんな話できるわけないだろって言って、いつも読んでいる小説の話とかをしていたな。さっきも少し話が出たと思うだろうけど、その時も吉村清十郎の小説が好きでね、その小説の話をよくしてたな」
「何か、ここで話した中で記憶に残るエピソードとかあったりするんですか?」
「…ないかな。でも、ここで話をした中の大半はその話が多かったかもしれないよ」
「じゃあ、その吉村清十郎ってのがキーになるかもしれないっすね。蔵書ってのもなんだか絡んできそうだし」
「確かに小高の言う通りかもしれませんね。唯さんは何かありますか?」
尋ねるとうーんと唸り、
「そうねぇ…。ここへ二人で来たことは何回かあったとは思うんだけど。その、困っていることとか、相談とかだったかなぁ…。あまり、パッとした思い出はないかな」
「その、相談っていうのは」
「あんまり覚えてないかな。ごめんね」
「いえ。無いのなら問題無いです。もしかしたら思い出せるかもしれないですし、もう少し歩きながら考えてみましょうよ」
小高が深入りをあえて避けるような口ぶりで言った。何か、苦虫をつぶすような思い出でもあったのだろうか。話す言葉はどこか途切れ途切れで、苦笑いを浮かべる唯さんは少し辛そうな表情だった。それを気遣ってのことだろう。言い終えた唯さんが遠い海岸線を見つめている様子に声をかけることなく、僕らは浜辺を歩き始めた。
結局、往復二キロほど浜辺を歩いたのだが、有力な手掛かりになりそうなものはなく、手紙を保存できそうな場所は見当たらなかった。途中、海の家に立ち寄ってみたものの、シーズンのために建設するような施設に手紙を置くとは考えられず、他にそれらしい場所はなかった。
水平線で太陽が溶け込む頃、夕闇は浜を暗く染め始め、浜では手持ち花火をするファミリーや団体が現れ始めた。
「今日はこの辺でタイムアップかな」
大西さんが言う。
「そうですね」
初日としてはそれなりのペースだったのでは無いだろうか。大学生だけであれば、徹夜をして深追いをすることも一つの案ではあったが、今回は大西さんや唯さんもいるため、翌日以降に迷惑をかけてしまう可能性も否めなかった。そのため、僕らは潔く終了の合図に頷いた。
その後、近くのファミレスで夕食を摂り、ここで改めて連絡先の交換を行った。夕食時は比較的穏やかで、四人それぞれが今の生活などについて、もう一段階掘り下げたトークを繰り広げた。僕に関して言えば、彼女との状況について。少し恥ずかしい気持ちもあったが、話しただけあって、より三人との親密度は上がったように感じられたので、結果としては良かったのだと思う。
その後、小高の自宅近くのコンビニまで送ってもらい、明日も早朝に迎えに来てもらうことになった。コンビニに寄ったのち、小高の自宅へと帰り道を歩いた。虫の音が響き渡り、穏やかだがぬるい、夏らしさを感じる風が吹いていた。僕たちはアイスを加えながら今日の出来事を回想する。
「二人とも、いい人でよかったよ」
僕がつぶやく。
「そうだな…」
小高はスマートフォンに目を向けながら、生返事をした。
「なんだ? 彼女か何か?」
「いいや、唯さん」
液晶の光に照らされる小高の表情はニコニコとしていた。
「まさか。狙ってるんじゃ無いよな?」
「そんなまさか。確かに美人で綺麗だけど、それとは別だ」
含み笑いを浮かべながら、小高は言う。
「じゃあ、どうして?」
「まぁ、明日の朝、楽しみにしとけよ」
小高はスマートフォンをポケットにしまうと、咥えていたアイスをガリガリと齧り始めた。
次話に続く