影、黄昏に集う
「止まれそこの二人」
逢魔が時。クリハに連れられてやってきた屋敷ー否、道場のような建物の門をくぐったところで、二人は呼び止められた。木陰に佇むのは、切り抜かれた影のように黒い衣を纏ったカモ少年で、その僅かに怒りを帯びた表情にクリハが一歩後ずさった。
「げ……カモ……帰ってきてたんだ……」
「クリハさん、また目立つ騒ぎを起こしたんだって?」
「あははー相変わらず情報早いなー。あれは正当防衛だって。こんなかわいい女の子を執拗に追いかけてきたんだよ?」
可愛らしいのは確かだが、追い剥ぎたちも相手を間違えたと言うものである。どうやら度々繰り返されているらしいやりとりにカモはため息をつくと、今度はコトリのほうをにらみつけた。
「コトリさんも、よりによってなんでこんなのに捕まるだ」
「え、それは……ちょっととばっちりすぎない?」
「そうだそうだ!こんな可愛い少女たちを捕まえて、ひどいぞカモ!」
ぎゅっとコトリの左腕に抱きついてきたクリハに合わせて苦笑いを返す。少年は肩をすくめて二人に背を向けるとどこかに去っていった。
「……まったく。お目付け役だか監査員だかしらないけど、あの無表情はどうにかならないのかな」
「カモくん?無表情かなぁ」
「無表情だし口数少ないしいっつもああして急に出てきていなくなる。ほんとに影みたい。僕は苦手」
しばらく供に旅をして来た身から言えば、彼は無表情ではなかった。確かに表情は乏しいが、喜怒哀楽はみえるし我も強い。夕餉に生姜やわさびが出ようものならその料理は一口も食べないという強情ぶりを見せてくれた。影としては李徽が言うように優秀で、クリハのいうように神出鬼没な「暗くてよくわからない影」なのかもしれないが、年相応の少年だとコトリは思っていた。
そう伝えると、クリハは苦笑いを浮かべてコトリの肩を叩いた。
「……まぁ、そう思うのもありかな。明日の訓練と座学がおわったら、もう一度印象を聞くよ」
そのままクリハに引きずられるように「影の屋敷」の奥へと進む。あれが食堂、あれが湯殿、あっちが図書室……くるくるとよく動くクリハの口に付いていくのがやっとで、話の半分も覚えられなかった。そうして賑やかに進むなかでも、ちらほらと人とすれ違う。その誰もが二人を見ると明らかに眉を寄せ、避けるようにして足早に去っていった。誰かが「女のくせに」と悪態付いたのを聞き、ようやくすれ違う誰もが少年であることに気付く。
ちょうど女の暮らす空間に入ったところで、そっとクリハの袖を引いた。
「ねぇ、どうして男の子ばかりなの?あまりにも女が少ないわ」
振り返ったクリハは、その大きな目で驚いたようにコトリを見返した。
「どうしてって…知らずにきたの?」
「私は何も知らない。誰もがクリハみたいに影を夢見てるわけじゃないってことよ。」
「呆れた。影語りくらいは聞いただろうね」
「聞きかじった程度よ」
へぇ、とクリハは純粋な驚きを見せた。恐らく、ここに来た者に影を知らない若者などいないと思っていたのだろう。戸口の前で立ち止まると、少しだけ暗い微笑を人形のような顔に浮かべた。
「そのほうが幸せなこともあるかもね」
その呟きは余りにも小さく、戸を押し開ける音にかきけされてしまう。聞き返そうとするのを遮るように、「ただいま!」と、弾けるようなクリハの声が響いた。
「紅姫!新しい女の子だよ!僕と同い年、ぴちぴちの16歳だ!」
「なんだ、あたしに喧嘩ふっかけようってのかいクリハ」
中から艶っぽい女の声がした。恐る恐る中を覗くと、声の通り麗しい女が優雅に腰かけていた。紅唇は目を引くほど艶やかに紅く、化粧を施された目元はとろけるような色香を生み出している。そこにクリハが並ぶと、まるで二人の天女が舞い降りたかのようで、コトリは思わず身を引いた。
(いや、むりむり。なにこの人達)
怖じ気づいたコトリをみて勘違いしたのか、クリハは片手で震える少女を抱き寄せた。
「大丈夫!僕がついてるから、ここでの暮しも心配しないで!」
はは、と乾いた笑いを返して紅姫と呼ばれた女に頭を下げる。
「お世話になります、北鈴からきたコトリともうします」
「コトリか。いいね、あんたに似合いの名前じゃないか」
「ありがとう」
よくよく部屋の中を見れば、文机が三つ、並んで置いてある。そのうちのひとつには雪崩を起こさないのかと不安になるほどの本と山のような書き損じ。なんとなく、クリハの机だと直感した。ひとつ空いて、必要最低限の化粧品が並ぶ机が恐らく紅姫のものだろう。そう判断して真ん中の机に荷物を置く。荷物といっても風呂敷ひとつしかない。足りないものはなんとかしよう。
「そうだ。さっき聞いてきたんだがね、今日で全ての候補者が出揃ったそうだ。いよいよ本格的に訓練と選考が始まるよ」
紅姫の言葉に、クリハの目が挑戦的に笑った。揺るぎない覚悟がそこにはあった。
「ああ、負ける気はしないね」
ー影は僕の夢だ。
迷うことなく宣言して見せたクリハを思い出し、気まずくなって目をそらす。自分に、ここまでの覚悟があるのか。流されてここまできて、夢という夢もないまま生きてきたのだということに今更気付く。
(これも何かの縁……きっと、ここから始まるのね)
机の前には小さな小窓がひとつ、付いていた。押し開ければ、まばゆいばかりの夕暮れが空一面を覆っている。何とはなく北をみやると、かすかに北鈴山脈が見える気がした。いつもの癖で深く深く頭を垂れる。
(北鈴よ。この地を守る龍よ。どうか私の行く末を見ていてください)
宵闇が始まる。鳥の影がひとつ、沈み行く日に向かって飛び去っていった。




