少女、都入りす
王都の土地を踏んだとたん、コトリはくらりと目眩がした。長旅のせいか、はたまた北鈴ではあり得なかった活気のせいか……コトリは自分の見ているものが信じられなかった。
「なにこれ……」
右を向いても左を見ても店が軒を連ねている。往来する者は皆、一様に派手な色の衣を纏って着飾り、せわしないやり取りが耳に入る。
家々は皆ささやかな飾りをつけ、庭は春の訪れにかすかな花の薫りを漂わせる。
それが、コトリが初めて見る城下の光景だった。
荷馬車を降りて呆然と立ち尽くすコトリは、ユウの名を呼ぶ声に我に返った。振りかえれば、検問所にいたはずの武官がそこにいた。
「申し訳ありません、ユウ様。早文と行き違いになっていたようです」
武骨な手が差し出した文の押印を見て、ユウの眉が険しく寄る。小さく屈みこんで文を受けとり武官になにやら耳打ちをすれば、若い武官はコトリたちを見て穏やかに微笑んだ。彼らの会話は雑踏に紛れ、言葉の片鱗もコトリの耳には届かなかった。隣に立つカモに話しかけようとしても、この至近距離で大声を出していいのかと戸惑ってしまう。おろおろと辺りを見回していると、カモが不意に体を寄せた。
「あんまり挙動不審にならないほうがいい。下手にここに慣れていないような素振りをすれば、狙われるよ」
あまりに耳元で話すので、こそばゆさに身を縮めかけたコトリは、最後の言葉にぎょっとカモの顔を見返した。
「ね、狙われるって何に」
「何って……コトリさん、本当にあの村から出たことないんだね」
カモは呆れたように息を吐いた。
「この国で人を襲うのは魔だけじゃない。人だって、襲ってくるよ。ここじゃああなたの持っている北鈴の藍染めだって高級品になる。欲っしても手に入らないなら、追い剥ぎも人殺しも行われる場所だ。覚えておいた方がいい」
急に今みている華やかな情景が一変ような気分になった。なんの憂いもなさそうに笑い合う人々が、腹に一物抱えているように見えてくる。時おりコトリに視線を投げる大人たちに、背筋がすっと冷えた。
「気を付けるわよ……にしえも、ここには魔は入り込まないの?街道にくらべて気配を感じないけど」
「城下町はまだ結界に守られてるからね。影がいたり術師がいたりする村や街なんかもそうだ。力の強い結界なら、そう易々とは魔も侵入しない。ここは術師の本家も近いし、気配がなくても当たり前だと思う。……まぁ、最近は影の人数も少なくて、はずれの方だと魔が入り込んでくるみたいだけどね」
「結界……」
ふと、なにかがコトリの中に引っ掛かった。カモの言葉を反芻しようとしたとき、武官の低い声がかかった。
「君がユウ様に見いだされた子だな」
見上げるほどの長身がコトリの横に立つ。武官は軽く礼を示すと屈みこんでコトリの顔を見つめた。
「賢そうな顔をしてるじゃないか。今年も有望株が集まるといいな」
「え……あの、ユウ様は……」
「急ぎの用ができたそうだ。ああ、紹介が遅れたな。私は李毅。見ての通り武官の端くれだ。日暮れまでに君を影の屋敷に連れていくよう頼まれたんだが、城下町ははじめてか?」
「……やっぱりすぐ分かっちゃいます?」
「それだけ顔が固まってればな」
破顔一笑され、コトリは思わず顔を覆った。泣きたい。忠告されたばかりだというのに、泣きっ面に蜂である。
「まぁ、そう思ってな。どうだ。日暮れまでまだ時間もあるし、私と一緒に城下を見て歩かないか」
「せめてもうすこし軽装の方と歩きたいです」
カモも確かにと頷いた。李毅は武官ゆえに鎧刀を纏い、鈴の国紋を下げている。このまま連れだって歩けば、まず間違いなくコトリは城下町中に顔を覚えられるに違いない。
「……分かった。急だが休みを取れないか聞いてみよう。君は?共にくるか」
渋々承知した李毅は、カモのほうを向いて尋ねた。
「ぼくはいい。城下町なら珍しくないし、影の屋敷も知ってるから。じゃあ、またね」
呆気なく別れを告げると、カモの黒衣はあっという間に雑踏に溶け込んでしまった。
「あれが神童カモ少年か」
李毅の声に、コトリは顔を上げた。
「神童?」
「城下では有名な名なんだけどな。神童カモ。ユウ老師の孫で、13歳で影になりその業績は数知れず。にも関わらずどうしてかその足取りはいつも分からなくて気づけばいなくなる、本当に影みたいな'影'ってね。直接会った人であっても、どうしてか街ですれ違っても気付かないくらい忘れてしまう。人読んで''溯夜の申し子''……ってね。存在感薄いのかと思っていたが、今みるとそうでもないな」
「淡々としてるけど、自己意識は強そうよ」
「そんな気がした」
李毅は明るく笑い飛ばすとコトリの頭に手を乗せた。
「ま、そんなのはこれから知っていけばいい。まずは歓迎するよ。ようこそ少女よ。新たな世界へ」
暖かな太陽の香りがして、コトリは凝り固まっていた肩の力がすとんと落ちた気がした。
「よろしく、李毅」




