少年少女、立ち上がる
不意に背筋が凍った。
蒲団の中に潜り込んでいたコトリは言いようもないくらいに濃い闇の気配に、勢いよく飛び上がった。街道で鉢合ってきた魔とは比較も出来ないくらいに首筋がちりちりと逆毛立つ。手探りで上衣を羽織ると呪符の存在を確認した。その横でクリハも辺りを伺うように蒲団から這い出てきた。紅姫は動かない。月明かりが照らす室内には魔の影はないが、冷や汗は止まらなかった。
「クリハ……城下でもこんなこと、あるの?魔が現れたり……とか」
嫌な空気を振り払いたくて声を掛けたが、返事がない。
「クリハ?」
不審に思って伸ばした手が振り払われるのと、クリハの小さな「うわぁ」という悲鳴が重なった。
「クリハ!」
棍を振るうでもなく、ただそれを抱き締めたまま、視線は虚空をさ迷っている。明らかに異常な反応に、コトリは思いきって両肩を掴んだ。
「目を覚ましなさいよ、クリハ!あんたは影になるんでしょう!」
身を縮ませようとしていたクリハの動きが止まると、暗闇の中でも分かるくらいにその目が輝きを放った。
「……そうだよ。僕は影になる。影にならなきゃいけないんだ」
噛み締めるように呟いて顔を上げる。
「ごめん、行こう」
クリハの強い言葉に、コトリも頷いた。何が起こったのか、今はまだ分からない。屋敷にいるはずの影もきっとこの気配に気付いて対応するだろうが、放っておく理由はひとつもないのだ。
「僕たちだって影になるんだ。少しくらい役に立つこともあるだろう。それに……」
「それに、自分の力を試してみたい。違う?」
戸口に手をかけたクリハは、驚いたように振り返った。迷いのないコトリの目を見て、にやりと笑う。
「コトリ、少し変わったみたい」
「私も思うわ」
背筋を這う嫌な汗は止まらない。重くのし掛かる魔の気配もより濃密になるだけなのに、二人は笑いあった。
「……あけるよ!」
静かに開いた扉から二人は飛び出した。月光が照らす道は明るく、遮るものは何もない。
並んで走り、少しだけ開けた廊下へ滑り込むと、不思議な事にこの気配に気付いて出てきた人影は疎らで、クリハは眉を寄せた。
「あいつら…この中で寝てるっていうのか」
慎重に歩を進めれば、次第に闇の気配が濃くなる。この先は訓練でも使われる中庭だ。もし魔が居たとしても障害になるものすらない。思わず拳を握れば、見知った顔がこちらに向かって手を振った。葉月だ。
「ふたりとも、こっちこい」
少年にしては少しだけ高く独特な声が耳に入る。小走りに駆け寄れば、そこは少しだけ高台にある四阿で、中庭の様子が少しばかり伺えた。
「おい、何が起きてるかはわかってるのか。葉月」
「いや。まださっぱり。ただ、講堂のほうからじわじわと魔がこっちに来てるらしいってのは聞いた」
「誰から」
「講堂に近い宿舎の奴らからだよ」
「そいつらは何してるんだよ。逃げてきたっていうのか」
憤慨したクリハに、コトリは声を潜めるよう合図して、座学で学んだ魔の生態を思い出しながら、下ろしていた髪を藍染めの布で縛り上げる。
ー魔は影のように力の強い者に惹かれて集まる。同時に聴覚も発達しているようで、音に反応して襲う事も確認されてた。だから、先に魔を見つけたときは隠れながら静かに近付くのが鉄則……。
だがこの先、隠れられるような場所は無いと考えていいだろう。
「なら、誘き寄せるのってありかしら」
コトリの呟きに、クリハがぎょっとして目を剥いた。
「僕らで片付けるっていうのか」
「それしかないじゃない。みんな起きてないし逃げてきたし。ねぇ、魔って力と音に惹かれるんでしょう?この辺りなら隠れられる場所も、ある程度の広さもあるし」
「駄目って言われてることを逆手に取るっていうわけ」
腕組みをして唸っていたクリハが、はたと顔を上げる。急にいたずら娘の顔になって葉月の腕を掴んだ。
「よし、出番だ葉月!」
「……え、俺?」




