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影、蒼天に舞う  作者: 藤色うさぎ
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春、訪問を予感す

魑魅魍魎の跋扈するその時代。若き王、鈴蘭は定めた。


「既に世は魔のものにあらず。魍魎どもを滅せよ」


王の言葉に、やがて四人の若者が膝をつく。鈴音・柳慶(りゅうけい)・ユウ・青月(せいげつ)。鈴国繁栄の礎を築き上げながら、魔と共に王国の闇を歩いた彼らを、やがて民草は「影」と呼ぶ。


時は過ぎて鈴蘭王の治世30年。長い平安の中で「影」は春が来る度に見鬼の才ある若者たちを迎え入れ、国家の輝きを守り続けていた。


影語り。

これは現れては消えていく、影たちの物語。



ー春が来る。

不意に少女は顔を洗う手を止めて、手拭いを握って立ち上がった。雲上の連峰に向かって手を合わせ、小さく(こうべ)を垂れる。高く結わかれた黒髪を、暖かさを孕んだ風が吹き抜けた。少女の足元に積もった雪は日の温もりに解かされて、少しずつ川へと注ぐ流れを作り始めている。長い冬が終わるのだ。

顔を上げた少女は16才。黒目がちな大きな瞳が賢そうな印象を与える娘だ。手にした藍色の手拭いで冷えた頬を拭い、大きく深呼吸をする。

ー春が来る。

その予感が少女は好きだった。春が来れば、一斉に草花が芽吹き村人たちは忙しなく通りを行き交う。雪に埋もれて母と二人、寂しく火を囲む毎日ももう終わりだ。忙しくも楽しい春が来るのだ。

北鈴地方は冬の大雪と清らかな雪解け水によって生み出される染め物で名高い地域である。王族からも好まれるその色合いは一部の官服にも用いられ、もてはやされる。雪に晒された布も有名で、引きこもり続けているわけにもいかなかったが、何よりも春は染色に使う植物を探しに普段は入れない山間まで出かける事ができる。畑も耕して、野菜も育てられる。内職探しをしなくても済む。想像は少女の中で膨らみ、知らず頬が緩んだ。

「母さま、起きてよ。そろそろ畑仕事の準備をした、ほうがいいんじゃないかしら」

「起きていますよ、コトリ」

見れば、上衣を羽織った母が軒に立っていた。陶器のように白い肌とその上に絹のようにこぼれる細い黒髪は、さながら絵画の中の姫のようで、実母ながら少女ーコトリはため息をついた。病気がちな母は年々白さを増して美しさに磨きがかかってきた。母がこの村の出身でないこと以外、コトリは知らない。父の名も、親族も、何一つ聞かずに育ってきた。慣れない手つきで食事をつくる母、時おり手伝いに訪れる近所の女性たち、季節が変わる頃に必ず届く金品や衣服…そんなものを見ていたら、幼いながらに聞くことが躊躇われた。本当は、気になって気になって仕方なかったけれど、諦めのほうが先に訪れてしまった。

「そんな薄着で…また風邪を召すわよ。お薬、嫌がっていたでしょう」

「だって苦いんですもの」

少女のように口を尖らせる母に、コトリは苦笑するしかなかった。豪華な衣装も舌鼓みを打つような食事も母の過去もいらない。母を守り、明日もここで平穏に生きられればそれでいい……いつからか、それがコトリの望みになっていた。

さぁ、朝食でも作ろうか、と足を踏み出した時、門のほうでコトリを呼ぶ声が聴こえた。

「おおい。おおい。朝から悪い。俺だ。リンヤだ。あんたたちに客人が来てるんだが連れてきてもいいか」

「客人……?」

母を見れば困ったように微笑んで首を傾げた。仕方なく、手拭いを手渡して門へと小走りで急ぐ。この家は門番もいないが、形だけなら二人にはもったいないほど立派な作りをしていた。これがもっと栄えた市街地に建っていたらあっというまに泥棒たちに侵略されていたに違いない。門の前には近所に住むリンヤという名の少年が立っていた。元々王都に住んでいたというその少年は身なりも立ち居振る舞いもそこらの子どもとは違った。かといってそれを鼻にかけるわけでもなく、淡々としていてコトリたちにもなにかと世話をやく好青年に成長していた。

「リンヤ。客人って、どういうこと?」

この冬でぐんと背ののびたリンヤを見上げてコトリは問うた。リンヤはじっと目の前の少女を見つめて小さく(かぶり)を振り、唐突に聞き返した。

「お前、影語りを覚えてるか?」

突然の問いにコトリは戸惑いながら腕を組む。影語り…確か村の婆が語っていたのを一度だけ聞いたことがあった。

「この国の英雄…影の話しだっけ。魔を討ち、国に安泰をもたらした…」

「だっけ、じゃない。どこの村でも有名なのに、なんで覚えてないんだよ」

「だって、龍王と姫君のお話のほうがずっと好きだったもの」

魔というものを、コトリはまだ見たことがない。いくら見境なく人家を襲う魔物たちであっても、こんな人里離れた寒い場所は苦手なんじゃないかと、勝手に思っていた。そんなことない。影は偉大な英雄で、王都すら魔が出るんだ、と鼻息荒く語るリンヤと喧嘩して以来、コトリは影語りをせがまなくなった。

「で、影語りと客人が関係あるの?まさか、お客様が影だなんて言わないわよね」

「まさにそれだ」

リンヤの目は、心なしか輝いていた。

「覚えてないかも知れないけど、初代影の四人がいただろう。その一人、ユウ様がお見えだ。お前たちに会いにきている」

不意に婆の声と暖炉の炎のはぜる光景がコトリの脳裏に思い出された。


ー「影」は春が来る度に見鬼の才ある若者たちを迎え入れた…………。


まさかね。コトリはリンヤに促され、客人たちの待つ村の入り口の櫓へと足を急がせた。

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