兎の住処
母様。黒兎は本日も懸命に生きてます。
お気に入りの場所で寛いでいる最中に、いきなりの乱入者です。
しかし私自身はまだ発見されていないようなので、息を止めて必死に気配を殺しています。
何故なら先ほどチラリと見てしまったのです。轟音と共に扉が吹っ飛び、そこから現れた燃えるような赤い髪をした鬼のような男を。
学園の四天王(腕力的な意味で)と言われている白波瀬鈴兎、2月29日生まれ、17歳、AB型。
何故ここまで彼の情報に詳しいかといいますと、偶然にも同じだったからです。不知火黒兎、2月29日生まれ、17歳、AB型。よりによって4年に一度しかない誕生日でさえ同じです。親切な友人がニヤニヤとチェシャ猫のような笑みを張り付かせて教えてくれました。「しかも同じ”兎”だってさ~」そんな情報要りません。
幸いにして今まで同じクラスになったことはありません。クラス変えがあってしばらくは五十音順で席が決まります。あの鬼神に一日中背中を晒すことになるなんて、想像するだけ泣きたくなります。学年だけでも千人を超す在校生のいるマンモス校ですから、顔を合わせることなく今まで平穏無事に過ごしてきました。
現在地、第五図書室、旧貸し出し窓口、机の下。
今日ほど身体が柔らかくて良かったと思う日はありませんでした。ただでさえコンパクトな身体を器用に捻じ曲げこの限られた空間に身を隠すことができたのは奇跡です。そしてこのままあの赤鬼が自分に気づくことなく去ってくれるよう神仏その他諸々に祈ります。
しかし何故よりによって此処に来たのでしょう。第五図書室は参考資料や古文書くらいしか置いてないような倉庫もいいとこの図書室ですが、私にとっては学園内で唯一寛げる場所でもありました。
機械によって本の貸し出しが完全自動化された今、図書委員なんて名前だけです。そんな図書委員へ立候補したのもこの場所を確保する為でした。
ジリ、ジリ‥と警戒しながら近づいてくるようです。彼も手負いなのでしょうか、呼吸が荒く足音も乱れています。すると、廊下からバタバタと慌ただしい音がして複数の足音が図書室の方へ近づいてきました。まさか図書室で大乱闘!?と思いきや「鈴兎、撤収だ」とのこと。どうやらお仲間のようでした。
「ナツ達が始末したってよ。風紀も動き出してる」
「チッ、また無駄足かよ」
とても物騒な話題が聞こえてきます。アナタ達本当に高校生ですか。年齢サバ読んでませんか。三十路と言われても私は信じます。それにしても問題が解決したようで何よりです。
ここには誰もいません空気です酸素ですとお経のように心の中で呟いていると、いつしか図書室の中には気配がしなくなっていました。ホッと肩の力が抜けます。
狭い場所でずっと同じ体勢でいたので身体がガチガチです。どっこいせ、と身体を伸ばしながら机の下から這い出ようとして、
ドンっ!!
叶いませんでした。
衝撃と共に降って来た二本の足。出口を塞ぐようにしてそびえ立つソレはまるで檻のようで、私は机の下に閉じ込められてしまいました。シューズに入っているラインを見ると自分の物と同じで二年生を示しています。黒兎、一生の不覚。
見上げたくないけど見上げないという選択肢はありません。ソロリソロリと視線を上げれば、赤鬼と目が合ってしまいました。オーマイガッ!
先ほどまでの息の乱れは演技だったのでしょうか。赤鬼は傷一つなくピンピンしていて、少し残念でした。
彼はしかめっ面でジロジロと人のことを観察すると、クッと口の端を歪めて高校生らしからぬ笑みで言いました。
「パンツ見えてんぞ」
「見せパンなんで」
あ、と思ったときには手遅れでした。私の足が吸い込まれるように鬼神の顔面にクリーンヒットします。その結果を見ることなく、私は自己防衛本能に従い、開け放れた窓から飛び出しました。図書室は四階にありますが、目の前に大きなクスの木がそびえ立っています。枝を何度かクッションにしてから地上へと降り立つと、怒声の聞こえてくる四階を振り返ることなく、自慢の脚力をもって一目散にその場から離脱しました。
それから私のお気にきりの場所には、時たま赤鬼や仲間らしい青鬼やら小鬼やらが現れるようになりました。本当に迷惑です。
しかし被捕食者の危機察知能力を甘く見ないで下さい。少しでも気配がすれば逃げます。
クスの木の下に罠を張っていようが、逃走ルートは常に十通りは確保しているのでご安心を。一度包囲網を抜ければ誰にも追いつかれない自信はあります。
寝床も然り。寮の部屋が見張られていると分かっていながら帰る馬鹿はいません。持つべきものは友達です。いくら小鬼君達が優秀であろうと学園中に点在する巣穴を探すのは無理というものでしょう。
やがて兎を追うことに飽きたのか、鬼達は桜の花が色づく頃には全く姿を見せなくなりました。ようやく静けさの戻った図書室で心置きなく昼寝ができます。読書?申し訳ないですが本は枕以外に使用したことはありません。
毎年のように実家でゴロゴロするだけの春休みが過ぎて、いよいよ私も高校三年生となりました。
クラスのほとんどが新しい顔です。自己紹介から始まるまったりとした授業も毎年のことで、三回目ともなると皆馴れた様子で趣味や特技を言っていきます。
「不知火黒兎です。趣味は昼寝。脚力には自信があります」
「よーし、次は白波瀬ー、は休みか?んじゃあ飛ばして次は…」
おや?今なんか信じられない単語が聞こえたような…。まぁ気のせいでしょう。今日もポカポカ良い昼寝日和です。
バン!!
何故アナタは静かにドアが開けられないのですか。
全員の紹介が終わり、配布されたプリント類の説明に移ろうとしていた矢先に乱入者です。
教室のドアを屈むようにその巨体がのっそりと入ってきました。教室中から集中する視線をもろともせずにその赤鬼は迷うことなく己の席まで行くと自己紹介を始めました。
「白波瀬鈴兎。趣味はバイク。特技は喧嘩です。以後ヨロシク」
アメージングです。ヨロシクが夜呂死苦に聞こえました。
先生は乱入者に驚きつつもズレた眼鏡を指で押し上げ「じゃあ次のプリントー」と何事も無かったかのように再開しました。スルースキル半端無いです。
イタ、ちょ、イタタタ。背中にぶっとい視線が突き刺さります。
赤鬼はその長い足が収まりきらないのか、前の席まで思いっきりはみ出ています。椅子を挟むように伸ばされた足は、まるで獲物を捕らえるトラバサミのように思えてきました。授業終了のチャイムと同時に何やら一悶着ありそうですが、とりあえず今は先生の話を子守唄に寝ることにします。
オヤスミナサイ。