それが諸悪の根源でした 1
デスクライトの僅かな光が、この部屋の唯一の光。
それ以外に光はない。
部屋にも、人生にも。
「……バカだなぁ」
正式に告白したわけではないが、俺は今から五分前…………幼なじみに、振られた。
本当にバカだ……冗談でも言っていいことと、悪いことがある。いや、今回の場合はそれ以前の問題だった。そもそも俺が、あかねに好かれているわけがない。俺が異性として意識していたとしても、あかねにとっては単なる幼なじみでしかない。
唯一の救いは、嫌いではないって言われたことかな。
それだけでも、俺は救われたような気分になった。いつもバカなことをしていたけど、それでも、あかねは俺のことを完全には嫌っていない。その事実だけでも、俺は安心した。
でも、やっぱり俺は愚かだ……。
どうしてあんなことを聞いてしまったんだろう。戻れることなら、あんなことを言ってしまう前に戻りたい。いつものように適当に流してしまえば、こんな惨めな想いをすることはなかったのに。
あー、バカすぎる……。
久々に死にたいって思った。
「……おにぃ? あやなさんがご飯できたって……っ」
ドア越しに、沈んだ桜の声が聞こえる。
ご飯、か。
とても食べられるような気分じゃない。
「ラップしといてって言って。腹痛いからメシ食えねえわ」
俺はベッドに転がり、ぶっきらぼうにそう答える。
「……おにぃ、ごめんなさい」
ドアの向こうで、桜が今にも泣きそうな声で謝っている。
アイツがあんな声を出すだなんて何年振りだろうか。
「ごめんなさい……余計なこと言っちゃった」
本当に余計だったよ、そう言いたかった。でも、どのみち桜の介入がなくたって、俺はあかねに振られていたんだ。あれがあかねの本心なんだとしたら、桜が居ようが居まいが、結果は変わらなかっただろう。
心ではそう思っているのに、桜に対する不満を募らせるばかり。
「別に……」
聞こえているのか、聞こえていないのか、それはわからない。
ただ、そうやって、ぶっきらぼうに答えてやった。
「……あやなさんにラップかけといてって伝えとくから」
そう言って桜は部屋の前から立ち去った様子で、悲しげな足音が部屋の仲間で響いてきた。
あかねは、最後は複雑そうな表情を浮かべていたよな。
そんなことを考えながら、俺は部屋のカーテンを開けた。
俺とあかねの家は隣同士。エロゲーによくある配置で、二階にある俺の部屋と、隣の家のあかねの部屋は窓を挟んだ隣同士。カーテンを開ければ、お互いの部屋が見える構造だ。
しかし、あかねは最近、カーテンを閉め切っている。
小学生の頃は、冬以外は窓を開けて、ずっと話していて、近所からうるさいと言われたこともあった。しかし、あかねは中学に上がる頃から部屋のカーテンを閉め切るようになり、夏になっても奴は窓を開けることはない。クーラーでも設置しているのか、とにかく頑なに窓を開けない。
……その時点で、気づくべきだったのかもしれない。
結局のところ、俺は一人で想い胸に溜めこんで、一人で踊っていただけなんだ。
「……アホらし」
急にアホらしくなってきた。
なんで俺、かなり昔の約束を真に受けて信じていたんだろう。
幼なじみとの約束なんて、叶うわけがないのに。
幼なじみとなんて、結婚できるはずもないのに。
バカだな、俺……。
色々な思考と感情が混ざり合っては消え、混ざり合っては消え。
それを延々と繰り返しているうちに、世界が真っ暗になる。
†
それから一週間が経過したある日の平日。新聞配達のバイトを終えた俺は、学校へ行くまでの時間、庭に設置した巻き藁に拳頭を叩きこんでいた。
引き手と、腰の回転力、拳の百八十度螺旋回転によって生じる力を、的確に、標的に向かって、突く。
左右、上段に中段。全ての方向に向かって、同じ原理を用いて、正確に突く。
次いで手刀、裏拳。さらに、前の世帯主が植えたと思われるリンゴの木に向かって、前蹴りや回し蹴りを叩きこむ。
何度も蹴りを入れられたリンゴの木は不自然に抉られ、芝生には木屑が散乱している。
「はあ……よし!」
そう意気込んで、俺は庭の隅っこにある物置を扉を開けて、ジョンバを退かしながら中からバーベルを引きずり出した。
百キロのバーベルを持ち上げ、器具にかける。そこから背負って持ち上げ、スクワットを繰り返した。
強くなるためには、技を磨くだけでは不十分だ。俺のような素人が、達人のように華麗な技で相手を倒すことなど難しい。増してや、ある程度鍛えた拳足がなければ、突きや蹴りで拳足を自壊してしまう危険性がある。
だからこそ、俺のような実戦空手を修行する者にとって、ウェイトトレーニングによる肉体の強化や、部位鍛練による正拳や指先などの鍛練は欠かせないものである。
スクワットやデットリフト、ベンチプレスなどのウェイトトレーニングを終えた俺は、ホームセンターで購入したコンクリートブロックを積み上げた。
「呼ッッ」
呼吸を整える。
親指を内側に曲げ、他の指も自然に曲げる。
手刀の形を作った俺は、ブロックの硬さ、一番脆い部分などを、軽く触ることで確かめる。
確認作業を終えた俺は、大きく息をし、手刀の形を作った右腕を天高く突き上げ──、
「チェストォォォーーーーーーッ!」
一閃、手刀でブロックに見えた線を叩く。
ピキリと入った亀裂から、真っ二つに粉砕されたブロックが、無残に芝生の上を転がった。
最初は皮がむけて出血することもあったが、部位鍛練の賜物か、日曜大工用の脆いブロック程度で手が悲鳴をあげることはなくなった。
試し割りを成功させた俺の全身から、一気に力が抜ける。
「相変わらず荒々しい空手だよね」
その声に、俺は反射的に顔を上げた。
エプロン姿のあやなさんが、窓から身を乗り出していた。
「あやなさん……窓開けたら寒くない?」
「大丈夫だよ。それより今日は随分気合入ってるじゃない……なんかあったの?」
なんかあったのと言われても、なんかあったからこそ稽古に力が入るんだよ。
しかし、そんな突き放すようなことを言うと怖いので、俺はなんとか言い訳を考える。
「あー、まぁ強くなりたいんですよ。それだけ」
「ふぅーん、強くなりたいんだ……精神的に?」
「心技一体。まず強さを求め、やがて心も成長する。空手ってそんなモンだよ」
「ホントにぃ? ただのやけくそなんじゃないかなー?」
鋭いな……この人。
ジト目で俺のことを見つめながら、じわじわと追及してきるスタイルは地味に胸が痛いくなる。
「そういえば、最近あかねちゃんのこと避けてるらしいじゃない」
「う、それは…………っ」
どうして、この人は俺とあかねの関係について親以上に詳しいのだろう。確かにあかねとあやなさんは仲がいいけど。
俺が何も言えずにいると、あやなさんはため息を吐いて肩を落とす。
「あまり人間関係に口を突っ込むのは心地良いことじゃないけど、きっと朔也くんが落ち込んでいる原因って、すれ違いと言うか……朔也くんの勘違いだと思うよ?」
あきれた様子で、そう言葉を紡ぐあやなさん。
俺のことを心配しているのは明白だが、俺が落ち込んでいる原因が、俺にあるって一体どういうことなんだろう。
まあ、確かに自業自得ではあるけど。
「全く、これだから都会の人間は臆病なんだから……っ」
「都会ってほど大きな市じゃないでしょ。しかもここ郊外だし」
「細かいことは気にしないの。それより早く仲直りしたほうがいいと思うよ」
「ああ、うん……」
そう言われても、別に喧嘩しているわけではない。
むしろ、お互い嫌っているわけではないんだ。今だって会えば挨拶はするし、学校で必要なことがあれば普通に話すくらいには仲が良い。
ただ、前のように好きな時に好きな話ができなくなっただけ。
あかねとの距離感がわからなくなっただけ。
「あっ、そうそう。朝ごはんもうすぐだから、そろそろ稽古切り上げてね」
あやなさんはそう言って窓を閉め、キッチンに戻った様子である。
早く仲直りしろ、か。
確かに、今の状況は良いとは言えないよな。学校でも山崎や亜樹に心配されているし。
それでも俺は、まだ先週のことを引きずっていた。