リアルなんて、この程度 2
俺こと星野朔也は、妹の桜と従姉のあやなさんとの三人暮らしである。
母親は俺が中学生の頃に交通事故に巻き込まれて亡くなり、父親は一昨年から海外出張のため、タイで一人生活している。
俺たちをタイに連れていくことに抵抗があったのか、当時幼稚園教諭として就職しようとしていたあやなさんに、父親は保護者役を依頼した。もちろん、あやなさんは戸惑っていたものの、星野家から職場が近いことを理由に、父親の頼みを受け入れてくれた。
最初は緊張したけど、今では三人での生活が当たり前になっている。
「なぁ、あかね。二年ってクラス替えあるんだっけ?」
自転車をこぎながら、俺の少し後ろを走っているあかねに声をかけた。
「先輩の話だと毎年あるらしいわよ」
「マジかよ……」
ようやく親しくなったと思ったクラスメイトと毎年離れ離れにされて、知らない人とまた親しくならなくてはいけない。毎年思うけど、クラス替えの制度って必要なのだろうか?
「あかねぇ~、俺ぁオメーと離れたかねえだよ!!」
「気持ち悪いこと言わないでよ。何もなくても週に何度も会ってんだからいいでしょ」
確かに家は隣だし、それなりに仲はいいから、わりと頻繁に顔を合わせている気はする。
そこでバス停まで差し掛かると、そこから学校までは直線距離にして百メートルちょっとなのだが、校門へたどり着くまでの道に心臓殺しの坂があるため、俺たちは自転車から降りた。
そこへ丁度、白に赤線の入ったバスがバス停に止まった。
数十名の生徒が降車するが、その中に見知った顔が二つ見える。
「おっ、山崎とワキ」
俺たちはバスから二人の男女と目が合った。
緩めのボディーパーマでカールを出した茶髪ショートのすっきりヘアをした、やや背が高くて顔も整っている男だ。見た目からして明らかに軽薄で、ドヤ顔でギターケースを背負っている姿がムカつく。
「はぁ? ワキじゃないし」
その横で声を荒げたギャル系の女は、渡邊亜樹だ。赤と茶色の中間くらいのセミロングヘアにウェーブをかけていて、瞳はあかねと同じ瞳の色をしているが、カラコンなのか本物なのかは不明である。
小顔で、細く引き締まったスレンダーな体型で、肌荒れ等は一切ない綺麗な白肌。顔はあどけないが、外国人のようなプロポーションである。
しかも制服の濃紺ジャケットの三点ボタンは全開で、焦げ茶色のセーターと、その下に淡い水色のブラウスを着用している。ネクタイもよく見たら、学校指定のものではなく、星の模様が入った蒼いネクタイだった。
見た目はギャルだし、化粧も濃いが、亜樹とは中学時代からの付き合いだ。かつての黒髪すっぴん時代を知る俺からすれば、亜樹はすっぴんでもかなり可愛い部類に入ると思う。
「いやいや、さすがに可哀相っしょ。ワッキーがいいんじゃね?」
「大した変わんないし! アンタらデリカシーなさすぎ!」
「えーっ。んー、じゃあ渡邊さん」
「ごめん山崎マジやめてそれ。鳥肌立ったんですケド?」
「でしょ」
この見た目から言動、背負っている紅いギターケースまで、すべてがチャラいこの男は山崎義輝。やや腰パン気味に制服のグレーチェックスラックスを穿き、上にはベージュのカーディガンを羽織っている。見事なまでにチャラい。
しかし、こう見えても中身は意外と芯のある男で、だからこそ親友やっていられるわけだ。
「てかぁ、あかねとさきち今日も夫婦登校?」
「違ぇよ」
「違うわよ!!」
「見事に揃ってるし、やっぱ夫婦漫才だよね?」
「夫婦じゃねえよ。夫婦手だ」
そういって俺は右足を前に、自然に内側へ向け、左足を後ろで外側に開く。手は左手で水月をカバーし、右手は拳頭を向けるようにして構えた。
最近、ネットで知った古伝空手の構えだが、皆さん呆れ顔で俺のことを見ている
「……行こう、亜樹」
「うんうん、空手バカのさきちには付き合ってられないね」
そういってあかねは亜樹と一緒に心臓殺しの坂を上り始めた。
「何か突っ込めよ!? つーか亜樹も空手やってんだろ!?」
亜樹の言葉に抗議したものの、奴ら聞こえないフリをしていやがる。
ちなみに亜樹も俺とは流派は違うが、確か伝統派空手の黒帯だったはず。
あの見た目で空手黒帯というのはにわかに信じがたいことだが、人は見かけによらずということなのだろう。
「あーあ、女の子先行っちゃったじゃん」
山崎が残念そうに、ため息を吐きながら俺の肩に左手を置いてきた。
「うるせえ、俺は悪くないぞ。夫婦漫才とか言うヤツが悪いんだ」
「いやあ、でも毎朝星野とあかねちゃんの夫婦漫才は見ててほっこりするし」
「だから夫婦じゃねえって、夫婦手だッ!」
今度はドヤ顔で夫婦手の構えを取るが、その瞬間、山崎は俺から手を離して、ポケットに手を突っ込むという気取ったスタイルで坂道を登り始めた。
「あっ、コラ無視すんなっ!?」
俺は慌てて山崎の後を追いかける。
そういえば今日は始業式、新学期か。
転校生とか来るのかな?
男子高校生の諸君なら、美少女の転校生が来ることを期待するはずだ。
俺はもちろん、期待している。
†
俺の通う豊陵高校に到着すると、玄関に張り出された新クラス名簿を確認しようと人ごみをかき分ける。
毎年のことながら、この張り出し方は何とかならないものだろうか。今時は情報社会だし、生徒向けの連絡SNSでも作ったらどうだろう。そこで新しいクラスを連絡してくれれば、今日みたいな混雑は起きない気がするんだけど。
まあ、そんな最先端技術の導入を平凡な道立高校が積極的にやるとは思えない。
「おっ、星野! 同じクラスじゃーん」
「あかねや亜樹、わたりょーもいるじゃねーか。すげえな今年のクラス」
山崎とハイタッチをしながら、新しいクラス名簿を見て喜んだ。
女の子との新しい出会いは期待できなさそうだが、少なくとも新しいクラスに馴染めないということは無さそうだ。
さっそく上靴に履き替え、新しいクラスとなる二年五組に入る。
俺のように知っている人間が多くない人もいるのか、やはり去年のクラスと比べて教室内はやや静かであった。
ふと黒板を見ると、白いチョークで座席表が書かれている。
まあ、クラス替えがあった時の座席表なんて、出席番号順に決まっている。俺と山崎が仲良くなったのも、中学で同じクラスになって、出席番号が近く、座席も近かったからだ。
もう一度座席表を見てみると、見事なまでに友達が一か所に固まっている。
「狙ったんじゃねーかってくらい、みんな固まってるな」
「それなー。つか星野、お前またオレの前じゃん。あかねちゃんはお前の隣だし」
「わたりょーは左横だし、亜樹は左斜め前か。うぜえクラスだな」
「誰がウザイですってぇ?」
そう言い切った瞬間、騒がしい声と同時に右脚に鋭い痛みが走った。
「痛ってぇ!? 何すんだよ!」
いきなり背後から下段回し蹴りを放ってきた亜樹に、涙目で抗議する。
「だってウザいって聞こえたんだもん」
「だからってロー狙うなよ。つーか、伝統のほうはロー禁止じゃねえの?」
「バット折れる癖に泣き言ゆーなし」
この暴れウェーブに空手を教えようと思った奴は一体誰なんだよ。もっと大人しくて、女の子らしい習い事をさせたほうが良かったんじゃないのか?
「朝からウッゼー。お前ら新学期早々何してんだよ」
そう笑いながら言ってきたのは、わたりょーこと渡邊諒太だ。
高校に入ってから仲良くなった男で、短い髪で爽やかながら、野球で鍛えた体はがっちりしていて、制服の上からでも胸板が厚いことが分かるほどだ。
ちなみに、俺が亜樹のことを下の名前で呼ぶようになったのも、わたりょーと亜樹が同じ苗字だったからだ。
紛らわしいにもほどがあるが、わたりょーは亜樹と違ってあまりイタズラはしない。
どちらかと言うと……。
「あっ、諒太頭に昆布生えてる!」
「昆布じゃねえよ!? どうみてもツーブロックだろ!」
まあ、確かに亜樹の言う通りかもしれない。
「ああ、でも色は昆布っぽいよな」
「そういや、わたりょー日高町出身だしねー」
俺が髪色について昆布っぽいと言うと、山崎がわたりょーの出身地を明かす。
そう。何を隠そう、わたりょーは昆布の名産地の出身なのだ。
「お前ら日高に昆布しかないとでも思ってんの!?」
「そんなことないわよ。でも渡邊君って昆布と馬の要素はしっかりあるよね」
あかねにまでそんなことを言われたせいか、わたりょーは最早泣きそうな目をしていた。
「俺のどこが昆布と馬だよ!? てゆーか俺日高でも山奥の出身だし! 昆布はねえし!」
そう言われてみれば日高って門別と合併したんだっけ。
たぶん高校生百人に聞いても、答えられるのは二十人以下だと思うけど。
「言われてみれば……わたりょー、お前いつも逮捕されてるクマっぽいよな」
「俺もまた、靴下に踊らされた犠牲者のひとりにすぎないって……何やらせんだよ!?」
わたりょーこと、渡邊諒太はいじられキャラである。
いや、決して悪いヤツではない。むしろいいヤツなんだけど、なんというか、見ていて面白い。
「はいはいー、みんな席についてください。ホームルーム始めますよー」
俺達が黒板の前で話し込んでいると、担任の先生が着席を促しながら入室してきたので、ひとまず席に着くことにした。
黒のスカートスーツを身にまとった、黒髪セミロングで胸の大きい美人な女性が教壇に立つ。
男子は当たりだと思うだろう。俺も当たりだとは思うが、俺はこの人のことを知っている。
女性は白チョークでカッカという音を立てながら、自分の名前を黒板に書いてゆく。
「このクラスを受け持つことになりました、飯島沙織です。教師生活二年目、まだまだ至らぬことはありますが、歳も近いですし、皆さんと一緒に頑張っていきたいと思います!」
頬杖をつきながら、沙織さ……じゃなくて、飯島先生の自己紹介を聞く。
「えへへっ」
飯島先生と目が合った瞬間、ウインクをされた。
あの人、そろそろ歳考えろよ。あやなさんと同い年だから、まだ可愛いけど。
「どうした星野?」
「なんでもねえよ」
俺の様子がおかしかったことに気付いたのか、わたりょーが俺のことを心配してきた。
だって、仕方ないじゃん。あの飯島先生……いや、沙織さんは、俺と桜の面倒を見てくれているあやなさんの高校時代からの友達なのだ。だから頻繁にお互いの家を行き来しているし、あやなさんがうちで暮らし始めてからは、沙織さんも何度かうちに遊びに来ている。
当然、俺と桜とも面識があって、会えば話をする仲である。
「それじゃあ始業式……の前に、今日から加わる皆さんの新しい仲間を紹介します」
──転校生?
えっ、転校生来るの?
「中村さーん、入ってください」
沙織さんがそう言うと、教室の前側の扉が開かれる。
クラスがざわめく。俺も声を漏らしてしまった。
だって……。
「中村さん。黒板に名前を書いて、自己紹介してくださいね」
沙織さんに促されて、黒板に名前を書き始めた転校生は、めちゃくちゃ可愛かった。
ふわふわしたナチュラルブラウンのミディアムボブ。澄んだ碧眼。高くて鼻筋の通った綺麗な鼻。柔らかそうな頬。薄い桜色の唇。背丈はあかねと同じくらいで、肌は欧米人のように白く、校則通り着られた制服の上からでも分かるくらい、胸のあたりが盛り上がっている。
足もあかねや亜樹に比べれば太いかもしれないが、程よく引き締まったいい肉付きだ。
きれいな安産型とはこのことを言うのだろう。後ろから見ていても、いい尻だと思う。
「──っ!?」
転校生に見惚れていたその時、ガクン、と机が揺れた。
「何しやがるキサマっ」
間違いなく、机は右側から蹴られた。
小声で机を蹴ったあかねに対して抗議するが、あかねは頬杖を突いて顔を背ける。
なんだよ、あの態度……。
そうイライラしていると、転校生がもじもじしながら正面を向いた。
「中村葵です。家の都合で北見から越してきました。えと……よろしく、お願いします」
やっぱり、可愛いな。
ああ、せっかくの転校生。どうにかしてお近づきになれないものか……。
「ふんっ!」
「いでっ!?」
またしても、あかねが俺の机に蹴りを入れてきやがった。
今度はさっきよりも威力があるせいか、頬杖が崩れ、俺は顎を机に強打してしまった。
「星野くん、うるさいです!」
「……すいません」
あかねが蹴ってきたせいで沙織さんに怒られるわ、クラス中の笑いものになるわ、後ろから山崎がシャーペンで突いてくるわ、転校生の中村さんに凝視されるわ、ひどい仕打ちだ。
その蹴った本人はドヤ顔でこちらを見ている。
うわっ、くっそムカつく。何様だこいつ、尻でも触ってやろうか畜生め。
あかねの奴、いつか絶対ひどい目に遭わせてやる。