03 月島遊
「ボスのシリウスの家系は大昔狼だったという伝説を持っている。神話の大狼フェンリルからファミリー名をつけた。だからシンボルの狼を番犬として飼っているから、中庭には出ない方がいい」
初めて訪れる者なら迷子になっても仕方ないくらいヴォルフ家の広い豪邸を案内した。
「ここにはボスと幹部の五人を含めた三十人のファミリーが住んでいる。街一番安全だ」
「ふーん」
オレのあとをヒールの高いブーツで歩く彼女は、あまり興味なさそうな相槌を打つ。
ま、つまらない話だから仕方ないだろう。
それにしても、ロームに似たこの子を守るだけが試練?
ロームによく似ている……何者だろうか。
「あの、アメリカには何をしに?」
英語が喋れないなら日本から初めて来たのだろう。
訪ねてみれば、月島遊は足を止めて窓を開いた。
「日本で嫌なことあって逃げてきた……」
番犬の狼でも探しているのか、月島遊は左右を見回す。
その後ろ姿が寂しそうに見えて、オレは目を見開く。
初対面で不躾なことを訊いてしまったようだ。
すぐに謝ろうとした。
「母親が働けって、うるさくてさー。それで家出してきた。……無理なのに」
窓辺に頬杖をつく月島遊は、ため息をつく。
……呆気に取られた。
「そしたら父親が一週間ココに泊まれって。護衛なんていらないけど、まぁ……観光付き合って」
クルリ、とオレを振り返ると、淡々とアメリカに来た経緯を簡潔に言った。
きっと有力者の娘、なんだろうな……。
見たところオレより年下……十八歳くらいだろうか。それでも就職を嫌がり、母親の小言に逃げ出せば、父親が宿泊代わりにボスに預けたということだろう。
「(ヴォルアニキー!!)」
廊下の先から聴こえたオレを呼ぶ声に振り返る。
弟分のリキが手を振り、無邪気な笑みで駆け寄ってきた。まだ十六歳の茶髪の少年だが、働き者だ。
「リキ。護衛することになった月島遊だ」
日本語でリキに月島遊を紹介する。
空気を読み、リキは「護衛!?」と日本語で反応した。
月島遊があまりにも美人で、リキは胸を押さえて頬を赤らめる。
それから、ハッとして目を丸めた。
「ああ、ジャパニーズマフィア!!」
「一般人だ」
ポム、と掌に拳を叩き込むリキに、月島遊はすかさず否定した。
穏やかな声が鋭くなり、顔が曇り、威圧的な空気を纏う。怒っている。
「えっ。ではマフィアの愛人」
「怒るわよ」
「えっと、ゴメン」
もう既に怒っているが、忠告しているうちにオレから謝る。
リキは無邪気過ぎるところがある。
月島遊が一般人だと言っても、リキは納得せず食い下がった。
「一般人なんてあり得ないですよ! だってヴォルアニキは、フェンリルファミリー歴代史上最強の六代目ボスの忠実な右腕!! かの有名な元殺し屋を師に持つアニキは、弾丸一つもボスに通さない!!」
「一つでも通したら終わりでしょ」
「白牙の番犬!!」
月島遊のツッコミも気にせずに熱く語るリキ。尊敬されるのは嬉しいが……リキは無我夢中になりすぎるところがある。
「そんなアニキが護衛する対象が一般人なワケが」
「一般人だ」
オレはリキの口を押さえて遮る。
オレも疑問を持ってしまうが、ボスから説明がなかった以上彼女の素性は詮索しない方がいい。
知るべきは、彼女を守らなくてはならないということだけ。それがオレの仕事で、与えられた試練だ。
呆気に取られたが、気を引き締める。
彼女が誰であれ、一週間無傷で守らなくてはならない。
クリアしないとロームに会えない!
「?」
さっきまで怒った顔をしていた月島遊が、オレの視線に気付き、きょとんとした顔を向けてきた。
ドキドキドキドキ、と心臓が胸の中で跳ね回る。
そんな表情が、よりロームに似ていているせいだろうか。
ボスッ……!!
何故よりにもよってロームに似た子を!!
否! きっとロームに似ているからこそなんだ!!
これはボスからの最終試練。きっと深いお考えがあるのだ!
オレはロームを守るように彼女を守らなくては……!!
頭の中でボスの意図を考えている最中も、心音が煩く鳴り響いた。
駄目だ、意識したら余計に心臓がっ――――。
キラン。
首を傾げた月島遊が背にした窓の向こうの木の中に光が反射して、オレは目を丸めた。
スナイパーだと直感する。
「遊ッ」
狙撃から守ろうと彼女に右手を伸ばした。
しかし、その手は彼女に触れることはなかった。
彼女がオレの手を避けて、横に移動したからだ。
べちゃっ。
またもや呆気に取られていれば、そんな音が胸に張り付いた。
「!? ギャー!! アニキが撃たれた!!」
「ペイント弾よ」
涙目で叫ぶリキに、遊はペイント弾だと教えた。
オレの胸には赤いペイントがべったり。まるで血のようだ。
「わたしを守るついでに試練やるんでしょ? 服汚れるかもって言われたわ。ちなみに、さっき一緒にいたオールバックのお兄さんが一日一発狙うらしいわ。わたしに当たったら即失格だって。マフィアって暇なのね」
遊は予め聞いていたらしく、淡々と窓の向こうを見ながらオレに教えてくれた。
「わたしの服、汚さないようにせいぜい頑張れば」
淡々と告げられた言葉は、全く興味も関心もないように感じられた。何より遊の表情は退屈そうだ。
「つめたっ!! クールビューティ!!」とリキはショックを受けた。
「試練にしては簡単すぎると思った……」
カルロも一緒に書斎に呼んだのは、このためだったのか。
一日一発でも、カルロの狙撃は難易度が高い。
流石は最終試練だ……。
「ペイント弾から守りつつ観光に付き合う試練の必要性がわからない」
呆れた様子の遊だったが、すぐに「あっ」と何かを思い出したように声を漏らした。
「観光も無事にはいかないかも」
「え?」
「ここに来る途中、タピオカジュースを買おうとしてら店員と男が揉めてて、それでのしたらギャングだったらしく、倒れた奴がボスって呼ばれてた。目つけられたかも」
顎に手を添える遊の話は簡潔すぎたが、要するにギャングのボスを倒したらしい。
だかしかし、何故のした!!?
理由が全く持ってわからない。
「てことで、タピオカジュースが飲みたい。Go」
無表情のまま、淡々と遊は生きた居場所を指定した。
さっきギャングのボスを倒して手に入れたんじゃないのか!?
ぎょっとしてしまったが、遊が望んでいるなら行くしかない。それにギャングが問題を起こしたなら確認して対処しなくてはならないから、スーツを着替えてからリキも連れてその店に向かった。
そう遠くはない噴水公園のそばに車を停めて商売をしているクレープ屋がある。
そこはタピオカジュースも販売していた。ここらしい。
「(さっきのお嬢さんじゃないかっ!!)」
経営しているのは、スキンヘッドの黒人だ。
遊を見るなり目を見開いて話し掛けたが、英語が通じない遊はなにを言われたか気にもしない様子で「オレンジ」と注文した。
先程はドライだと思ったが、遊は傍若無人のようだ。
オレンジのタピオカジュースを受け取った遊は、上機嫌にストローで飲む。
リキと一緒に呆然と見ていたが、オレは店長に事情を聞くことにした。
「(ギャングに絡まれたのか?)」
「(そうなんですよ、ダンナ。ここはフェンリルのシマだって言ったんですけどねぇ。この世界をわかっていない若者らしく、ショバ代寄越せって引かなくて)」
「(……はぁ。新しいギャングか)」
ここが誰のシマかも知らないまま、粋がる若者のギャングが現れたことにため息をつく。
麻薬の製造と売人の次は若者のギャングごっこ。頭が痛い。
「(で!? 彼女が助けた!?)」
リキがオレの後ろから問えば、店長は頷いた。
口論中に遊はギャングのボスを押し退けると、平然と注文してきたそうだ。
当然ギャングのボスがキレて、喧嘩を始まって遊が勝利を納めたらしい。
オレは背を向けてジュースを堪能する遊に目を向ける。
相手はわからないが、とにかく男だろう。小柄で細身の彼女が倒すなんて……。お嬢様ではなかったのか。
「(ギャングのボスを倒すなんて……すごいっスよね)」
「(いくら相手が一人でもな……)」
すると、店長が言った。
「(え? 一人? 違いますよ)」
オレもリキもカウンターから見下ろしてくる店長を、見上げて続きを待つ。
「(その場にいたギャング五人を、一人で倒したんですよ。強いですね、何者なんです?)」
――――…その場にいたギャング、つまり男を五人も相手して、彼女は一人で倒した。
思わず驚愕で目を見開き、また彼女を向く。
自分の話をしていようとも、ただジュースを堪能している遊は本当に何者なのだ。
疑惑が、膨れ上がった。
彼女に直接正体を問おうとしたが、その前に女性の悲鳴が響く。
「(ひったくり!! 誰か、助けて!!)」
公園の中でひったくり事件が起きたらしい。
こちらに向かって、女性の鞄をひったくった犯人が向かう。
取り押さえようと思ったが、オレが踏み出すより前に遊がジュースを押し付けてきた。かと思えば遊は犯人に向かっていく。
慌てて止めようとしたが、遅い。
ゴッ!
黒に包まれた遊の脚が振り上げられたかと思えば、犯人の男の腹部に膝を叩き付けた。
「うぐっ」と呻いた男は白目を向いて、そのまま崩れ落ちる。鳩尾だ。
「(本当にすごい蹴りだ)」
店長が感心したように漏らす。
あの蹴りで、ギャングを倒したというのか。モデルのような細い脚で……。
素人とは思えない。格闘技を習っているのか。
遊は男からブランドの鞄を奪い取ると、駆け付けた女性に差し出した。
「はい、お嬢さん。こんな女性から物を奪うなんて最低な男だね。お嬢さん。怪我はない?」
オレも駆け寄ると、遊は女性に向かって優しく微笑んだ。同時に足元の気絶した犯人の腹をヒールで容赦なく踏み潰す。
オレも女性もその足を見て、少し青ざめた。
「あ、日本語通じないか。ヴォル・テッラ、通訳して」
「え、あ、ああ……」
戸惑う女性に日本語は通じないと気付き、遊はオレに通訳を頼む。
「貴女みたいな女性を傷付けようとするなんて、見る目のない男。貴女の美しい手に怪我がなくて本当によかったわ」
女性の手を取り、また優しくにっこりと微笑んだ。
日本語が通じなくとも、同性も魅了してしまう美少女の微笑みだった。女性は頬を真っ赤にする。
横で見たオレも見とれて、胸が高鳴ってしまった。
「……ヴォル・テッラ」
艶やかな光を放つ黒い大きな瞳が向けられ、大きく心臓が跳ねる。
「通訳、してくれないの?」
「あ、ああ、わかった」
通訳を急かされた。
胸を押さえつつも、遊の女性を口説くような言葉を英語で伝える。
その間、女性もオレも、微笑む遊に釘付けだった。