20 めちゃくちゃ
その場に崩れ落ちた。
血溜まりに倒れる彼を見ているしか出来なくて。
彼を呼ぼうと口を開こうと唇を震わせた。
けれども、声を絞り出さなかった。
今更、呼んでも届かないとわかっていたからだ。
バタン、と扉が閉じられても動けずにいた。
一人きりで、泣くことも出来ずに、座り込んでいた。
◆◆◆
あたしの人生は、至極めちゃくちゃだ。
生まれる前から、至極めちゃくちゃだ。
正直、父親には捨てられたと思っていた。そう思って生きていたが、それは序の口。
実の父親は、マフィアのボス。それ故、母とあたしを巻き込まないように別れを告げたのだという。父親がマフィアのボスだなんて、至極めちゃくちゃだ。
けれども、それもまた序の口だった。
「世界には表現実と裏現実の二つがあるの。表の現実の世界には明かされていない秘密が三つある。その壱、吸血鬼は存在する。その弐、悪魔も存在する。その参、死人は時々生き返る」
「ちょっと何言っているか、わかりません。椿さん」
帰りの機内の中で、絶世の美女・椿さんが語り出したことが理解出来ずに遮った。
「見た方が早いわ」
そう言ってあたしの手を引く。その先はトイレの前だった。そこを開けば、倒れている男に馬乗りになって首に噛み付いている十歳くらいの少年がいる。
視線に気が付いたように、少年が顔を向ければ口は血で濡れていた。
「吸血鬼のハウンよ」
「……吸血鬼」
白銀の髪に白銀の瞳をしたその少年は、あたしに興味がないように目を背けると、また男の首に噛み付く。
「で、これが悪魔のヴァッサーゴ」
「っ」
「よぉ。狼の小娘」
唐突に男が椿さんの背後に現れた。見間違いでなければ、黒い煙と共に現れた気がする。
椿さんと同じ黒い髪に紅い瞳を持つ男は、椿さんに腕を回して、あたしをニヤニヤと見下ろした。
「悪魔は皆、目が紅いの。悪魔が憑く人間の瞳も紅くなる」
そう言って、椿さんは紅い瞳を細める。
「質問の答えをあげるわ。四年前、悪魔の襲撃によってヴォルフ家の血を継ぐものは殺されたわ。それはローム・ヴォルフ。貴女を捜し出すため」
そう。元は四年前にロームが狙われた事実を知るための質問だった。
四年前、ロサンゼルスの刑務所が爆破されて焼け落ちた。表向きはテロ。裏向きは悪魔と世界終末の戦争。
世界の裏側。
現実の裏側。
ヴォル・テッラが隠した事実。
「なんで、わたしを捜したのですか?」
「あたしと同じ、悪魔の増殖相手として可能だったかららしいわ」
「うげ」
率直に気持ち悪いと思った。
「首謀の悪魔が、死に際にシリウスの命も、ロームのことも奪ってやるって言っていたのよ。今回関連があるか、密かに調べるわ。貴女を護衛するのは、日本までよ。その方が安全だわ」
「……」
「くれぐれも忘れないように。貴女が認めなくとも、シリウス・ヴォルフの後継者よ」
「……」
あたしの人生は、至極めちゃくちゃだ。
きっとこれからも、至極めちゃくちゃだろう。
間も無くして、古びたアパートにヴォル・テッラが来た。
「ーー…あっれ。合わせる顔、ないんじゃないの?」
白いVネックのシャツにカーディガンを着てカジュアルな服装も、まぁまぁ決まっている。首のタトゥーを隠しているのか、ネックウォーマーをつけていた。
私の方は白いタンクトップと黒のオフショルダーを合わせ、紺の七分丈の緩いズボンでラフな格好。
「ま、アイツの遺言に従っただけだろ。改めて自己紹介すべき?」
遺言に私を後継者にすることと、ヴォル・テッラと婚約をして右腕としても、夫としても支えることを書くと聞いた。
わたしは、笑って見せる。黒のカラーコンタクトを外した青い瞳で、笑って名乗った。
「月島遊、またの名をーーローム・ヴォルフ。よろしく?」
ヴォル・テッラは呆然と立ち尽くす。何度か明かそうと思っていたけれど、名前と瞳が違うだけで騙されてくれた。まぁ、シリウス・ヴォルフはヴォル・テッラが気付くか、わたしが明かすことを待っていたみたいだけれど。
「訃報を伝えに来たんだろう? 中にお母さんがいるから伝えてよ」
「あ……ああ……」
コク、と頷くヴォル・テッラを狭い部屋へと通す。
生活感ありまくりの狭いリビングのソファーに座るように言ったのだが、ヴォル・テッラは床に正座した。
そしてヴォル・テッラの口から、シリウス・ヴォルフの死が告げられる。死と言っても、表向きは事故死。シリウス・ヴォルフは最後まで母に自分の正体を明かさなかった。それでいい。母まで裏の世界を知ることはないのだ。
わたしと違って、栗色のウェーブのついた髪。顔立ちはわたしとよく似ていて若々しい。明るくて社交的な母は、随分前に別れた男の死に泣いた。わたしの分のように、大袈裟なくらい大泣き。わたしはただ肩を撫でてあやした。
「……あの……。訃報を伝えてすぐにこの話をするのは気が引けますが」
母が落ち着くとヴォル・テッラが口を開いた。
「ある条件を呑めば、シリウスさんが遺産の三億円を渡すと遺言に書かれていたので来ました」
「条件!?」
母は目の色を変える。
ほら来た。
「簡潔に言うと……オレとロームが婚約することが条件……。返事を聞かせてもらえないか? ローム」
「ことわ」
「会ったばかりなんだからすぐに返事をしないでデートに行きなさい!!」
即答してやろうとしたが、母に口を押さえつけられてしまう。
「デートしてきなさい!! 今カレシいなしでしょ! これはお父さんがくれたチャンスよ!! これを逃したらアンタに婚期はない!! これは運命よ!!」
LOVE!!と叫びながらも、お母さんの目にはお金しか映っていなかった。要するに三億のために婚約しろ、だろう。
「ヴォル・テッラ。外で待って。着替える」
「……わかった」
ヴォル・テッラには外で待ってもらい、わたしは黒のキャミソールに、透ける黒のストライプシャツを合わせて、短パンをはいた。お気に入りの洋服をチョイスしてしまった自分に苦笑が漏れる。デートではない。断じて。
ニーソとカットソーのブーツを履いた。
それからヴォル・テッラと二人で駅前のカフェを目指す。
「……ローム。遊という名は……」
「母親が結婚した際に改名したんだよ。月島遊に、ね。正直ロームって呼べれたことなかったし、ヴォルフって名前だって最近知ったばっかり」
「……そうか」
ヴォル・テッラは、冷静に頷く。それともまだ呆然としているのだろうか。どちらにせよ、冷静に見える。
頭一つ分ほど大きいヴォルだが、ブーツを履けば大体視線の高さになった。なんとなく翡翠の瞳を見つめる。
コイツはどんな再会を夢見たのだろうか。
見事に期待は裏切られただろう。
ヴォル・テッラの視線と合ったから、目を逸らした。
辿り着いた駅前のカフェテラスに着いて、タピオカジュースを堪能する。わたしのお気に入りはマンゴータピオカだ。
二人用の席。向き合うように座ったが、翡翠の瞳は伏せられている。何を色々と考えているのか、大体予想はつく。
わたしは直感が鋭いのだ。滞在中の全てのこと。それにシリウス・ヴォルフの死。
「遊……いや、ローム……す」
「謝ることない」
口火を切って謝罪の言葉を口にしようとしたが、わたしはきっぱりと遮った。
「アンタ謝ることなんて何一つないから」
冷たく言い放つ。
謝罪の言葉を聞き入れないのは残酷なことでもあるが、事実ヴォル・テッラは悪くない。何一つ。
そばにいて守れなかっただけじゃないか。
わたしと一緒にいて。
もぎゅモギュもぎゅモギュとタピオカの感触を堪能しながら、なめらかなマンゴージュースを飲んだ。
ヴォル・テッラは、顔色を悪くして俯く。悪いが、楽にしてあげるほど優しくない。
「犯人は恐らく……アリビト・ヴォルフだ」
「あ? 廊下ですれ違ったオッサンか」
うろ覚えというかもう顔も覚えていないが、確かそんな名前のオッサンとヴォル・テッラが話していたはず。
血を継ぐ後継者の犯行というわけか。
「証拠がない……ヴォルフ家には手を出せない掟だ」
「……あっそ」
確信があっても、証拠がなければ、後継者相手に手も足も出ない状況というわけだ。
「ローム。話を聞いていたかもしれないが」
「聞いてる」
「……オレを含めた八人の幹部が仕事をする。君はっ、ただ首輪を嵌めてくれればいい。フェンリルのボスは”ディールの首輪”。死ぬまで外せない首輪……」
「はぁ? 一生あたしにお飾りのボスになれと? ざけんな」
一人称を”わたし”と心掛けていたが、ついて”あたし”と言ってしまうくらい頭にきて立ち上がった。
「頼むッ!!」
ヴォル・テッラは、声を上げて頭を下げた。
「ボスを殺した奴が、後釜に座ろうとしているんだッ! 阻止するには、君がボスになってもらうしかないんだッ!!」
「全部あたしには関係ないッ!!」
言い放った瞬間、何かを感じ取って身体を横にずらす。
すると、カッとテーブルにナイフが振り下ろされた。
背後の席に座った男だ。ニット帽に大きなマスクをした男。見覚えがある。アースの店から出てきたーー…。
「殺し屋だッ!!!」
ヴォル・テッラは、わたしの手を引いてダッと走り出す。
「すまない!! 気配に気付けなかった……かなりの手練れだっ!」
「アイツだろ! 殺した張本人! 捕まえろよ!!」
「君の安全が最優先だ!!」
「証拠じゃん!! 捕まえればあたし安全!!」
「この先にオレの仲間がいる!! 殺し屋は」
路地に入り込むと、ヴォル・テッラは角から飛び出してきた男のナイフを掴む手を握り、腹に蹴りを決めた。
「一人じゃないっ!!」
後ろを見れば別の追っ手が来ている。前方もだ。
挟まれた。
「よし、ぶっ倒すか。もう走らん」
背を預けあって、敵と向かい合う。ヒールで走るのがどんなに辛いか。
そのヒールのあるブーツで、上段蹴りを食らわせてやった。
後ろではヴォル・テッラが、一人を捩じ伏せている。
ヨロッと先程ヴォル・テッラの蹴りを食らった殺し屋が起き上がった。ほぼ同時にわたしとヴォル・テッラはその殺し屋の顔面に蹴りを食らわせる。
いい蹴りだ。
「って!! 全員のしちゃダメじゃん!! お馬鹿! さっさと証拠を吐かせろ!」
「あ、ああ」
「これであたしがボスになる必要はない!」
「……」
ヴォル・テッラは何も返さずに、伸した殺し屋の様子を覗く。
その時だ。また何か感じて、上を振り返る。
その瞬間、パンという日本には相応しくない銃声が響いた。
あたしの人生は、至極めちゃくちゃだ。
20170804




