02 最終試練(ヴォル・テッラ視点)
この街はアメリカの中のイタリアだと、昔パーティーに参加していた老人達がよく笑って話していた。
イタリアを連想させる古き茶色い屋根の白やベージュの古き建物が並ぶ一方で、アメリカの都市らしい真新しい高層ビルが聳え立つ街だ。
そこにある一見普通の倉庫。その中は麻薬製造所になっていた。
器具が並ぶ長テーブルで、数人の調理師が作業している。
見張りは十人近くいた。
倉庫の周りは逃げ道がないように固め、仲間とともに突入する。
銃が発砲されるより前に、林の中を駆け巡る狼のように素早く懐に入り、取り押さえた。
「(フェンリルファミリーだ)」
取り押さえた男の首に銀のナイフを突きつけて、名乗る。
「(ここのシマでは麻薬の製造と販売を大昔から禁じている。次また我々のシマに足を踏み入れてみろ――――…容赦はしないぞ)」
恐怖に怯えて目を開く男を、見下ろして告げた。
「(この街は、フェンリルファミリーのものだ)」
フェンリルファミリーの街。
オレは十五年、この街に生きて、ファミリーの一員として生きてきた。
シマを汚そうとした連中を片付けて、ボスの元に行き報告しようとすれば、十五年前のビデオを観ていた。
初めて彼女に会った日、そして結婚を申し込んで誓ったあの日を、オレは正直言って覚えていない。
「(あの、ボス。何回そのビデオを観るのですか?)」
けれどもロームの父であるボス(シリウスさん)がそのビデオを何度も観るため、オレは知っている。
「(何回観てもいい。……特にロームの"パパとけっこんする"が)」
壁に映し出したスクリーンをボスは涙を浮かべて見つめる。最愛の娘のビデオだ。何度でも観てしまうだろう。
そして何度も感動してしまうのだろう。
オレとしては少々恥ずかしさを覚える。何せプロポーズをして、フラれて、泣いているのだから。
「(ヴォル。今でもオレの娘が好きなんだろ?)」
いたたまれず目を逸らしていたら、唐突にボスがそんなことを言うからギョッとした。
「(なんですか!? いきなりっ……)」
カァアア、と顔が熱くなるのを感じる。動揺しすぎて、言葉の続きが言えなかった。
「(お前になら、娘を任せられるとオレは思っている)」
ボスは大きな革の椅子ごと、オレを振り返る。
何にも染まらぬ艶やかな黒髪の間から、ロームと同じ青い瞳が真っ直ぐに向けられた。
強い意志のある青い眼差しで、フッと甘い笑みを浮かべる。
「(そこで父親から試練を与えてやる)」
長い足を組むと、ボスはオレに言い渡す。
キラリと首についた大きな金の首輪に嵌められた紅い宝石が光った。
「(クリアすれば、正式に認めてやる。娘の男としてな)」
シリウス・ヴォルフ。
イタリア系マフィアのフェンリルファミリーの六代目ボス。
元はイタリアのローマで市民や家族を守る自警団としてヴォルフ家が中心に仕切った組織だったが、二十世紀初頭にアメリカに移住してそこを拠点にして勢力を拡大させたマフィアになった。
二十歳からマフィアのボスを務めている彼は麗しい容姿の人だが、十八年もの間ファミリーを守ってきた優しくも強い人だ。
両親を事故で亡くしたオレを引き取ってくれた初恋の人の父親で、オレの父親代わり。
オレの尊敬する人だ。
「ヴォル、ロームの婿の試練受けるんだって?」
翌日、アメリカのヴォルフ家の邸宅に廊下で、黒い前髪をオールバックにしている面長で無精髭の長身の男、幹部の一人であるカルロ・F・Vに問われた。
横を一緒に歩きつつオレは「はい……」と頷く。
すれ違うファミリー達が、オレとカルロに頭を下げて挨拶をするから手を上げて応えた。カルロも手を振り、挨拶を返す。
「(一途だな、お前さんは。十五年前に会ったきりなのにまだ好きだなんて。とことん一途でバカだなぁ。お前)」
カルロがそうやってオレを爽やかに笑うのは、いつものことだ。
オレは何も言い返さず、顔を赤くして俯く。
バカと言われても仕方ないと、オレも自覚している。
十八年前、ボスは危険から遠ざけるために婚約を破棄した。
ロームは母親とともに今は日本で暮らしているらしい。
危険に晒さないためにも、ロームの存在はファミリーの中でも一部しか知らない。所謂、隠し子扱いだ。
オレもボスも、十五年前からロームには会っていない。
「(まっ、そんなお前だからこそ婿の候補なんだろうな。一途で、ボスの右腕までのしあがったんだからな)」
からかっても、カルロはオレを認めてくれている。
オレは自分の首に手を当てて、刺青を撫でた。
首輪のように黒い一線が首に巻き付いていて、それに噛み付く白い狼の刺青。鎖に噛み付く狼の刺青が、フェンリルファミリーの証。
オレはずっと、彼女を想っている。
幼い頃にたった一度会っただけだから、時間が経つにつれて忘れてしまった。
けれども、ボスが何度もあの約束のシーンを撮ったビデオを観るから、オレは知っている。
オレはあのビデオに映る彼女に――――…恋をした。
無邪気に笑うあの青い瞳の少女を、目にする度に恋をしているように感じた。
オレはロームが好きだ。
忘れてしまっても、また恋をして、今でも好きだ。
彼女に相応しい男になるために、ファミリーを守るために、ボスを守るために、オレは努力をしてやっと右腕の座についた。
昔からボスは試練を言い渡してきて、オレはクリアしてきた。
今回は最終試練と称したのだから、恐らく――――…十五年ぶりにロームと会わせてもらえるのだろう。
そう思うと、胸が高鳴り落ち着かない。
「(クリアしたら、プロポーズしに行けよっ!)」
カルロに背中をバンと叩かれたから、少し息を詰まらせた。
プロポーズ。それを聞くと緊張が増してしまう。
深呼吸をして、緊張を押し込む。
先ずは最終試練をクリアすることに専念しなければならない。
最終試練が済んだら、想い焦がれたロームと再会ができる。
胸の高鳴りが収まらないうちに、ボスの書斎の前に着いてしまった。
「(失礼します)」
試練を聞くために、オレは重たい扉を押し開けて中に入る。
ペルシャ絨毯が敷かれた書斎の中央には、書類が並ぶ大きなブラウンの机があり、普段なら革のソファに座ったボスが微笑みを浮かべて待ち構えるのだが、今回は違った。
書類のない片付いた机の上に、ボスは倒されている。
その上には、黒髪の少女が股がりペーパーナイフを突き付けていた。
「やぁ、ちょうどいいところに来たね。紹介しよう」
少女に突き付けられたペーパーナイフを押さえつつ、ボスは微笑みを浮かべてオレとカルロに日本語で言う。
ボスがあまりにもいつも通りの笑みを浮かべているせいで、反応が遅くなりすぎた。
ボスが、危険に晒されている。
ハッとしてオレは慌ててボスの上にいる少女の肩を掴み、ボスから引き剥がした。
後ろから羽交い締めにして、右手に持つペーパーナイフを取り上げようとすれば、彼女が振り向く。
今まで黒髪で見えなかった顔が、そこではっきり見ることが出来た。
ドキン、と心臓が跳ねる。
背中まで伸びるウルフヘアーの少女に、ロームの面影があった。
美しい顔立ちを包む艶やかな黒髪、そして黒く長い睫毛越しから向けられる強い眼差し。
恋い焦がれた彼女と、漸く再会できた。
そう思った。ほんの一瞬だけ。
すぐに違うとオレは気付かされた。
ゆっくりと瞬く少女は、じっと取り押さえるオレを見上げる。
その瞳の色は――――…髪と同じ艶やかな黒だった。
「日本から来た、月島遊だ」
ボスが少女の名前を口にする。
敵ではないと理解して、慌ててオレは彼女を解放した。
彼女はまだオレを見上げる。
白いブラウスと黒いベストを着ている彼女は、黒い短パンとハイソとガーターとスタイルがよくわかる服装をしていた。
シンプルなのに、妖艶。まるで――…黒猫だ。
月島遊という名の少女は、無表情だ。無垢な笑みを向けるロームとは違う。
「日本育ちで英語はできないそうだ。こちらに滞在する間、ヴォルは彼女の護衛を頼む。ヴォルの仕事はすまないがカルロスが引き継いでくれ」
ボスは服装を整えながら、日本語でオレ達に告げると革の椅子に座った。
「ヴォル? ……ふーん、アンタがヴォルなんだ?」
「え、あ……はい」
彼女は初めて口を開く。
鋭い眼差しで見てくるが、その声は穏やかだった。
妙な胸の高鳴りがして、思わず胸を押さえる。
少女はペーパーナイフをボスの机の上に置くと、腕を組んでボスに目を向ける。そして静かに頷いた。
「(彼女を七日間無事に守り抜くことが試練だ)」
ボスは小さく笑うと、英語でオレ達だけに告げる。
「(え!? ボス! 他の人を巻き込むのは)」
「(決定事項だ)」
「!!」
反論しようとしたが、もう決定事項だと言う。
月島遊。彼女を七日間護衛することが、最終試練。
一体どんな意図があるのかと、オレは問おうとしたが先にボスが口を開く。
「遊。君を守るヴォルだ。行っていいよ、先ずはこの家を案内してもらうといい」
日本語でボスが彼女に伝えれば、彼女は無言のままスタスタと歩いて書斎を出た。
彼女を一人にしてはまずい。
「(あ、ヴォル。くれぐれも遊に暴力的な仕事は見せないでくれ。好かれるように、努力してほしい。よろしく)」
ボスはオレに釘をさす。
マフィアの仕事を見せるなと言うことか。
オレは慌ててボスに会釈をしてから月島遊のあとを追う。
「(最終試練にしては簡単そうですね、ボス)」
「(――――…どうかな)」
オレ達を見送ったボスが、不敵な笑みを浮かべていたことなんて、知る由もなかった。