17 哀別の悲鳴
地下一階にあるイタリアンの店、アース。
こじんまりとしているが、気品がある。趣のある木製のテーブルや椅子はダークブラウン。小さなシャンデリアは、金の塗装。今宵、貸し切りだ。
フェンリルファミリー6代目ボス、シリウス・ヴォルフは、一人でそこにいた。ワインを確認してから、椅子に腰を下ろす。
「……ローム……」
瞼を閉じて、思い浮かべた娘の名を口にする。噛みしめるかのように静かに、シリウスは愛おしげに微笑んだ。
そうしてシリウスは、一人で待っていた。
◆◆◆
アースに向かうヴォルと遊は、手を繋いで歩いていた。
「街の中だと、星は見えないな」
「ああ。アースのある区域は静かだが、やはり見えにくいな」
夜でも賑やかな通りを過ぎて、人気の少ない道に出る。パブなどの飲み屋の灯りが漏れるだけの薄暗い通り。
二人きりで、そして手を繋いでいると、恋人同士に見える。意識してしまい、ヴォルは少し頬を赤らめた。考えないようにと心掛けても、難しい。
「もう着く?」
「あ、ああ……。そうだ、答えは決めたのか?」
父親と住むか否か。遊はシリウスにその返事を聞かせてほしいと頼まれていた。このまま店に行ってもいいのかと、ヴォルは確認する。
「……住む、ことにする」
「……そうか」
「うん……素直に言えるかどうかはわからないけどね」
足を止めた遊は、ぎこちない笑みを浮かべながらも決意を話した。自分を捨てたと思っていた父親と、暮らすことは複雑だ。ただでさえ、不器用な遊には難しい。
緊張した様子で、俯いている。
「ゆっくりと、心を開けばいい。遊の父親を知らないが、焦らせたりしないだろう。遊が向き合う気になれたのなら、きっといい関係になれるはずだ。遊なら、出来るはずだ」
優しく微笑んでヴォルは、励ました。遊がいなくなる寂しさを感じながらも、新たな生活へと背中を押す。
遊は、ヴォルに優しい笑みを返す。涙が浮かぶが、それを誤魔化すように瞬きをした。
「ヴォル……あの」
遊が手を震わせながらも、ヴォルを熱く見つめて何かを言いかける。
「あっれー、ヴォル。ロームに会うっていうのに、遊さんと浮気か?」
そこに現れたのは、カルロ。
ヴォルはビクッと震え上がって、遊の手を放す。
「恋人みたいに見つめあっちゃって。ウブなお前が、あっやしーなぁ」
「ち、ちちちがっ!」
カルロのからかいに、ヴォルは慌てふためく。そんなヴォルの背中に、遊は掌を叩きつけた。
「遅刻する前に、行きましょう」
「あ、ああ……」
結局、遊は言い出さない。
それはカルロが来てしまったからだろう。
「……カルロ。ボスについていたんじゃないのか?」
「おう、一緒に来た。ちょっとリカメンとルポが落ち着かないんだな、手分けして見回り。ダンはまだ来てない」
ヴォルが遊についているから、代わりにカルロ達がそばについていた。今は一人でいると知り、自然とヴォルの足は速くなる。カルロは心配ないさと言わんばかりに悠長に歩く。
「妙な匂いはするが……雨のせいだろう」
カルロの言葉に、ヴォルも遊も顔を上げた。
先程まで晴れていた夜空は、雲が覆い尽くしている。降り出してしまいそうだ。
「通り雨だ、帰る頃には止むだろう」
ヴォルは遊に濡れる心配はないと教えつつも、また歩調を早めた。
「ここだ、遊。アースだ」
地下に繋がる階段に辿り着く。その先に店の扉がある。
「雰囲気があって本場のイタリアンが食べられるいい店なんですよ」
「聞きました」
カルロが話しかけても、遊は固い態度であしらう。それでもカルロは笑みを崩すことはない。そんな二人を苦笑しながら見つつも、ヴォルが先に階段を下りた。
ーーガウンッ‼︎
そこに響いた一つの銃声。
突き抜けるようなそれは、確かに扉の先から聞こえた。シリウスがただ一人でいるはずのその先からーー…。
駆り立てられるように三人は階段を下りてその扉に向かった。
ヴォルが手を伸ばすよりも先に、扉は開かれる。男が一人飛び出してきて、ヴォルと肩をぶつけた。
遊は、その男と目が合う。すれ違うその瞬間、男は遊を凝視していた。大きなマスクとニット帽を被っていて、目元しか見えない。弛んだようにシワがあり、その目は灰色。
ヴォルは男を見ることはなかった。
ヴォルが目にするのはーー…血溜まりに倒れたシリウス。
顔を確認できないが、青に艶めく黒髪と首にある金の首輪から彼だと一目瞭然だった。
ヴォルは、男を追いかける。硝煙をまとうその男を追って飛び出した。
「シリウス! おい! シリウス‼︎」
カルロは閉じかけた扉を押し退けて、倒れたシリウスに駆け寄る。
遊はーーその場に崩れ落ちた。
動けずに、ただカルロの呼びかけに反応しないシリウスを、そこで見ているしかできなかった。
唇を震わせて、声を絞りだそうとするが、やめる。その声が、シリウスにはもう届かないとわかっていたからだ。
パタン、と扉が閉じて見えなくなってしまっても、遊は動かなかった。動けなかった。
愕然としたまま、その場に一人きりで、座り込んだ。
降り出した雨の中、ヴォルは捜し回った。硝煙の香りを頼りに突き進んだが、雨に消せされ、姿さえも見付けられずにいた。
がむしゃらに走ってきたが、もうどこに行けばいいのかもわからない。左右も見て、後ろを振り返り、捜した。だが、雨の中にいるのは自分だけだった。
「くっ……!」
ぐるぐると視界が回っていく。耐えきれなくなり、ヴォルは膝をついた。息ができない。押し潰されそうになり、顔を伏せた。身体に当たる雨が、頬を伝って地面に落ちる。
ヴォルの目に浮かぶのは、シリウス。血溜まりに倒れたシリウス。
心地の悪い鼓動が、高鳴る。意識が遠退きそうになるが、生温かい雨も辛い呼吸も引き留めた。
シリウスから流れる血は、頭部から流れていたことは明白。頭を撃ち抜かれた人間がどうなるか、確認せずともわかる。ヴォルは顔を歪めて、涙を零した。
事実が、押し潰しにかかる。ヴォルの全てを捩じ伏せるかのように、失った悲しみが襲いかかった。
父親のように育ててくれたシリウスを、失った。
父親のように愛してくれたシリウスを、失った。
守ることができずに、殺されてしまった。
「うああああああああぁああ‼︎」
悲痛な叫びを上げずには、いられなかった。
雨に打たれ、空に向かって叫ぶ。遠吠えのように、声を上げ続けた。
「ああああぁあああああああああああ‼︎ うああああああああぁああっ‼︎」
どんなに叫んでも、もうシリウスには届かない。
打ちのめされるヴォルは、泣きわめき続けた。
フェンリルファミリー6代目ボス、シリウス・ヴォルフの訃報は、たちまちファミリー内に知れ渡ることとなった。
20160608




