15 最終試練
どうする。どうすればいい。オレは混乱して、頭を抱えた。
約三十人の敵。広い豪邸とはいえ、逃げ隠れが難しい。最終試練らしく難易度が、格段に上がった。
どうやって、遊を無傷で守りきるんだ。
敵は三十一人。建物からは出られない。対象者は無傷で守らなくてはならない。
こんな条件で、合格できるわけない。ここまできて、失格になるのか。
十五年も認められるように努力してきた。今日、それが終わりかねない。たった一瞬で崩れ去るかもしれない。
これ以上無理なほど、緊張は絶頂に達している。頭を抱えたまま、意識が遠退きそうになった。
「ヴォル・テッラ!」
遊に呼ばれて、ハッとして顔を上げる。
その顔を両手で包まれた。遊の、両手だ。
黒い瞳が間近にあった。
「一人じゃない。わたしは味方よ」
強く告げた遊の言葉が、一気に浸透する。遊がいるだけで、乗り切れる気がした。なによりも強い味方なのだと感じて、緊張が緩んだ。
「よく考えなさい。最初のルールと変わってないわ。わたしを無傷で守ればいいの。そして、カルロの弾を避ければクリア」
遊に言われて、そうだったと気付く。銃口が増えて、守れきれないと焦ってしまったが、避けるべき弾丸は一つのみ。
「いや、だが、約三十人が君に襲いかかるんだぞ」
「頭を潰せば蛇は死ぬ。さっさとカルロを潰せば、この試練は終わる。カルロを狙って、最後の一発を撃たせて終わらせればいい」
遊を守りきるためには、最後の一発を撃たせることが近道だ。防いだ時点で、合格。
しかし、やはり三十人の敵の壁が高すぎる。
「三十人くらいいける。潜り抜けて、カルロを殺る」
「いや、殺っちゃだめだ」
カルロを嫌っている遊は、どうしてもカルロに挑みたがっている。戦う気満々だ。
「ヴォル・テッラとわたしなら、いけるだろ」
そう言って、遊は立ち上がった。
「協力すればいい」
「……遊……」
手を差し出してくれる。昨日は気分次第だなんて言っていたのに、協力をしてくれる遊。
遊となら、乗り越えられる。そんな自信に突き動かされて、その手を掴んで立ち上がった。
「んー、でも、この建物から出てはいけないという今日のルールを守って、そこの扉を開けて廊下に出ると、狙い撃ち。皆廊下で待ってるんじゃないかな?」
そこで聞こえた声に、オレは震え上がる。
オレが背にしていた机に頬杖をついたボスが、微笑んだ。そうだった。一分の猶予をもらって飛び込んだ部屋は、ボスの部屋だったことを、パニックのあまり忘れてしまっていた。アリビト達と入れ違いだったから、すっかり。
そもそも、ここが一番安全だった。迂闊にボスの部屋に飛び込むものはいない。かといって、ここにこもりっきりでは試練をクリアしたことにはならない。
「すみません、ボス」
「謝ることはない。でもどうするんだい? カルロなら入ってくるだろうけれど、それまで待つ気かい?」
ボスは、とても穏やかだ。オレと遊の状況とは無関係。
しびれを切らしてカルロから飛び込むかもしれない。ボスの部屋に、射撃はできないのだから。
「正面突破は分が悪すぎ。屋根裏とかないの?」
「屋根裏はない……。あ、地下通路ならある」
遊に言われて、思い出した。
「緊急脱出用の通路が、昔からあるんだ。上層部しか知らないから、待ち伏せの可能性は低い」
「へー。ただの豪邸かと思ったら、面白いものもあるのね」
遊は感心した様子で、ブーツで床を叩く。本棚の前の絨毯を捲り、小さく重い扉を開ければ、地下に繋がる階段。
暗いそこを通るためには、携帯電話の機能についているライトを使うことにした。
「二人協力して、頑張ってね」
ひらひら、とボスは手を振って見送ってくれる。遊は無視を決めているが、オレは会釈をした。念のために、オレが先に入って遊の手を引いて進んだ。
久しぶりに入る地下通路は、湿った匂いと埃に満ちていた。ライトの灯りだけを頼りに進む。気配からして、カルロが先を読んで待ち伏せをしていないようだ。
「リビングに繋がる階段がある。そこから出て……カルロを狙い撃ちなんてできるか? 皆が廊下に集中しているとだろうが……カルロはどこにいるかわからない」
「……シッ」
オレの手を引っ張って、遊が異変を知らせてくれた。暗闇の向こうから、駆けてくる音が近付いてくる。人間のものではない。小さく、そして爪で床を引っ掻く音。
しまった! 番犬の狼を地下に放ったんだ!
オレ達の匂いを嗅ぎつけた狼達が、真っ直ぐに向かってくる。吠えられたら、オレ達の居場所がバレてしまう。急いでリビングから出ても、匂いが途切れたところで吠えて知られることになる。また囲まれて絶対絶命になるが、迷っている場合ではない。地下を脱出して素早く移動すべきだ。
遊と一緒に走ろうとしたが、動いてくれなかった。
狼達が迫った。
すると。
「シッ!」
灯りで視認できた狼達に向かって、遊は指先を振り下ろした。狼達は急ブレーキをかけて、ピタリとおすわりをしてしまう。吠えることなく、遊の指示をじっと待っていた。遊に絶対服従をしてしまったとでもいうのか。
「ヴォル・テッラ。ボールは?」
「え、持っていない……」
今持っているのは携帯電話とナイフ。ボール代わりに、投げられるものではない。
「……ブレスレット」
「えッ⁉︎」
ロームの写真が入ったブレスレットを、ボール代わりに投げるのか⁉︎ 落ちたら壊れるし、ズタボロにされる!
思わず背中に隠すが、遊は冷ややかな眼差しとともに手を出して待っている。
「試練、このままじゃ不合格になって、本人に会えなくなるわよ」
ロームの再会のための代償。泣く泣く、ブレスレットを外して遊に渡した。遊は狼達にそれを見せると、大きく振りかぶった。容赦なく全力で投げようとしている動作に止めたくなった。
ブンッ‼︎
ブレスレットが投げられて、オレは悲鳴をグッと堪えた。狼達はダッと一斉に駆け出して、暗闇の中に消えていく。
ブレスレットが落ちて壊れる音を聞きたくないと、耳を塞いだ。だが、目の前にそのブレスレットが現れた。
「え……投げる、フリだったのか……」
投げるフリで追い払っただけだったんだ。
「当たり前。人の大事なものを壊すほど鬼畜じゃない。早いところ、移動しよう」
そう言って、先を進んだ遊。
オレの大事な試練だから、オレの大事なものだから、協力的になってくれた。はっきりと優しさを示してくれないが、ちゃんとわかるから胸が熱くなった。ブレスレットをつけ直してから、無事地上に出た。
リビングには誰のいない。身を低くして、慎重に廊下を出てボスの部屋の前を確認した。既に人払いされたキッチンに入ってから、遊にカルロがいないことを伝える。
「恐らく外にいるんだろう。狼達を外の扉で待っているはず」
「じゃあ中庭に繋がるドアで待ち構えて攻撃を仕掛けよう」
「だが、リキ達が間にいる……」
「それなら……」
遊が、リビングの方を指差した。微かに吠える声が聞こえる。狼だ。探し物はないことに気付いたのだろう。
「リビングだ!」
知らせが届いたのか、リキ達の足音が過ぎていく。
それから聞こえてくる一人の足音。重く、ゆっくりした足音は、カルロのものだと確信した。息を殺して、タイミングを見計らう。遊には掌を向けて、オレに任せてほしいと伝える。カルロ相手に、遊が怪我をしないとは限らない。
足音が横切ったその時、飛び出した。
反射で発砲、を狙ったが、カルロにはもうバレていた。ニヤリと笑うカルロの長い足が振り上げられて、オレは身を引く。掠めたが、決してカルロから目を放さない。カルロの一発が重要なんだ。
「あらら。オレの一発だけ避ければいいって気付いたのか。騙せたと思ったのに。まぁでも、これでチェックメイトだぜ、ヴォル」
カルロの言葉の意味をすぐに理解する。
キッチンの別の入り口から、仲間が飛び込んだ。遊を狙っている。振り返ろうとしたが、遊がオレと背中を重ねた。
カルロを仕留めればいい。それで、合格できる。
遊が、一緒に戦ってくれる。一人じゃないから、大丈夫。
オレの上着を渡して、ナイフを抜く。
バンバンッと放たれるペイント弾は、オレの上着で振り払い、遊もドアを閉めて廊下に出た。
カルロが銃口を向ける。だが、それだけではない。廊下の先からも多くの銃口が、遊に標準を合わせた。
カルロを盾にするようにして下がって、ナイフで絨毯を切り裂く。捲り上げて、遊の盾にする。視界を遮って、カルロに攻撃をしかけようとした。
が、遊に襟を引っ張られて身を引くことになる。それは、正解だった。
カルロが抜いた刀で、絨毯を一刀両断した。
刀の分だけ離れようと、遊を背に後退りする。
カルロがまた発砲を指示したため、カルロの左右を掠めて弾丸が飛んできた。
捲った絨毯を切り取って、弾丸を全てをナイフとともに薙ぎ払う。
オレがそれに気を取られている隙に、カルロが遊を狙った。
最後の一発。息を止めて、全身全霊をかけた瞬間。時間が止まっているように感じた。
たった一つの弾を破裂させないように、純白の刃に滑らせて、軌道をずらした。
最後の弾丸は、壁に色を撒き散らす。終わりの合図。
思わず、遊を振り返った。艶やかな黒髪を靡かせた遊が、黒い瞳を見開いている。
「ヴォル!」
初めて、名前を呼ばれた。
途端に暗くなる。遊がオレの上着を被せて、抱き締めてきた。その暗さの中でも、彼女の瞳ははっきりと見えていた。
次には、背中に痛みが走る。ぶつかった痛み。ペイント弾が当たったんだ。
「せっかく合格したのに、ペイントだらけじゃかっこ悪いでしょ」
遊はそう言って上着を取る。
「こらこら、お前達、もう撃たなくていい。ヴォルは合格したんだ」
カルロの制止の声。
そうだ。終わったんだ。
ずっと乗り越えてきたボスからの試練が終わった。
最後の試練を、乗り越えたんだ。
「ありがとう遊‼︎ やったッ……‼︎」
「わっ」
歓喜で堪えきれず、遊を抱き締めた。遊が一緒に立ち向かってくれたおかげだ。遊がいてくれたから、乗り越えられた。
遊の腰を持ち上げて、グルリと回る。リキ達が祝福してくれた。廊下は、笑い声でいっぱいだった。
「下ろせ、バカヴォル」
遊が怒っていたが、オレは嬉しくて嬉しくって夢中になって回る。
十五年ぶりにロームに会えるのだ。嬉しさと緊張が高ぶりって、いっぱいいっぱいだった。
浮かれ過ぎていて、気付けばボスの部屋にいた。
「やっぱり黒猫さんにも残って手伝ってもらえば、もっと盛り上がったんですがね〜」
カルロが笑うが、そうなっていたら、合格できた自信がない。椿さんが残っていたら、白瑠さんも残っていたわけで、絶対に敗北していただろう。
「いや〜楽しかった楽しかった」
カルロは、楽しかったようだ。
「おめでとう、ヴォル。ロームに会うことを許すよ」
「ボス……」
ボスが微笑んで伝えてくれたため、オレは涙が溢れて落ちてしまいそうになった。
父親のような存在であるボスから、正式に認められた。親代りをしてくれた彼がずっと見守ってくれて、鍛えてくれて試練を与えて強くしてくれた。この恩を、生涯をかけて返したい。
「アースで、ロームの居場所を教える」
「は、はい!」
今夜の祝いの場で、明らかにしてくれる。待ち遠しい。さっきから浮かれて、顔が火照っている。
「遊……」
「わかってる」
ボスがなにか言おうとしたが、遊は遮ってそっぽを向いた。例の返事とやらだろう。訊ねれば怒られるだろうから、止めておいた。
アースで祝うために、スーツを着替る。
深い青のスーツと青のネクタイを締めて、部屋を出ると、廊下に遊がいた。ドキッと胸が高鳴った。
すっかり夜に染まった窓を見上げている遊は、あのアイボリーのワンピースに身を包んでいる。肩と首が大きく開いた可憐なデザイン。黒いハイソと、パンプス姿。夜風が靡かせる黒髪が、妖艶に艶めいている。
その横顔がもの寂しげに見えて、オレは声をかけずにはいられなかった。
「遊……どうかしたのか?」
「なにが」
外に目を向けたまま、遊は冷たい反応をする。機嫌が悪い。……いや、それだけで片付けられないただならぬ様子。
今日は遊に助けられたのに、放っておいてはおけなかった。
「……遊。なにがあったんだ?」
また睨まれるだけだろうが、オレはもう一度訊ねてみた。
「はぁ……」
オレを振り返って一瞥した遊が、ため息をついた。
「父親に一緒に住まないかって言われたんだ」
「え?」
話し出してくれた遊が口にしたことは、すぐには理解できない。
「正直捨てられていたと思っていたんだ。ずっと母親と日本で狭いアパートに住んでいた。父親の顔を知ったのも最近だった。ここに来たのは気まぐれだったのに、父親と暮らすなんて……」
遊の家庭は想像と違って、複雑。七日間もそばにいたのに、オレは彼女をよく知らないと思い知った。
背中を重ねて一緒に立ち向かってくれた遊が、とても遠く感じる。届かないほど遠く。
そして、気付く。遊とはもう、お別れだという事実。遊の答えが何であれ、遊はいなくなる。もっと遠くなる。鈍い痛みが、この胸に広がった。
「あたしには夢があったんだ。父親がいなくたって、子どもらしく夢を持っていた。叶えたくって叶えたくって必死だった。でも気付いたんだ。周りの友だちが夢を捨てていくのが信じられなくって嫌で、自分だけは叶えてやるって、意地になっていただけだって。意地っ張りなんだ、すっごく。前に進もうと夢を捨てたら、どこに行けばいいのかわからなくなって……目標がないとダメな質なんだ。見つけようとフラフラして見つけた」
とても珍しく雄弁に話していたが、遊は遠い目で夜空を見上げた。
「そして、人は誤った道を進む」
ああ……それで、ギャングを作ったのか。夢の挫折がきっかけ。
いい奴らを傍若無人に巻き込んだ、そう話していた。
「……居心地がいいからって誤った道を進んだら、皆がダメになるって。全員があたしについてきてくれたから……あたしが止まることにした。解散して、またあたしは目標をなくした」
仲間のためにも、別れを告げた。
「まるで見ていたかのようにいいタイミングで、父親が現れたんだ。今まで一度だって連絡してこなかった父親が……来たんだ」
遊は、顔を伏せる。
「正直意味わかんない。気晴らしでここに来ればいいと言われて来たのに……そしたら一緒に住もうなんて言われて……。わからないんだ……自分がどうしたいのか」
まるで泣いてしまいそうな、後ろ姿だった。
「すごく意地っ張りだから……どう受け入ればいいのか……わからない。父親と、どう接していいかもわからない」
震えた声に思わず手を伸ばそうとしたが、その前に遊が自嘲気味に笑った。
「……お前が羨ましい。私はずっと迷い続けたけれど……アンタはずっとバカ一途に進んで生きてきたんだから」
また泣いてしまいそうに感じた。堪えきれずに遊を掴もうとしたが、顔を上げた遊はただ普通に夜空を見つめる。
「星……見えないな、ここ」
遊が夜空を見ていたのは、星を探していたからだ。確かにこの街は明るすぎて、星が見えにくい。だが、星はある。
オレはあることを思いついて、遊に手を差し出した。
「星がよく見えるとっておきの場所がある。アースに行く前に、行こう」
オレが好きな秘密の場所を、遊に見せたい。
遊は少し考えたように首を摩ったあと、オレと手を重ねてくれた。
20160527




