14 七日目
ヴォルフ家が所有するプライベートビーチに、遊を連れていった。
水着を着たが、パーカーを上から着て遊は砂浜に座り込んだ。泳ぐつもりもなく、ただ海を見つめている。
不機嫌だ、と主張する雰囲気を纏う彼女のために、泳ぐことを勧めず、パラソルを開いて立てて置く。
サングラスをかけた遊が見つめる海は、白い砂浜と青い海の色が混ざり、水色に透けて見えた。押し寄せては引いていく波が、太陽の光を反射しながら揺れている。
ここのビーチは、都会の音は聴こえず、波の音が心地いい。
静かな遊の隣に座って、黄昏てみた。いつしか遊も不機嫌な雰囲気も消えて、ただただ海を眺めたからだろう。会話もなく、一時間ほど過ぎる。
「……どうかしたのか?」
「……ん」
訊いていい頃合いだと思ったが、遊は上の空。遊の黒い瞳は、ぼんやりと海だけを見ている。
ボスの部屋を訪ねてから、何かに怒っているようだが、その理由は教えてもらえない。
「明日が、最終日ね」
潮風が、遊の黒髪を舞い上がらせた。オレの七日間の試練の最終日。
「ロームと会えるかどうか、明日で決まる」
「ああ……」
明日をクリアすれば、ロームに会える。そう思うと熱い高揚感が込み上げた。しかし、それを冷ますような冷たさも襲い掛かる。
「まぁ、ロームと会えるかどうか、わたしの気分次第で決まるんだけどね」
「え゛っ」
遊が隣で、嘲笑を浮かべた。
「だいたい、ロームがとんでもないブスに育っていても、大丈夫なの? 幻滅する前に再会は諦めたら? 百年の恋を冷ましたくないでしょ」
「またその話か……」
オレは苦笑を溢す。
「再会したら、どんな話をしようかって、何度も想像したが……どれも実現しないだろう。予想なんて無意味で、ただ……」
目を閉じると、結局再会を想像してしまう。
「ロームに、会いたい」
そう口にしたのに、瞼の裏に浮かんだのは、青い瞳をした遊。
ギクリとして、目を開く。今朝の夢を引き摺りすぎだ。動揺する胸を擦る。
「……アンタってさー」
横を見ると、遊は膝を抱えて踞った。
「本当に馬鹿野郎ね」
強い風が吹いて、また遊の髪が舞い上がる。
「――――――――……」
遊の唇が動いたのが見えたが、潮風と波の音で聞こえなかった。
「……遊、今なにか言ったか?」
顔を覗こうとしたが、遊は答えず、立ち上がるとサングラスを落として海に向かう。
「ちと泳ぐ」とパーカーを着たまま遊は、浅瀬で少しの間、泳いだ。本当に泳げている。
オレは立ち上がり、波打ち際で遊を見守った。
「……最終日、か……」
それは遊との別れを示すのだろうか。胸に痛みを感じたが、考えないようにした。
七日目の朝。
妙な暖かさに目が覚めると、またオレの腕の中に遊がいた。
昨日のように驚いて飛び退かずに、ぐっと堪える。二日連続、遊を突き落として起こしたら、遊の体調が悪くなってしまう。堪えろ、オレ。
オレの上に被さっているのは、遊の毛布だ。オレの腕の中で、遊は丸くなってオレの胸に顔を埋めている。
とても、暖かい。
くすぐったい、規則正しい寝息も、シャツ越しに感じる肌の温もりも、毛布の中も。
オレの顔まで、ガッと熱くなった。遊の甘い匂いで、満たされている。
心臓が激しく暴れ、呼吸もまともにできない。
早く、早く、離れなくては。
「んっ……」
息を止めて、強張る。
遊が動き、顔がオレの首元に擦りよった。
熱さが増して、意識が朦朧としそうになる。
遊を起こさないように離れる、ただそれだけに集中しようとした。
遊の下にある腕を、慎重にゆっくりと引き抜こうとしたのだが。
「んぅ」
たじろいだ遊の唇から、温かい息が吐かれた。その唇が、なにかを求めるように動いて、オレの首筋を這うから――――もう限界だった。
勢いよく後ろに仰け反る。遊の身体の下から腕が抜けた途端、そばのコーヒーテーブルの角に頭をぶつけて落ちた。
頭を押さえて、必死に声を出さないように堪える。遊を起こさないためだったが、腕を引っこ抜いた拍子で目が覚めたのか、遊の足音を耳にした。
見ればソファーにいなく、遊はバスルームに入っていく。
「……な、なんなんだ……」
首を押さえて、ソファーに顔を押し付けて項垂れる。
昨日は、オレが寝惚けて抱き締めてしまった。だが、今のは、何故ああなってしまったのだろう。
「遊、あの、なんで」
「今日は七日目。朝から気を引き締めないと、失格になるわよ」
「あっ!!」
バスルームから遊に言われて、ハッとした。慌てて立ち上がる。今日まで、気を緩んではいけない。
急いで支度をした。
スーツをビシッと着て、ナイフを確認して、背中のホルダーにしまう。
緊張が高まって、食事はまともに出来そうにもない。でも、行かないわけがない。
遊とともに、ダイニングルームへ向かった。
今日の遊は、変わらないスタイル。足を包むのは黒のニーソと、黒のブーツ。黒のキャロット。
上には白のブラウスと、黒いベストを着ている。ベストは背中の部分に紐がついていて、コルセット風だ。
「おはようございます、ヴォル兄貴、遊さん!」
いつものように先にいた皆から挨拶をされ、挨拶を返す。
リキにも挨拶を返して、遊のために椅子を引いた。
しかし、遊はまた座らない。また白瑠さんがいるのかと、焦って周りを見てみた。けれども、いつも通り、ファミリー達しかいない。
「どうしたんだ? 遊」
「……」
遊はファミリー達をじっと見据えた。首を傾げると、やっと答える。
「ピリピリしてない? なにかあったの?」
「ピリピリ?」
「えー? なんもないッスよー」
リキは笑って答えたが、オレは改めて皆を見てみた。いつも通り賑やかに話をしている様子に見えたのだが、リキを始め、笑顔がぎこちない。
白瑠さんが現れた時とは違うタイプの緊張をしているようだった。
「ほら、席つけよ。おはようさん」
カルロに背中を叩かれ、ボスが来たことに気付く。
慌てて挨拶をすると、ボスはいつも通り柔らかく微笑んだ。
そして、いつも通りの朝食が始まった。
「ヴォル、黒猫さんから連絡はきたかい?」
ボスに問われ、胸ポケットから携帯電話を取り出して確認する。
「ありません……」
椿さんは、例の遺体の確認中。または、殺人犯の追跡中なのだろう。
椿さんなら、見ただけで悪魔の仕業か否かがわかるはず。
悪魔の仕業なら、すぐにでも連絡をくれる。だから、連絡がないことを安心すべきだろう。
「仕事が済んだら、立ち寄ってくれるだろう」
「……はい」
ボスに頷く。
オレはボスの青い瞳を横目で見つめた。
ボスも心配なはずだ。ロームを狙う悪魔が、まだいるかもしれない。
十五年も会っていなくとも、愛している娘だ。たった一人の娘だからこそ、不安も抱いているはず。
けれども、ボスは表情を崩さない。ファミリーの皆に気付かせないためだろうか……。
「試練は最終日だね、ヴォル」
ボスは、話題を変えた。
思わず、緊張がガッと高鳴り、カルロを見る。カルロは、そんなオレを笑った。
「食事中は流石にないって」
食事中の発砲はない。
少し、警戒を緩めた。
「終わったら、一緒に私の部屋に来てくれ」
「あ、はい……」
ボスに部屋に呼ばれ、返事をする。そのあとに、遊の顔色を窺った。遊は皿の上の人参をフォークで刺しそびれ、ガチンと音を鳴らす。
……不機嫌だ。
昨日ボスの部屋を訪ねたあと怒っていたが、まだその件を引き摺っているらしい。
鋭くなった黒い瞳は、テーブルについているファミリー達に向けられた。まるで見張っているようで、オレは交互に見ては首を傾げる。
食事を終えたあと、すぐにボスと遊と書斎へ行った。
どっしりとした机を見たら、ここで初めて遊と会ったことを思い出す。途端に、チクリと胸が痛んだが、その原因を考えないように振り払う。
「さて。最終試練の最終日だね。カルロの最後の一発を防いだ時点で、合格だよ」
椅子に深く腰を下ろしたボスからの言葉に、心情は複雑になる。
あと一発。あと一発なのだが。
なによりも、プレッシャーの重い一発だ。
「この試練をクリアすれば、正式に娘の婚約者と認める。あとはヴォルとローム、二人が決めればいい」
「……はい」
ボスから、正式に認めてもらえる。あくまで、候補にすぎないが。
そして、なによりも、十五年ぶりにロームと会える。
緊張に火がついて、ガッと熱くなった。
「合格祝いは、アースでしよう。他の皆には悪いけれど、幹部とそして遊とだけで」
「あ、はい。予約は」
「もう済ませているよ」
ボスと幹部だけなら、わかる。しかし、遊も一緒とはどういうことだろうか。
あ、いや、試練が終わっても、遊の護衛を続けるべきなのか。
遊を振り返ると、なにも聞こえていないような様子で、腕を組みそっぽを向いていた。
「遊の方は、例の返事を今日中にお願いできるかな?」
ボスが笑いかけても、遊は無反応だ。
「よろしくね」とボスは一方的に言った。
「今日は夜までこの家を一歩も出ないように。じゃあ二人とも、頑張ってね」
「はい、ボス。……必ず」
祝いの手配は済ませてもらっているんだ。期待に応えなくてはいけない。
オレは力強く頷いて、廊下を確認してから、不機嫌な遊とともにボスの部屋を出る。
遊は腕み組をしたまま、俯いていた。黙っている。
「例の返事とは……ッ」
なにかと問おうとした。
言いかけると、横目で睨まれる。聞いてはいけなかったらしい。
今にも爆発してしまいそうだが、不気味なほど静かに、ただ遊はオレを睨んだ。
「(おう、ヴォル。久しぶりだな)」
「(あ……お久しぶりです、アリビト)」
前方から歩いてくる男に声をかけられ、会釈をする。
アリビト・ヴォルフ。
ボスのはとこ。ファミリーの一員ではあるが、ボスの座を狙っていることもあり、オレや幹部達には好かれてはいない。
ボスが継ぐことになった時も、彼だけが反対だと反発していたらしい。
金髪をオールバックにしているアリビトは、髭を蓄えている顔で、愛想笑いを向ける。白いスーツと派手なYシャツ。金使いの荒さがわかる。印象はよくない。
遊はどんな印象を抱いたのかと、チラッと見てみた。足を止めたオレから離れないようにいてくれたが、アリビトを視界に入れようともしない。
「(シリウスはいるか?)」
「(部屋にいます)」
「(ついにカノジョ、できたのか?)」
「(違いますよ)」
アリビトはオレをからかってから、護衛一人とボスへ向かった。
少し気掛かりだが、ボスの部屋にルポ達が入るのが見えて、安心することにする。
「で、アースってどんな店?」
「へ? ああっ……ボスのお気に入りのイタリアンの店だ。祝い事はよくそこを使う」
遊が口を開いたため、少しビクリとしたが、答えながら歩き出す。
「階段を下りた地下一階にある店で、雰囲気ある店だ。料理も美味しいから、気に入ると思う」
「へー」
適当な相槌を打ちながら、遊は遠くを見ている。だんだん表情が険しくなっていき、やがて足を止めた。
オレも足を止めて廊下を見渡す。
それは息を潜め、見られている気配がする。
カルロ?
いや、違う。
大勢に囲まれている。
遊に気を配りながら、警戒をしていたら、向かおうとしていたリビングルームからカルロから出てきた。
「先ず、謝らなくちゃいけないな。ヴォル」
銃を片手に立つカルロが、オレに向かって言う。
「大事な大事な最終試練だと言うのに、この6日間、オレは生温いことをした。すまない。だから最終日の今日、全力でいかせてもらう」
そう笑うカルロに、オレは戦慄した。
「婿候補の試練なんだ。全力でやらなきゃ失礼だろ。だから、皆にも参加してもらうことにした」
パチン、とカルロが指を鳴らせば、リビングルームからゾロゾロとリキ達が出てきた。
手には銃。ペイント弾のものだ。
ゾワゾワと戦慄が駆け巡り、オレは腕で遊を下がらせた。
カルロが銃口を向ければ、全員が構える。三十一の銃口が、オレと遊に向けられた。
「す、すみません! ヴォルアニキ! 兄貴のためなんです!」
「わりーな、ヴォル。最終試練なんだから、これぐらい乗り切れ」
「ごめんなさい、ヴォル!」
リキ、トニー、メルがオレに謝る。
カルロに、試練のためだと説得されたらしい。
一気に、ハードルが上がった。カルロの全力の襲撃も防ぐ自信がないというのに、この豪邸に住むファミリー全員が狙う。
今日はこの豪邸から一歩も出るなとも言われている。
つまり、最終日は、この豪邸内で三十一の弾丸から、遊を守らなくてはいけない。
「さあ、猶予を一分やる。始めようぜ。お前の最終試練」
ニカッ、といつものように笑いかけるが、カルロからはナイフのように鋭利な威圧感を感じた。
いや、牙だ。いつでも、噛みつく。そう感じた。
ほぼ無意識に、オレは遊の手を握り締めた。
20150530




