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11 危険な黒猫


 まるであのビデオの中にいるようだった。

幼い頃のロームがいる。少し離れた場所で、カメラを持ったボスと話していた。

 やがてボスがオレの元に歩み寄るとしゃがんで、オレの頭に大きな手を置く。


「かっこいい男になるんだぞ。ロームを、守り抜いてくれ」


 そっと優しい青い眼差しで、ボスは言ってくれた。

 ロームと結婚することに相応しいかっこいい男になることを――――

ロームを守り抜くことを――――




 ぐらつく意識の中、話し声が聞こえた。聞き慣れた女性の声がする。でも聞き慣れない声音だ。

優しさを帯びた穏やかな笑い声。

 遊は、こんな声をオレに向けたことあるだろうか?

 思い返しながら瞼を上げると、天井とカーテンレールを目にした。

 意識を失う前の記憶が一気に押し寄せるように思い出したオレは、懐のナイフを掴もうとしながらカーテンを開く。

 だが、懐にナイフがない。奪われたんだ。

 ギクリと焦りが突き刺すように走る。

 遊がっ……遊がっ!!


「このヘタレ」


 突き刺すような一言が放たれた。見ると、目の前には白い刃。猫が描かれた純白の短剣が向けられていた。

 それを持つのは、パイプ椅子に座った白衣の女性。医者とは思えない深紅のタイトスカートと、高いヒールを履いている彼女は、紅い瞳を細めた。

 刃と同じ冷たさがある瞳の持ち主は、間違いなくあの時オレに威圧感を放ったその人だ。


「つ……」


 オレは言葉を詰まらせる。

彼女のもう片方の手には、オレのナイフ。同じく純白のそれを、隣に座っていた遊が手に取り眺めた。


「起きるの遅い、ヴォル。お姉さんが淹れてくれたコーヒーが冷めちゃったじゃん」


 遊は淡々とオレに言う。


「遊……無事でよかった……」


 遊に怪我がないようで安堵した。だが膝にヒールが突き刺さり、安堵を踏み潰される。


「眠らされた挙げ句にナイフ取られた貴方に、番犬の通り名は相応しくないわよ。気配を感じた瞬間にナイフを出しなさい。病院に入った時点で気付きなさい。どこまで鈍感なの、この駄犬」

「い、痛いっ……」

「よくもまぁそんな腕でマフィアのボスの右腕になれたものね。あたしじゃなきゃ、護衛中のこの子の首が切り裂かれてたわよ。殺されてもいいの? この子」

「も……申し訳ありません……」


 物凄く機嫌が悪い彼女に、オレは頭を下げて謝罪することしかできなかった。指摘に反論できない。

 膝に押し付けられたヒールを退かしたら、きっと次は顎を蹴られてしまうに違いない。だからヒールは耐えた。


「……師匠……本当に申し訳ありません」


 オレの師である彼女は、漸くヒールを退かすと美しい足を組み直した。

 師匠はよく、抜き打ちテストをしてくる。今回はそれだった。

連絡もなしに会いに来て、殺し屋のように忍び寄り背後を取った。実践ならば、オレが注射されたのは毒。彼女の場合、首を切り裂いていただろう。

今回のテストは、失格だ。


「師匠なんて呼ばなくていいって、何度言わせるの?」

「……椿さん……」


 名前を呼び直すが、機嫌の悪さは治りそうにもない。

 オレが不甲斐ないことに怒っているなら、無理もないだろう。

 オレも自分が情けない。

もしも師匠ではなく、他の手練れの殺し屋だったのならば、遊は……殺されていた。

 遊が手練れの殺し屋に狙われる理由はないが、もしもを想像するだけで身も凍る恐怖を感じた。


「このナイフと、お姉さんの短剣、刃が同じように見えるけれど、同じですか?」


 反省するオレなんて気にした様子もなく、遊が椿さんに訊いた。


「同じ武器職人に造って貰ったの、そのナイフはプレゼントよ。取り上げたくなるけど」


 椿さんは遊に答えると、オレに微笑んで毒を吐いた。

 そのプレゼントであるナイフは、宝物同然なのだ……それは困る。


「まぁまぁ、お姉さん。そう厳しく言わなくても、彼は反省してますって」


 遊は女性限定に向ける優しい笑みで椿さんに言うと、オレにナイフを差し出して返してくれた。

 庇って……くれたのだろうか。


「フン……駄犬」


 見つめたら、嘲笑を浮かべて遊が鼻で笑う。椿さんに言われた時よりもグサリと深く突き刺さってしまい、オレは胸を押さえて落ち込んだ。

 こうして並ばれると……似ている。動物に例えるなら黒猫がぴったりの二人は、機嫌が悪いと刺々しいが、気品さのある魅惑な女性だ。

 椿さんは本当に遊とは比べ物にならない危なさと鋭い爪を持っている。

恐ろしくも、美しすぎるオレの師。


「……あの、椿さん。どうしたのですか? 今回はお一人のようですが、休暇中?」


 椿さんが一人なんて、珍しいと思いながら、今回会いに来た理由を訊いてみた。

オレをテストするためだけに、わざわざここまで来ない。

 ……いやどうだろうか、椿さんは気まぐれだし。でも気まぐれの休暇ならば、一人では来ないはずだ。


「仕事よ。相棒は寝てる」

「ああ……そうでしたか……」


 それを聞いて、納得する。

仕事で来て、相棒が睡眠をとっている最中に、オレをテストしに来たのだろう。


「なにか、お手伝いしますか?」

「いらないわ。貴方は大事な人の護衛中でしょう?」

「……はい」


 オレの手を借りることは求めていない。

遊から試練のことを訊いたようで、椿さんは紅い瞳を細めてほくそえんだ。


「お姉さん、何の仕事? 殺し屋は辞めたって聞きましたけど」


 デスクに頬杖をついて椿さんを鑑賞するように見つめていた遊が、椿さんの職業を問うから焦った。


「4年前から殺しをしてないわ。今は悪」

「遊は、表の人間です!」


 椿さんが答えようとするものだから、声を上げて遮る。


「バカな子ね。悪と戦っている職業って言おうとしただけよ」

「うっ……」


 椿さんに呆れ顔をされてしまう。

 そうだ、椿さんは表の人間にひょいひょい話すような軽率なことをしない人だった。


「悪って、ヴォルみたいなマフィアじゃないんですか?」

「いいえ、殺人鬼よ」

「じゃあ、警察?」

「ええ、そんなところよ」


 面食いで女性に優しい遊は、興味津々な様子で椿さんに問う。

 ひやひやする。遊は目敏いから、知ってはならないことに気付いたらまずい。

 椿さんは基本他人に冷たいが、遊には興味があるようで微笑んで対応した。


「殺人鬼ってことはぁ、シリアルキラーってこと?」

「ええ、シリアルキラーやサイコキラー。世界中の殺人鬼を担当しているわ」

「世界中の? すごいですねぇ」


 椿さんの仕事内容を聞いて、遊は目を輝かせる。

一般人である遊には警察関係の仕事が出来る美女に見えているのだろう。

 シリアルキラーを追い詰める方法を遊が知ることを考えると、オレは青ざめてしまいそうになる。


「お姉さん、とても若く見えますが……4年前はいくつでした?」

「18」

「18歳から何年殺し屋をやったのですか?」

「ちょ、遊っ……!」


 掘り下げようとする遊を止めに入った。パイプ椅子を引いて椿さんから離すと、遊は膨れっ面をして俺を見上げる。


「半年よ」

「え、半年だけ?」

「ええ、半年だけ」


 椿さんはさらりと答えた。

その回答に遊が目を丸める。遊にとってわからないのだろう。オレの師になるほどの元ベテラン殺し屋と思い込んでいたようだ。


「あ、あの。今日は遊を診察してもらいに来たんです。……医者は?」


 話題を変えて、オレは病院に来た目的を果たすことにした。勿論、椿さんはこの病院の医者じゃない。


「それなら診察したわよ。灼熱の街の天候に慣れないのよ、ストレスが原因ね。ちゃんと発散させてあげないとだめよ。せめて少しでも軽い運動をさせないと」

「絶世の美女の診察……幸せ」


 椿さんはさらりと診察の結果を答える。遊はご機嫌のようだ。


「ああ……昨日はボスに外出を禁じたので……そのストレスか」


 遊は外出を禁じられてむくれていた。自由を好む遊にとって、誰かに禁じられることはストレスだったのかもしれない。それが追い打ちになって体調が悪くなったのか。


「ボス、ねぇ?」


 ギィ、と椅子を動かした椿さんが意味深に呟いて頬杖をつく。

 オレに向けられる紅い瞳は、まだ不機嫌のように思えた。

 な、何故だろう。まだオレに怒っているのか……?


「シリウスは今どこにいるの?」

「えっ……ボスは家にいますが……」

「そう」


 椿さんはボスの所在を聞くと、立ち上がりスルリと白衣を脱いだ。


「今から貴方のボスを殺しに行くわね」


 にこり、と椿さんが笑って告げる。

あまりにも衝撃的すぎて、オレはポカンとしてしまった。椿さんはカツカツとヒールで歩き、窓を開ける。


「えっ……つ、椿さん? 本気ではないですよね? つ、椿さん?」

「止めてほしければ止めてみなさい」


 オレが確認すると、椿さんは今度は突き刺すように冷たく言い放った。

 ゾクリと悪寒が走る。椿さんが殺気立っているんだ。

 止めなくては!

そう思って手を伸ばすが、椿さんは颯爽と窓から飛び出してしまった。


「何故そんなに怒っているんですかーっ!?」


 訊いても猫のように素早い椿さんの姿はもう見失ってしまった。


「何故、怒りの矛先がボスにっ……!?」

「またテストじゃないの? てか、本当に殺したりしないでしょ」


 ボスのことを微塵も心配していない呑気な遊の手を掴んで、オレは急いで病院を出ようと走り出す。


「殺さないと思うがっ……絶対に飛びかかるつもりだっ!!」


 殺しはもうやらないと誓っている椿さんなら、きっと殺さない。だが殺すつもりで襲い掛かるつもりに違いない。

 ボスに飛びかかろうとすれば、間違いなく幹部と衝突する事態になる。椿さんはそれを承知だ。暴れるつもりなんだ。爪を出してじゃれるつもりなんだ。


「なんでまたボスにっ! ボスはなにもしていないのにっ! 暴れたいならオレと一戦交えばいいのにっ!」


 いつもなら抜き打ちテストで不合格になると、力尽きるまで稽古をされた。今回は何故かボスを標的にしている。


「あー……それ、たぶん、わたしのせいだ」


 病院を出ると、遊が足を止めて言った。


「え?」

「んーと……アンタが寝てる間に、ちょっと……誇張して……アンタのボスを悪く話したかな」

「……なんて?」

「……別に、ちょっと悪口を」

「……」


 明後日の方を向いて、遊は白状する。オレは青ざめた。

 遊がなにかを吹き込んだせいで、ボスに怒りを覚えている。ボスが、椿さんに怪我を負わされる可能性が高いということだ。


「一体なにを言ったらあんなに怒るんだ……」


 椿さんが会ったばかりの遊の話を聞いて、怒るとは意外だ。椿さんが怒る時は、大抵自分か家族のためなのに。


「……」


 遊は答えてはくれず、そっぽを向いてしまった。




20141208

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