表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/25

10 五日目



 朝陽で目が覚める。

わざとカーテンが開かれた窓を目を細めて見つめて、ハッとした。

 起き上がってみれば、ソファーからベッドに横たわる遊が見える。

 昨夜もまた遊の部屋に眠ったが、今日はオレが先に起きた。

オレは使っていた毛布を畳んでから、遊にそっと近付く。


「遊、朝だ」


 声をかけたが、背を向けている遊は反応しない。

声をかけるだけで目覚めるはずなのに……。

 具合でも悪いのかと心配になり、ベッドに乗って顔を覗こうとした。

すると遊の右手が上がり、危うく平手を食らうところだった。


「う、さい……」

「遊、具合が悪いのか?」

「……んー」


 遊は不機嫌そうに呻いて手を振る。オレを追い払いたいらしい。


「じゃあ、眠っていていい。オレは着替えてくる」


 低血圧で不調のようだからそのまま横になるように言い、オレは部屋に戻った。

 今日も邸宅で過ごした方がいいかもしれない。ビーチに案内する予定だったが、体調が優先だ。

すぐに支度を済ませて、遊の部屋に戻る。支度を手伝おうとしたが、既にベッドの上は整えられていた。

 着替えた遊はソファーの隅に座り、頬杖をついてぼんやりとしている。


「遊、具合は?」

「……」


 オレの質問に、遊は手を振るだけ。

この数日でわかったが、遊は不機嫌な時は黙り込む癖がある。今は体調不良による苛立ちと怠さが原因だろう。


「朝食は運ばせるよ」


 そう言えば、遊はオレに黒い瞳を向けて頷いた。

 リキに運んでもらい、オレも一緒にそこで朝食をとる。食べ終えて薬を飲んだ遊はずっと黙ってソファーに身を沈めていた。

 他にやることないオレはリキに任せていた仕事の確認をしながら、遊のそばにいた。

 カルロも仕掛けてこないく、とても静かな午前だった。

 ゆったりと、時間が穏やかに過ぎていくのを感じる。こんな風に静かに過ごすのもいい、と思えた。



 十二時になれば、リキがランチを運んできてくれて、三人で食べた。


「具合はどうですか? 遊さん」

「ん、平気」


 リキが問うと、遊がまだ気だるそうな声だったがちゃんと答える。


「じゃあビーチに行きますか!?」


 今日の予定を知っているリキがビーチの件を話した。この様子なら、遊はビーチで楽しめそうにないだろう。


「ビーチ、ねぇ……?」


 少し考えるようにソファーで頬杖をつくと、遊は食器を片付ける俺に目を向けた。

じっと見つめると、やがて言う。


「アンタが泳ぐなら行くけど」

「いや、オレは泳がないぞ」


 何故かオレが泳ぐことを求めてきた。護衛が仕事のオレは、泳がないと言うと不満ありげに見上げてきた。


「あ、もしかして、遊さんったら泳げないんでしょー?」


 リキが冗談を言う。

ああ、誤魔化すように言ってきたのかと解釈したが。


「ど阿呆、誰にものを言ってるんだ」

「(かっこよすぎる!!)」


 頬杖をついたままリキを見下して言い放つ遊が否定。

不機嫌を引き摺った遊のそんな姿を見て、リキは胸を押さえて英語で褒めた。


「二人こそ、泳げないんじゃないの? 犬かきできる?」

「まさかの犬扱い!?」


 疑いの眼差しを向けながら、遊は問う。


「いや、泳げるが、護衛の仕事中だから」

「確か、プールあったよな。プールで泳いでみてよ」

「いや、だからオレは……」


 遊は泳げることを証明しろと言わんばかりに、オレの腕を掴むと敷地内にあるプールへ向かった。


「ビーチで泳がないか?」

「人ごみ嫌い」

「ヴォルフ家が所有しているビーチだ。他に人はいないし、綺麗だぞ」


 天気もいいし、景色だけでも楽しめるビーチに行くことを勧めるが、遊はプールへ向かう足を止めない。


「あんまりギラギラしてたら頭痛がするから、元気な時に案内して」


 そう言われては仕方ない。

眩しいプライベートビーチは後日に案内することに決めて、裏にあるプールに出た。

 広いプールは澄んでいて、キラキラと穏やかな光を反射させる。このプールはあまり使われていないから、誰もいなかった。

 プールに来たが、オレは泳ぐ気はない。オレは遊に目を向けた。


「……脱げ」

「えっ!?」


 同じく見ていた遊から、泳ぐために脱ぐように要求される。

 ぎょっとしていれば、遊がオレの背広を掴んだ。脱がされまいと後退りするが、遊は迫る。

 どんどんと下がれば、プールサイドに置かれた椅子にぶつかり、オレはそこに倒れ込む。遊は躊躇なくオレの上に跨がった。


「ちょ、遊!!?」


 火がついたように顔が熱くなる。


「しー」


 遊はオレの唇に人差し指を押し付けて黙らせた。オレはもうなすすべがなくなり、固まってしまう。

 Yシャツのボタンを外していく遊から、目が放せない。垂れる黒髪の隙間から見える黒い瞳は、オレのYシャツを見つめている。

 バクバク、と心臓が暴れていた。こんなにも近くにいる遊に、聞こえている気がしてしまう。


「何やってんだ?」


 声がして、遊が振り返った。

 プールサイドに出てきたのは、リキが連れてきたらしいトミーとディカがそこにいる。リキは真っ赤な顔を両手で隠して立ち尽くしていた。

 呆れたような眼差しにオレは動揺する。


「脱がせて泳がせる」


 遊は簡潔にオレの服を脱がしている理由を答えた。


「ゆ、ゆ、遊っ!」


 部下の手前でこのままではいけないと、オレは遊の腰を持って下ろしたあと、直ぐ様離れる。

 ディカもトミーも、ニヤニヤと口元を緩ませてオレを見た。居心地が悪い。


「遊さんがヴォルの泳ぎをご所望だ。見せてやれよ」


 トミーに腕でつつかれた。


「オレは、護衛中だ。泳がない」


 オレはYシャツのボタンをかけ直しながら、きっぱりと意思を示す。

 すると、トミーがオレの肩に腕を回してきた。なにかとオレより背の高い見上げる。

 ニカッと白い歯を見せ付けて、トミーが笑いかけたかと思いきや……。


  グイッ!!


トミーがオレに腕を回したままプールに飛び込んだため、必然的にオレは巻き添えで水面を突き破り沈むはめになる。

春の冷たいプールの中をもがいて、顔を出す。


「ぷはっ! なにをする!?」


 顔に貼り付く髪を退かして、トミーを探すと。


「ひゃっほー!!」


 ディカが雄叫びを上げて、リキを巻き込んで飛び込んできたから、飛沫を被り周りが見えなくなった。

顔を覆う水を振り払い、息を吸い込む。


「あっはっははっ!」


 笑い声を耳にする。女性だ。

 プールサイドには遊しかいないから、間違いなく遊の笑い声だ。

 遊を探そうとしたのだが、トミーかディカがオレの肩を掴んで沈めてきた。すぐに解放されたオレは噎せながら避難する。

 トミーとディカがゲラゲラ笑う声と水が弾く音しか聞こえなくなった。

水を吸い込んだ重い服のまま、プールから上がろうと掴んだ。

 縁のはずが、掴んだのは柔らかいものだった。

顔を上げて見ると、遊がそこにいる。いつの間にかプール縁に座り、ニーソを脱いだ素足を入れていたらしい。オレが掴んだのは、遊の左の太股。

きょとんとした遊と、目が合って一瞬固まった。


「ぁうわぁあああっ!!」

「失礼な反応ね」


 仰け反ったオレは、またプールの中に沈んだ。

もがいて、もう一度水面から顔を出して、呼吸をする。気管に入ってしまい、暫く噎せた。


「遊さん!! 犬かきできますよ!!」

「まじでやるとか、お前は素直だな」


 横でリキが犬かきをすると、遊は感心した声を出す。

服は邪魔だからと、リキ達は服を脱ぎ始める。プールで遊ぶつもりだ。

 呆れながらも今度は遊に触れないようにプールから出ようとしたが、先にディカが遊の元に向かった。


「遊さんも泳げよ!」


 遊もプールに引きずり込もうと手を伸ばす。それはだめだとオレが阻止する前に。


「溺死したいの?」


 遊は凍てついた眼差しで見下して言い放つ。

冗談だとは思えないその眼差しを向けられたディカも、見ていたリキも、青ざめて身を引いた。

 遊にその手のいたずらが実行されなかったことに安堵する。

遊がプールにダイブすることも、誰かが遊の仕返しをされることも、両方不安だ。


「よっしゃー! じゃあ競争するか!!」


 トミーが言い出した。


「わたしが審判する」


 遊は乗り気で手を振る。


「いや、オレは……ちょ!?」

「泳ぐぜ!!」


 またもや、トミーはオレを掴んだ。

 遊から離れている隙に、カルロが仕掛けてきたら守れない。試練失格だ。

 トミーの手を避けて、遊の元に泳ぐ。


「逃げんなヴォル! かっこいいところを見せろよ!」


 今度はディカに捕まってしまう。プールの中で取っ組み合いをする羽目になった。


「おい、怒るぞっ!!」


 いい加減にしろと怒鳴ったが、水をぶっかけられて掻き消される。

水のせいで視界が悪い。ゲラゲラと面白がって笑うディカとトミーの声が水飛沫とともに聞こえる。


「あははっ!」


 また遊の笑い声も聞こえてきた。

べったりと貼り付いた髪を退かして遊を見てれば、彼女の笑顔は見えない。お腹を押さえて寝転がってしまったせいだ。

足をバタバタと揺らして飛沫を上げている。

 どんな顔で、笑っているのだろうか。

弾んだ声を響かせる遊が気になり、オレは向かおうとした。

 しかし、リカメン達が飛び込んできて、また水飛沫を浴びるはめとなる。

何故……みな飛び込むんだ。


「!」


 リカメン達と一緒にボスも来たらしい。

寝転がっている遊に、ボスは歩み寄ってなにかを話し掛けていた。

 まだ引き留めようとするディカとトミーに、仕返しとして頭を掴んで沈める。

いい加減にしてくれ!


「ボス!」


 泳いで遊の隣からプールから這い出る。すると寝転がっている遊が起き上がった。いつの間にか、眼鏡をかけている。

「ちょっと、服が濡れるから離れてよ」とオレが近付くことを嫌がるものだから、ショックを受けた。


「楽しそうだね、ヴォル」

「す、すみません……」


 部下の悪ふさげに巻き込まれたとは言えず、ただ笑いかけるボスに謝罪する。

 それから遊がぐったりしていることに気付く。

サングラスで表情は読みにくいが、俯いた様子からまた体調が悪くなったみたいだ。


「大丈夫か? 遊」

「ん」


 コクリと首を縦に揺らすが、あまりよくないようだ。


「お抱えの医者は今休暇中だから、病院に連れていってあげてくれ、ヴォル。一度診察してもらうべきだ」


 ボスから指示されたのならば、遊が嫌がっても連れていくしかない。

「わかりました」と頷いてオレはYシャツのボタンを外す。先ずは着替えないと。

 すると遊はサングラスをずらして、オレを見上げてきた。

射抜くその視線に落ち着けなくなり、オレは脱ぐことを中断する。そうしたら、遊に舌打ちされてしまった。


「ふふっ」


 それが可笑しかったらしく、ボスが拳で口元を押さえて吹き出す。

ボスの笑顔を見て、オレは遊に目を戻す。遊もボスを見ていた。

 彼女はさっき、どんな顔で笑い声を響かせていたのだろうか……。

 笑い声を上げる姿も想像が難しく、オレには想像できなかった。


 着替えたあと、オレが車を運転して近くの病院に遊を連れていった。


「病院って嫌いなのよね」


 遊はボソリと呟く。

力なく診察待ちの椅子に座っていたが、やがて立ち上がった。


「お手洗い行ってくる」

「あ、ああ」


 歩き出す遊の後ろをついていって、入り口で待とうとした時だ。


「!?」


 寒気が鋭利なナイフのように、背筋を突き刺してきた。

 戦慄する気配を、そこに感じる。

周りを見たが、清潔が保たれた廊下は人気はなくなり静寂だ。

 その気配の持ち主は見付けられない。

浴びた血がこびりついたような匂いが鼻にツンと来る。

 間違いない。

ここに"裏の者"がいる。

それも、身を隠すことが上手い手練れ。殺し屋か?

 しかし、何故今いきなり気配がしたのだろう。注意深く周りを見ながら、考えた。

 気配も上手く隠せるはずなのに、まるでわざと存在を明かしてきたように思える。

 そう、まるで。

オレの注意を引くためのようで――――。


 罠だっ!!


 オレは咄嗟に先に行ってしまった遊の身を案じた。

オレを足止めして、遊を狙う算段。そう推測した。


「ハァイ」

「!?」


 真後ろから聞こえた声は、静かにオレの耳に落ちてくる。

振り返る前に、口を押さえ付けられた。すぐに懐のナイフを取り出そうとしたのだが、それよりも先に首に注射を刺されてしまう。

チクリと痛みが走るなり、身体から力が抜けて、視界が霞んだ。


「坊や」


 最後に耳に吹き掛けられたのは、甘い甘い囁き。

 意識を手放す前に見えたのは、確かに――――(あか)だった。




◆◇◇◇◇◆


「あれ?」


 遊はお手洗いの入り口にも、診察の待ちの椅子にも、ヴォルの姿を見付けられず首を傾げた。


〔月島遊さん。診察室Bへどうぞ〕


 そこでアナウンスを聞く。

日本語のアナウンスに疑問を持ちながら、遊は一人で診察室へ向かった。

 中に入ると、丁度医者が診察用のベッドのカーテンを閉めているところだった。

 医者は赤いヒールでカツカツと歩くとパイプ椅子に腰を下ろす。

 白衣の下は、ワインレッドのブラウスとタイトスカート。足を組んで遊に笑いかける女性の瞳も、紅い。

 右手には注射器があり、くるりと長い指の間で回されていた。


「こんにちは」


 日本語で挨拶する彼女を見て、遊が思ったことはたった一つ。


 絶世の美女の診察だ、ラッキー!




20141013

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ